01:29 願いは遥か
「!? ――隊長! 今すごい音が」
「出るぞ!」
感傷に浸る間もなかった。
なにかが炸裂したかのような大きな音に部屋を飛び出すと、すぐに青い蝶がエアの声を届ける。
『フェンサー様、こちらからも光の帯が確認できました! 化物の出現位置はおそらく本城三階です!』
三階。
ということは玉座と合わせて二つ、本城三階に像があったのだ。
「三階はミスト様が戦っているんじゃ……」
そうだ、毒が蔓延してると言っていたが――
「っ!?」
突如、腹の底まで響く揺れ。
城全体が震えるような激しい地震に、壁に手をついた。
「くっ、屈んでいろルイセ!」
「床が――!?」
石造りの床に亀裂が入ったかと思えば、次の瞬間には高く隆起する。
轟音をあげながら、石の柱が何本も何本もせり上がってくる。
足元の床もひび割れた。
「ッ――手を貸せ!!」
ルイセの腕を掴んで身を投げた直後、今まで立っていた場所に柱が打ち上がり、天井を突き崩す勢いで直上に刺さる。
「うっ、ぐ……ありがとうございます……!」
かわさなければ即死は免れなかった。
こんな現象、地震では説明がつかない。
「立て、走るぞ! 毒の影響がどれほどあるかは不明だが上階へいく!」
このまま二階へ留まれば命はない。
次々と立ち昇る柱の間を、立ち止まらず縫うように駆け抜ていく。
俺もルイセも目前の危機回避に迫られ、まだ気づいていなかったのだ。
このときから真に、王城が意思持つ魔窟へと変貌したことを。
「痛っ……!」
小さく呻くような声に、走りつつ後方を振り返る。
「ルイセ、どうし――」
廊下の壁から飛び出た剣の刃が、ルイセの腕を掠めたようだった。
状況をすぐに理解することができず、困惑して足が止まる。
剣は、壁の外から貫通してきたものじゃない。
鉄の刃は石壁とあきらかに同化している。
「避けてください隊長ッ!!」
「っ!?」
一つ――二つ三つ。
真横から続々と射出される剣に対し、刺突剣を打ち合わせて軌道をずらす。
それでもすべてはかわしきれず、首もとに迫る剣を素手で防いだ。
「ぐ……っ!! 俺にかまうな――走れっ!」
「は、はい!」
手の平の半分から上が千切れかけていたが、歯を食い縛りルイセの後を追う。
気休めの処置など意味はなかったかもしれない。
床からは不規則に打ち上がる石の柱。
壁からは突き出るタイミングも読めない鉄の剣が、容赦なく身を刻んでいく。
バルコニーが見える内窓を通過した頃合いで、上階で激しい破砕音が鳴り響いた。
「はあっ、はあっ、今度はなんだ……っ!?」
内窓から反対側へと視線を移すと、大量の瓦礫と共に落下する黒い人影を視界の端で捉える。
直後には、その人影を追う白い服の姿も――
「今の、ミスト様では!?」
「っ……俺達は上へ急ごう!」
今の白い服は玉座で相まみえた化物だろうか。
先に落ちていったのがたとえミストだとしても、こちらの現状で助けにはとても向かえない。
非情な選択を振り払うように階段を駆け上がる。
段差を中頃まで上ったところで、階段全体にピシリと深い亀裂が走った。
「うわ!?」
「跳べ!!」
踏み込んだ足が離れた瞬間、階段はなんの脈絡もなく階下へと崩落する。
全身を強く打ちつけながら、俺とルイセはなんとか三階に身を転がしていた。
「く、う……っ」
なんなんだ、これは。
さっきからなにが起こっている。
顔を上げると、玉座の間は壁の一部が崩壊していて、廊下の壁まで一直線に壊しつらぬいたかのように見えた。
激しい戦闘があったことが窺える。
化物に押し切られ、ミストはここから落ちたのだろう。
「ルイセ、どこでもいい、目についた部屋へ駆け込め」
城の揺れはまだ続いている。
室内に逃げることが避難になるかはわからないが、さっきと同じ状況で廊下に留まれば死は免れない。
包帯を使って、切り離されかけた右手の平をぐるぐる巻きに固定する。
多量の出血ですぐに包帯は真っ赤に染まり、その様子を見ていたルイセの顔を曇らせる。
「隊長……」
「大丈夫だ。左手でも剣は振れる」
右手はもう使いものにならないだろう。
身をもって体験した。
城は以前よりたしかな殺意を俺達に向けている。
シューターが死んでも脅威は無くならない。
王城に安全な場所など、存在しないのだ。
言葉を証明するかのように、唐突に――
背後の崩れた階段付近が燃え上がった。
「――!? 行け!」
炎は俺達の逃げ場を失くすよう、後ろの空間を塞ぐ壁となり、強烈な熱量を放ちながら天井を、床を這い進む。
追い立てられ、ルイセが入った部屋に遅れて飛び込んだ。
中にまで炎が入ってくるなら、窓を破って外へ出るしかない。
そう考えていた。
「こ、こいつ――!?」
だだっ広い部屋の中央には、いつか見たあの巨大な“脳”が鎮座していた。
植物の根のごとき管を壁にも天井にも張り巡らせ、脳はまるで心臓を思わせる鳴動を繰り返す。
不気味で醜悪な化物へ、怯むことなく刀を抜いてルイセが突貫する。
後方は火の海だ、今度ばかりはルイセの判断も正しい。
だが……もしかして俺達は誘い込まれたのか?
