5 少年との会話
マグナーの瞼が動く。
仰向きの彼女はしばらく、虚ろな瞳で木板を眺めていた。
何度か瞬きをしたあと、自分の体に掛かっている掛け布団に気付いて、脇へどける。
「なんだ、ここは……」
上体を起こしながら、辺りを見渡して言った。
――どうやら部屋の中らしい。
薄暗いが、レースのカーテンが近くにあって、そこから柔らかく明るい光が差しこんできている。
家具らしいものと机とがあり、これはどこをどう見ても……
「人間の家か?」
マグナーはそう呟き、ベッドから足を垂らす。そのときやっと、服装も変わっていることに気付いた。
麻布のズボンとシャツで、見た目がより人間の女の子らしくなっている。
「どうも心許ない服だな……」
身に着けているのかどうか分からない薄さで少々心配になるマグナーだったが、それよりも現状がどうなっているのかを把握すべきだと判断し、窓際へ移動した。
カーテンをあけ、ガラス戸もあける。そうして心地良いそよ風を受けながら、二階の窓から見えている景色――町並みを見分した。
見える範囲だけでも家がいくつか並んでおり、どこからともなく人々の声が聞こえてくる。それから、微かに潮の香りもしていた。窓からは船の姿を視認できないものの、ひょっとすると港町かもしれない。
「モーリスが言っていたことも、あながち間違いでは無かったか……」
そう呟いたマグナーが、ガラス戸を閉め、今度は目に付いた机の方へと寄っていった。
机の上は散らかった様子も無く、きちんと整理整頓されている。ただ、端の方に真鍮製の懐中時計が置いてあって、なんだか目に付いたから手に持った。
年季が入った古い時計だと思ったけれど、実際は傷が多いだけで、新しめのように見える。
何気なしにあけてみると、やはり想像通り綺麗で新しめの懐中時計だった。そして、上蓋の裏側に文字が彫ってある。
『十歳の誕生日に』
例の少年の誕生日に、親が彫ったのだろうかと考えていると、不意に床の軋む音が複数、部屋の方に近付いてきていることに気付く。
懐中時計を閉じて元の場所へ戻し、ベッドの際へ移動して腰を下ろした。
足音が止まってすぐに扉が開かれる。
これもまた予想通り、魔物に襲われていた少年と、その後ろにモーリスがいた。彼女もマグナーと似たような服を着ている。
「マグナー様!」
そう呼びかけたモーリスが、お盆を持っている少年を押し退けるようにして部屋へと入り、マグナーの前で片膝をついた。
「ご無事で何よりです……!」
「人間の体とは言え、どうも我は頑丈な方らしい。――ところで、ここはあの子供の部屋か?」
「はい。昨日から泊めてもらったのです」
と言って、モーリスが体の向きを変え、少年を見やった。
「彼の名はノウムスと言うそうで、この家に母君と二人で暮らしているそうです」
恐々とした様子でモーリスやマグナーを見ていた少年が、
「ど、どうも……」
と言って、頭を少しだけ下げていた。
「お前」とマグナー。「それはなんだ?」
「えっ?」
ノウムスが、お盆の上に載っている料理を見やったあと、マグナーを見やり、
「食事です、あなたの……」と答える。
「何が入っている?」
「えっ? 何って…… 普通の食材……」
「ご安心ください、マグナー様」
モーリスが言った。
「私奴がしっかりと毒見してありますので」
「――またやったのか」
「え……? な、なぜです?」
「いや、気にするな。とにかく腹が減ったから喰わせろ」
「分かりました」
返事したモーリスが立ち、ノウムスが持つ盆から肉などが乗った皿を取りあげると、それを恭しくマグニーに捧げる。
「何してるんです……?」
ノウムスが不可思議そうにモーリスを見て言うから、マグナーが、
「お前たちは礼儀を知らんようだな」
と言いつつ、皿の中にある肉をつまんで口へ放りこんだ。
「素手……?!」と焦るノウムス。「フォーク、そこにあるでしょ……?」
「なんだ? それは」
「えっ…… フォーク知らないですか?」
「それより、これはなんだ? 随分と美味いな」
モーリスが微笑みながら、
「同意です。あと、野菜と言うのも食べた方が、人間の体には良いそうですよ」
「野菜…… ああ、これか」
木製のフォークを幼児握りしたマグナーが、適当に野菜を突きさして、それを口へ運んだ。
「まぁ…… 見た目通りに草の味だな」
牛みたく、モシャモシャと口を動かしつつマグナーが言った。
「あの~」とノウムス。「これを上に掛けて食べるんですけど……」
盆を少しもたげて、二人の注目を集める。盆の上には取り残された木製スプーンの他に、液体が入った容器があった。
「モーリス」とマグナー。「お前、毒見をしたのでは無かったのか?」
「申し訳ありません」と頭を下げる。「てっきり飲み物なのかと思いまして、私奴はそのまま飲みました」
「えぇ……」
ノウムスが引き顔で二人を見やっているあいだに、まだ残っているからと、マグナーがドレッシングを持ってくるようにモーリスへ言った。するとノウムスが、
「あの、僕が掛けますね」と苦笑う。
「うむ、そうしてくれ」
と返しつつ、マグナーが偉そうに皿をつき出すから、納得しかねるような顔のノウムスが、ドレッシングをすくって野菜に掛けた。
