01:12 冷然たる羅列
「た、隊長っ! 大丈夫なんですか!? 全身ずぶ濡れじゃないですか!?」
霧の結界から出ると、待ち構えていたらしいルイセがすぐに駆け寄ってきた。
努めて平静に、呼吸を整える。
「問題ない。敵の総大将は討ち取った」
「そ、総大将を……隊長が……? じゃ、じゃあボク達、ここから逆転できるんですね!? すごい! 鐘を鳴らしましょう! 敗残兵への追撃を!」
「待て。状況はエアが七騎士を通じて皆に伝える。それよりも、俺達にはまだやるべきことが残っているはずだ」
ぐっと堪えるように拳を握り、ルイセは押し黙った。
わかっている。
ずっと化物どもからいいように蹂躙されてきたのだ。
俺達は誰よりも勝利に飢えている。
勝てるはずのない戦に僅かに差した光明を、より明確に示したいのだろう。
気持ちは俺も同じだ。
相手がもし人間だったなら。
頭を失った混乱の虚を突くことが可能だったかもしれない。
あの化物どもが、果たして少しでも乱れてくれるだろうか。
「“ゆき”――オニヤンマは消えたのか?」
「えと……はい。あの幽霊さんなら、隊長が霧の中に入ってすぐいなくなりました」
気が抜けたのか連戦の疲れが一気に吹き出たらしく、ルイセは呼吸を荒くしている。
致命傷は受けてなさそうだが、小さな体に無数の傷と出血も見て取れる。
「エア、皆の状況は?」
『――兵舎棟のクラウン様と近衛隊、玉座に向かわれたミスト様がほぼ同時期に翼人の像を発見されました。直後に光の柱が立ち昇り、現れた化物と交戦されています。ウルフ様と遊撃隊の皆様も未だ交戦中です』
翼人の像から出現する悪意は止められなかったか。
だが、これも想定はしていた。
像を破壊すれば化物の出現を止められるとは、シューターの口から一言も聞いていない。
あくまで俺の希望的観測に過ぎなかった。
止める手立てがそもそもないのだとすれば、やはり殲滅する他に道もないのだろう。
『それと、ミスト様から言伝てです。本城三階に高濃度の毒を散布したので、決して近づかないようにと』
「……わかった。もしミストが玉砕の行動を見せたりしたら、エアからも止めてくれ」
もう肚は決まっている。
現れた三体の悪鬼はウルフ、ミスト、クラウン、そして兵達が退けると信じている。
俺はルイセと共に己の役目を、残り二体の悪鬼の排除を果たすのだ。
「ルイセ、まずは落ち着ける場所を探そう。傷の手当てと休息を兼ねて、可能な限り万全の態勢を整える」
「そ、そんな悠長な! みんな必死に戦ってます! ボクだってこんな傷どうってことないです!」
「俺達は死に場所を求める亡霊じゃない。皆の命、おまえの命、それこそがこの城に残った最後の灯火なんだ。絶対に絶やさせるわけにはいかない。だからこそ能力を最大限活かす準備を心がけろ」
「でも……っ」
「皆の奮戦に命運を託したように、俺達の働き次第で皆の命運も決まるんだぞ」
多少語気を強めてでも言わないとルイセは決して弱音を吐かないだろう。
焦らずとも、命を懸けた苛烈な戦闘は避けられない。
ルイセは悔しげに歯噛みしながらも、やがて重々しく頷いた。
本城に突入して、これで五体目のオークを斬り伏せる。
「はあ、はあ、やはり重いか? その刀は」
「はぁっ! はぁっ! ……い、いえ、重みがある分、化物の硬い皮膚も楽に斬り裂けます」
ルイセの体力も限界が近そうだ。
像の捜索も兼ねて休息できそうな場所を探してはいるが、一階は何ヵ所も壁に風穴が空いている。
どこから敵が侵入してくるかわからない。
「上がろう」
中央のアーチ状の階段を上へ。
本城二階、注意深く進行するも敵の姿はない。
廊下の途中、内側に大きな両開きの扉があり、丸い瓶底が並んだようなガラス窓から覗いてみると、広い庭園であることがわかった。
前にルイセから教えてもらった、バルコニーというのがここなのだろう。
さらに廊下を進むと左右に扉が立ち並ぶが、俺には扉がどの部屋に繋がっているのか見当もつかない。
「知っている範囲でいい。この辺りにはなんの部屋があるんだ?」
「七騎士様の居室です。隊長のお部屋はたしか……ここです」
一つの扉の前でルイセが止まった。
ここが俺の居室。
まるで思い出せないが、まだライベルクと意識が混同していた頃、ここで過ごしていたのだろうか。
扉を慎重に開ける。
中を荒らされた形跡などはなく、ベッドに作業机、棚など家具が付随しただけのシンプルな部屋だった。
近くを飛んでいた青い蝶に話しかけると、すぐにエアの応答がある。
「エア、中で少し傷の処置を行う。廊下でなにか不穏な物音を察知したら知らせてほしい」
『……承知しました。万全の注意を払います』
「気を張ることばかり頼んでしまうな。皆の状況を一手に任せてしまって、すまない」
『皆様に比べれば大したことはしておりません。ですが……ふふ。お心遣い、嬉しく思います』
蝶を廊下に残して、部屋へ入る。
振り返ると、部屋の入り口でルイセが所在無げに突っ立っている。
「なにをしてるんだ? 入って扉を閉めてくれ」
「あ、あの、でも、ボクなんかが隊長のお部屋には……」
「部屋の主が入っていいと言ってるんだ。こんな状況下で遠慮はいらない」
