EP 15
新生『鬼龍』、師弟の抜錨!
東の地平から二つの太陽が顔を覗かせ、紫紺の薄闇を鮮やかな黄金色の朝焼けへと塗り替えていく。
未明の静寂に包まれたポポロ村の路地裏。
木造の格子戸が備えられた一軒の店――小料理・BAR『鬼龍』の軒先には、朝露を含んだ冷涼な風が吹き抜けていた。
カラリ、と引き戸が開く。
将官用作業服の袖を捲り上げ、無骨なブロンズ製の機械式腕時計を嵌めた坂上真一が、店先へと歩み出た。
手には、昨日の激闘で泥まみれになり、洗い清められた白樫の木刀。
五十歳の歴戦の艦隊総司令官は、澄み切った朝の空気を深く肺腑に吸い込むと、胸ポケットから青いパッケージの昭和煙草『ブルー・ホープ』を取り出した。
だが、真鍮ライターを取り出そうとした坂上の足が、ピタリと止まる。
店の前の石畳。
そこに、百九十センチの偉丈夫が、背筋を寸分の狂いもなく直立させ、静かに佇んでいた。
鬼神龍魔呂。
身に纏っているのは、昨日までの血生臭い黒と深紅のレザージャケットではない。
糊のきいた清潔な純白の調理服。胸元を正し、足元には手入れの行き届いた雪駄。
頬には昨日坂上が叩き込んだ「愛の鉄拳」の青あざが痛々しく残っていたが、その双眸からは、あの虚無の赤黒い濁りは完全に消え去っていた。
底知れぬ深みをたたえつつも、朝露のように澄み切った、若き武人・料理人の眼差し。
「……たつまろ。朝っぱらから、何の真似じゃ」
坂上が煙草を咥えたまま、苦笑交じりに声をかける。
その瞬間だった。
ザッ……!
龍魔呂は無言のまま、石畳の上へと両膝をついた。
拳を地面に揃え、深々と、額が石に触れるほどに頭を垂れる。
かつて地下奴隷闘技場で「死を呼ぶ四番(DEATH4)」と呼ばれ、王侯貴族にすら決して膝を折らなかった孤高の怪物が、ただ一人の男の前で、魂の底からの礼を捧げていた。
「……親父」
低く、ハスキーな声が、朝の静寂を震わせる。
「十五のあの日から、俺の時間は止まってた。……世界を呪って、誰も信じねぇで、ただ過去を消すためだけに拳を振るってきた。……そんな俺を、アンタは力ずくで止めてくれた。温かい飯を食わせて、抱きしめてくれた」
龍魔呂の肩が、微かに震える。
「俺に……包丁の握り方を、人の守り方を、もう一度教えてくれ。……アンタの背中を見て、歩ませてくれ。……弟子にしてくれ、親父」
絞り出された、不器用で、飾りのない誓い。
坂上真一は、静かにブルー・ホープを指に挟み、天を仰いだ。
脳裏をよぎるのは、遠い現世に残してきた妻・恵の凛とした笑顔、五歳の愛娘・千姫の愛くるしい声、そして自らの手で鍛え上げた長男・信長の頑固な面構え。
信長と同じ、二十五歳の若者。
地獄の底を一人で這いずり回り、傷だらけになって生き抜いてきたもう一人の「息子」が、いま目の前で頭を下げている。
「……頭を上げぇや、たつまろ」
坂上の声は、どこまでも温かく、そして岩山のように太かった。
「飯屋の主人が、客や仲間以外に地べたに頭を擦り付けるもんじゃない。……男が一度交わした約束を、わしが反故にすると思うたんか?」
「……え?」
龍魔呂が驚いて顔を上げた。
坂上は豪快に笑いながら、作業服の胸ポケットに手を入れた。
取り出したのは、個包装されたコーヒーキャンディ。それを指先でパチンと弾き、龍魔呂の胸元へと放ってやった。
「わしゃあ昨日言うたはずじゃぞ。『オドレの抱えとる地獄、半分背負うちゃる』とな。……弟子だの師匠だの、小難しい盃はいらん。オドレが迷うた時は、わしが木刀でケツを引っぱたいたる。腹が減ったら、美味いもんを一緒に食う。――親子っちゅうんは、それで十分じゃろうが」
「親父……」
龍魔呂の喉が詰まる。
受け取ったコーヒーキャンディの包み紙を握りしめると、龍魔呂は立ち上がり、自らの調理服のポケットから【角砂糖】を一粒取り出して、無言で坂上の掌へと押し付けた。
「……アンタの甘ったるい珈琲飴の代わりだ。……苦い煙草の後に噛め」
「ガハハ! 角砂糖とはオドレらしいのう! ありがたく貰うとくわい!」
坂上は角砂糖を口に放り込み、ガリリと奥歯で噛み砕いた。
口いっぱいに広がる純粋な甘み。
次いで、二つの真鍮ライターが、同時に朝の静けさを切り裂いた。
――カチッ……シュポッ。
澄んだ金属音が二重奏となって響き、ブルー・ホープとクリムゾン・レッドの先端に、紅蓮の火が灯る。
二条の紫煙が青空へと立ち昇り、風に溶け合っていった。
言葉はなくとも、二人の男の魂が、血よりも濃い「親子の契り」で結ばれた瞬間だった。
「――さあて! 感傷に浸るのはここまでじゃ。たつまろ、仕込みを始めるぞ! 今日から『鬼龍』は新装開店じゃけえの!」
「……ああ。腕が鳴る」
二人が厨房へと足を踏み入れた、まさにその直後だった。
ブゥゥゥゥン……ピピッ、ピピピピピッ!