「なんだ? かなりの量が入っているのに、たったそれだけしか掛けないのか?」
「酢と塩で味を調整しただけのものだから…… あんまり掛けるとしょっぱいだけになるって言うか」
「うむ…… 変わった味になったな…… 腐ってはいないんだろうな?」
「何言ってるんですか、腐ってませんよ。当然でしょ?」
「酸味が強いがな……」
「酢なんだから、酸っぱいのは当然でしょ……?」
「うぅむ…… そう言うモノなのか……?」
「…………」
食べ終えたマグナーが、フッとノウムスの視線に気付き、
「なんだ?」と尋ねた。
「い、いえ! なんでも無いです……!」
「その素振りで何も無いことは無いだろう? 気になることでもあるのか? 申してみよ」
しばらく沈黙が流れた。
ノウムスはモジモジしながら言いにくそうに、
「ほ、本当に貴族の女の子なんだなって、思って……」
「――は?」
「い、いや、その……! 別に悪気があって言ったわけじゃないんです……! ただ、あんなに凄い魔法を使える女の子がいるなんて、今まで知らなかったって言うか……!」
「恐らく」とモーリス。「マグナー様に畏怖を抱いているのでしょう」
「ああ、そう言うことか。――まぁ、人間が魔王である我に恐怖し、尊敬するのは当然ではあるか」
「マオウ……?」
と、首を傾げるノウムス。不意に笑みをこぼした。
「な、なんだ……?」
「魔王ってさ、女の子だったっけ?」
「はぁ?! 何を言っ――」
「お、お待ちください……!!」
急にモーリスが割り込んで、素早くマグナーの耳元まで近付く。
「な、なんだ?」
(お聞きください…… 一応、こちらで適当に誤魔化してあります。ここはもう人里です。どうか遠方の国から来たことに……!)
マグナーが怪訝な顔をしながら、モーリスからノウムスの方へと視線を移す。
彼も似たような表情を浮かべていた。
「まぁ、その…… なんだ」とマグナー。「マーウォー…… 我々の国で『異国の者』と言う意味だ」
「あ、あぁ…… そうなんだ…… 発音が似てるからビックリした」
「一応、諸外国の言葉には精通しているつもりだが、間違ったり勘違いすることもある。大目に見よ」
「――ちなみにさ、自国民のことはなんて言うの?」
「自国民……?」
「言葉通りだよ。自分の国の人のことをなんて言うの?」
「なぜ、そんなことを気にする?」
「いや、なんか気になったと言うか…… 外国の言葉ってどんなのがあるのかなって」
「――エルフ」
「え?」
「我が国は、自国民をエルフと呼ぶ」
「へぇ~……」
二人が向かいあって話しているあいだ、モーリスは二人のやり取りを、冷や汗を掻く思いで見ていた。と言うのも、マーウォーは適当だから良いとして、エルフと言うのは大昔の言葉で『魔族』と同義だったからだ。
「分かったか?」とマグナー。
「分かったけど……」
「けど……? なんだ?」
「えっと……」と、言葉を詰まらせ、「御免なさい、なんでも無いです……」と俯いて言った。
「――変わった子供だな」
「ひょっとして……」
「ん?」
「僕よりも年上なんですか……?」
マグナーが一瞬、キョトンとした。それから次第に口角をあげ、
「当たり前だろう? 我はお前なんかよりもずっと年上だぞ?」
「えぇ……?! そ、そんなに離れてるんですか……?!」
「ち、違うんですよ!」と、苦笑いつつモーリスが引き取った。「実際はそれほど離れてはいません、良くて二歳くらいかなぁ~。見た目はずっと年下の小さい子に見えますがねぇ~、アハハハ!」
ノウムスだけでなく、マグナーも首を傾げていた。
すると、バタンと言う物音と振動が部屋に入ってくる。
「母君が帰ってこられたのでは?」とモーリス。
「あ、うん…… そうだと思います」
「目が覚めたことを報告し、改めて礼を言いたいです。こちらに呼んでもらえませんか?」
「うん、分かりました……」
そう言ってノウムスが立ちあがる。そうしてマグナーを見やり、
「少し待っててください」
と言って、部屋から出ていった。
その瞬間、モーリスがマグナーの方へ近寄り、
「マグナー様……!」と、焦り顔で言った。「困りますよ、口裏を合わせて頂かないと……!」
「そう言われてもな…… どのような説明をしているのか知らぬしな」
「マグナー様は、我々の故郷の貴族と言うことにしてあります。そして、行方不明の仲間…… 要するに魔王軍の残党ですが、その仲間を探して遠路遥々、この国に辿りついたと言ってあります。それから、旅の途中で偶然あの少年を助けた、と言う流れで事情を説明してありますので……!」
「中々にややこしいな」
「私奴も、人間が納得する事情を考えるのは初めてなのです……! ややこしくとも、どうか合わせてください……!」
「分かった分かった。――しかし、ノウムスとか言ったか? あの少年、中々に奇妙な奴だな。我を見ては視線を逸らせ、逸らせたと思ったらまた見てくる……」
「…………」
「なんだ?」
「実は、そのことでご相談が…… またあとでご説明いたします……」
マグナーが首を傾げていると、足音が聞こえてきて扉が開く。
ノウムスと、その母親らしい中年の女性が現れた。




