01:48 虚無
王になりたくはなかった。
そう言ったのか?
「どういう意味だ」
エアの直上を舞う蝶に意識を向けたまま、刺突剣を引き抜いた。
間違いなく、別棟へ来る途中で倒した蝶と同一のものだ。
こいつはエアが放っていたものなのか。
ならば宝物庫で見当たらなかった竜姫の一つは、エアが隠し持っていたということになるだろう。
「言葉の通りです。もし私達がこの夜を越えられたとしても、ほとんどの者は助かりません。そういう運命なのです」
「運命だと? たとえそうだとして、それでなぜおまえが俺達の敵になる必要がある?」
「……他に方法はないのです。次々と生産される、命の価値すらない人形にできる……これが精一杯の抵抗。未来が無いのなら、皆で永い眠りにつきましょう」
安らかな寝息を立てる子供達に目を向け、エアは物憂げに俯いた。
人形。
作られた命。
闇の中でこの世界の真実に触れたとき、たしかに俺もそう思った。
だが、本当にそうか?
今、子供達に憂いの目を向けるエアに対し、人形だなどと誰が呼べるというのか。
「思い直せ、エア。諦めなければ、きっとまだ――」
説得を試みて手を伸ばす。
エアが開眼すると同時に、三匹の蝶は広げた羽を大きく羽ばたかせた。
「くっ……エア!」
巻き起こる突風によりエアとの接触は拒絶され、もはや言葉も届き得ないことを知る。
仄暗い瞳は一切の光を宿すことなく。
エアにとって唯一の希望となったかもしれない、子供達の姿でさえも映すことはない。
瞳から順にエアの全身が黒く、影のように黒く染まっていく。
「フェンサー様。今宵はもう深い時刻、夜更かしもここまでです」
あの品の良かった笑みも、今はただ影に亀裂が走ったかの如き空虚さだった。
「朝を迎えるまで、寝るわけにはいかないんだ」
三匹の蝶による断続的な羽ばたきで、絶え間なく逆風に曝される。
エアに近づくことは難しいが、風圧自体に脅威は感じない。
それよりも、蝶が撒き散らす鱗粉を吸い込んでしまわないよう注意していたのだが――
「うっ!?」
ぐらり、と脳が揺れた。
風が鼓膜を通り抜けるたび、ぐわんぐわんと頭蓋が収縮するような感覚に襲われる。
斜めに横にと激しく景色は揺れ、やがておぼつかない足がガクンと落ちて片膝をつく。
「人には認識できない音の波に、抗う術はありません。永遠の、良き夢を」
音……
そうか、蝶の鱗粉も羽ばたきも、本命を隠すまやかしに過ぎなかった。
本命はエアの言う音波。
だとすれば、ソナーのように城内における俺達の位置まで把握していたのかもしれない。
「それ、で……本当に満足なのか? 幻の世界に逃げ込んで、現実から目を背けることが本当におまえの望みなのか!?」
否応なしに刈り取られそうになる意識を、唇を噛みしめて繋ぎ止める。
刀はルイセに渡した。
夢の世界に引きずり込まれれば、今度こそ打ち破ることは難しい。
眠るわけにはいかない。
「……では、私はどうすればよかったのでしょう」
「戦え! 騎士ならば!」
「何と戦えとおっしゃるのですか? フェンサー様もとうに気づいているはずです。世界を自在に作り替え、人間のような者を生み出す。そのようなことができる存在など、一つしかありません」
ああ、言われずともわかる。
化物を相手にしていた方が、まだ気は楽だ。
「あなたは“神”と戦えとおっしゃるのですか?」
口内に溜まった血液を飲み下した。
錆びた味に顔が歪む。
神の存在など信じてはいなかった。
城内には礼拝堂もあるというのに、考えてみればそれも不思議な話だ。
だが、もう信じるに値する。
その神とやらは、悪意とも受け取れる明確な意思で俺達の前に立ち塞がっている。
騎士の立場としてどう振る舞えば正解なのかはわからない。
試練と称し、喜んで殉ずるのか。
届かなかった祈りを、嘆くのか。
「そうだ。戦え、エア。戦えないと言うのなら――俺が神への叛逆の口火を切る」
「っ……そのような、こと」
神に殉ずる者がいてもいい。
世界を嘆いて死んでいく者がいても仕方ない。
俺はどちらも御免だった。
自分の命の使い道は自分で決める。
