二章 繰り返しの中で、だからこそ 2
「……で、何をやってんだお前は」
「いやぁ、全身がガチガチになっちゃってさぁ」
昼休みのクラスルーム、僕は一人でストレッチをしていた。クラスメイトの視線が若干刺々しいが、流石に固まりきった体を放置する気にもなれなかった。体育の授業の後なんかは、べつにこうはならないんだけど、昨日はどうやら変な力が入っていたようだ。
「体育館でデート、ねぇ」
昨日の話を掻い摘んで聞いた親友は、その単語を噛み締めるように頷いていた。
「健全を通り越して、仲の良い兄妹みたいだな」
「やっぱりそう思う?」
「お前の事だから、少なくともキスまでは突っ走ってるんじゃないかって思ってた」
「したくない訳じゃないけど、向こうからしてくれるのも待つのもいいかなぁって」
「……少なくとも、お付き合いという体は取ってるのか?」
「あーっ」
「その反応を伺うに、相手の娘の中でのお前の立ち位置は、近所のお兄さん以外の何者でもないと思うんだが……」
「告白だけはきちんとしたから、大丈夫だろ」
「ああ、そうだったのか…………って、は?」
やっぱり、表情の変化がいちいち漫才師みたいに巧みな親友だった。ここまで華麗な二度見を僕は見たことがない。本当に要らない特技だと思う。
「話しかけた日に、そのまま勢いで告白しちゃったんだよなー」
「……ちょっと通報してくるわ」
「いやいやいやいや! それを決めるのは椿姫ちゃんだろ!」
「名前にちゃん付けしてるのが気持ち悪い……。それに、当事者はその異常性に気付かないって言うからなぁ」
「椿姫ちゃんは異常じゃないぞ!」
「……はいはい」
「ところで、肩揉んでくれない?」
「……どうして俺が男の肩を揉まにゃいかんのだ。気持ち悪い。あーもう、気持ち悪い」
その後も、「気持ち悪い気持ち悪い」言いながら、何だかんだ会話を続ける意図を見せ続けた親友。何というか、コイツもコイツでちょっと気持ち悪いと思う。
「思ってた以上に、身体が鈍ってたみたいなんだ」
「私は、鈍る筋力も体力もないですから」
いつもは『白い』程度だった椿姫ちゃんの顔色、今日は『青白い』を通り越して不健康児童代表みたいな顔をしていた。いつもは読んでる大きめの本を今日は読んでいなかったし、本を持ちあげられないほど筋肉が疲弊してしまったのかもしれない。
……僕が見た限りで、椿姫ちゃんの運動と言えば一人でジタバタしていた程度だったような気がするけど、あれはあれでハードな運動なのかもしれない。
「……もしかして、本を持ち上げるのすら辛かったりする?」
ギギギと言う擬音が似合う動作で、僕から視線を逸らす椿姫ちゃん。
「そんなはず……ないじゃないですか」
試しに二の腕を指先で突っついてみると「あぎゃん……っ!」という謎の悲鳴とともに、悶絶し始める。息を付かせる間も与えず、椿姫ちゃんの腕を取ると、包み込むように握りしめる。
「あふあふあふ! 痛い痛い痛いですって!」
涙で潤んだ瞳で懇願されて、思わず理性が吹き飛んでマッサージどころではなくなりかけたが、そこは根性で立ち直る。痛いのは本当みたいだし。
「揉んであげようと思ったんだけど……」
「もう少し、弱めで……あっ、それくらい、うん、いいと思います、その調子です」
お墨付きを貰ったので、腕を指先と手の平で挟むようにして筋肉を解していく。
「あぁ~……いいですね、マッサージってこんなに気持ち良いものだって、思いませんでした」
そのまま肩、首筋へと動かしていくが、首周りは不評のようだった。そこは若さでカバー出来る部分らしい。背中も同じく不評だったので、そのまま太腿に――
「そ、そこはどうなんですか……?」
と、指先がジーパンに触れるか触れないかという部分で、静止をかけられてしまう。