ガラガラガラッ! ドタバタドタバタッ!!
「おはキュラ〜〜〜☆ って、龍魔呂っち! 真一パパぁぁーーッ!! 大変だよ大変!! 全銀河が大炎上……じゃなくて大バズりしてるよぉぉぉーーッッ!!」
朝の凛とした空気を木っ端微塵に粉砕しながら、ピンクのツインテールを激しく揺らしたキュララが、浮遊するドローンカメラを従えて店へと飛び込んできた!
手元の魔導スマート端末は、通知の連続でビカビカと狂ったように明滅している。
「なんじゃキュララのお嬢ちゃん、朝から元気な目玉焼きじゃのう」
「目玉焼きじゃないよパパ! これ見てよコレッ!」
キュララが突き出してきたホログラム画面には、動画配信網『ゴッドチューブ』の急上昇ランキング画面が浮かび上がっていた。
『【衝撃】伝説の処刑人DEATH4、謎の50歳イケオジにワンパンで躾けられる!?〜涙と感動の絶品海軍カレー〜』
・同時接続数:1,200万人突破
・コメント数:9,999,999+
・スーパーチャット総額:金貨50,000枚(約5億円相当)
「昨日のゴロツキ成敗からカレーの救出劇まで、ウチの自動定点カメラが全部世界中に垂れ流しちゃってたの! コメント欄が『この親父マジで何者!?』『背中の刺青が光った瞬間鳥肌立った』『そのカレーどこで食えるんだ教えろ!』って、三大国の全ネット回線がパンク寸前なんだよ〜〜ッ!!」
「……おい、配信者。消せと言ったはずだぞ」
龍魔呂がまな板の前から氷のような視線を向け、真鍮ライターを弄んだ。
だが、キュララの後ろから、チャリンチャリンと景気のいい音を響かせて現れた男がいた。
「アカンアカン! 消したらアカンで龍魔呂はん!」
羽織を引っ掛け、黒檀の算盤を猛烈な速度で弾きながら入ってきたのは、ゴルド商会支店長ニャングルだった。
その琥珀色の瞳は、完全に金のマークに輝いている。
「ゴッドチューブの広告収入に、三大国からの観光客誘致予測、さらに『鬼龍の海軍カレー』の商標出願……! 坂上はん、龍魔呂はん! このポポロ村に、向こう三年間で数十億円規模の外貨が雪崩れ込んでくる計算になりまっせ! 前村長の持ち逃げ赤字なんぞ、一瞬で消し炭や!」
「失礼いたします。法務手続きおよび懸賞金の回収、滞りなく完了いたしました」
背後から音もなく現れた人狼執事リバロンが、完璧な角度で一礼し、分厚い書類の束をカウンターへ置いた。
「昨日成敗なされた『ブラッド・ハウンド団』の賞金首二十名分、帝国および王国の治安維持局より、正規の賞金として金貨三百枚がポポロ村自警団の口座へ振り込まれました。坂上様、龍魔呂様、実に見事な手腕でございます」
「おはよう、みんな! ……って、もうこんなに集まってたのかい!」
カツン、と鉄板入り安全靴を響かせて入ってきたのは、村長キャルルだった。
長い兎耳をピンと立て、清々しい笑顔を浮かべている。
昨日のような張り詰めた過労の気配はなく、坂上の心音を聞いたことで、その心はすっかり癒やされているようだった。
「パパぁぁぁーーッ!! 朝カレーの匂いがしませんのぉぉーーッ!!」
ズザザザザザザァァァッッ!!
