2 人里はいずこ
空が茜色から紺色になっていき、やがて十三夜の月があらわとなる。
薄雲が流れ、東雲がハッキリしてくると、昨日の夕暮れ時によく似た朝空模様となり、次第に明るく澄んだ水色の空へと変わっていった。
すでに廃城の正門付近まで来ていたマグナーが、眼下に広がる川と荒野と森林を見やって、
「行くぞ、モーリス」
と言った。
マントの代わりにモーリスが夜なべして作った、ローブみたいなボロ着の裾をなびかせ、マグナーが歩き始める。似た格好のモーリスもあとに続く。
整備された坂道ではなく表面もデコボコだから、二人共、歩きづらそうにしていた。靴ではなく木片と布で作った自作の雪駄擬きを履いているから、これも歩きづらい原因の一つだった。
右に左に、よちよちと歩くマグナーとモーリスが目指す場所は、当初の予定通り『人里』である。
しかし、この近辺は獣王が支配していた地域でもあるため、人が暮らしているような集落は皆無と言ってよい。あっても特殊な集落だろうし、間違いなく廃城から結構な距離、離れているに違いない……
さっさと到着したい気持ちとは裏腹に、マグナーは冷静にそう感じて、時折、溜息をついていた。
やっと平地に辿りついたと思ったら、今度は城からも見えていた川のほとりが現れ、次に荒れた野原に入った。しばし歩き続け、やっとの思いで森の中へと入る。
この時点で昼前のような空模様となっており、太陽が燦々と輝いているわけだが、森の中は広葉樹と針葉樹が混ざっているためか、木漏れ日も少なく薄暗かった。しかも、背の高い雑草ばかりだから、掻きわけるように進むしかない。
「森の中に人がいる可能性は……?」
マグナーが後ろを見やると、従者のように付いて歩いていたモーリスが、
「恐らくですが、いない可能性が高いかと…… ここら一帯は、我が四天王の領土と言って良いので……」
「そうか……」
昔ならほくそ笑むところだが、今は残念な気持ちになってしまう…… そもそも昔なら、飛行系の魔物を使ってすぐさま現地に到着していた。
結局、初日は森を抜けることなく、少し開けた渓流で野宿をすることになった。
モーリスもマグナーも、疲れた顔で溜息を吐いている。それを皮肉るように、美しい夕空と清流のせせらぎが長閑に流れている。
「まさか」とモーリス。「ここまで魔物がいないとは思ってもみませんでした……」
「ああ、そうだな……」
マグナーが呆けた顔で答える。そして、お腹をさすりながら、
「どうも調子がおかしい…… お前はどうだ?」
「実は私奴もです。恐らく、空腹状態ではないかと」
「クソ…… 人間がここまで脆弱とは……」
「どうします?」
「どうもこうも無い」と言って、マグナーが両手を膝に付いて立ちあがる。「喰い物を探す」
魔物たちの食料も人間たちと変わらないが、ほとんどの場合は肉食で、しかも人間と違って毎日食事をする必要が無い。魔族だったマグナーが脆弱と言うのも致し方なかった。
「――モーリス」
「ハッ、なんでしょう?」
「人間は脆弱なはずなのに、どうして勇者はあれほど強かったのだ? 何か秘密があるのか?」
「それは私奴も気になってはいました。しかし、どうにも不可解と言いますか、理解できないと言いますか…… いくら調べても、その強さがどこから来ているのか全く掴めなかったのです」
「彼奴は人間では無いのかもしれん」
「しかし、魔物でもありません」
「どうにかして、あの強さの正体を知らねば…… 再戦しても、また返り討ちにあってしまう」
「その前に、魔物の姿に戻らねばなりません。この姿のままでは、どう足掻いても必敗です」
「確かに……」
突然、マグナーの腹の虫が鳴いた。
彼女は下腹部を見やってから視線を元に戻し、