「どちらかと言えば、脚の方が筋肉痛になってるだろうし、気持ち良いと思うよ?」
「い、いや、そうじゃなくて……、仮にも、私に好意を抱いている男性に、こういった部位を触らせるのは、どうなのかなって……その、興奮とかされたら、困るし」
顔を真っ赤にしながら、身振り手振りを見えて現状の問題点を語る必死さが可愛い。既に若干の手遅れ感はあった。
「ふふっ」
「『ふふっ』て! よりにもよって『ふふっ』って笑いましたね!」
「いやぁ、可愛いなぁって思ってさ」
「……可愛いって言えば許されるとか思ってませんか」
「えいっ」
「うわぁあんっ」
太腿を握ると、色気が全くない悲鳴を上げられた。やっぱり、肉付きが少ないと思う。痩せてるんじゃなくて、筋肉が少ないのかもしれない。それでも、指先をギュッギュッとしてくと、熱っぽいが色気が致命的に足りない悲鳴を上げていく。「あぎゃっ――むぅっ――めぇえっ――ぐぐぐ――」みたいな。録音しとけば良かっただろうか。良かっただろうな。
「うん、こんなもんかな」
「……犯された気分です」
「…………なんかその一言を聞くと、怖くなるから止めて欲しいな」
(そうじゃなくても、周りが酷く冷たい目でコチラを眺めている事に何故気付けないのか)
「じゃあ、次は……私が仕返しする番です」
椿姫ちゃんはベンチに座った僕の後ろ側へと回ると、先ほどの僕がやったように、二の腕を掴む。小さな手が、一生懸命僕の腕の上を這っていく感覚。気持ち良いとか以前に、『こそばゆい』の域を出ず、身震いしそうになってしまう。
「どう、でしょうか、痛くて、気持よくて、変な気持ち、でしょう?」
……多分、手を動かしているうちに自分の筋肉痛が痛み出したんだと思う。その所為で喘ぎ喘ぎ、途切れ途切れになっていた。そんな頑張りを無碍にする訳にもいかず「う、うん、変な気持ちになるね」と曖昧に答えておく。うん、実際、変な気持ちは湧きだしてきそうだったし。
しかし一分も経たないうちに力を使い果たした椿姫ちゃんは、パタンと、僕の背中に体重を預け始める。とくん、と、椿姫ちゃんの鼓動が、背中を通して聞こえたような気がした。それは錯覚だったのか、それとも、それほどまでに僕らの距離が零に近付いていたのか。
時間の流れが、遅緩したように感じた。実際は、加速し、こんな夢心地はあっという間に過ぎ去ってしまうのだろうけど。
「ところで……凜さんは、私のどこに、そんなに、惚れ込んだんですか……?」
姿勢はそのまま、辛うじて聞き取れる声で、椿姫ちゃんが訊いてくる。聞こえなくても構わない、いや、むしろそちらの方が好都合だとでも言うように。会話の運びに全く工夫も色気もなかったけれど、僕等の間にそんなものは必要ないから、素直に答えておくことにする。
「顔……かな」
「顔ぉ!?」
驚きが、声だけでなく、体を通して振動として伝わってきた。中々貴重な体験をした。
「ああ、でも、顔だけじゃないよ。雰囲気とか、凄い引きこまれたんだ」
「でも、それって外見って事ですよね?」
「うん」
「えー……えー、はぁー、そうだったんですか……なるほどぉっ」
僕の返事に堪え切れなくなったのか、笑い声を零し始め、最終的に僕の背中で初めての大笑いをした。どんな顔で椿姫ちゃんが笑うのか、この目に納めておきたかった……。
「あー、もしかして、失望した?」
「いえ……下手に、内面とか、適当な事を言われるより、ふふ……っ、よっぽど良いと思います。私、生まれて初めて、こんな顔で生まれてきて良かったって、思いました」
(そう言った部分で開き直れると言うのは、大事なんだと思う)
背中越しの表情は伺えない。だが、そこにあるのが純粋な喜びではないことだけは分かった。
