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『異世界食堂「鬼龍」の親父と狂犬〜元艦隊司令官は金曜カレーで処刑人の孤独を癒やし、最強の師弟で世界を導く〜』  作者: 月神世一


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第三章 狂った算盤と悪徳転生者トリオの完全粉砕

忍び寄る三匹のハイエナ

 二つの太陽が東の山並みから顔を覗かせ、緩衝地帯ポポロ村を包んでいた朝霧を、透き通った黄金色に染め上げていく。

 路地裏に静かに佇む小料理・BAR『鬼龍』の厨房には、夜明け前から小気味よい薪の爆ぜる音と、静謐なバッハのチェロ組曲が低く響き渡っていた。

 トントントンッ!と、乾いたまな板の音がリズムを刻む。

 純白の調理服を着こなした百九十センチの偉丈夫――鬼神龍魔呂(二十五歳)が、尺一寸の完全本焼き柳刃包丁をミリ単位の精度で滑らせていた。

 薄く引かれたピラダイの身は、まるで朝露を纏った水晶のように透き通っている。

 隣の銅の大鍋では、早朝から丁寧に灰汁を引き抜いた極上の昆布・鰹出汁が、ポコポコと小さな気泡を底から浮かべていた。

「たつまろ。……大根の面取り、角の丸みがちぃと鋭いぞ。もうコンマ五ミリ落としゃあ、煮崩れを防ぎつつ、出汁の対流がもっと滑らかになるけえの」

「……わかってるよ、親父。口を挟むな、手が狂う」

 口答えしながらも、龍魔呂の手元は言われた通りにコンマ五ミリの削ぎ落としを寸分の狂いもなくこなしていた。

 濃紺の将官用作業服の袖を捲り上げ、純白の木綿エプロンをきりりと締めた坂上真一(五十歳)は、その様子を満足そうに目を細めて見つめる。

 手入れの行き届いた無骨なブロンズ製の機械式腕時計に目をやれば、針は朝の七時を指していた。

 ――カチッ……シュポッ。

 板場に響いた二重奏の金属音。

 坂上が青いパッケージの昭和煙草『ブルー・ホープ』を、龍魔呂が赤箱のハード煙草『クリムゾン・レッド』を同時に燻らせる。

 坂上がポケットから放ったコーヒーキャンディを龍魔呂が右手で音もなくキャッチし、代わりに龍魔呂が差し出した大粒の【角砂糖】を、坂上が奥歯で――ボリリッ、ガリリッと快音を立てて噛み砕いた。

「ふぅぅ……っ。ええ朝じゃのう。村の空気も、ここ数日でずいぶん活気づいてきおった」

 坂上が紫煙を吹き流しながら店先の通りを見やる。

 先日のキュララによるゴッドチューブ生配信のメガバズり、怪奇野菜ガーリッ君の収穫による特製スタミナカレーの評判、そして豪農・泥沼夫妻の和解によって農地開発が一気に進んだことで、このポポロ村には今、かつてない規模の好景気の波が押し寄せていた。