ルイセを迎え撃つためか、天井の管がいくつかブチブチと剥がれ、無脊椎動物が持つ触手のように蠢き出した。
「だああーーッ!!」
刀による渾身の一撃も、触手の一本をわずかに傷つけるに留まる。
援護しようと駆け出したところ、四方から細長い鉄棒が瞬時に伸びてきて、網の目状の鉄柵となって介入を阻まれてしまう。
「なっ……!?」
まさか、こいつが。
この“脳”が、王城を乗っ取り、魔窟へと作り替え操作しているのか?
通らない斬撃にもめげず、ルイセは一心不乱にゆらゆら漂う触手を斬りつける。
息を乱し、さらに複数の触手が背中へ迫ることに気づいていなかった。
「後ろだルイセ!!」
「は――ぅぎッ!?」
ルイセの脇腹と太ももを触手が抉り、鮮血が飛び散った。
触手はルイセの両腕を縛り上げ、宙空へと小さな体を吊り上げる。
取り落とされた刀が床にガランと転がった。
「待ってろ! 今助ける!」
目前の鉄柵に刺突剣を打ちつける。
一度で断ち斬れないならと何度も斬りつけるが、火花と共に刃こぼれした鉄が散るだけだった。
宙にぶら下がったルイセを狙いすまして、触手の一本が身をしならせる。
「……くそッ!!」
震える右手を添え、両手で刺突剣を垂直に振り下ろした。
パキン――と。
乾いた音を残して刺突の刃は折れ、同時に解けた包帯を引きずって右手の半分が落ちた。
「“ヤナ”! 顕在しろ! ――“オニヤンマ”!!」
どちらも呼びかけに応じることはない。
わかっている。
シューターとの決戦で使用したばかりのうえ、オニヤンマはもうルイセのものだ。
触手がルイセの腹部に深く突き刺さる。
「うぶ!? ……ふっ……たい、ちょう」
ルイセの腹に刺さった太い管は、ポンプのように身を膨らませて、汲み取ったなにかを“脳”へと送り届ける動きを繰り返した。
俺には、ルイセの命が少しずつ吸い取られているように思えた。
「う、ぅ……行って、くだ、さい。ボク、はもう。他の人、を助け、に」
鉄柵をなりふり構わず殴りつけるも、血痕が擦りつけられるだけで到底壊れる気配はない。
両手の感覚が無くなっても殴り続け、おびただしい量の血に足を滑らせた。
触手にゆっくりと死へ誘われ、ルイセの顔が色を失っていく。
「なに、してるん、ですかッ、はやく、こんなこと、してる間に、みんなが――」
「まだだッ!!」
まだ、終わっていない。
チャームを開いて時刻を確認する。
この地獄だ。
犠牲を出さずに切り抜けるのは不可能だろうと感じていたし、覚悟も固めていた。
でも、まだ、足掻かせてくれ。
時間は静かに流れていき、俺は死にゆくルイセの顔を見続ける。
困惑した顔が、やがて苦悶の表情に変わり、さらに歪んで怒りが浮かぶ。
ルイセは激しく俺を罵倒した。
命を振り絞って口にする言葉が、信頼していた者に対する罵りとなったのだ。
ルイセの胸中を想い、口内に溜まった血液を飲み下して受け止めた。
『フェンサー様! ウルフ様との……遊撃隊との交信が途絶えました。おそらく、ウルフ様は……』
時刻を確認する。
まだだ。
まだ、俺達は終わっていない。
時間は止まることなく流れていく。
ルイセの罵倒が止んだ。
ひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返し、涎と血液が混じったものが糸を引き、ぽたぽたと床に落ちていく。
“もう、見ないで”と、か細い声でルイセは呟いた。
願いは聞き遂げず、ルイセの瞳に溢れる涙から目をそらさなかった。
『……フェンサー様、ご無事ですか? ミスト様とクラウン様、近衛隊との交信も途絶えました。……どうか、お返事を……』
時刻を確認する。
終わっていない。
終わっていないんだ。
時間は止まらない。
ルイセが身じろぎする音も途絶えて久しい。
でも、まだ息をしている。
微かにルイセの口が開き、俺は言葉を拾おうと耳をすませる。
「……ほ、んと……は、たい、ちょ……じゃ、ない、から……だ……か、ら……ボク、らのこと……なかま、だ……なん、て……おも……てない、んだ……そぅ……なん……でしょ……?」
涙も枯れ果て。
ひび割れた唇を笑むようにひきつらせて、ルイセは絶命した。
時刻を確認する。
触手につらぬかれてから、ルイセが死ぬまでの時間を脳に叩き込む。
『……フェンサー……様……ひゅ……もう……これで……終わりなのでしょうか……ああ……見えますか……? 空が……割れて……』
「終わりじゃ、ない」
エアの返答はなかった。
壊れるほどチャームを握りしめる。
敵の大将も倒した。
俺達がここで終わっていいはずがない。
初めてなんだ。
仲間と呼べるほど人を信頼するのは。
出会った誰一人として失いたくないんだ。
窓からまばゆい閃光が入り込み、瞬く間に部屋が真っ赤な炎に包まれる。
竜の火炎は“脳”も、吊られたままだったルイセも焦がし、皮膚が焼ける耐え難い痛みを罰のようにもたらした。
刹那にもう一度願う。
俺達は誰一人、欠けることなく――
――……。




