00:55 殺戮の檻
出し惜しみはしない。
シューターが片手を振りかぶると同時に踏み込んで、刺突で牽制する。
顔面へ向けての二撃目も紙一重でかわされる。
その目の良さと反応速度の高さから、シューターが接近戦においても余裕を崩さないことはわかっている。
「フェンサー。僕に殺されるのは何度目だ?」
たしかに幾度もシューターに負けた。
だが繰り返される死の中で俺はおまえの手の内を何度も目にし、今のおまえは俺の手の内を知らない。
「――“ヤナ”!」
握りしめた白布から濃霧が溢れ、シューターの視界を奪う。
「この霧は――そうか、王城を包んでいた霧もこれか……っ!」
あらぬ方向へ放たれる血弾を尻目に、霧中へ剣を突き立てる。
切っ先が、シューターの肉をえぐる感触がたしかに伝わった。
「ぐ……ッ見えなくとも、攻撃に転じれば居場所が知れるぞフェンサー!」
「“オニヤンマ”!」
それに俺はもう、一人で戦ってはいない。
「なんだ……!? 足音が……――こっちか!」
背を見せ、なにもない空間に手を振るうシューターへ、ルイセと挟撃を仕掛ける。
「せああッ!!」
ルイセの一太刀がシューターの首筋を斬り裂き、刺突剣は奴の胸板をつらぬいた。
「――……ッ……調子に――ッ!」
シューターの裂けた皮膚から溢れた血液が、大きく真ん丸に膨張していく。
「下がれルイセッ!!」
叫びつつ自分も飛び退く。
顎を引き、頭部を両腕で庇い、ばら撒かれる血液の散弾をやり過ごした。
「ぐ、うッ……無事か?」
「は、はい、少し掠めましたが、なんとか……!」
シューターを覆っていた霧は今ので剥がされた。
奴の技で最も厄介なのが、四方の隙を埋めるこのカウンター。
腕と腹部を多少削られたが、まだ戦える。
ルイセも、そこかしこから血を流しながらも、闘争心を剥き出しに刀を構えた。
「はぁっ、はぁっ、声が、聞こえるんです、さっきから。“解放しろ”って、ボクの、頭に……!」
霊器に封じた化物の能力を行使する。
これを使役と呼ぶ。
「竜姫の声が聞こえるのなら、それに従ってみろ」
「これが隊長の竜姫……や、やってみます!」
声……オニヤンマ――“ゆき”がルイセに語りかけているのか?
しかし霊器に封じた化物が声を発するなど、聞いたことも――
「……僕を無視しているのかい。ずいぶんと余裕じゃないかフェンサー!!」
吼えるシューターが手を振るうより一瞬速く、白布を掴み出す。
白布を空に向けて投げ、ルイセは刀を掲げる。
「“顕在しろ”!!」
文言が二人同時に重なった。
白布と刀、それぞれから天へ伸びる二条の光。
光は地上を円形に焦がしつけ、円の中心に二体の化物を出現させた。
白いワンピースも霞む霧のただ中で、“ヤナ”は黒髪から垂れる水滴を拭おうともせず、淀んだ瞳を足元に向けている。
「たた隊長、その子、ゆ、ゆゆゆ幽霊じゃ……」
その認識でまちがいではないが、オークやツインヘッドなどの化物には勇敢に立ち向かうルイセが“ヤナ”を怖がるのは不思議だった。
俺は“ヤナ”を一度、礼拝堂にて顕在させている。
能力の抽出ではなく、元の姿そのままに顕在させるこの力は、姿を保つ“ヤナ”の消耗も大きく短い間隔で扱えるものではない。
だが時間は決して遡らない。
便宜上“死に戻り”と呼んでいるだけで、実際は死ぬ度に作り替えられた世界へと進んでいる。
時が戻ったと錯覚を起こしているに過ぎない。
世界の構築に要する時間が10分。
組み立てられた城。
魂を持たない人形。
使い捨ての世界。
リスタートと同時にそれらすべてを闇の底にふるい落とし、600秒の時間をかけて新たな世界が完成する。
完成した新たな世界を、またリスタートの際に使用しているのだ。
終わらない夜は繰り返される。
これがループのからくり。
時間自体は停滞することなく継続し、連綿と繋がっている。
“ヤナ”を礼拝堂に顕在させてから経過した実時間は、ほんの一時間ほどでは済まない。
無事に“ヤナ”を顕在できたことにより、以前立てたこの仮説にも確信が持てた。
『――お久しぶりですね、退魔師様。見た目がずいぶんとお変わりになられたようで。……その金の御髪もお似合いですよ』
ルイセが驚いて背後を振り返る。
