EP 4
歩く天災お嬢様と、バズり配信者の乱入
トントントン、と軽快な包丁の音がまな板を叩き、厨房の鉄鍋から立ち上る湯気が、カウンター越しに香ばしい味噌の香りを漂わせた。
「……ほらよ。残ったピラダイの頭と中骨で取ったアラ汁だ。大根の皮は細切りにして、胡麻油と唐辛子で炒め煮にしてある。……飯と一緒に食え」
龍魔呂が手際よく差し出したのは、決して高級なコース料理ではない。
だが、丁寧に灰汁をすくい、魚の旨味を極限まで引き出した白濁の味噌汁からは、立ち上る湯気と共に濃厚な海の潮騒が香っていた。飴色に炒められた大根の皮のきんぴら風小鉢には、粗挽きの唐辛子と白胡麻が美しく散らされている。
「う、うわぁぁぁぁぁぁーーッ!! お魚の骨の周りにお肉がついてますのぉぉーッ!!」
小豆色の芋ジャージを着たリーザは、もはや涙で前が見えないほど目を潤ませ、震える手で割り箸を割った。
ずずっと椀に口をつけ、熱い汁を一口啜った瞬間、少女の華奢な全身がビクンと快楽に跳ね上がる。
「んんんまぁぁぁぁぁぁーーーいッッ!! 五臓六腑に染み渡りますの! タンポポの根っこで冷え切った内臓が、まるで温泉に浸かったみたいにポカポカしてきましたわぁぁ!!」
ガツガツ、ワシワシと、まさに野生の獣のごとき猛烈な勢いで白米をかき込み、骨にこびりついたピラダイの身をちゅうちゅうと吸い尽くしていく。その姿には、海中国シーランの正統なる王女という矜持など一片たりとも残っていなかった。
「おいおい、そんなに急いで食うたら喉に骨が刺さるぞ。……ほれ、茶も飲みぃや」
坂上真一は破顔し、カウンターの茶柱が立った湯呑みをリーザの前へ滑らせてやった。
五十年の人生で数多の部下を育て、家では愛娘・千姫を溺愛する坂上にとって、飢えた若者がなりふり構わず飯を貪る姿ほど、見ていて気持ちのいいものはなかった。
「ふぅ……。やっぱり龍魔呂さんの料理は、そこらの三ツ星レストランなんかよりずっと美味いね」
隣の丸椅子に座った村長キャルルも、出汁の効いた汁物を上品に啜り、耳をほっと垂らして安堵の息を吐いていた。
三大国の緩衝地帯という火薬庫の真ん中で、毎日いつ吹き飛ぶかも知れぬ村の治安を背負い続ける二十歳の村長。張り詰めていた彼女の神経が、龍魔呂の温かい料理と、隣に座る坂上の岩山のような包容力によって、ふわりと解きほぐされていく。
「若いのに、オドレもよう気ぃ張って生きとるのう、村長さん。飯を食う時くらいは肩の力を抜きんさい。人間、胃袋が温まれば大抵の難事はどうにかなるもんじゃ」
坂上がブルー・ホープの紫煙をふわりと吐き出しながら笑いかけると、キャルルは少し気恥ずかしそうに頬を緩めた。
「……真一さん、あんた本当に不思議な人だね。初めて会った気がしないよ。昔の偉いお坊さんか、それとも百戦錬磨の将軍様がふらりと隠居しに来たみたいだ」
「ガッハハ! 将軍たぁ買い被りすぎじゃ! わしゃあただの、家族とカレーを愛する頑固親父よ」
坂上が豪快に笑い飛ばした、まさにその平穏な空気の隙間だった。
カランコロン、と店の格子戸に下げられた真鍮のベルが、涼やかで上品な音を立てて鳴った。
「ごきげんよう、皆様。本日も木漏れ日が肌を優しく撫でる、素晴らしい日和ですわね」
ふわりと店内に広がったのは、外界の砂埃をすべて洗い流すかのような、瑞々しい森林と百合の花の香りだった。
現れたのは、息を呑むほどに美しい少女だった。
絹糸のように透き通ったプラチナブロンドの長髪に、朝露を宿したエメラルドのような瞳。白と若草色を基調とした豪奢なローブを身に纏い、歩くたびに微かな燐光が足元から立ち昇っている。
