01:58 グラジオラス
瓦礫の破片を払いのけながら、なんとか応接間の外まで這い出る。
「う、ぐ……っ!」
片腕は潰れた。
足は無事なようだ。
頭部から流れ出た血がぬるりと顔を伝っていく。
だが、まだ生きている。
そう言い聞かせ、気力を振り絞って立ち上がり、見上げた空は真っ黒だった。
正確には巨大な化物に遮られて、空は見えなかった。
建物の壁も天井もすっかり崩れ、別棟の一棟と同程度の巨躯を持つ化物に見下ろされていた。
確認できる範囲で、頭の周囲に瞳は四組。
鼻は三つ。
口は見当たらない。
巨人のざんばらの髪が揺れる。
地鳴りを引き起こしつつ、応接間の半分をも占めていた足が緩慢な動作で持ち上げる。
何人もの体液が混ざり合った赤い糸が巨人の足裏を離れ、周囲にバチャバチャと振り撒かれる。
「…………っ」
声に詰まった。
どうすればいい?
どうすればこの局面を乗り切れる?
「フェンサー! ルイセを連れて逃げなさいッ!」
ミストから突き飛ばされ、足をもつれさせたルイセの肩を受け止める。
ルイセの肩の震えが、逆に動揺を落ち着かせてくれた。
しかし、冷静に視線を巡らせてみても、生存している者はミストとルイセしか見当たらない。
こんな……一瞬で全て、奪われたというのか。
「何をしてるの! 早く行って!!」
「おまえも来いミスト! 残ってなんになる!? 一旦引いて、策を練って――」
「じゃあ、策を練るのは、あなたに任せるわ。――竜姫“風装”」
静かに、確かな響きをともなった呟きは、ミストの耳に下がる宝石を赤く輝かせる。
どこからともなく吹き込んできた風により、黒髪と給仕服のスカートがはためいた。
「ミスト様! ボクも一緒に戦います!」
「ルイセ。わたし達の王を、頼むわね」
ミストの上腕の肉が皮膚ごとべりべりと剥がれていく。
腿と、ふくらはぎからも同様に肉は剥がれ、ボリュームを削がれた腕と足は半分ほどに細くなる。
裏側に垂れ下がった皮膚と肉は、鋭く昆虫の翅のような形状へと変化した。
暗い戦場に、さらに濃い影が差す。
巨大な足が俺達の頭上高くに静止していた。
「あなたさえ生かすことができれば、わたし達の勝ちよ。……行って、フェンサー」
敵を見上げるミストの横顔に、僅かな笑みを見た。
ルイセの手を掴み、踵を返す。
「行くぞ、ルイセ」
「で、ですが!!」
「走れ!」
無駄にするな。
報いる方法など一つしかない。
ミストの言葉通りに生き延びて、解き明かして、城を取り戻す。
日々を取り返す。
もし日常が存在しなかったというのなら、新たに作り上げてやる。
人間らしい日々を。
全員が過ごせる未来を。
暴力的な衝撃音と風圧を背に受けて、駆けながら振り返る。
砂塵の立ち込める中からミストが飛び出し、真っ直ぐ巨人の顔へ向かって飛翔する。
壁と同然の顔面に体ごと直撃したミストは制御を失い、失墜しながらも巨人の目玉を一つ抜き取っていた。
噴き上がった鮮血が雨となって降り注ぐ。
だが、背後の戦況ばかり気にするわけにもいかなかった。
「隊長、オークが――!」
まだ別棟の敷地内。
城門へ向かうには長い渡り廊も控えている。
しかしその道は、重装備で固めたオークの大群により塞がれている。
城外で待機していたオークらが、ついになだれ込んできたんだろう。
なぜこのタイミングだ?
