4 少年との邂逅(かいこう)
「モーリスッ! どういうことだッ?!」
彼女の背中を追いかける格好で走っているマグナーが、呼び掛けた。
モーリスが一瞬だけ横顔を見せ、すぐ前を向いて、
「奴等、我々を人間だと思っているのですッ!」
「なんだと……?!」
「魔獣程度の知能では魔族と認識されぬほど、我々は人間に近くなってしまったのだと思われます……!!」
モーリスがここまで言うと、魔獣の遠吠えが聞こえてくる。
「とにかく、できるだけ遠くへ逃げましょう! あいつの顔に火炎魔法を浴びせたので、しばらくは鼻や耳を使った探索はできないはず!」
「クソ! クソ! 勇者めッ! この魔王マグナーが魔獣ごときに謀反を起こされ、逃亡せねばならぬとは……!!」
二人は息も絶え絶えな状態で、それでも必死に逃げて、また現れた幅広で浅瀬の川を横断したあとに辿りついた先は、背の高い草むらが生い茂る湿地帯であった。
ぬかるんだ地面と言うこともあって、駆け足は湿地帯の中ほどで減速した。
マグナーが身を潜めながら休憩しようと提案するから、モーリスは賛同して片膝をついた。
「ハァ、ハァ、フゥ……」
「マグナー様、大丈夫ですか?」
「お前が…… あんなに、走るのが速いとは…… 思わなかったぞ……」
「恐らくですが、足の長さが違うせいで、マグナー様がいつも以上に走ることになったのかと思われます」
マグナーが自身の太腿を見たあと、モーリスの太腿を見やった。
「つまり、我の方が短くて小さい人間と言いたいのか?」
「も、勿論……!」と慌てるモーリス。「これには理由があります……!」
「――聞かせてもらおうか、理由とやらを」
「マグナー様はどうも、人間で言うところの子供なのだと思われます」
「子供……? 我が子供だと?」
頷くモーリス。
不意にまた、魔獣の遠吠えがしてきた。今度の遠吠えは大分遠くから聞こえくる。
「――あの感じだと、見失ったか?」
「恐らくは……」
マグナーが、深く長い溜息を吐く。遅れて、モーリスが短く溜息を吐いた。
「こんなことになるとはな」とマグナー。「どうする? モーリス」
「私奴の推測になるのですが…… 宜しいでしょうか?」
「申してみよ」
「確実ではありませんが、ひょっとすると人里が近いのかもしれません」
「何ぃ……?」と、マグナーが片眉をひそめた。「これだけ歩いているのに、人里どころか森さえも抜けられんのだぞ? しかも魔獣まで闊歩している…… どう考えても人間なぞおらんだろう?」
「こう考えてください、マグナー様。勇者によって魔王軍および、この周辺の魔物はあらかた倒されたのです。しかし、全ての魔物を倒したわけでは無い…… そうすると、魔獣のような知能の低い魔物はどうします?」
「先程のように、主君である我を襲って謀反を起こすと?」
「それだけでは無く、きっと食料を求めて人里の所へ近付くはずです。無論、奴等と言えども多少の知恵はありますから、安易に襲撃したりはしません。
しかし、森に迷いこんだ人間が現れる可能性はありますから、人里の近辺でうろつくはずです。つまり、機会を窺うくらいの知能があるからこそ、人里の近くでうろついているのではと……」
マグナーが視線を落とし、両腕を組んで唸った。
「そうは言っても、本当に人里など存在するのだろうか……」
「とにかく、この周辺にずっといるのは危険です。今は少しでも移動し、ここから離れましょう」
確かにその通りだからマグナーは了解し、立ちあがってから歩き始めた。
次第に太陽が傾き、夕暮れに近い時間帯となる。
二人は小さな渓谷を下りきった先にある、流れが穏やかな川の縁にいた。そして万が一、野宿することになるなら魔物対策が必要だろうと言う話をしていた。
「ひとまず」とモーリス。「この川で沐浴をしましょう。ついでに服も洗えば、少しは気配を抑えられるかもしれません」
魔物は鼻がきく。獣人系なら尚更だ。
そのことを普通の人間よりも熟知しているマグナーは、モーリスの提案に賛成をし、着ている服をジャブジャブと洗いながら、自分の体も同じように洗った。
ずぶ濡れの服を絞って、火の魔法で燃やした焚き火で少しでも早く乾かす。
そうこうしているうちに空が暮れて、周囲が随分と薄暗く、群青色の景観となっていた。
「今日はどうする?」
ローブの服を着たマグナーが、空模様を見ながら言った。
「ここで野宿しても良さそうですが……」
そう言いながら、モーリスがローブを頭から被るようにして着た。
「今のところ、魔物の気配は無いとは言え、夜になるとどこから来るか分かりません。生命探知の魔法も長時間、発動していられませんし……」
独り言つモーリスが、顎を人差し指と親指でつまみつつ、横目となって思案した。