世界樹に過保護なまでに愛されるエルフの至宝――ルナ・シンフォニアその人である。
「あら? キャルル様にリーザ様、それに……まあ、見慣れないとても屈強で素敵な紳士がいらっしゃいますわね」
ルナはおっとりと微笑み、胸元に両手を当てて優雅に一礼した。
その神々しいまでの美貌に、坂上は「ほう、絵画から抜け出てきたような別嬪さんじゃのう」と純粋に感心して目を細めた。
だが――カウンターの奥で包丁を拭いていた龍魔呂の眉間が、ピクリと不吉そうに跳ね上がった。
隣のキャルルに至っては、先ほどまでの穏やかな表情が一瞬で凍りつき、ピーンと両耳を垂直に直立させている。
「ル、ルナ……! あんた、今日は何しに来たのさ!? またタローマンの資材置き場を勝手に『精霊の苗床』にして木を生やしたんじゃないだろうね!?」
「心外ですわキャルル様。私はただ、お腹が空いたので龍魔呂様の美味しいお料理をいただきに参っただけですわよ? ……そう、例えばこちらの『金貨』でお支払いをすれば、よろしいのでしょう?」
ルナは鈴を転がすような愛らしい声で言うと、袖口からピカピカとまばゆい黄金の輝きを放つ一枚の金貨を取り出し、カウンターの上へコトンと置いた。
だが、その金貨の端から、微かにパラパラと灰色の砂が零れ落ちている。
キャルルの青い瞳が、カッと見開かれた。
「出たぁぁぁーーッ!! ルナの『三日偽金貨』!! あんたそれ、道端の小石に幻惑魔法をかけて金貨の質感に変えただけで、三日経ったら元のゴツゴツした石ころに戻るやつでしょッ!!」
「あら、ご存知でしたの? 三日間は確かに金貨としての質量と輝きを保っておりますから、その間に誰かへ譲渡してしまえば誰も損をいたしませんのに。資本主義の流動性とはそういうものではありませんの?」
「詐欺の永久機関を正当化するんじゃないよッ!!」
ズドォォンッ!と、キャルルの鉄板入り安全靴がカウンター下の巾木を粉砕せんばかりの勢いで床を踏み抜いた。
突っ込みの風圧だけで、ルナの優雅な前髪が激しく後ろへ吹き飛ぶ。
「それにね、リーザ様!」
ルナは叱責など何処吹く風といった様子で、アラ汁を啜っているリーザの元へと優雅に歩み寄った。
そして、聖母のように慈悲深い笑みを浮かべ、しゃがみ込んでリーザの泥だらけの手をそっと両手で握りしめた。
「先ほど、家賃のお支払いに困窮されていると小耳に挟みましたわ。……とても痛ましいことです。そこで私、素晴らしい解決策を思いつきましたの♡」
「ほ、ほんとですのルナ様!? やっぱり持つべきものは心優しいエルフのお友達ですわぁ!」
「ええ! リーザ様の健康な『腎臓』をお一つ、帝都の闇医療ルートへお売りになればよろしいのですわ! 大丈夫です、摘出した直後に私の高位治癒魔法をおかけすれば、わずか三分でピカピカの新しい腎臓が生えてまいります! これを毎日繰り返せば、リーザ様は一切働くことなく、無限に生み出される内臓で億万長者になれますわよ♡」
ルナは袖口から、どこから取り出したのか眩い光を放つミスリル製の医療用メスをシャキーンと構え、満面の天使の笑顔でリーザの脇腹に刃先を向けた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃーーッ!? 無限腎臓ファーム!? やめてくださいましぃぃ! いくらお腹が空いてても、自分の臓器のサブスクリプションは嫌ですのぉぉーーッ!!」
「動いては駄目ですわリーザ様、少しチクッとするだけですから……♡」
「ルナァァァーーッ!! やめろォォォーーッ!!」
バシィィィィンッッ!!