所要時間、安定の〇・二秒。
小豆色の芋ジャージを着たリーザが、便所サンダルを滑らせて坂上の足元へ完璧なスライディング土下座を決めた。
「昨日のあの神々しいカレーが忘れられなくて、夜も八時間しか眠れませんでしたの! どうか、哀れなわたくしめに朝カレーを恵んでくださいましぃぃ!」
「こらリーザ! 朝から人の足元に滑り込むんじゃないよ!」
キャルルの鋭い安全靴ツッコミの風圧が、リーザのボサボサ頭を吹き飛ばす。
「おはようございます、皆様。本日も素晴らしい陽光ですわね」
さらに、百合の香りを漂わせながらルナ・シンフォニアがおっとりと来店し、袖口からピカピカの「三日偽金貨」をカウンターへ置こうとして、即座にリバロンのテーブルクロスで両手首を優雅に拘束された。
「おはよう! 坂上殿、龍魔呂……!」
パッカパッカと蹄の音を響かせ、ケンタウロスの自警団長マンミアが、純白の馬身を揺らして現れた。
手入れされた栗色の髪を揺らし、その鳶色の瞳は、白の調理服を着た龍魔呂と、エプロンを締めた坂上の並び姿を見て、ボッと林檎のように赤く染まる。
「ふ、二人とも、怪我の具合はどうだ……? ……その、なんだ……二人が並んでいる姿を見ると、その……胸が、こう……温かくなるというか……」
「大親父ぃぃ! 若頭ぁぁーーッ!!」
ドタドタと駆け込んできたイグニスが、包帯を巻いた巨躯でカウンターへ突進し、尻尾をブンブンと振った。
「耐火テントから飛び出してきましたぜ! 俺様、今日から『鬼龍』の皿洗いでも薪割りでもなんでもやるっす!!」
「よぉ、龍魔呂。新装開店の景気づけに、俺も一杯付き合うぜ」
フェイトが苦笑しながらミスリルソードを立てかけ、銀貨を指先でピンと弾いた。
小料理屋『鬼龍』の店内に満ちる、圧倒的な熱気と、個性豊かすぎる住人たちの笑い声。
三大国の緩衝地帯という火薬庫の真ん中にあって、ここだけは、誰もが肩の力を抜き、腹の底から笑い合える「絶対の母港」だった。
「……やれやれ。朝からとんでもねぇ大嵐だな」
龍魔呂が呆れたようにため息をつきつつも、その口元には、かつて見せたことのない柔らかな笑みが浮かんでいた。
手にした和包丁が、まな板の上で美しく光を弾く。
「よし、全員座れ! 朝の定食を出してやる! ……ピラダイの出汁巻き卵と、月見大根の味噌汁だ! 残したら叩き出すぞ!」
「「「わぁぁぁぁぁぁーーーッッ!!!!」」」
歓声が上がり、カウンターが埋め尽くされていく。
その光景を見渡しながら、坂上真一は純白のエプロンをキュッと結び直し、濃紺の袖を捲り上げた。
「たつまろ! 出汁巻きの火加減、油断するんじゃないぞ! わしは寸胴の仕込みに入るけえな!」
「……わかってるよ、親父」
二人の男が並び立ち、厨房から立ち上る、極上の出汁とスパイスの香り。
坂上は店の入り口へと歩み寄り、新調された藍色の暖簾を、力強い両手で掲げた。
染め抜かれた屋号の文字――『小料理・BAR 鬼龍』。
二つの太陽が照らす異世界の青空へ向けて、元艦隊総司令官・坂上真一の、腹の底からの号令が轟き渡った。
「――全員、抜錨じゃいッッ!!!!」
最強の親父と、最凶の狂犬弟子。
ポポロ村の食卓と世界を揺るがす、熱き父子の航海が、いま堂々と幕を開けた――!
(第1章 完/第2章へ続く)
読んでいただきありがとうございます。
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