3 森は続くよ、どこまでも
『――様……』
誰かが呼び掛けてくる。
『マグナー様……!』
遠くから響いてくる声が、徐々にハッキリ聞こえてくるにつれ、マグナーの瞼が動いた。
薄暗い夕闇の中にいる見知らぬ女性…… いや、見知った女の顔がボンヤリ現れる。
「モーリス、か……?」
「モーリスです、マグナー様!」
しばらく虚ろな瞳で、眼前のモーリスを見つめたあと、
「一体、どうなっている……?」と尋ねる。
「分かりません…… ただ、私奴が気付いたときには、マグナー様が倒れておられて…… いや、しかし、ご無事で何よりです」
「倒れていた……? なぜ――」
と言った瞬間、マグナーの脳裏に、気を失う前の情景が蘇った。
「お、おいモーリス!」と立ちあがる。刹那、頭に痛みが走った。
思わず唸ったマグナーが、痛む頭をさする。
「いかがなされました、マグナー様……?!」
「な、なんでも無い……! それより、魚はどうした?」
「魚……?」
「我が魔法で川魚を打ちあげたのだ……! しかし、この体のせいか魔法が上手く使えず、狙った場所から外れて命中してしまったのだ」
「そ、そうでしたか……?」
「お前は知らんだろうな。妙な物を喰ったせいで、そのまま眠っていたのだから!」
「えぇ? そ、そうですか……?」
「フン! まぁ良い。今はそんなことより、魚だ! その辺りに転がっていただろう?」
「は、はい…… 確かに……」
「どこにある?」
「…………」
マグナーが首を傾げた。
しばらく互いに見つめたあったあと、マグナーの眉間に皺が寄る。そうして周囲を見渡すと、一画に焚き火があった。魚の骨が散らばっているのも見える。
「モーリス…… あれは何だ?」
「いえ、その…… わ、私奴は気を失っておりましたので、なぜ魚がその辺りに散乱していたのか分からず、放っておくと腐ってしまうと思い、その……!」
マグナーがわなわなと両肩を震わせ、
「今すぐ! ここに魚を持ってこいッ!!」
と、怒号を放つ。
背筋を伸ばしたモーリスが、あたふたと立ちあがって、川の方へと急いで向かう。
立ちあがったマグナーが、息を荒げつつ彼女の背中を見送り、夕闇に沈んで暗くなりつつある空を憎らしそうに見あげた。
それから一時間後。
すっかり闇夜に沈んだ川のほとりに、ポツンと炎の明かりが揺らめいている。
モーリスはマグナーと違って魔法が安定して使えているものの、魔物だった頃と違って魔力が減りに減っており、ほぼ人並しか無かった。
そのせいか、川を爆破して魚を吹っ飛ばすような威力は無く、電気の魔法をなんとか増幅させ、やっとの思いで魚を捕まえることに成功する。捕まえた魚は、当然のようにマグナーへ献上され、直火で焼かれて魔王の腹に入っていった。
全ての魚を平らげたマグナーが、一息ついてお腹をさする。
モーリスはそれをジッと見つめていた。
「――なんだ?」
「い、いえ、何も……」と言いつつ、モーリスが目を伏せた。
マグナーが鼻を鳴らし、
「ところで」
と話題を変える。
「我だけでなく、お前も魔法が上手く使えないとはな」
「本当に驚きました…… どうやら我々は姿形だけで無く、中身も人間と言ってよい状態になってしまったのでは……」
「脆弱な上に愚かなところが、まさにそうだな」
マグナーが頭のコブをさすりつつ、苦々しい表情を浮かべて言った。
「これも全て、勇者とか言う奴が悪いのだ」
「ええ、全く以て本当に……」
「――人里にはいつ頃、着く?」
「申し訳ありません、マグナー様。正直に言うと全く見当も付きません…… 私奴が人里へ向かうときと言うのは、基本的に諜報目的であったり侵略目的であったりするので、配下を使って目的地へ向かっていたもので……」