空気を切り裂く鋭い音と共に、キャルルの木製トンファーが横合いから閃光のように薙ぎ払われ、ルナが構えていたメスを寸分の狂いもなく弾き飛ばした。
メスは厨房の梁へと深々と突き刺さり、ルナは「あら惜しい」と小首を傾げる。
「うちの村で! 違法臓器売買のバイオベンチャーを立ち上げようとするなッ! あんたの世界樹の神聖魔法はね、そういう倫理観の崩壊した金儲けのためにあるんじゃないのッ!」
肩で息をしながら絶叫するキャルル。
その怒髪天を衝くツッコミの嵐を前に、カウンターの坂上はといえば――。
「…………」
咥えていたブルー・ホープの灰が、ポロリと携帯灰皿の上へ落ちた。
坂上は目を丸くして、天使のような顔でとんでもない外道をサラリと言ってのけたルナと、額に青筋を立てて息荒く仁王立ちするキャルルを交互に見つめていたが、やがて――。
「ブッ……ッハハハハハハハッ! 痛快じゃのう! こりゃあ一本取られたわい!」
腹を抱えて豪快に笑い崩れた。
「親父さん、笑い事じゃないよ! こいつは見た目が聖女なだけの歩く天災なんだから!」
「いやいや、命の使い道に困っとる者を救おうという心意気だけは、まあ買うてやらんでもないがの。……じゃがのお嬢ちゃん」
坂上は笑いを収めると、ふっと眼光を穏やかだが威厳に満ちたものへと変え、ルナの澄んだ瞳を真正面から見据えた。
その背中から立ち上る、泰山のように揺るぎない「親父の気迫」に、ルナの長いエルフ耳がピクリと反応する。
「親からもろうた大事な身体に、みだりに刃物を向けるもんじゃない。銭っちゅうのはな、自分の足で土を踏み、汗水流して稼ぐからこそ尊いんじゃ。安易に身体を切り売りして得た金なんぞ、泡のように消えて魂を腐らせるだけじゃけえの」
低く、だが胸の芯に重く響く坂上の言葉。
『論語』の教えに裏打ちされたその仁義の重みに、今まで誰からも純粋な「倫理」として叱られたことのなかったルナは、きょとんと目を丸くした。
「……まあ。私をお説教なさる殿方なんて、樹齢五千年の長老様以来ですわ」
「ガハハ、歳の功よ。飯が食いたいんなら、わしの手伝いでもせぇや。美味いもんは、真っ当に腹を空かせて食うのが一番美味いんじゃ」
坂上が人懐っこく笑いかけた、その刹那だった。
ブゥゥゥゥン……ピピッ、ピピピピッ!
店の表から、何やら甲高い機械的な電子音が響いてきた。
格子戸の隙間から、ふわふわと宙に浮遊する球体状の魔導機械――レンズのついたドローンカメラが滑り込んでくる。
「はーい皆様こんキュラ〜☆ 大陸中の全人類と魔族のハートを鷲掴み! 動画配信網『ゴッドチューブ』公認、月収二億円のメガゴッドチューバー・キュララちゃんだよ〜〜んッッ!!」
ド派手な電子ファンファーレと共に飛び込んできたのは、弾けるようなピンク色のツインテールを揺らす小柄な美少女だった。
フリルとサイバーパーツが融合した奇抜なアイドル衣装に身を包み、片手には最新型の魔導スマート端末、もう片方の手には配信用の高感度マイクを握りしめている。
「うげっ……! キュララ! あんたまで何しに来たのさ!」
キャルルが思わず頭を抱えた。
ポポロ村のトラブルメーカーたちが、ものの数分の間に全員集合してしまったのだ。
「何しに来たって、決まってんじゃんキャルルっち! 村の境界センサーが『規格外の高エネルギー生体反応』を感知したってアラートが鳴ったから、スクープ狙いで緊急生配信枠を取ったんだよ! ……って、えええええええッッ!?」
キュララの大きな瞳が、カウンター席の坂上真一を捉えた瞬間、ギョッと飛び出さんばかりに見開かれた。