王城という箱庭に人間を放り込み、運命を弄ぶ傲慢さが神だというのなら。
神に挑む傲慢な人間が、せめてここにいるということを知らしめてやる。
「勝てるはずのない戦いに、子供達も巻き添えにするというのですか……っ!」
エアの頭上を旋回する三匹の蝶が、また激しく羽ばたいた。
耳の穴から泥水でも流し込まれたかの如く脳が鈍化し、意識が遠ざかる。
床についた膝も、手も、まるで他人のものに感じて動かせない。
「ぐっ……どのみち、おまえの作る夢幻にも未来などない! あと数分もすればこの城は巨大な竜に焼かれる運命だ! 永遠に優しい夢を見続けさせることはできない」
「竜の加護……まさか、そんなはずは……」
「俺はこの目で見てきたんだ、エア。俺達が生きるには神へ挑む他に道はない」
放心したように天井を見上げながら、エアがぽそりと呟く。
「あなたは、記憶が戻ったのですか?」
なぜ今、そのような質問をするのか。
考える時間はほとんど残されていない。
「さっき皆に話した通りだ。戻ってはいない。が、自分がどの立場にいたのか予測はつく。城を脱出するには時間がもうないんだ、俺を信じろ!」
黒い影と化したエアはしばし無言で佇み、唐突にその胸を赤く輝かせた。
ペンダントタイプの竜姫が光を放ったのだ。
「いえ……やはり、信じられません。たとえあなたでも、記憶が戻り真実を知れば希望など失ってしまうでしょう。私は、私の信念に従います」
「エア!」
宙空に静止した三匹の蝶から、管のような器官がうねりつつ真っ直ぐこちらに伸びてくる。
俺が昏倒すれば、やっと辿り着いた脱出の機会が水泡に帰してしまう。
これ以上、説得の余地はなかった。
「起きろッ!! ルイセ!!」
喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
なぜかきっと届くはずだと確信していた。
果たして呼びかけに応じ、ルイセが跳ねるように飛び起きる。
「は――これは、えとっ隊長……」
「刀を抜け!」
以前に、ルイセに力を貸すよう命じている。
“扱い方”はわかるはずだ。
状況が飲み込めない顔をしながらも、ルイセは腰に差した刀へと手をかける。
ここで使役するのは“ヤナ”ではなく――
「あ――……“オニヤンマ”!」
赤い鞘から、銀色の刀身が覗いた瞬間。
前方にいるエアのすぐ傍で、大量の虫の羽音が鳴り響き始める。
「っ――~~ッ!?」
エアは両耳を押さえて悶え、ゆっくりと膝を崩れさせた。
同時に三匹の蝶も消え失せ、エアの全身を染めていた黒い影がぼろぼろと剥がれ落ちる。
「あ……が……これ、は」
鼓膜が破れたせいか、耳を塞ぐ指の隙間から血を垂らし、エアは呻いた。
実際に大量の虫が発生したわけではない。
だが耳の中まで虫が這い回るような不快感と恐怖は筆舌に尽くし難く、とても意識を集中し続けることなどできまい。
エアの竜姫が消失したことにより、最初に目を覚ましたのはミストだった。
刀を抜いたルイセと俺が対峙する相手、エアを順に目で追ったミストはゆらりと立ち上がる。
「――そう。あなたが……」
「待て、ミスト!」
疾風の如く駆ける給仕服を止める手立てはなく、ミストはエアの目前で短刀を抜き放つ。
「っ!? 竜姫、葬そ――」
再び竜姫を纏おうとするエアより一瞬早く、ミストの短刀が白い首を掻っ切った。
エアの瞳はぐるんと裏返り、裂けた喉から血飛沫が噴き上がる。
「エア様っ!!」
「く……殺す必要はなかったはずだ! 竜姫を奪い取るなり、無力化することだっておまえにならできただろう!」
返り血を浴びて赤く染まった顔を拭いもせず、ミストはエアの亡骸を冷たく見下ろす。
「誰であろうと、フェンサーの前に立ち塞がる障害はわたしが排除するわ。そうすることで、わたしの存在は証明される」
ミストの黒髪の下で耳飾りが揺れた。
赤い宝石のついたその竜姫を発動させずとも、もはやミストは魔の傍らにいると感じさせた。
「そんな……そんな」
「気をしっかり持て、ルイセ! 全員を起こして、早くここから脱出するぞ!」