俺もルイセの背後に佇む、着物姿の“ゆき”へと目を向けた。
茶色がかった頭髪を団子状にまとめ、あの頃となんら変わりない姿。
「まさか、本当に喋るとはな」
『発声しているわけではありません。ですが、すべては音色』
そうか、音で言葉を作成しているのか。
どうりで距離があるにも関わらず、耳のすぐ側で声が聞こえるはずだ。
ルイセは顔を蒼白にし、両手で耳を塞いでカタカタ震えている。
「おまえがルイセの呼びかけに応じたということは、刀の譲渡は済んだという認識でいいんだな?」
『戯れに、それもよいかと思いました。でもお忘れではないでしょう? わたしを押し付けたということは――』
「わかっている」
表情を一つも崩さないままに、“ゆき”はルイセを流し見た。
『……冷酷なお方。よろしければ、わたしから説明して差し上げましょうか』
「余計なことはするな。おまえの役目はただ一つ」
あらためてシューターを見やる。
シューターは苛立ちを隠しもしない形相で、なにもない空間に拳を突き出している。
『ええ……すでに“檻”の中です』
おそらく周囲を壁にでも取り囲まれているのだろう。
シューターの声すらも遮断されている。
傍目には黙劇でもしてるようにしか見えないが、滑稽だとは思わない。
現実に空振っているだけのシューターの拳骨は、皮膚が破れ、肉が露出するほどめくれてしまっていた。
拳が空を切るたび、シューターの拳が鮮血で染まっていく。
かつて俺もそうだったように、人体に錯覚を起こさせるほどの幻術を初見で破れる者などいない。
「あとは俺がやる。“ヤナ”」
呼びかけると微かに面を上げ、“ヤナ”は片手をかざしてシューターを膨大な霧で覆い隠した。
濃霧に半円の通り道ができる。
「隊長! ボクも一緒に!」
「悪いがルイセ、この中は雷雨と腐食の世界だ。中に入って無事で出られる保証はない。……すぐに戻るから待っていてくれ」
「で、でも!」
『正直に言えばいい。見られたくないのでしょう? 地獄を歩むとは、どういうことか。人は本質までそう簡単に変えられません。昔あなたがわたしに言った言葉を、今でも覚えています。たしか――』
長々とよく喋る“ゆき”の言葉は最後まで聞かず、霧の中へ足を踏み入れる。
背後の王城は消え失せ、だだっ広い荒野に風景が一変する。
突入した瞬間、飛んできた血弾によって刺突剣が弾かれた。
「な、なんだここは……ッフェンサー貴様、よくもこんな小細工ばかり……ッ!」
霧の中は激しい風と雨が吹き荒れている。
何本もの稲光が地上に降り注ぎ、大きな雨粒がほとんど真横から打ちつけてくる。
シューターは自身の足元を見下ろして、ギリギリと歯噛みしていた。
「無駄だ。“ヤナ”は、とある城への侵入を霧と雷雨によって何十年も阻んでいた怪異だ。ここから逃げることはできない」
度重なる戦闘でところどころがひしゃげたメイルを外し、肩を回す。
ふと表情を消し、冷静さを取り戻したかのようにシューターが笑った。
「……そうかい。君はここで僕と決着をつけたいんだね? いいだろう、剣を拾ってこいよ。望み通り決闘といこうじゃないか。何度目かは知らないが、ここでもまた敗北をくれてやる」
シューターが幅広い剣を抜く。
丸腰の俺に向かって、剣を拾ってこいとも言う。
また近接戦闘をやるつもりらしい。
「決闘……? ちがうなシューター。これから俺が行うのは」
本当は武器なんか、なんでもよかった。
ただ目覚めてすぐ“フェンサー”などと呼ばれたから、イメージに合うよう刺突剣を使い続けた。
俺は無手のまま、雨を突っ切ってシューターの眼前に立つ。
「一方的な惨殺だ」
「ッ……舐め――」
斬りかかってくるシューターの膝を、かかとで踏み抜く。
ミシと骨が軋む感触が伝わる。
「――ッ!? ぐっ!」
前に出てシューターとの距離を詰め、奴が剣を振ろうとする腕を、肩で後ろに受け流した。
密着して肘をみぞおちに落とす。
裏拳で鼻っ柱を叩き折る。
「ぶあっ!」
後退するシューターを同じ速度で追いかけ、肩に軽く触れる。
反対の肩にもポンと触れた。
そしてシューターの胸板に手のひらを押し当てる。
二つ流した気が心臓で交わるその一瞬に、全身の捻りを加えて三打目となる内気功を放った。