顔が好きだと言われて喜べる女の子なんて中々いないだろうし、それが当然なのだろうけど。
「こう言ってしまうと、変な気もするけど、椿姫ちゃんって美人さんだと思うよ?」
「それは……分かってるつもりです」
うん。下手に謙遜しない辺りも高感度です。でも、椿姫ちゃんなら何もかもが高感度です。
「美人には美人なりの悩みがあるって、ヤツ?」
「そんな嫌味っぽいものじゃありませんよ……。ただ、私を眺める人、全員が、好意か憎悪という、両極端の感情のどちらか向けてくるってだけ。それに疲れてしまったって、だけです。それに、それは向けられるだけで、誰も私には触れようとしませんから」
(誰からも相手にされないという、幸福の形も確かにあると僕は思う)
小学生くらいの年齢なら特にそうなのかもしれない。好意を持っていたとしてもだ。彼らの中で好意を向けることは恥ずかしいことだから、感情を放出する段階でそれが裏返ってしまう。
「腫れ物扱いって、ヤツだ」
「……凜さんはときどき、歯に衣着せない物言いをしますよね」
「そのお陰で、僕と椿姫ちゃんが出会えたんだとしたら、余り良い言い方ではないけど――そんな椿姫ちゃんの境遇にすら感謝してしまうよ、僕は」
「凜さんってきっと、交際とか長続きしないタイプでしょう」
「もしかして、愛想尽かされた?」
「いえ、ただ、貴方の愛は利己的で、それでいて重過ぎると、そう感じただけです。だから、貴方が愛した人は、その近さから、貴方の異常性を敏感に感じ取って、潰れてしまう前に逃げてしまうんです」
(何もかもを正直に話してしまう事が誠意だと信じているところとか。
何もかもが一方通行で、そして、それで満足してしまうところとか)
子供にしては――いや、子供だからこその、鋭い指摘だった。
「面白い評価だと思うけど……だとしたら、椿姫ちゃんも危ないんじゃない?」
僕の質問に対して、椿姫ちゃんは過去に見せた事のない真剣な表情で、僕の事を見詰めた。
「きっと私は、普通の感性の人間が潰れてしまう程の重さでないと、好意を感じ取る事が出来ないひねくれ者なんです。だから、きっと、私はそんな、私を潰してくれる程愛してくれる人しか愛せない。その愛に応えるという形でしか、私の恋愛は成り立ち得ないんです」
そこまで言ったところで、椿姫ちゃん少し照れたように笑う。
(この子の回りに愛が無かった訳じゃないだろう。
ただ、それがまだこの子には分かり辛い形であったと言うだけ。
頭の中では理解出来ていても、実感としては感じ得ない。
だからこそ、有りもしない質感を、愛に対して求めてしまう。だからこそ――)
――この子もまた、少し歪んでいる。
「……椿姫ちゃんも相当重いと思うよ、それは」
「わざとですよ。ただ、凜さんに合わせてみたという、だけ。そこに深い意味はありません」
「椿姫ちゃんは、僕の事好き?」
この質問には、唾を吐き捨てる様な顔をされてしまう。こう言うのは嫌らしい。
「うわぁ……、やっぱり、凜さんってそういうの一々確かめる男の人だったんですか?」
凄い、『そう言うのうざいんですけどー』という表情を巧みに生み出す椿姫ちゃん。
「そう言う訳じゃないけど、椿姫ちゃんが僕の事をどう思ってるのか聞いてないなって思って」
「……嫌いじゃないですよ」
「椿姫ちゃんは、正直じゃないなぁ」
「……そう言うと思ったから、答えたくなかったんですよ」
日中の公園で、どうして良い雰囲気になってしまってるんだろうなぁ。幸せ過ぎて死にそうだけど、社会的に殺されそうだと思いました。でも、殺されても構わないと思う。
同時に、椿姫ちゃんの為に死ねるなら、それも良いなぁと強く強く思いました。
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