すでに何人かは目覚めている様子だが、状況は理解できていないはずだ。
七騎士の対立など感づかせる必要はない。
今は脱出を最優先にして――
「まぁ、遅かれ早かれこうなるのはわかってたこった。だからフェンサー、気に病むことはねぇって」
突然の声に驚き、応接間の扉へ目を向ける。
ウェーブのかかった頭髪は乱れているが、立っているのはクラウンだ。
「く、クラウン様!? ご無事だったのですね!」
「近づくな!」
駆け寄ろうとするルイセを制した。
外見はクラウンそのものでも、あきらかに生気を感じない。
ミストにも“来るな”と目配せをして、刺突剣をクラウンへ突きつける。
「はは、ははは! しっかし、まだこんなとこでサボってんのかぁ!? まったくおまえは騎士隊長失格だなぁフェンサー!」
クラウンの口は結ばれたままだ。
派手な色彩の軽鎧はひび割れ、所々が崩れ、その腹の辺りから声が漏れ出てきている。
迷いなく踏み込み、刺突剣の切っ先をクラウンの腹部へ突き立てる。
砂糖菓子のように簡単に、軽鎧の破片がぼろりと落ち。
「ひ――……っ」
ルイセが息を呑んだ。
クラウンの腹には、青白い顔が付いていた。
頬の辺りから人体と同化するように埋まった顔には、見覚えがあった。
「スカイを騙った男だな?」
「いや、それについては少し語弊があった。君にもわかりやすく説明したつもりだったんだ。正確には僕はスカイではなく、元シューターだと言いたかったんだ」
スカイも、元の名はシューターだった。
今の訂正に意味はあるのか。
「それにしても、まさか斬殺してしまうとはエアが可哀想だね。彼女は自分なりに必死で考えていたというのに」
「貴様と長々話をしている暇はない! 何しにここへきた!」
「可哀想なエアの想いを汲んで、君に真実を一つ伝えにきたんだよ。やっぱり勝負事はフェアにいきたいからさ」
「真実だと……?」
生気も肌の色も失ったクラウンの腹部で、元シューターと名乗るそいつは軽快に口を動かす。
「君達と僕は戦う運命にある。これはもうわかるだろ? 現在進行形なわけだし。そして、血で血を洗うこの凄惨な戦いの果ての勝者は“たった一人”に限定される。一人だけだと決まっている」
「……一人?」
「そう、一人だ。君達がどれほど絆を強固にしようと、どれほど心を通わせた相手がいようと、生き残れるのはたった一人なんだよ。その勝者のみが安寧の世界へと誘われる」
「そういうルールに神が定めたからとでも言うのか」
「神か……そうだね、神の定めたルールには逆らえない。僕らにはたくさんの代替品がいて、何十、何百回もこの地で争いを繰り広げている。まあ魂なんて存在しようもない人形だから、“次の代”になればまっさら元気にまた戦争を始めるんだ」
嘘――ではないのかもしれない。
世界を作り替えるほどの相手だ。
なんらかの力でもって、こいつの言う通り俺達の命をコントロールしていても不思議はない。
エアもそれを知ったのだとしたら、終わりのない争いに疲弊して絶望するのも当然だろう。
だが……くそくらえだ。
相手が神だろうと、俺達に魂がないとは言わせない。
「今ここで宣言しておいてやる。俺達は貴様ら化物を残らず駆逐し、必ず全員で生き残る」
決意を述べた直後に、シューターの額へ刺突剣を勢いよく突き刺した。
頭部を貫かれて、なおもシューターは口走る。
「はは……やっぱり奇妙だな、フェンサー。君と再会してからというもの、高揚して仕方ないんだ。――じゃあそろそろこっちも再開しようか」
シューターの顔が肉塊となり溶け落ちていく。
消える寸前に発したシューターの言葉が、残響となって広い応接間に居座る。
「力の化身、僕らの陣営の“ブレイカー”だ。存分に足掻くといい」
不意に激しい揺れに襲われ、その後みしみしと応接間の天井が軋んだ。
「っ!? 全員伏せろっ!」
床へ飛び込む瞬間には天井が割れ、巨大な物体が轟音と共に降り落ちた。
オークの群れでさえも一撃で粉砕するであろう、理解を越えたその巨人の足は……
未だ眠り続けていた兵や子供達を、一緒くたに、虫にでもそうするかのように踏み潰した。