「じゃあ、その……失礼します!」
背筋を正して入室する姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。
最初に抱いた印象は今でも変わらず。
俺が出会ってきた中でも、ルイセはとびきり真面目で真っ直ぐな少女だった。
「消毒用のアルコールと包帯はある。軽鎧を脱いでベッドに腰かけてくれ」
「あっ汗とか血でべっとべとですから! シーツを汚してしまいます!」
「遠慮はいらないと言ったはずだ。城や皆のために流した汗や血だろう。むしろ誇りに思っていい」
「――――……。で、では、お言葉に甘えて」
軽鎧を外すのを手伝ってやり、一枚着の綿の服を纏ったルイセをベッドに座らせる。
「これは……チュニックと言うんだったか」
「え!? ご存じないんですか!? ……あ、すみません。隊長は記憶を失くしていらっしゃるんでした」
「気にするな。……少し服を捲ってくれ」
「はっ……はい」
失言したとでも思っているのか、あきらかに気落ちした様子で、ルイセは躊躇いがちに服の裾を捲りあげた。
こちらに来てからの記憶がないだけで、元の世界の記憶は取り戻した。
本当に気にする必要などないんだがな。
消毒のために脇腹の傷口へアルコールをかける。
ルイセはビクンと身を震わせた。
「沁みるか? ちょっとだけ我慢していろ」
「だ、大丈夫です……!」
手早く包帯を巻いていく。
腹筋は引き締まっているが、それにしても。
「……こんな細い体で、よく頑張ったな」
しみじみと、本心からの言葉だった。
自身の何倍もの大きさの化物どもと、よくぞ今まで渡り合って。
あらためて尊敬の念すら抱いた。
あまりにも静かだったので、顔を見上げる。
ルイセは耳の先っぽまで赤く染めて、口を真一文字に結んでいる。
「ぅ……嬉しいですけど……その……あまり見られると、ボク…………恥ずかしくて」
「そ、そうか。……悪かった。もう処置は終わった。大丈夫だ」
戦いの最中に意識することはあまりなかったが、ルイセも年頃の少女だ。
自分のデリカシーの無さを恥じた。
それからは無言で、一人では難しい箇所の処置を互いに施した。
「少し横になってもいいんだぞ」
「いえ、それなら隊長が横になってください! 化物が来たらボクが叩っ斬ります!」
頼もしい限りだ。
苦笑しつつ部屋を物色する。
机の引き出しを開けてみると、封蝋で閉じられた大量の便箋が入っていた。
積み重なった便箋の上には、書きかけの手紙が一枚置いてある。
「……“私は、カムラやルイセと食事を共にした後、王都の南にある遺跡を調査するようアックスに命じた”……?」
“私”という人称から察するに、これはライベルクが書いたものか。
まだ続きがある。
「“決戦を前にして六騎士の一人と竜姫が欠けるのは痛手ではあるが、もう間もなく私の自我は消失してしまう。その前に、後進に想いを託す前に、手を打っておかねばならない。おそらく遺跡の地下には、集積されているのだ。人の……いや、世界の――”」
手紙はここで途絶えていた。
王都の南……遺跡。
これだけの情報ではなにもわからないが、アックスは脱出路を守っているのではないらしい。
ライベルクが王城の今の惨状を予見していたとして、それでも尚、戦力を削ってまで重大な案件がその遺跡にあったということなのか……?
「隊長、それは……」
「いや……よくわからない」
手紙を懐にしまい、封蝋の便箋を手に取る。
どれも“62116111457217”“613732451313”などの不規則な数字が表に並んでいる。
「あ、それご家族からのお手紙ですか?」
「家族?」
「す……すみません。宛名がちらっと見えてしまったもので」
宛名とは――この数字のことを言っているのか?
ルイセの発言に、腑に落ちない違和感を覚えながら封を解く。
しかし、中身も表と同じだった。
“46537663577527――……”
意味のわからない数字の羅列が綴られている。
そういえば……以前に、ルイセから刺されたあのとき。
ルイセの足元には大量の便箋が散乱していた。
タオは、あれをルイセの家族からの手紙だと言っていなかったか。
「……ルイセ……読んでみてくれないか?」
「え!? い、いいんですか? 大事なお手紙なんじゃ……」
「いいんだ。頼む」
便箋の一つをルイセに手渡す。
「やっぱり。ご家族からのお手紙ですね。隊長のことがたくさん書いてありますよ」
「……声に出してくれ」
「はい! えーと……“お元気ですか? あなたが七騎士の一つ、フェンサーの名を賜ったと聞きました。大変光栄なことです。思えばあなたが生まれて、もうずいぶんと時が経つのですね。覚えていますか? あれはまだあなたが三つの頃――”」
明るく弾むような声で聞かされる、なにも記憶にない……いや、おそらく存在もしない家族の話。
事細かく、詳細に、入念に――
まるで存在した記憶であるかのように、俺の人物評や略歴が延々とルイセの口から紡がれる。
一段と明度の下がった暗い部屋で、この世界において“役割”が振り当てられる様を嬉々として心臓に突きつけられた。




