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『異世界食堂「鬼龍」の親父と狂犬〜元艦隊司令官は金曜カレーで処刑人の孤独を癒やし、最強の師弟で世界を導く〜』  作者: 月神世一


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EP 11

 立ち塞がる50歳の背中――仁王の覇気

 吹き荒れる熱風と、噎せ返るような血の匂い。

 北の農家の庭先は、わずか数十秒の間に、この世の地獄と化していた。

 砕かれた鉄剣、へし折られた骨、泥濘に沈む無数の悪党どもの肉片。

 その惨劇の中心に、赤黒い闘気を陽炎のように揺らめかせ、一切の人間性を削ぎ落とした「死を呼ぶ四番(DEATH4)」――鬼神龍魔呂が、虚無の双眸を見開いて立っている。

「……が……はっ……」

 片腕一本で地面へ叩きつけられたイグニスが、泥水の中で喉を鳴らし、真紅の血を吐き出した。

 骨が軋み、肺腑が潰れそうな激痛の中でも、竜人の瞳は恐怖と困惑に震えている。いつも小料理屋の厨房で美味い出汁を引き、不器用ながらも自分たちに温かい飯を食わせてくれた男が、目の前で完全な「化け物」へと変貌していた。

「龍魔呂……正気に戻れと……言っているんだ……っ!」

 マンミアは前足の激痛に耐え、泥を噛みながらパイルバンカー内蔵盾『アグニ』を構え直そうとしたが、魔導装甲はひび割れ、力が入らない。

 二十五歳という若さで自警団長を背負い、どれほど過酷な戦場もくぐり抜けてきた彼女だったが、龍魔呂の放つ絶対零度の殺気を前にして、全身の毛穴から冷や汗が吹き出していた。

 ――そこへ、割って入った濃紺の巨躯。

 将官用の作業服の袖を捲り上げ、無骨なブロンズ製の機械式腕時計を光らせながら、坂上真一は仁王立ちしていた。

 唇に咥えられた昭和煙草『ブルー・ホープ』から、ふわりと細い紫煙が立ち上る。

 その背中――濃紺の服の奥で、若気の至りで彫り込まれた「仁王の刺青」が、まるで意思を持ったかのように黄金色の神々しい光を帯びて微動だにしていた。

「真一さんッ!!」

 遠く麦畑の向こうから、転がるように駆け込んできた足音があった。

 鉄板入り安全靴を泥だらけにした村長キャルルだ。

 その背後からは、小豆色の芋ジャージを着て息を切らしたリーザが、必死の形相で便所サンダルを鳴らして追いついてくる。

「お父様ぁぁーッ! 行っちゃ駄目ですのぉぉーッ! 龍魔呂様が……龍魔呂様が完全に壊れてますわぁぁーッ!!」

「待ちなよリーザ! 近づいちゃ駄目だ……ッ!」

 キャルルが咄嗟にリーザの襟首を掴んで引き留めた。

 月兎族の鋭敏な聴覚が、戦場を満たす音波を余すところなく捉えていたのだ。

(……な、なに、これ……!?)

 キャルルの両耳が、恐怖にペタリと伏せられた。

 聞こえてくるのは、龍魔呂の心音。

 それは、もはや人間の心臓の鼓動ではなかった。

 ギチギチギチ……と、錆びついた巨大な鉄の歯車が軋み、超高周波の摩擦熱を放ちながら回転するような、絶望と狂気のノイズ。触れれば魂ごと切り刻まれそうな、死そのものの不協和音。

