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『異世界食堂「鬼龍」の親父と狂犬〜元艦隊司令官は金曜カレーで処刑人の孤独を癒やし、最強の師弟で世界を導く〜』  作者: 月神世一


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EP 10

 死を呼ぶ四番(DEATH4)の覚醒

 ――カチッ……シュポッ。

 静寂を裂いた真鍮ライターの金属音と、赤箱の煙草『クリムゾン・レッド』の先端に灯った小さな紅蓮の火。

 紫煙がふわりと立ち上り、百九十センチの巨躯を包み込む。

 だが、その煙の向こうに見える男の輪郭は、もはや小料理屋の厨房で繊細な出汁を引いていた料理人のそれではない。

 漆黒の双眸から、感情の一切が剥ぎ落とされていた。

 底なしの虚無。光を吸い込んで反射すらしない、深淵の闇。

 全身の毛穴から噴き出しているのは、常人なら視認しただけで精神を破壊されかねない、粘度の高いドス黒い赤の闘気だった。

「ひ、ひぃぃ……ッ! な、何なんだよてめぇはぁぁッ!?」

 禿頭の頭目が、自らの股間から生温かい液体を漏らしながら、恐怖を振り払うように絶叫した。

 目の前に立つ男から漂うのは、人間が放つ殺気ではない。

 何万もの命を屠り、血の海を泳ぎ渡り、魂の最深部まで地獄の泥水で塗り潰された――【天災】そのものの気配だった。

「や、やっちまえ! 全員でぶっ殺せェェッ!!」

 頭目の金切声のような号令に、周囲を取り囲んでいた二十人近いゴロツキどもが、恐怖のあまり半狂乱となって一斉に飛びかかった!

 粗悪な鉄剣、返り血の染み付いた棍棒、装填された鋼鉄のボウガン。

 あらゆる凶器が、龍魔呂の頭部、胸部、喉元へと殺到する。

 だが――。

 トン……。

 龍魔呂が、わずかに爪先を滑らせた。

 ただそれだけだった。

 ドッガァァァァァンッッッッ!!!!

「ぎゃあああああッ!?」

 最初に正面から鉄剣を振り下ろした男の胸部が、視覚が捉えきれぬ速度で放たれた掌底によって、完全にくの字にへし折れた。

 衝撃波が背中の肉を突き破り、男の巨躯は後方の麦畑へと弾丸のように吹き飛ぶ。

 落ちてきた男の鉄剣が地面に突き刺さるよりも早く、龍魔呂の体躯は残像すら残さずに横へとスライドしていた。

 ヒュッ、バキィッ! グシャッ!!