「なら、さっさと寝て明日に備えよう。明朝には出発する」
「わ、分かりました……」
「なんだ? 不服と言うのか?」
「いえ…… 今はなんだか眠くなくて……」
「――なら、眠くなるまで魚を取って焼いておけ」
「えっ?」
「今日、一つ分かったことがある。人間は脆弱ゆえに体が強くない。つまり、疲れやすいわけだ」
ここまで言って、マグナーは欠伸をした。
「――疲れたら嫌でも動かなくなるから、そうなるまで体を動かしておけ」
「はぁ、分かりました……」
モーリスが気の抜けたような返事をすると、マグナーはそのまま目を閉じ、スヤスヤと眠ってしまった。
少女の寝姿を見やったまま、両手の甲側の手首を腰に当たモーリスが、
「お腹が一杯になったから眠くなっただけでは……?」
と、静かに抗議をしていた。
夜が明ける。
眠っているモーリスを叩き起こしたマグナーが、前日にモーリスが調理し、大きな葉っぱに包んで保存してあった魚を食べてから、歩き始めた。
こういう状況の場合、川下を目指すのが基本だが、マグナー達はそんなことを全く知らないため、普通に森の中を歩いていく。
幸い、木の実や小川がいくつもあったこと、モーリスが太陽や月、星の位置を把握することで方角だけは知ることができたことで、飢えながら、進んでいるのか後退しているのか分からない、と言う事態は避けることができていた。
しかし、人里が本当に存在するのかどうかは依然、分からないままだ。
魔物時代はあれだけ容易に人里へ迎えたのに…… と言う愚痴を零しつつ、止まるわけにはいかないので歩き続ける。
来る日も来る日も歩いて、すでに一週間は経とうとしていた。ここまで来ると、さすがにマグナーもモーリスも口数が少なくなり、必要なこと以外は喋らなくなっている。人里があるかどうかよりも、あると信じて前に進むしかなくなっていた。
こんな状態で更に三日が経つ。丁度、鳥の巣から調達した卵と幅広の川で調達した魚を焼いて食べたあと、束の間の休憩を取っていた。
そろそろ出発するかしないか、二人で話をしていると、不意に森の奥から物音がしてくる。
「なんだ……?」
小石だらけの上で胡坐を掻いているマグナーが、森の方を見やる。
鳥が何羽も飛びたって、逃げているようにも見えた。
「動物なら捕えて食料にできますね」
そう言ってモーリスが立ちあがる。
ガサゴソと雑草を掻きわける音がするから、
「どうもこちらに走ってきているらしい」と、マグナーが言った。「油断するなよ、モーリス」
「ご安心ください、先程からすでに魔力をためております」
そう言うモーリスの右手の平には、小さな火球が浮かんでいた。
二人が、薄暗い森の奥を見つめていると、突然、木々の樹冠が大きく揺れうごく。
枝などがバキバキと音を立てるや否や、黒毛に覆われた獣らしき生物が宙に飛びあがっていた。
獣人の魔族――魔獣だ。
滞空していた魔獣が二人の前に着地し、上体をもたげ、唸りながら二人を見下ろしている。
マグナーは当然ながら、モーリスよりも大きな魔獣の身長は、ゆうに二メートルを超えていた。
「やっと現れたか」
マグナーが口角をあげつつ言った。
「生き残りは貴様だけか?」
「オマエ…… 喰ウ……」
「――は?」
獣人が右手の鋭い爪を振りあげた刹那、モーリスが魔獣の顔に火球をぶつけていた。
「マグナー様ッ!」
驚いた顔でモーリスを見ていたマグナーに向けて、言った。
「早く逃げましょうッ! やはり何かがおかしくなっていますッ!」
動揺しながらも、マグナーはモーリスの背中を追うように走り、顔が燃えて苦しむ魔獣から離れていった。




