00:45 白日の下
「やぁ~っとお目覚めだねぇ! いつまでも怠けてちゃだめだよ騎士隊長サマなんだからさぁ!」
目覚めた瞬間、視界いっぱいに広がる男の顔。
隈が縁取られた半開きの目に間近で見つめられ、絶句する。
誰だこの男は。
俺はルイセの膝で眠ったのではなかったか?
不健康にやつれた男は、ウェーブした長い黒髪をかきあげると、へらへら笑みを浮かべて顔を離す。
俺を守護騎士隊の隊長だと認識していながら、こんな振る舞いをする人物など心当たりは多くない。
「……クラウンか?」
「へぇ~……まるで初めて会ったみたいな言い方するねぇ、フェンサー」
「悪いな、少し意識が朦朧としていた」
「そっかそっかぁ。苦労したんだねぇ、おまえも。……じゃあミスト、おれは兵を連れてちょっくら出かけるからさ」
「ええ。精々気をつけなさい、あなたも」
頭上からクラウンが失せ、俺は体を起こす。
クラウンには適当な誤魔化しを述べたつもりだったが、実際に目眩のような感覚に襲われ、額を手で押さえた。
「まだ起きてはだめよ、フェンサー」
「いや……大丈夫だ。それよりクラウンはどこへ? 俺は皆に話しておきたいことがあるんだ」
「別棟に気になる場所があるからって……でもすぐ戻るそうよ。近衛隊の兵も連れていったし、竜姫も持っていったから心配いらないわ」
「近衛隊……竜姫……」
体を支えようと側へ来るミストを制し、寝具代わりにしていたソファに座り直す。
暖炉の炎が、暖かに室内を照らしていた。
時間は0時47分。
約30分ほど眠っていたのか。
広い部屋は応接間のようだ。
見渡せば相変わらず子供達に振り回されているルイセや、その様子を見て微笑むエア、絨毯に座り込んで互いの傷の手当てをする兵達など、皆の無事を確認できた。
タオはまだ目を覚ましていないようで、俺の対面にあるソファで寝息を立てている。
ウルフは――
「……なんだフェンサー、まだ夢の中の楽園にでも引きこもっているのか?」
部屋の隅で壁に背を預け、座したウルフと目を合わせた瞬間に憎まれ口を叩かれた。
「あなたもまだ、起きるには早いのだけどね。竜姫を使用したのでしょう?」
「ふん。そんな柔な鍛え方はしておらぬ」
力強い言葉とは裏腹に、ウルフは額に浮いた汗をしきりに拭っている。
消耗は隠しきれていない。
と、子供達と遊んでいたルイセが、肩車していた少女をそっと降ろしてこちらへ歩み寄ってきた。
腰にはちゃんと渡した刀を差しているようだ。
ルイセはソファ越しに俺の背後へと回り、
「お疲れですよね? 肩でもお揉みします!」
「あらあら、隊長思いの剣士ね。たまには部下に甘えなさい、フェンサー」
ミストが離れたタイミングで、耳元に口を寄せてくるルイセ。
「……隊長、別棟の構造と主要な部屋についてご説明しましょうか?」
記憶を失くしている俺への配慮だろう。
ありがたい申し出だった。
現時点で俺の秘密を知るのはルイセだけだ。
だが、もうすべてを打ち明ける時期にきている。
自身についてだけでなく、この世界について全員の認識を共有しなければ。
俺達の敵は誰か?
あまりに不明瞭で、滅びを回避する糸口が現状では乏しすぎるのだ。
「皆、傷の手当てが終わったら食事を摂ろう。そして俺の話を聞いてくれ。突飛な話に聞こえるかもしれないが、すべて真実だと誓う」
王のダイニングで取得していたミストの食事に、各々が手をつけたのを見届け、話す。
記憶を失っていること。
死に戻りのこと。
王城でこれまで体験したこと。
これから王城で起こること。
順を追って、俺が知り得たこと全部を喋った。
「フェンサー様が……七騎士じゃない……?」
「それよりこの世界が紛い物だって……さっぱり意味が」
「……フェンサー様はどうされてしまったんだ?」
兵達が思い思いの所感をこぼす中、ウルフは無言に徹している。
「隊長!! 隊長が隊長じゃないって、いったいどういう――」
「いったいどういうつもり? フェンサー。虚言で皆を混乱させるなんて、あってはならないわ」
ルイセを遮って前へ立ち、ミストは冷たい視線で俺を見下ろす。
すでに右手は懐に忍ばせて。
いつか言っていたように、俺に王たる器を見出だせなければ排除も厭わないということか。
「ならば問うぞミスト。ここから南に下ればあるという二つの国の名を教えてくれ」
「それは――……それ、は……」
「他の者は? 誰か答えられる者はいないのか?」
皆、口をつぐんだ。
兵達の不安げな視線から逃げるように、ミストは一歩退いて目を泳がせた。
ルイセのみがなにか言いたそうに口を開きかけるが、その声は再び遮られる。
「サジョウ国とクウロ国。きっと皆様お疲れなのです、フェンサー様。そんなお顔をされていたら、子供達も怖がってしまいます」
いつも通り柔らかな物腰のエアが、今においてはひどく浮いて見えた。
サラサラとした銀髪の奥にある瞳は、あくまで優しげな光をたたえている。
サジョウ国、クウロ国。
本当に国があるのか?