 左右から挟撃しようとした二人の手首を、龍魔呂の素手が無造作に掴み取った。

 握力だけで鋼鉄の手甲ごと骨を粉々に磨り潰し、そのまま二人の頭部同士を力任せに衝突させる。

 スイカが弾け飛ぶような鈍い破壊音が響き、二つの肉体が糸の切れた人形のように泥水へ沈んだ。

「ば、化け物……ッ!? 矢を射て! 矢を撃ち込めぇぇぇッ!!」

 後方の射手三人が狂乱してボウガンの引き金を引く。

 至近距離から放たれた三本の太矢。

 だが、龍魔呂は避けることすらしなかった。

 全身を覆う赤黒い闘気――地下奴隷闘技場で百人の武装兵を血祭りに上げて培われた絶対防御の気功が、飛来した矢を触れた瞬間に粉塵へと分解する。

 ――ヒタ……。

 歩法に、一切の足音がない。

 気づいた時には、射手たちの目の前に、百九十センチの死神が立っていた。

「あ……が……ッ」

 右手の二本の指が、先頭の射手の喉笛を電光石火で刺し貫く。

 引き抜く反動の遠心力で、裏拳が隣の男の顎骨を粉砕。

 さらに回し蹴りの風圧だけで、最後の射手が農家の土壁を三枚ぶち抜いて昏倒した。

「う、嘘だろ……おい……」

 ミスリルソードを杖代わりにしていたフェイトが、脂汗を流しながらその光景を呆然と見つめていた。

 かつてA級冒険者として名を馳せ、数々の強敵と渡り合ってきたフェイトの動体視力をもってしても、龍魔呂の動きの「起こり」が一切捉えられない。

 無駄がない。

 怒りも、憎しみも、歓喜すらない。

 ただ、最も効率的に、最も確実に人間の急所を破壊し尽くすためだけに研ぎ澄まされた、完全無欠の「殺人機械」。

 わずか十秒足らず。

 二十人以上いた『ブラッド・ハウンド団』のゴロツキどもは、全員が骨を砕かれ、血反吐を撒き散らして泥濘の中に転がっていた。

 最後に残ったのは、失禁して尻餅をついたまま、ガタガタと歯の根を鳴らす禿頭の頭目だけだった。

「た、助け……助けてくれ……! 金なら……金なら全部やる……! 命だけは……ッ!」

 龍魔呂が、ゆっくりと歩み寄る。

 唇に咥えられたクリムゾン・レッドから、静かに紫煙が立ち上る。

 その視線は、頭目の命乞いなど一ミリたりとも聞いていない。

 ただ――頭目の背後、泥まみれになって泣きじゃくる幼い少女の姿だけが、男の網膜に焼き付いていた。

『あにき……いたいよ……くるしいよ……』

 脳裏に木霊する、十五歳のあの日、冷たいゴミ捨て場で息絶えていた弟・ユウの最期の声。

 胸を掻きむしるような無力感と、救えなかった己への呪詛。

 それが、龍魔呂の肉体を動かす唯一の燃料だった。

「……消えろ」

 ドスの利いた、地獄の底から響くような低音。

 龍魔呂の右拳に、周囲の大気を巻き込みながら、極大の赤黒い闘気の螺旋が凝縮されていく。

 鬼神流の必殺――『絶花』。

 放たれれば、頭目はおろか、その背後の大地ごとクレーターへと変貌する一撃。

「死ね」

 振り抜かれる拳――!

「や、やめろ龍魔呂ぉぉーーッッ!!」

 ズッガァァァァァンッッ!!

 横合いから必死の形相で割り込んできたのは、前足を痛めながらも跳躍した自警団長マンミアだった!

 純白の馬身を強引に滑り込ませ、パイルバンカー内蔵盾『アグニ』を龍魔呂と頭目の間に叩き込む!

「そいつはもう戦意を喪失している! それ以上やれば、ただの虐殺だ! ポポロ村の法に基づいて裁かねばならない!」

 ガガギギギギギッッ……!!

 龍魔呂の右拳が、『アグニ』の重装甲シールドに直撃した。

 凄まじい火花と衝撃波が爆発し、魔導防壁がきしみ声を上げる。

 マンミアの四肢の蹄が、地面を深々と抉りながら後方へとズズズッと押し込まれていく。

「くっ……ぐああああっ……!? な、なんという重さだ……! 盾の装甲が……めり込んでいく……!?」

 マンミアの鳶色の瞳が、恐怖に見開かれた。

 正面から見据えた龍魔呂の顔。

 そこに宿っていたのは――仲間であるはずの自分を認識している光ではなかった。

「……龍魔呂……? 私だ、マンミアだ! 正気に戻れ!」

「…………」

 応えはない。

 龍魔呂の視界は、今や完全な血の赤に染まりきっていた。

 目の前に立ち塞がる者。

 それは、弟を奪おうとする地下闘技場の怪物か、それともユウを見殺しにした世界の理不尽か。

 敵と味方の境界線はとうに消滅し、ただ「己の前に立つ障害をすべて粉砕する」という破壊衝動だけが、暴走した肉体を支配していた。

 ギチ、ギチリ……と、龍魔呂の左拳が引き絞られる。

 赤黒い闘気が逆巻く。

 至近距離から、マンミアの無防備な胸板を撃ち抜く軌道――!

「しまっ……!?」

「龍魔呂さん、やめてくれぇぇぇーーッ!!」

 ドォォォォォンッッ!!