 三大国の国境を行き交う商人や冒険者たちが次々と足を止め、ゴルド商会の窓口には連日、ルナPayによる多額の外貨決済が雪崩れ込んでいる。

 だが――。

 光が強くなれば、その足元に落ちる影もまた濃くなるのが、この乱世の理だった。

 同じ頃、ポポロ村の正門――木製の巨大な防壁の外側。

 砂埃を巻き上げる街道沿いに、場違い極まりない異様な三人組が佇んでいた。

「へぇ……ここが最近、ゴッドチューブで噂の『ポポロ村』かよ。思ってたよりずっとド田舎じゃねぇか」

 下品な笑い声を漏らしたのは、無駄にテカテカと光る安物の青い化繊スーツに身を包んだ男――鮫島剛(三十五歳)だった。

 手首にはこれ見よがしに金メッキの腕時計を光らせ、脂ぎった顔に薄ら笑いを浮かべている。

 前世では「誰でも月収金貨百枚稼げる」と謳う情報商材屋・自称ITコンサルタント。

 この世界に転生して手に入れたチートは、自身や物品のステータス画面の文字表記だけを自由に改竄できるユニークスキル『ステータス偽装(フェイク・メタデータ)』。

 文字の数字を変えるだけで実際の強度は一ミリも上がらないペラペラのハッタリ能力だが、情弱を騙して巻き上げるには十分すぎる悪徳の武器だった。

「ド田舎だからこそ、美味い汁が吸えるんじゃねぇか、鮫島クン」

 隣でワイングラスを片手に、整髪料で完璧に固めたツーブロックの髪を撫で付けたのは、円城寺明(三十二歳)だ。

 純白のスーツに毒々しいピンクのネクタイ。白くセラミックコーティングされた前歯をニヤリと見せつける。

 地球ではマルチ商法グループのカリスマリーダーとして無数の信者を借金漬けにしてきた男。

 自身の声を聞いた対象の批判的思考力を麻痺させ、根拠のない全能感を植え付ける精神干渉スキル『熱狂空間(セミナー・マインド)』の持ち主だった。

「聞いたかい? 前村長が村の積立金を持ち逃げして、臨時のウサギ耳の小娘が村長をやってるらしいよ。そこへキュララの配信バズりで、田舎者どもの手元に億単位のルナPay残高が転がり込んでいる。……知識もリテラシーもない農民や冒険者が大金を持ったらどうなる? 僕たちのような“本物の成功者”が、正しい投資先を提供して導いてあげなきゃ可哀想じゃないか。フフッ」

「ケケッ! 全くだぜ、円城寺さんよォ! 情弱狩りのパラダイスだな!」

 鮫島が下品に相槌を打つ。

 そして、その後ろで薄汚れた作業着のポケットに両手を突っ込み、だらしなく唾を吐き捨てたのは、三人組の最後の男――火原元(四十歳)だった。

 無精髭を生やしたドカタ上がりのくたびれた顔つき。

 手にした物品を複製できるユニークスキル『コピー』を持ちながら、本人の頭が悪く物質の分子配列を理解できないため、常にオリジナルより強度の落ちる「脆い粗悪品(劣化コピー)」しか出せない三流転生者である。

「おい、講釈はどうでもいいからよォ、早く金になるシノギを始めようぜ。俺は炭鉱の強制労働から逃げ出してきて腹が減ってんだよ。ポポロ村の武器屋に並んでる高級なミスリルソードを一本失敬して、俺が百本にコピーして、鮫島の『ステータス偽装』で【攻撃力+5000・SSR神話級】ってラベル貼って売り捌けば、一日で金貨数千枚はカタがつくんだろ?」

「焦るんじゃないよ、火原クン。物販なんてものは、僕の『アバロン・ドリーム・プロジェクト(ADP)』のセミナーに比べれば前座に過ぎない。まずは村の広場かファミレスを押さえて無料セミナーを開く。『参加費十万円で魔王ラスティア討伐ギルドに参加すれば、一億円の不労所得!』――そう吹き込んで村人全員から現金を巻き上げるのが本命さ」

 円城寺はワイングラスを回し、薄暗い野心を滾らせてポポロ村の大門を見上げた。

「三大国の緩衝地帯なんて、正規の警察も軍隊も入ってこれない無法地帯だ。金を巻き上げるだけ巻き上げて、足がつきそうになったら火原の持ってる『魔獣カプセル』を広場でぶっ放してパニックを起こし、ドサクサに紛れて逃亡すれば完全犯罪成立だよ」

「ヒャハハ! さすが円城寺さん、悪知恵が冴え渡ってるぜ!」

「ケッ、決まりだな。行くぞ、情弱どもから毟り取れるだけ毟り取ってやるぜ!」

 三匹のハイエナは互いに顔を見合わせてニヤつき、土足でポポロ村の境界線を踏み越えていった。

 午前十時の中央広場。

 朝の光を浴びながら、ポポロ村の住人たちは穏やかな日常を送っていた。

「あ〜〜〜い! アイ! ら〜ぶらぶ! マネー! まね! ろーん! だーりーん! ぐッ!」

 広場の隅に置かれた木製のみかん箱の上で、小豆色の芋ジャージを着たリーザが、トイレットペーパーの芯を巻き付けた壊れた拡声器を片手に、元気にステップを踏んでいた。

 足元にはゴム底のすり減った便所サンダル。

 みかん箱の前には、錆びた空き缶が一つ置かれている。

 そこへ、開墾作業を終えたばかりの竜人イグニスが、首にかけたタオルで汗を拭いながら歩み寄ってきた。

「おう、リーザ! 今日も景気良く歌ってんな! ほれ、俺様の午前のバイト代から、おひねりだぜ!」

 チャリン、と缶の中に放り込まれたのは、ピカピカに磨かれた銀貨一枚(千円相当)。

「きゃああああっ!? 銀貨!? 五円玉じゃなくて本物の銀貨ですのぉぉーーッ! 神様仏様イグニス様ぁぁーッ! これで今日のお昼はパンの耳を三本も追加できますわぁ!」