いや、国の名くらい用意されていてもおかしくはない。
「玉座の地下にある脱出路はどう説明する、エア。俺はこの目で見てきたんだ。脱出路など存在せず袋小路になっていただけだ。ルイセも共に見た」
「その、何度か死亡されたという途中でですか? フェンサー様の思い違いなのではないですか? ルイセ、そのときの状況をご説明くださいますか?」
「えっ? えと、その、ボクは……」
話を振られたルイセは、しどろもどろに口ごもってしまう。
玉座の地下ではルイセも俺も死亡し、新たな世界へ作り替えられた。
多少は記憶を保持している節があるといっても、鮮明には覚えていないだろう。
それにしても……簡単に説得できると思いはしなかったが、やはり信じられないか。
しかしまだ突くべきところはある。
「そうだな……俺がおかしくなっているという可能性もたしかにある。では最後に一つだけ聞かせてくれ。俺達の王は――その名をなんという?」
尋ねた瞬間、エアは大きく目を見開いて息をのんだ。
まるで禁忌に触れてしまったかのような静寂が室内に訪れる。
エアだけじゃない。
ルイセも、ミストも、ウルフも、兵達も皆が視点を床に落とし、この世の絶望を知ったかの如く顔を歪めていた。
「そんな……おかしいわ……こんなことって」
おそらく皆が気づいている。
おかしいのは、王の名を知らないこと、それよりも――
王の名も知らない自分を、なぜこれまで疑問に思わなかったのか。
「俺達は名も知らぬ王を慕い、王城を守るために戦っていたのか? ……ありえない。ありえない状況だと、わかるはずだ」
俺達のことを人形だと、スカイを騙る男は言った。
それは事実なのかもしれない。
世界にそう定められたかのように、疑問を抱くことなく、粛々と役目を全うする。
兵士は城を守る駒として、愚直に化物と戦い命を散らす。
王の落命と共に六騎士は制御を失い、同胞を狩る化物と化す。
あるいは口に出す台詞すら、都合よく操られていたのかもしれない。
ただ、あるときを境に確実に皆は変わった。
諦観の顔を捨てたルイセは、やや無謀だが前向きに生き抜こうとする強さを手にした。
会話すらできなかったウルフなど、一番変化したと言えるかもしれない。
歪さは残したままだが、ミストも王の呪縛から解き放たれた。
タオだってそうだ。
死と対峙する恐怖を覚え、それでも自分の意思で勇敢に戦った。
兵士達も、各々が滅びの運命から逃れるために行動を選び取っている。
「すぐに話を受け入れろと言っているわけではない。だが俺達が置かれた現状は、王城を守る単純な戦とは違うということだ。敵がどれほど強大なのか想像もつかないが……これは、俺達が自由を得るための戦なんだ」
簡単に受け止めることはできないだろう。
作られた世界。
作られた人間。
家族も思い出もまやかしかもしれないと言われ、信じたいと思う人間などいるわけがない。
虚構の世界に住んでいた方がましだ。
中庭で目覚めたときから、俺の胸にはずっと火が灯っている。
折れそうになると、その火が熱く揺れるのだ。
真実を暴くまで倒れることは許さないと、胸に焦げつき急いてくる。
今は、皆の胸にも同様に火が灯っているのだと信じたかった。
「で……つまるところ、我らがやることに変わりはないのだろう?」
「ああ、そうだな。化物の排除は当然として、だがこれからは些細なことでも皆で共有していくんだ。……それに、まだ俺が皆の敵じゃないという確証はない」
「それで、あなたが敵だった場合は?」
「そのときは、黙って首を差し出すと約束しよう。ミスト、おまえが止めを刺せ」
「……簡単に言うのね」
簡単に答えたわけじゃない。
そう考えると、記憶が戻ることを怖くも感じる。
しかし、もし俺の想像が正しければ、俺は――
それからは黙々と食事を済ませ、静けさの中で思い思いの休息を取った。
時刻は1時44分。
なにか、首筋にちりちりと嫌な痺れが走る。
原因はわかる。
あの時刻が近いからだ。
過去に二度、竜に焼かれて城は崩壊した。
その時刻が2時ちょうど。
もしかして俺は、思い違いをしているのではないか?
2時に竜が襲来したのは偶然などではなく、明確なタイムリミットとして存在しているのではないのか?
ここが作られた世界だと自分で結論づけたのだ。
作られた世界には、作られたルールがある。
考えれば考えるほど、偶然だなどと楽観視していた自分が愚かに思える。
「クラウンの帰りが遅いな。奴はどこを調べに行ったんだ?」
「別棟の屋上に光の柱を見たと言っていたわ。たしかに、遅いわね」
「光の、柱」
これまでにも何度か見た。
それは、あの強大な化物が現れる前触れなのではないか?
だとしたら、クラウンはもう……
「全員支度を済ませろ、すぐに城を出るぞ!」
「え、どうしたんですか急に!?」
「急げ!」
城門まで全速力で向かえばまだ間に合う。
城外は化物の群れで溢れているだろうが、竜に焼かれるよりはいい。
竜姫があれば、逃げおおせるくらいはできるかもしれない。
たとえ全員の生存は無理だとしても。
「俺が先頭に立つ。ミストとウルフは竜姫を使え。他の者は子供達を中心に進み、化物はできる限り無視して城門まで走り抜けろ!」
「――竜姫“葬装”」
応接間の扉の前で一呼吸した。
誰からの応答も得られず振り返る。
皆、地に伏せるように倒れていた。
いや……一人だけ立っている者がいた。
「……私は、王になどなりたくはありませんでした。ですが、なってしまった。そして全てを知ってしまった。もう、このような不毛な円環は終わりにしましょう……フェンサー様」
頭上に三匹もの巨大な紫の蝶を従えて――
エアは微かな声で呟いた。