 だが――その狂気の刃を真正面から浴びている、坂上真一の心音は。

 ドォン……ドォン……ドォン……

 一切、揺らいでいなかった。

 荒れ狂う嵐の夜、何十メートルもの高波が叩きつけようとも、海底深く錨を下ろして微動だにしない超弩級戦艦の心臓。

 一拍の乱れもなく、恐れも、迷いも、敵意すらもない。

 ただ、底知れぬ「覚悟」と、燃え盛る業火のような「父の情」だけが、力強く鳴り響いている。

「……信じられない……。あんな怪物を目の前にして、心拍数が普段とまったく同じなんて……ッ!」

 キャルルが息を呑む中、龍魔呂の漆黒の瞳が、ゆっくりと坂上へと向けられた。

 シュウウゥゥ……。

 龍魔呂の唇に咥えられた赤箱の煙草『クリムゾン・レッド』の先端が、ドス黒い闘気を吸い込んで激しく燃え盛る。

 その視線には、朝に言葉を交わした「坂上」という男の認識は残っていなかった。

 ただ、己の前に立ちはだかり、行く手を阻む「障害」。

 弟・ユウを奪った理不尽な世界の怨敵。

 脳内で鳴り止まない子供の泣き声が、龍魔呂の肉体を「完全なる破壊」へと駆り立てていた。

「……邪魔だ」

 地獄の底から響くような、擦れた低音。

 龍魔呂の百九十センチの体躯が、わずかに沈み込んだ。

 全身の筋肉が圧縮され、足元の泥濘が凄まじい脚力によって瞬時に沸騰・蒸発する。

 だが、坂上真一は退かない。

 一歩も、半歩も、足の爪先すら後ろへ引かない。

 坂上は愛用のブルー・ホープを指先で挟んで口元から外すと、濃紺の作業服越しに、静かに紫煙を天へ吹き流した。

 そして、腰の帯から一本の【白樫の木刀】を滑り出させ、左手で鞘を払うように下段へと構える。

「そこまでじゃ、若いの」

 低く、腹の底にずしりと響く広島弁。

 怒声ではない。威嚇でもない。

 だが、その声には、荒れ果てた暴走族総長から更生し、数千の将兵の命を預かって国防の最前線を守り抜いてきた男だけが放つ、絶対の「重み」が宿っていた。

「子供の前でそれ以上血ぃ流すんは、仁義に反するけえの」

 坂上は顎をしゃくり、庭の片隅を指し示した。

 そこには、泥まみれになりながら、昏倒した祖父の背中にしがみついてガタガタと震える幼い少女――ミィがいた。

 少女は恐怖のあまり涙も枯れ果て、ただただ目の前の惨劇に怯えきっている。

「見ぃや、たつまろ。オドレが守りたかったんは、その子じゃろうが。悪党どもを叩き潰した心意気は立派じゃ。……じゃがな、その子の目の前で、仲間までミンチにしてどうするんなら」

「…………」

「オドレが背負うてきた地獄がどれほど深かったか、わしには分からん。十五の時に何があったかも知らん。……じゃがの! 泣いとる子供の前で正気を失うて、仲間を傷つけてまで暴れる奴を、男とは呼ばんのじゃ!!」

 坂上の怒号が、雷鳴のように響き渡った。

 それは、『論語』が説く仁義であり、人の上に立つ者が決して踏み外してはならない道徳の楔(くさび)だった。

 だが――DEATH4と化した龍魔呂の魂の底には、その正論すら、己を縛る呪鎖の響きにしか聞こえなかった。

「……ウ……アァァ……ッ!!」

 龍魔呂の喉から、獣の咆哮が迸った。

 バチバチバチッ!と、大気中の酸素が燃え尽きるような異音が炸裂する。

 龍魔呂の全身を包む赤黒い闘気が、渦を巻いて一気に右腕へと凝縮されていく。

 鬼神流奥義――『絶花』。

 触れた空間ごと分子結合を粉砕し、更地へと変える原初の暴力。

「死ねェッッ!!!!」

 ドォォォォォォォンッッッッ!!!!

 大地が爆砕した。

 龍魔呂の踏み込み一歩で、農家の庭の土砂が数十メートル四方にわたって津波のように跳ね上がる。

 常人の動体視力では「消えた」としか認識できない超音速の踏み込み。

 一瞬にして坂上の懐――ゼロ距離へと肉薄した龍魔呂の右ストレートが、空間をねじ曲げながら坂上の顔面目掛けて一直線に放たれた!