悪鬼どもの出現に呼応しているのか。
「はあ、はあ、くっ……」
片腕が潰れている。
足はまだ動く。
頭から流れていた血は、とっくに固まった。
問題ない、戦える。
「ルイセ、刀を抜け」
俺も刺突剣を引き抜いた。
戦えはするが、どうやって現状を打破するか。
どれだけ思考を巡らせてもその答えが出ない。
「こいつら、一匹でも多く道連れにしてやりましょう!」
もはや生存は望んでいない台詞だ。
わかっている。
皆を守ると息巻いても、現実に俺一人で出来ることには限りがある。
元シューターを名乗る男から聞いた、生き残る者は一人だけという言葉が脳裏をよぎる。
「おおおお!!」
払拭するように敵の只中へ斬り込み、オークをつらぬいた。
俺に続いて、オークの一匹を切り伏せたルイセの背後に立ち、死角の穴を埋める。
「はぁ、はぁ……隊長、あれ……空が……」
呆然としたルイセの声に空を仰ぐ。
暗雲が裂け、空間に亀裂が走り、空が文字通りに割れていく。
煌々とした光が差し、世界が白く塗られていく。
時間を確認しないでもわかる。
リミットがきたのだ。
脱出は間に合わなかった。
刺突剣を握りしめていた左手から、力がだらんと抜け落ちた。
「見てください、あれ! 竜が!! すごい……伝説の、守護の竜ですよ……隊長」
「ああ。終わりだ、全部」
「はい! これで敵も一網打尽ですね!」
「違う。アレには何も期待するな、敵だ」
「え……?」
あの時のように竜は大口を開け、発生させた火球を一気に膨らませる。
「くそっ――伏せろ!」
「うわ!?」
ルイセを地面に引き倒して間もなく、巨人の足踏みよりも数倍激しい衝撃に襲われた。
高温の爆風に吹き飛ばされ、焼けた地上をルイセと絡まったまま転がり続ける。
「あ……ぐ……げほ!」
「……はあ……はあ……ルイセ、無事か?」
「な……なんとか」
体の機能を確かめるように、ゆっくり地を踏んで立つ。
その後、ルイセに肩を貸してやる。
刺突剣はどこかへ失くしてしまった。
「見てください、オークどもが……! やっぱり、守護の竜だったんですよ!」
丸焦げになって横たわるオークの大軍勢を前に、ルイセは拳を握って歓喜する。
深緑の竜は悠々と城を旋回すると、高熱の火球を別棟の巨人へ向けて吐き出した。
未だミストが戦っていると思われる巨人を中心に、高熱の爆炎がぶわりと広がる。
「ミスト様……!? そんな……っ!」
腕で熱風から顔を守りつつ、ルイセが悲痛な声をあげた。
やはりあの竜は敵と認識して間違いない。
オークを消し飛ばしたのは、たまたまだった。
それでも道が開けたのは事実。
「行くぞ!」
次々と吹き飛ばされる城の外壁を避けながら、俺達は渡り廊を必死に走り抜けた。
「はあっ、はあっ、はあっ、竜が、なんで、なんで城を!!」
守護の竜。
あるいは、伝承通りの存在なのかもしれない。
化物に乗っ取られた王城を、奪われるくらいならばと粉砕する。
そこに、城に住む人間の一切は考慮されない。
別棟、兵舎棟と順に破壊し尽くし、今まさに落城を間近に控えた本城を見上げれば、竜の行動原理がよくわかる。
炎の照り返しを気にすることもなく、地獄そのものな光景をルイセと二人ぼんやり眺めていた。
沸き上がってくるのは絶望。
あの時となんら変わりない感情。
ただ、その絶望的な思いに紛れて、今はまったく別の感情も――
「……許せない……」
ぽつりと呟いたのち、ルイセの激情が爆発する。
「ボク達の住む場所を……仲間を、よくも、よくも……ッ! 化物も、竜も、みんなを惑わせる存在も……こんなの全部全部許せないッ!!」
そうか。
俺の気持ちは全てルイセが代弁してくれた。
気づけば爪が食い込み、血が滴るほどに握りしめていた手を解く。
「なら、あの竜を墜とそうか」
ルイセが無言で俺の顔を見つめてくる。
「……本気、ですか?」