浮遊カメラが超高速でズームアップし、坂上の全身を舐め回すように映し出す。
「な、なにこの人ぉぉぉーッ!? 服の上からでもわかる超高密度の筋肉! 歴戦の修羅場を何百回くぐり抜けたらそんな仕上がりになるの!? しかも顔が渋い! 昭和の極道映画からそのまま召喚されたみたいな圧倒的ダンディズム……!!」
キュララは端末の画面をペシペシと叩きながら、狂喜乱舞して叫んだ。
「ちょ、リスナーのみんな見てるぅ!? 同接が一瞬で五万人突破したんだけど! コメント欄が『誰このイケオジ!?』『覇気がヤバすぎて画面が揺れてる』『村長またヤバい奴拾ってきたな』で埋め尽くされてるよ〜〜ッ!!」
「おいおいおい、お嬢ちゃん、なんじゃその宙に浮いとる目玉は? テレビの取材かの?」
レンズを突きつけられた坂上は、煙草を指に挟んだまま不思議そうに首を傾げた。現世のテレビカメラやドローンには見慣れていたが、魔力で浮遊するカラフルな機材は物珍しい。
「テレビどころじゃないよオジサマ! 全世界同時生配信のゴッドチューブ! ねえねえオジサマ、お名前は!? どこから来たの!? 背中のそれ、本物の刺青!? ちょっと脱いで見せてくれたりしない!? 脱いだらスパチャで金貨千枚飛ぶよッ!!」
キュララがグイグイとマイクを坂上の鼻先へ突き出し、ゼロ距離まで詰め寄った。
――その瞬間だった。
カチッ……シュポッ。
騒乱の店内を切り裂くように、硬質で冷酷な金属音が響き渡った。
カウンターの奥、薄暗い厨房から放たれたのは――絶対零度の殺気。
「……おい、配信者」
赤箱のハード煙草『クリムゾン・レッド』に火を灯した龍魔呂が、漆黒の双眸でキュララを冷たく射抜いていた。
その右手の指先には、一粒の角砂糖が挟まれている。
「……俺の店の中で勝手にカメラを回すな。三秒以内にその浮いてるガラクタの電源を落とさねぇなら――そのレンズごと、貴様の頭蓋を撃ち抜くぞ」
ヒュッ、と龍魔呂の指先から漏れ出た赤黒い闘気の圧迫感に、キュララの浮遊カメラがパチパチとショート寸前の火花を散らした。
「ヒエッ……!? り、龍魔呂っちぃ! 今日も今日とて殺気が致死量カンストしてるぅぅーッ!!」
キュララは慌ててカメラのレンズを手で覆い、キャルルの背後へと滑り込んで震え上がった。
「まったく……! どいつもこいつも、寄ってたかって龍魔呂さんの店で騒ぎ散らしてんじゃないよ!」
キャルルが額を抑えて深いため息をつく。
芋ジャージで米粒を頬につけた極貧アイドル・リーザ。
微笑みながら偽金貨とメスを袖に隠す天然エルフ・ルナ。
同接の数字に一喜一憂してカメラを抱えるトップ配信者・キュララ。
そして、それらを怒鳴りつける兎耳の村長・キャルルと、奥で煙草を燻らせる寡黙な料理人・龍魔呂。
嵐のように騒がしく、混沌極まりないその光景を前にして――。
坂上真一は、ブルー・ホープを灰皿に揉み消すと、満面の笑みを浮かべてポンと自らの頑強な膝を叩いた。
「ガハハハハ! いやはや、なんとも賑やかでええ村じゃのう! 退屈する暇もありゃせんわい!」
その豪快で温かい笑い声が、小料理屋『鬼龍』の店内に心地よく響き渡った。
見知らぬ異世界に飛ばされた元艦隊司令官を取り囲む、個性豊かすぎる住人たち。
だが、この騒がしくも温かい日常の裏で、緩衝地帯ポポロ村の平和を揺るがす「不穏な影」が、確実に歩み寄ってきていた――。
読んでいただきありがとうございます。
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