「ガハハ! 大親父と若頭に特盛りおでんを食わせてもらってから、身体の調子が絶好調なんだよ! 岩山五個くらい一瞬で粉砕してやったぜ!」

 イグニスが真紅の角を誇らしげに揺らし、太い尻尾をブンブンと振る。

 そこへ、巡回パトロール中の自警団長マンミアが、純白の馬身を規則正しく進めて通りかかった。

「こらイグニス、あまり調子に乗るなよ。午後からは西の第三防壁の土嚢積みがあるんだからな。……あ、リーザ、これ、村長から預かった人参クッキーだ。お腹が空いたら食べるといい」

「マンミア様ぁ! 自警団の皆様は本当に菩薩のようですのぉ!」

 純朴で、温かく、少し抜けた村人たちのやり取り。

 だが――その光景を、広場の街路樹の陰から値踏みするように見つめる三対の濁った瞳があった。

「……おいおい、見ろよ鮫島、火原」

 円城寺がピンクのネクタイを弄びながら、嘲笑を浮かべて囁いた。

「ジャージ姿でみかん箱の上で歌う底辺アイドルに、日雇い労働者丸出しの筋肉トカゲ、それに頭の固そうなケンタウロスの女戦士か。……プッ、予想以上の低脳揃いじゃないか。あんな連中、僕の『熱狂空間』で二言三言煽ってやれば、財布の中身どころか腎臓の権利書まで差し出してきそうだよ」

「全くだぜ。特にあのトカゲ野郎、身の丈に合わねぇ大斧背負ってやがるが、見るからに単純バカだ。……火原、手始めにあのトカゲに、お前のコピー武器を一本売りつけてみねぇか? 俺の『ステータス偽装』でピカピカに飾ってやりゃあ、全財産叩いて飛びついてくるぜ」

「ケケッ! 任せろ鮫島。さっき路地裏の武器屋の外壁から、展示用の大剣の型(配列)をかすめ取ってきたところだ。中身は鉄クズと泥を固めただけの脆いナマクラだが、見た目だけは業物そっくりに複製できるぜ」