シューターの心臓がバクンと大きく鳴動する。
「~~~~ッッ……か……ッ」
「“三点頸掌”……だったか。たしかそんな名前の技だ」
大口を開けて涎を垂れ流し、胸をぎゅうっと握りしめているシューターの腕を取ると、関節を逆にねじ曲げて肩へ背負う。
ベキベキとシューターの肘が粉砕される音を聞きながら、直下に背中から叩きつけた。
「かは……――ッ!!」
骨が飛び出たシューターの腕を捻り、ぶちぶちと引き千切る。
叫び声を上げる顔面へと膝を落とした。
グシャ。
グシャ、と何度も奴の顔を膝で潰す。
「はあ、はあ、霧と降り続ける雨によって、ここでは腐敗が驚くべき速度で進行する。だからこんな風に、人体が簡単に壊れる。きさまの能力も、上手く発動できまい」
飛び散った血液が、雨に薄まってじわじわと地面に広がっていく。
「あ、が……ひゅ……かひ……ひゅう」
「はあ、はあ……知っているか? 王城は、この世界は時が巻き戻っているわけじゃない。何度も作り替えられている世界だ。時はずっと進み続けているし、ルイセや皆がふと記憶を思い出しそうになるのも、そのためだ」
「そ……れ、が……どう、した」
「だったら、きっと、きさまもそうだと思ってな」
望まぬ戦い。
生まれ落ちたときから皆同じ運命を背負わされ、ゲームのようなルールに縛られ戦わされる。
死んでも解放されず、役割を変えてまた殺し合いに駆り出される。
シューターとて被害者の一人だ。
俺にはこれまで、そう思い込もうとしてた節があった。
事実そうなのだろう。
敵の王になんて選ばれてしまったシューターが、見方を変えると一番不運なのかもしれない。
だが……おまえは殺しすぎた。
何度も何度も、かつての仲間を惨たらしく殺した。
傷つく必要のない子供達や、まだ戦場に出るには早すぎるルイセやタオも、その手にかけた。
なぜだ――?
「きさまには、恐怖と絶望を刻みつけてやる」
なぜ、素直にこんなルールに従っている。
神とやらに抗う気がないのなら、俺の前にも立ちはだかるな。
「無……駄、だ。この、霧が、貴様の世、界だと、いうなら、王、城は僕の世、界。残ら、ず貴様ら全、員を殺戮する、檻だ……ッ」
もう言葉は交わさなかった。
二人きりの嵐の中、シューターの四肢を、内臓を、目を、体のありとあらゆる機能を壊していく。
絶叫は嵐の轟音にことごとくかき消された。
ここでシューターを殺しても、今後なんらかの要因で俺が死ねばまたやり直しになる。
シューターは復活する。
願わくば、この痛みと恐怖の半分もシューターが覚えているようにと、手を血で汚し続けた。
雨の冷たさだけが、妙に優しく感じられた。
俺は転がっていた刺突剣を拾って、かろうじて息をしているシューターを見下ろす。
「…………化……物、は……カハ、ハ……おま……えだ」
「……俺は聖人君子でもなんでもない。仲間が血を流さないで済むのなら、敵になどいくらでも残酷になってやる」
刺突剣をシューターの頭部に突き立てる。
墓標のように額を剣につらぬかれ、シューターは二、三度痙攣を起こした。
シューターの完全な死亡を確認して、刺突剣を引き抜く。
霧と雷雨の世界に亡骸を置き去り、背を向ける。
“見られたくないのでしょう?”
先ほど“ゆき”に投げられた言葉を、ぐるぐると脳内で反芻した。
たしかにこんな姿をルイセが見れば、どんな顔をするだろう。
怒るだろうか。
泣くのだろうか。
軽蔑に歪むだろうか。
少なくとも……俺が見たい顔はしないだろう。
後悔はしていないが、その事実は背に重みを強く残した。
間もなく霧を抜けるというところで、ぬるりと生温い空気が漂ってきて、思わず振り返る。
「ッ――!?」
シューターが背中に覆いかぶさっていた。
空洞化した目と潰れた鼻、皮膚がどろどろと腐り落ちたシューターの亡骸が、目前で歯のない口をぱくぱくと開いている。
それはあきらかな錯覚で、シューターの死体は未だ視界の奥で風雨に曝されている。
幻覚か、思念か。
なにもめずらしい話じゃない。
霊障の専門が聞いて呆れる話だ。
濡れてすっかり重くなった体に鞭を打ち、なにもかもを振り切るように霧を出た。




