00:01 渇望
王城が誇ったかつての栄華――その面影を残す渡り廊を、再び俺は歩む。
時刻は0時を回ったところ。
中庭で目覚めてから、計算上はまだ二時間しか経過していないことになる。
もう丸一日は城を彷徨っているような疲労感。
肉体はともかく、精神面のすり減りが尋常ではないことを自覚している。
吹き抜けの廊下から、暗雲が立ち込める夜空を見上げる。
同じ景色。すでに見た風景。
せめて月明かりでも届けば、心情も少しは軽くなるのだろうか。
前回はここで命を落としたのだったな、と目を細める。
だが――
「……どうした?」
タオを担ぎ、前を進んでいたウルフが首をわずかに捻り、視線だけをこちらに向けた。
「いや……」
今回はウルフも存命している。
積み重ねた行動は無駄ではないのだと、自分に言い聞かせて口を開く。
「ウルフ、この先で化物が出るかもしれない。でかい蝶のような化物だ。現れたらなるべく鱗粉を避け、素早く仕留めなければならない」
ウルフや兵達の視線が俺に集まる。
“なぜ貴様にそんなことがわかる?”と、そう聞かれるだろうと予想したがウルフの返答は違った。
「……先ほど、礼拝堂で言っていたな。我が幾度も死んでいると」
開いた手の平を見つめるように、ウルフは目線を落とした。
その横顔から、なにかを思案している様子が見てとれる。
「ああ、言った。身に覚えがあるか?」
死んだ覚えがあるのか、などとおかしな質問にも思えたが、かつてルイセにも過去の記憶を引き継いでいる節はあった。
だとすれば、微かにでもウルフに記憶が残留している可能性を探る。
ウルフの視線が、手の平から俺へと移る。
「貴様は未来が見えるのか? フェンサー」
「近いかもしれない。……よく聞けウルフ。俺はこの城で何度も死亡し、その都度甦っている。ある程度未来のことがわかるのはそのためだ。信じられないかもしれないが……」
荒唐無稽な俺の話を聞いても、ウルフは無言だ。
周りの兵士は互いに顔を見合わせている。
「夢か、幻か……はっきりとは言えぬが、今この王城で起きている出来事に、既視感を覚えることはたしかにある」
「やはり……! 思い出せウルフ! 俺達は何度も何度もここで死に、世界をやり直しているんだ!」
「よもや、そのような世迷い言……」
「嘘ではない! この世界は明らかにおかしい! 俺達もだ! 疑問に思ったことはないか? 俺達はなぜあんな化物と戦っているのか、そもそもどこの国と戦っているのか、これまでに戦争した国というのはどこだ? 国名は? その国の王の名は!?」
兵を含め、誰一人として俺の疑問に答える者はなかった。
皆一様に頭を垂れ、ある者は蒼白な顔色を曝し、ある者はぶつぶつとうわ言を呟いている。
ウルフは再びじっと見下ろしていた手の平を、力強く握りしめる。
「行くぞ、おまえ達」
「待てウルフ! まだ話は終わっていない! 俺達の王についてもそうだ、本当に王は死んだのか? 存在したのか? いたというのなら、王の名をおまえは答えられ――」
「フェンサー!! ……貴様の言い分が正しいとしてもだ、今現在、我らは化物の脅威に曝されている。それが動かしようもない事実である以上、先を急がねばなるまい」
「……っ……そうだな、おまえの言う通りだ。だが俺の言葉を頭の隅には置いておいてくれ」
ウルフに諭されてしまうとは、思わず熱くなりすぎた。
ウルフの言い分は、俺が出した結論でもあったというのに。
一人きり秘めてきたものを解き放つことで、共感を得られるのではと焦ってしまった。
しかし、この世界の異常さをウルフも兵達も少なからず感じているらしい。
ならば話は皆が揃ってから。
今度こそ、これ以上誰も欠けることなく集結し、疑問を晴らすのだ。
「む……あれが貴様の言う“蝶”か?」
“今度こそ”“次こそは”。
このところ、俺は口癖のようにそればかりを思っている。
「よし、誰も手を出すな。――竜姫“縛装”」
ウルフが天高く腕輪を掲げると、中央に嵌められた赤い石が輝いた。
大剣、戦斧、長槍、大槌、あらゆる武器が空間に生み出され、続々とウルフの背へ装着される。
だが……俺達に、本当に次などあるのだろうか?
「はは……これだ……これこそ我が竜姫の力、思い知れ化物!」
腕輪の宝石から出現した鎖が、ウルフの腕を螺旋状にずるずると這い回っていく。
背に装備された武器共々、ウルフの体をがんじがらめに縛りつける。
顔も、体も鎖によって塞がれたウルフ。
せっかく生み出された背の武器も封じられ、それどころか自慢の巨躯も、腕力さえもこれでは振るえない。
「――“嘲笑”」
ウルフは鎖の隙間から舌を出した。
言葉の通り、まるで相手を嘲るような舌は見る間に伸び、のたうつ蛇の如く地上で跳ねる。
――さっきも考えたことだ。
化物に対抗するため竜姫の使用はやむを得ない。
それで化物を殲滅できたとして、その後は。
化物を滅ぼし、化物と成り果てた俺達に、どんな未来が待っているというのだろうか?