「真一さん逃げてぇぇぇーーッッ!!」

 キャルルが悲鳴を上げた。

 その拳の軌道上にある空気すら赤黒く発火している。当たれば、人間の頭部など一瞬で塵芥(ちりあくた)と化す。

 しかし――。

「……甘い喃(のう)」

 坂上真一の瞳が、カッと鋭い光を放った。

 恐れなど欠片もない。

 坂上の脳裏に展開されていたのは、近代海戦の教訓書が説く「レーダー網による迎撃シミュレーション」、そして宮本武蔵の『五輪書』が説く「空」の境地だった。

 敵の重心、筋肉の収縮、闘気のベクトル、風の抵抗――そのすべてが、坂上の五十年の経験と戦術眼によって、スローモーションの映画のように克明に読み切られていた。

 その刹那、坂上の胸郭の奥で、カチリと何かが噛み合った。

《ユニークスキル【金曜日の総司令官】――権能②発動》

《固有陣形展開:『仁王の艦隊陣形(イージス・フォーメーション)』》

 ドォォォォォォンッッ!!

 坂上の背中の「仁王の刺青」が、黄金色の極光を吹き上げた。

 背後に倒れるマンミア、イグニス、そしてキャルルやリーザ、幼いミィに至るまで、坂上の視界に映る「守るべき者たち」の足元に、目に見えぬ防空結界の光輪が張り巡らされる。

 スッ……。

 坂上は、ほんのわずかに右足を半歩引き、上体を紙一重で傾けた。

 北辰一刀流の極意――体捌きによる「見切り」。

 ゴォッッ!!

 龍魔呂の必殺の右ストレートが、坂上の頬の皮膚をわずか一ミリ掠めて空を切った。

 拳から放たれた衝撃波だけで、坂上の背後にあった頑丈な納屋の土壁が、円形に吹き飛んで粉々になる!

 だが――坂上の巨躯は、微動だにしていない。

「な……っ!?」

 空振りの感触に、虚無だった龍魔呂の瞳が一瞬、わずかに揺らいだ。

 地下闘技場で百人の武装兵を屠り、誰一人として躱すことすら叶わなかった己の必殺の一撃が、何の力みもない中年男の「ただの身構え」によって完璧にいなされたのだ。

「オドレの拳は重い。……大したもんじゃ。わしが今まで見てきたどんな猛者よりも、よっぽど凄まじい業(ごう)を背負うとる」

 至近距離、紫煙を燻らせたまま、坂上は低く語りかけた。

 その顔には、畏怖も侮蔑もない。

 ただ、荒波を越えてきた本物の男だけが持つ、深く、どこまでも温かい哀愁があった。

「じゃがな、たつまろ。……憎しみと絶望だけで振り回す拳なんぞ、うちの息子の信長のシゴキに比べりゃ、痛くも痒くもねえわいッ!!」

 ガッッッ!!

 坂上の左手が電光石火で伸び、空振りして伸び切った龍魔呂の右腕の手首を、万力のような力でガッチリと掴み取った!

「……っ、離せ……ッ!!」

 龍魔呂が左拳を引き絞り、至近距離から坂上の脇腹へ叩き込もうとする。

 だが、坂上はすでに動いていた。

 右手に握られた白樫の木刀が、音もなく天へと掲げられる。

 刃はない。

 ただの樫の木の棒切れだ。

 しかし、その切っ先には、宮本武蔵が説いた『五輪書』の神髄――敵の殺意そのものを呑み込んで無に帰す、絶対の「空(くう)」の太刀筋が宿っていた。

「来い、たつまろ! オドレのその腐れ狂気、この坂上真一が、叩き直してやるけえのォッッ!!!!」

 黄金の仁王の覇気と、赤黒い絶花の闘気が、ポポロ村の空の下で激突する。

 最強の親父と、孤独な狂犬。

 魂を懸けた本当の勝負が、いま幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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