「ああ」
「でも、どうやって」
「協力が必要だ。ルイセ、おまえにも色々と頼みごとをすることになる」
「ボク、なんでもやります!!」
神に弓を引くと宣言したんだ。
今さら竜の一匹や二匹に臆するものか。
強力な悪鬼が出現し、城に蔓延り、いよいよと竜が化物の討伐に乗り出すのが2時。
この考察が正しいとすれば、竜の出現をある程度調整できるかもしれない。
大きな影が頭上を過ぎ去り、遅れてやってきた突風が炎の匂いを運んでくる。
発見されたか。
最後まで目をそらすまいと、冷ややかな夜空を睨みつけた。
「そういえば、この場所――」
ふと呟かれたルイセの言葉に釣られ、辺りに目を向ける。
ここは本城正面の庭園。
周りを囲む崩れた城壁は、敵の侵入を阻めるものではなくなっている。
地肌はめくれ、掘り返されたように草花と土が散乱している。
「……初めてルイセと会った場所だったな」
思い返せば、ここで目覚めて偶然にもルイセと出会わなければどうなっていただろう。
現在の状況や王城の情報、それだけでなく何度も立ち上がる力や勇気なども貰っていた。
「この花、グラジオラスって言うんですよね」
「そうなのか?」
ルイセが手に取った青い花は萎れていたが、他にも赤や白といった同じ種類の花がそこかしこで踏み倒されていた。
しばらく花を見つめていたルイセは、頭を押さえて声を絞り出す。
「これ……あなたが教えてくれた花です。覚えて、いませんか……?」
苦しそうに顔を歪めたルイセの様子に、また記憶が戻りそうなのかもしれないと推察する。
「それは本当に俺だったか? よく思い出せ、フェンサーなどという人物が存在したのか」
“フェンサー”は存在しない、とかつてルイセは言った。
だからきっと記憶の混濁でも起きているのだ。
そう、結論づけようとした。
「く、う……“フェンサー”なんて人、ボクは知りません。でもグラジオラスを教えてくれたのは、あなたです。だってあなたは――」
轟音と炎の渦が、ルイセの姿ごと言葉の続きを掻き消した。
猛炎に焼かれる痛みを誤魔化す幻か、巻き上がる火の粉と土くれが、確かにその瞬間色とりどりの花びらに見えた。
風に舞う、グラジオラスの花びらが――
◇◇◇
俺は、本城の正面扉を開けて外へ出た。
外は暗く、夜のようだ。
外気が少し肌に冷たい。
園庭には見渡す限りに花が咲いていて、俺はゆったりした歩調で足を運ぶ。
いや、俺――ではない。
視点は俺の主観だが、体は勝手に動いている。
体の持ち主が自在に動かしている。
俺はただ、この“体の持ち主”と視点が同一なだけだ。
庭園の花を見て回っていると、隅で屈んでいる若い兵士の姿を認めた。
興味本位で近づき、背後から声をかける。
「こんな時間に熱心なことだ」
「――え!? わわっ! す、すみません! 訓練ばかりやっていて、じっくり眺める時間がなくってその」
「はは、私と同じだな。……君は?」
「は、はい! 王城守護隊の剣士、ルイセ・カーベルクです!」
名を聞かずとも、後ろ姿で俺にはルイセだとわかっていた。
ルイセは緊張した面持ちで片結びの金髪を触り、跳ねた部分を必死に撫でつけようとしている。
「訓練は順調か?」
「はい! カムラ隊長も熱心な指導をしてくださって――えと、たまにおふざけが過ぎるなぁとか思うんですけど、あっでも剣の腕は流石です!」
「ほう……おふざけ。それはいかんな。今度直接、私から注意しておこう」
「あ……あのあのあの、いやその」
「ははは、冗談だ。君達の働きにはいつも感謝している」
王城守護隊……隊長の名は、カムラ。
やはり“フェンサー”という名がルイセの口から出ることはなかった。
恐縮しきりのルイセだったが、いくらか緊張も解けたらしく真っ直ぐな笑顔を俺に向けてくる。
「ところでライベルク王も、お花がお好きなんですか?」