 火原が作業着の袖の中で、薄黒い魔力の光をパチパチと蠢かせる。

 三匹のハイエナは、獲物を狙う下劣な笑みを浮かべながら、イグニスたちのいる広場へとゆっくり歩み出そうとした。

 ――その時だった。

 ふわり……。

 広場を吹き抜ける風に乗って、彼らの鼻腔をくすぐる「匂い」があった。

 それは、周囲の屋台が漂わせている油煙や安酒の悪臭とは根本から隔絶した、あまりにも澄み切った、そして力強い香気だった。

 鼻腔の奥を優しく撫でる、極上の昆布出汁の旨味と、燻煙された鰹節の芳醇な香り。

 そして――奥底から微かに漂ってくる、数十種類のスパイスが複雑に絡み合った、食欲を暴力的に叩き起こす黄金の刺激臭。

「……ん? なんだ、この匂いは……?」

 円城寺が思わず足を止めた。

 鮫島も、火原も、ぎょっとして風上――広場から一本入った路地裏へと視線を向ける。

 そこに揺れていたのは、小ぶりで清潔な藍色の暖簾だった。

『小料理・BAR 鬼龍』

「……チッ。あの店か。ネットの噂じゃ、あの店に『DEATH4』とかいう元処刑人が潜んでるって話だったが……」

 鮫島が金メッキの時計を弄びながら鼻で笑った。

「元処刑人だか何だか知らねぇが、所詮はしがない飯屋のオヤジに飼い慣らされた負け犬だろ? 俺たちのスキルの前じゃ、ただの時代遅れの筋肉バカに過ぎねぇよ」

「ああ。まずは広場のバカどもから小銭を巻き上げ、最後にあの店を乗っ取って、俺たちの『ADPポポロ支社』にしてやればいい。……行くぞ」

 円城寺が冷酷に口端を吊り上げ、踵を返した。

 一方――その数分前、小料理屋『鬼龍』の店先。

 格子戸の前に立ち、青空を見上げていた龍魔呂の動きが、不意にピタリと静止していた。

 百九十センチの筋骨隆々たる巨躯から、微かに漏れ出る冷涼な気配。

 龍魔呂は右手で弄んでいた真鍮製ライターを指先で弾き――カチッ、と冷たく鳴らした。

「……親父」

 低く、地を這うようなハスキーボイスが板場へ向けられる。

「ん? どうしたんなら、たつまろ」

 大鍋の前に立ち、真鍮のお玉を握っていた坂上真一が、濃紺の作業服の襟を正して振り返った。

 龍魔呂は赤箱の煙草『クリムゾン・レッド』の紫煙を細く吐き出しながら、忌々しそうに眉間を寄せる。

「……風が、生ゴミみてぇに臭ぇ」

「生ゴミ、じゃと?」

「ああ。……血の匂いじゃねぇ。汗水流して土を耕す人間の匂いでもねぇ。……他人の懐から金をかすめ取ることしか考えてねぇ、薄汚ねぇドブネズミ共の腐った油の臭いが、風上から流れてきてやがる」

 龍魔呂の漆黒の双眸が、わずかに細められた。

 地下奴隷闘技場で五年間、あらゆる悪党、ペテン師、人間のクズを間近で見てきた男の嗅覚は、獲物に群がるハイエナの接近を寸分の狂いもなく捉えていた。

 坂上真一は、咥えていたブルー・ホープを指先で挟むと、静かに目を閉じた。

 研ぎ澄まされた皮膚感覚が、ポポロ村の境界線から入り込んできた「歪な悪意の波長」を検知する。

 五十年の人生で、荒れ狂う暴走族の抗争をくぐり抜け、自衛隊の艦隊司令官として数多の防空レーダーと謀略の網を統括してきた男の直感。

「……『孫子』に曰く――『利を見て動く者は、必ず隙あり』じゃ」

 坂上は低く呟き、紫煙を天へ吹き消した。

 腕に巻かれたブロンズ製の機械式腕時計が、カチリと硬質な秒針の音を刻む。

 その厳つい顔には、恐れも焦りも欠片もなかった。

 ただ、荒海の上で敵性潜水艦のソナー音を捉えた時と同じ、氷のように冷徹で、大地のように重厚な覚悟だけが宿っている。

「村が潤い、民が笑顔になり始めた途端に、嗅ぎつけてきおったか。……地道に汗水流す尊さも知らん蛆虫共が、この村の大事な食卓を荒らしに来たようじゃのう」

「……叩き潰すか、親父」

 龍魔呂が手元の角砂糖をボリリッと奥歯で噛み砕き、赤黒い闘気を指先に宿らせようとした。

 だが、坂上は豪快に笑いながら、太い手で弟子の肩をポンと制した。

「待て待て、たつまろ。ハエを叩くのに、いきなり大砲を持ち出す奴はおらんわい。……『失敗の本質』にもあるがの、己の慢心で足元が見えんようになっとる組織ほど、崩れる時は一瞬なんじゃ。相手がペテンの詐欺師なら、まずはその腐った手口を全部白日の下に晒して、骨の髄まで叩き直してやるのが大人の教育っちゅうもんよ」

 坂上は自作の萩焼の皿を愛おしそうに布巾で撫でると、不敵な笑みを口元に浮かべた。

「キャルル村長やニャングルの旦那、リバロンさんにも声をかけておくかの。……ポポロ村の食卓と算盤を舐めた報い、たっぷり味あわせてやろうじゃないか」

 二人の男の視線が交錯し、静かな闘志が路地裏の空気を震わせる。

 三匹のハイエナの侵入によって、ポポロ村を舞台にした新たな戦い――「悪徳転生者トリオ完全粉砕篇」の幕が、静かに切って落とされた。

読んでいただきありがとうございます。

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