 突如、麦畑を突き破って突入してきた巨大な影があった。

 真紅の角を生やした竜人――イグニス・ドラグーンだ!

 作業着を泥だらけにしたイグニスは、背中の小さな翼を羽ばたかせ、捨て身のタックルで龍魔呂の左腕へと組み付いた!

「正気に戻ってくださいっす! 俺様たちっすよ! いつも美味い飯を食わせてくれる、龍魔呂さんじゃないすかぁぁッ!!」

 全身の鱗をきしませ、巨躯で龍魔呂の剛腕を押さえ込もうとするイグニス。

 しかし――。

「……邪魔だ」

 龍魔呂の口から漏れたのは、低く冷たい吐息だけだった。

 右肩をわずかに引いたかと思うと、組み付いていたイグニスの巨体を、まるで小石でも払うかのように片腕一本で軽々と持ち上げた。

「な……っ!? 竜人族の俺様の体重を……片手で……!?」

 ドガァァァァンッッ!!

 そのまま地面へと叩きつけられるイグニス。

 衝撃で土煙が舞い上がり、イグニスは激痛に喉を詰まらせて吐血した。

「がはっ……! だ、駄目だ……! 話が……通じねぇ……ッ!」

「イグニス! くそっ、フェイト、加勢しろ!」

「無茶言うなマンミアさん! あんなの人間じゃねぇ、災害だぞ!」

 フェイトが叫びながらも、ミスリルソードを構えて間合いを詰める。

 だが、龍魔呂の闘気はさらに膨れ上がっていた。

 全身から立ち上る赤黒い陽炎が、まるで巨大な四つ首の鬼神の影となって背後に揺らめいている。

 死を呼ぶ四番――【DEATH4】。

 地下牢で弟を失い、すべてを諦めた十五歳の少年が、己の人間性を完全に殺して生み出した「破壊の化身」。

「…………」

 龍魔呂が、ゆっくりと右拳を振り上げた。

 狙いは、倒れ伏すイグニス、そして盾を構えて動けないマンミア。

 拳の先端に集約されたエネルギーは、もはや村の防壁ごとすべてを消し炭にする規模に達していた。

「逃げろ、フェイト……ッ! 子供たちを連れて……早く!」

 マンミアが血を流しながら、死を覚悟して盾の裏で歯を食いしばる。

 振り下ろされる、絶対の絶望――。

 ――その時だった。

「――オドレ、ええ加減にしとかんかいッッ!!!!」

 大地を揺るがすような、凄まじい怒号が轟き渡った。

 空気を裂いて飛来した一条の濃紺の影。

 五十歳の筋骨隆々たる巨躯が、天から降魔の雷のように戦場の中央へと降り立った。

 ザッッッ!!

 巻き上がる土煙の中、マンミアとイグニスの前に立ちはだかったのは――。

 将官用作業服の腕を捲り上げ、唇に青い煙草『ブルー・ホープ』を咥えた男。

 坂上真一だった。

 その背中――濃紺の服を突き破らんばかりに、若気の至りで彫り込まれた「仁王の刺青」が、黄金色の神々しい光を放って脈動している。

「さ、坂上……殿……!?」

「大……親父……ッ!?」

 マンミアとイグニスが息を呑む。

 坂上は背後の二人を一瞥もせず、ただ静かに、腰の帯から一本の【白樫の木刀】を滑り出させた。

 青い煙草の紫煙をふわりと天へ吹き消し、鋭利な眼光で眼前の狂犬――龍魔呂を真正面から射抜く。

「たつまろ。……よう暴れたのう。虫ケラどもを成敗した心意気は買うてやる。……じゃがな」

 坂上の声は、低く、重く、そしてどこまでも温かかった。

 北辰一刀流の正眼の構え。

 刃のない木刀の切っ先が、寸分のブレもなく龍魔呂の眉心へと向けられる。

「仲間や子供の前でそれ以上血ぃ流すんは、男の仁義に反するけえの。――オドレのその狂気、このわしが力ずくで叩き落としちゃるわいッ!!」

 絶対の破壊神と、不沈の総司令官。

 二つの魂が、いま真正面から激突しようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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