「とにかく、今は喰い物を探そう……」
こうして、二人は食料を探し始めた。
しかし、その探索はすぐに終わりを告げる。
モーリスが近くの木の根元で、黒と黄色の斑模様をしたキノコが生えているのを見つけたからだ。
「人里を襲ったとき」とモーリス。「この手の食料を、軒下に吊るしていたのを見掛けたことがあります」
「なるほど、さすがモーリスだ。――して、どうやって喰うのだ?」
「ひとまず私奴が毒見を致します。人里には、魔物除けなるものがありますので、万が一、これがそれに該当していると問題がありますから」
モーリスはそう言って、キノコを一口齧った。
「――いけそうか?」
モグモグと口を動かしたモーリスが、喉を動かし、飲みこむ。
しばし沈黙が流れた。
マグナーは眉根をひそめ、
「モーリス?」
と言うと、彼女はフラフラと後ろへよろめきつつ、尻もちを突いた。
「モ、モーリス……?!」
と呼びつつ、マグナーが駆けよると、膝を突いてすぐ、後ろへ倒れていくモーリスの上体をだき抱えた。
「お、おい! どうしたのだ?! モーリス!」
マグナーが焦ってモーリスの体を揺らす。しかし彼女は、すぅすぅと心地よさそうに寝息を立てていた。
「――モーリス?」
「おいしいですねぇ…… マグナーしゃま……」
「…………」
マグナーが、抱えていたモーリスの上体をぞんざいに放りだし、立ちあがった。
「肝心なときに役に立たん奴め……!」
冷たい視線でモーリスの寝顔を見下ろして言い放ったマグナーが、ムッとした顔のまま足元に転がっているキノコを拾いあげ、空中へ放りなげた。
宙を舞うキノコが発火して、燃えたままその辺りに落ちる。マグナーが魔法で火を付けたのだ。
「よくよく考えれば」
と言うなり、マグナーが川の方を見やる。
「川に、魚の一匹や二匹くらい存在するだろう…… どうも空腹だと頭が回らぬようだ……」
忌々しく思いながらも、食料が川を泳いでいると確信を持ったマグナーの表情は、どこか嬉しさが滲んでいた。
「どれ…… この魔王の血となり肉となる獲物はどこかな?」
魔王の瞳が赤く光る。
これも魔法の一種で、範囲は限定されるが、生命探知や透視などができた。
「ほう…… 思った以上におるではないか……!」
そう言ったマグナーが、右手の平を返す。手の平の上に火球が生成された。しかし……
「なんだ、これは……?」
――どうも、おかしい。
普通なら火球が安定した状態で生成されるはずなのに、どこかグラグラと動いて……
「ど、どういうことだ……?!」
今度は魔力の強さに体が付いていかないのか、右腕がプルプルと震え始めた。
このままでは不味いと思ったマグナーは、右手の平の上にある火球を急いで川の方へ投げつけた。
火球は全く予想だにしていない、明後日の方向へと飛んで、一応は川に着水した。しかし、狙った所から左に十数メートルほど外れていた。
そして、大きな爆発と共に水柱が起こって、水の飛沫と一緒に岩やら石やらの破片が飛んでくる。
「し、しまった……!!」
マグナーが右に左に、飛んでくる小石をよける。幸い、大きな岩は飛んでこなかった。
「クソ! まさかこんな状態にまでなっているとは……!」
恨み節のように吐き捨てたとき、石がモーリスの方へ飛んでいないか心配になった。だから、モーリスの寝ている方に顔を向けた。
――憎たらしいほど熟睡している。
そう思った瞬間、頭に激痛が走った。
マグナーの足元に、手ごろな大きさの石が転がっている。
間抜けで可愛らしい、犬みたいな悲鳴をあげたマグナーは、フラフラと千鳥足で均衡を保ったものの、片足を滑らせたように、左の体側面から地面へ倒れこんだ。




