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扉の向こうから、心配そうなシエール殿下の声が聞こえてくる。
「エルザ、大丈夫か!?」
「大丈夫です……私にお任せください」
そう答えて、私はアービン殿下の手を優しく握り返した。
殿下は嬉しそうなお顔で、私の手を引っ張って隣に座らせた。
別の皿には、焼きたての肉が山盛りにされている。
殿下はその皿を引き寄せると、手で肉を小さくちぎり始めた。
「たくさん食べて」
そう言って、私の口元へ肉を運ぶ。
口に含むと、柔らかな肉が舌の上でほどけていった。
「美味しい?」
「はい……とても美味しいです」
「お腹がいっぱいになるまで食べていいんだよ」
殿下は楽しそうに次の肉をちぎり、また私の口へと運ぶ。
その優しさが、あまりにも切なくて、哀しくて……涙がこぼれた。
「どうして泣いているの?」
殿下が不思議そうに私の顔を覗き込む。
「そうだ、お菓子も用意しよう。 誰か!」
「いいえ……殿下、もうお腹がいっぱいです」
「まだ少ししか食べていないじゃないか。ほら、もっと食べて」
殿下は笑いながら、再び肉をちぎる。
「手が油だらけだ……あははは――」
無邪気な笑い声が部屋に響きわたる。
けれど。
笑っている殿下の瞳には、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
「殿下……」
「全部、食べていいんだよ」
「……はい」
私はハンカチで殿下の涙を拭い、差し出された肉を一口、また一口と口に含んだ。
間もなく、私達は無理やり引き離された。
「エルザ! エルザ――!」
殿下の悲痛な叫び声が、いつまでも耳から離れなかった。
その後も狂ったように暴れ、強い鎮静剤を飲まされ、ようやく眠りについた殿下。
そして目を覚ますと、殿下は自らの部屋に火を放ったのだ。
もはや正常ではない――そう判断されたアービン殿下は、王都から遠く離れた廃宮へ移されることになった。
廃宮で今もなお、私の名前を呼び続けているという。
私は意を決して国王陛下のもとへ向かい、生まれて初めて自分の意志で願い出た。
「どうか……アービン殿下のお世話を、私にさせてください」
必死に頭を下げ続ける私の訴えは、やがて聞き届けられた。
それに伴い、シエール殿下との婚約は白紙。
アービン殿下とソフィア王女の婚約も正式に解消され、王女は自国へと帰っていった。
すべてが、大きく変わった。
最後にサラン老侯爵夫人に別れを告げた。
『ここまで貴女を立派に育て上げた私の苦労を、台無しにしてしまった!』
涙を流して、夫人は私を責めた。
『私は王太子妃には相応しくありませんでした。これからは、ただ愛する人の支えになりたいのです』
私の返事に、夫人は怒ったまま去って行った。
私を固く縛りつけていた重圧から、ようやく解放された瞬間だった。
急いで廃宮へ向かう。
今この瞬間も、殿下が私を呼び続けているのだから。
自分自身で手繰り寄せた未来。
もう絶対に離れない。
一生、私が殿下のそばにいる。
◇
辿り着いた廃宮は、まるで国から見捨てられたような場所だった。
古びて傷んだ建物。
手入れの届いていない荒れた庭。
使用人も数人しかいないと聞いた。
覚悟はしていたものの、あまりの寂寥感に言葉を失った。
馬車から降り、荷物を下ろそうとすると、
「エルザ! エルザ!」
聞き慣れた愛おしい声が響きわたった。
振り返ると、アービン殿下がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。
その元気そうな姿に心から安堵した。
「アービン殿下、ごきげんよう」
「ああ、待っていたよ。 来てくれると信じていた」
殿下は後方の若い使用人に命じる。
「エルザの荷物を運んであげて!」
「は、はい!」
私の荷物を持って先に使用人は宮殿に向かった。
殿下は私の手を優しく取った。
「ここは楽しいよ! 敷地内の池では魚釣りもできるんだよ」
「そうですか。お花を植えれば、このお庭もきっと賑やかになりますね」
「じゃあ、エルザの好きな花をたくさん植えよう」
殿下に手を引かれるまま、宮殿の内部へと足を踏み入れた。
中は薄暗く、長い年月を感じさせる独特の匂いが漂っている。階段を上るたび、足元でギシギシと音が鳴った。
「幽霊屋敷みたいだろう? 」
「幽霊が出るのですか?」
「でないよ、あははは──」
楽しそうに笑う殿下の姿が切なくて、私は胸を詰まらせた。
「君の部屋は、僕の部屋の隣だよ」
案内された部屋の扉が開く。
そこには、陽の光が射し込んで、明るく綺麗に整えられた空間が広がっていた。
きっと殿下が、私のために心を込めて準備してくれたのだろう。
「どう? 気に入ってくれた?」
「はい。とても素敵なお部屋です」
私が微笑むと、殿下の無邪気だった表情が、ふっと大人びたものへと戻った。
「……こんな場所へ呼び寄せることになって、本当にすまない」
「殿下……」
次の瞬間、強い力で抱きしめられた。
「ずっと……こうして君を抱きしめたかった……」
耳元で囁かれた声は、微かに震えていた。
私はそっと腕を回し、殿下の背中を包み込む。
「もう……二度と離れません」
重ねた唇から、温かな熱が伝わってくる。
私たちは、ようやく二人だけの世界へと辿り着いた。
読んでいただいて、ありがとうございました。