時間にすると十数秒だが、熟考した様子で徐に、川下の方を向く。
「今日はもう少し、こちらへ向かってみませんか?」
「なぜだ?」
「今まで、いくつか川がありました。その川は一体、どこへ流れていくのか…… 答えは当然、海です。ひとまず海辺に出ることができれば、視界も開けておりますし、ひょっとすると人間が利用している街道なども見つかるかもしれません」
マグナーが両腕を組み、唸って考えたあと、
「確かに……」と答えた。同時に何かに気付いた顔でモーリスを見やり、
「最初に見つけたあの川を下っていけば良かったと言うことか……?」
モーリスは一拍子遅れで、
「ちょ、直接、人里を目指していたもので…… 当初の目的はそちらでしたでしょう?」
と、口角を必要以上にあげた笑みを浮かべつつ答える。引きつっているようにも見えた。
マグナーは溜息をつき、
「まぁ良い。川沿いに歩くなら夜間でも問題なかろう…… さっさと行くぞ」
と言って、川下の方へと歩き始めた。
歩き始めると、あっと言う間に時間が過ぎ、空には煌々と照る月が昇っていた。
二人は交代制で見張りを立てつつ野宿をし、定期的に水浴びもした。
そのお陰か分からないが、二日が経過しても魔物と遭遇することは無く、代わりに川幅が広くなって、ゴロゴロした岩石と背の低い樹木だらけの風景から、様々な木々、苔などがたくさんある風景へと変わっていた。
樹木も低木が増え、見通しがかなり良くなっている。
そうして三日目の朝、ついに開けた場所に出た。とは言っても、ちょっとした大きさの湖があるだけで、以前として森の中と言える。
湖の縁に立ったマグナーが、「モーリス」と背後にいるであろう彼女へ呼び掛けた。
「は、はい……」
「これが海か?」
「まぁ、その…… 場合によっては海と見なしても良いかもしれません……」
「ふざけているのか?」
「い、いえ! 滅相もありません! マグナー様を不快にするつもりは本当に、一切ございませんでしたッ!」
あたふたするモーリスとは違って、マグナーが「ハァ~……!」と大きな溜息をつき、その場にしゃがみ込んだ。
「いつになったら着くのだ…… さすがに疲れたぞ……」
「し、しかしマグナー様。数日前より明らかに標高が下がっています。このまま行けば、間違いなく海に出ますよ……!」
「それはそうだろうが…… ハァ…… 人間を根絶やしにした記憶は無いんだがな……」
「全ての支配が目的でしたから、我が魔王軍は虐殺の類はしておりません。ただ、人間は我々と違って繁殖に時間が掛かるようでして…… 数自体は少ないと思われます」
「つくづく難儀な生物だ……」
いきなり魔獣の鳴き声が聞こえてきた。
マグナーは驚きながら立ちあがり、モーリス共々、周囲の様子を窺う。
「マ、マグナー様……! どうやらかなり近そうです……!」
「向こうにいるようだが…… 少し動きがおかしい」
生命探知の魔法で視認していたマグナーが、湖の向こう側を見て言った。
「とにかく、二匹はいそうだ」
「二匹……」
「しかも、こちらに向かって走ってきている」
「迎え撃ちますか?」
「いや…… 隠れて様子を見よう。じきに、この辺りに現れるはずだ」
マグナーは冷静にそう言い、二人は近くにあった木々と草陰のあいだに潜んだ。
間も無く騒がしい音と共に、見慣れぬ人影と、あとに続いて追ってくる魔獣が見えた。
「お、おい……!」とマグナー。「人間だぞ、モーリス……!!」
「やはり、人里には近かったようですね……!」
人影は少年らしく、なんとか湖を回りこんで逃げようとしている。しかし、魔獣が飛びあがって行く手を阻むように着地した。
「――モーリス」
「なんでしょうか?」
「あの子供に人里を案内させるぞ。助けた恩人なら尚更、人里の連中も無下にはせんだろう」
「名案です、さすがはマグナー様……!」
マグナーが草むらから出て、
「おいッ!!」
と、魔獣に呼び掛ける。
少し遠くにいる少年も魔獣も、マグナーに気付いて注目していた。
「そいつは我の物だッ! 死にたくなければ即刻、失せるが良いッ! 今なら見逃してやろうッ!」
目標を変えた魔獣が助走を付け、マグナーの方へ飛び掛かる。
「下郎が……!」
そう言うなり、マグナーの周囲にバチバチと白い稲光が生じる。
「失せろッ!!」
口を大きくあけて飛び掛かってくる魔獣に両腕を向けた刹那、眩い閃光と共に電撃が放たれた。
宙にいる魔獣は成す術なく、強大な電流を浴びて、黒く長い体毛が所々焼けて、ついには燃えあがった。
一方のマグナーも、やはり魔法を制御しきれなかった様子で、放出の反動から後方に吹っ飛んでいる。
魔獣は火達磨のまま地に落ち、マグナーは木の幹に背中や後頭部を打ちつけて、そのまま気を失ってしまった。