「ふんはあッ!!」
長く垂れ下がったウルフの舌は地面を二度三度叩くと、一直線に突き上がり、宙空で羽ばたく蝶を捕らえた。
蝶に絡まった舌が急速に絞られれば、粉々に蝶は粉砕される。
「ふん。この程度か」
しゅるりと縮まった舌が鎖の中へ戻り、ウルフの竜姫が解かれる。
落ちた鎖と武器が消失し、ウルフは身軽になった肩を回した。
兵達が沸き立ち、ウルフを称賛する。
別棟の方からルイセやミストが駆けつけてくる。
「隊長! ウルフ様も! ご無事でしたか!」
「あら、本当によく生きていたわね。あなたがそう簡単に死ぬとは思っていなかったけれど」
「ぬかせ。貴様こそしぶといものだ」
ルイセ達の後方では、子供達に囲まれたエアが微笑みを浮かべていた。
そうだ。竜姫さえあれば、化物相手でも容易く勝利は訪れるのだ。
だから迷う必要はない。
……違う。
違う違う違う。
「隊長……?」
小首を傾げるルイセから目をそらし、大きく息を吐くと同時に刀を抜く。
「“ヤナ”、まやかしを晴らせ」
刀の先端を足の甲に突き立てる。
鋭い痛みに歯を食い縛り、耐える。
ルイセの顔が、周囲の景色が歪み崩れていく――
俺は地面に伏せていた。
顔を上げると、ウルフにタオ、兵達も俺と同じように倒れている。
空には巨大な蝶が暗雲を背景に羽ばたき、頭から伸びた触角のような器官を皆の体に突き刺さしている。
触角は俺の腕にも深々と入り込んでいた。
「ぐ……ウルフ……っ」
呼びかけるも、仰向けに転がっているウルフは応じる気配がない。
腕に刺さった管がポンプの如く脈打つたび、生ぬるいものが血中に取り込まれ意識が遠のく。
そうだ……これが現実。
十二分に警戒はしていた。
「く……そッ!」
肉に深く食い込んだ管を掴むが、とても抜けそうにはなかった。
ならばと、強く引く。
全身全霊でもって、手繰り寄せる。
「はあ……はあ……こんな力仕事は、本来おまえの役目だろうが……! ウルフ!」
膝をつき、片足で大地を踏む。
徐々に高度を落としてきた蝶を見据え、なおも引き寄せ続ける。
俺は、俺達は敵を警戒していた。
人を捨てる竜姫の使用も躊躇わなかった。
だがそれでも勝利は得難く――
「舐めるな……ぐっ、化物……ッッ!」
バタバタと暴れ狂う蝶を射程に収め、刀の柄に手をかける。
そして瞬時に直上へ抜き放った。
黒色の体液を顔面にかぶりながら、真っ二つとなった蝶が墜落する様を見届ける。
「はあーっ! はあーっ! はあーっ!」
遠く、得難いもの。
だからこそ俺は勝利を求め、剣を振るってきた。
タオもウルフも、自分の意志で竜姫を使用した。
あがき、みっともなく這いずり回っても、俺達は勝つために頭を捻って研鑽するんだ。
決して人形などではない。
断じて――
「隊長!!」
狭まる視界が傾き、横倒しになっていく体が、ルイセによって抱き止められる。
足にまったく力が入らず、そのまま二人して地面に座り込んだ。
「隊長しっかりして下さい! 体が、すごい熱が……!? ミスト様!」
「クラウンと彼の部隊も呼んだわ! ともかく全員を運びましょう!」
薄れゆく意識の中、ルイセとミストのやり取りをぼんやりと聞いていた。
クラウンが見つかったのなら、ようやくこれで全員が揃うことになる。
話をしなければ。
俺達のこれからを。
俺達のこれまでを。
「おまえは……本物のルイセか……?」
「え? 本物ってなんですか!? ルイセですよ! 隊長の、王城守護隊のルイセ・カーベルクです!」
俺を覗き込むルイセの顔は、至って真剣だ。
残念ながら俺は“隊長”ではない。
おまえが言ったんだ、覚えがないのかルイセ。
そしてこれは、前回の約束。
「ルイセ、これを……おまえに」
握りしめていた刀の柄を、ルイセの手に押しつけた。
「これは隊長の? あ……“ヤナ”……“オニ、ヤンマ”……?」
まだ伝えていないはずの名をルイセが口にして、周回の記憶が俺以外にも残るという事実を今度こそ確信する。
満足感を得られると、自然に目が閉じかける。
「あれ……ボク、ボクは……隊長?」
「少しだけ、疲れた。悪いが……ほんの短時間だけ、眠らせてほしい」
「えっ、えっとえっと。どうぞ! ボクの膝なんかでよければお使い下さい!」
「膝……? ああ、膝なのか……」
柔らかな膝は枕として心地よかったが、ルイセは大きな瞳で人の顔をまじまじと覗き込んでくる。
垂れ下がった片結びの金髪に頬を撫でられ続けるのは、少々くすぐったいものだった。




