1 目覚めた魔王様
『――サマ』
声が響く。
『マグナー様』
女性の声だ。
『マグナー様……!』
やっと目をさます。
薄暗い中にいる見知らぬ女性の顔が、ボンヤリだが現れた。
「マグナー様!」女性が心配そうに呼び掛けている。「お気を確かに……!」
「誰だ……?」
「モーリスです、マグナー様!」
しばらく虚ろな瞳で、眼前の女の顔を見つめたあと、
「モーリス……?」
と怪訝な顔で言った。
「分からないのも無理ありません。なぜ無事だったかは不明ですが、どうやら我々は、人間の姿となっているようです……!」
「何……?」
マグナーが視線を自分の右腕へ向けた。そうして手の平を交互に返し見て、五本の指を何度か握ったり、開いたりした。
見覚えのある自身の手や腕では無く、明らかに人の子供の手や腕をしている。そもそも、声音からしておかしかった。
辺りを見渡すとボロボロの城壁が見え、穴のあいた天井から覗かせている空は、薄暗い茜色をしている。
「なんだ、これは……? ど、どういう状況だ……?!」
やっと意識が明瞭になったマグナーが、上体を起こしながら改めてモーリスを見やる。
彼――いや、彼女は片膝を突いた格好でこちらを見ていた。その服装はマグナーの記憶通り、魔王の右腕として名高い元帥モーリスの物であった。しかし、服を着ているのは見知ったモーリスでは無く、長髪で高身長の美麗な成人女性である。
マグナーが混乱するのも無理は無かった。
「マグナー様、こちらを…… 我々は人間となっております……」
彼女が差しだしてきたのは、ガラスの破片であった。
「これは……?」
「ご自身のお姿を確認してみてください。百聞は一見に如かずです」
少し間があいてから、マグナーがゆっくりガラス破片を受け取り、手の平にあるそれを覗きこむように眺めた。
――モーリスの姿よりもっと幼い、少女のあどけない顔がうっすらと映っている。髪も肩口に掛からないくらいで、埃を被っているせいか、少しボサボサだった。
「こ、これが…… これが我の姿だと言うのか……?!」
あまりのことに動揺と驚きを隠せないマグナーが、しばらく動揺しつつ呆然とした。しかし、徐々に体が震えだし、持っていたガラス片を向こう側へと投げつけた。
「モーリス……! どういうことだ?! 何が起こったッ!」
「――覚えておりませんか?」
「何をだ……?!」
マグナーがついに立ちあがる。
その瞬間、ボロボロの、羽織るだけの服とマントが、緩々のダボダボ過ぎて一気に下へと垂れさがる。全て下に落ちなかったのは、肩先が辛うじて、服とマントを受け止めていたからだ。
しばらく、二人は見つめあった。
モーリスは依然、片膝を突いていたが、身長差があり過ぎてほとんど視線が合っている。だから、母親と小さな娘が向きあっているようにしか見えない。
「我々は……」徐にモーリスが言った。「勇者との戦いに負けたのです……」
「負けた? 勇者に……?」
モーリスが頷く。
マグナーは横目となり、記憶を辿っていく。
――確か、急に勇者が現れた。
それから……
マグナーは徐々に、勇者とのやり取りを思いだしていく。
――そう、あれは突然の出来事だった。
劣勢に立たされた魔王マグナーと元帥モーリスは、最後の四天王となった『獣王』が居を構える城に、魔物の軍勢を集め、勇者が潜伏していると言う町へ奇襲攻撃を仕掛けようとしていた。ところが、逆に襲撃されたのだ。
一騎当千と言うには余りも強すぎる勇者に、魔王軍は成す術も無く崩壊させられ、モーリスも獣王も倒されて、ついに魔王と勇者が一騎打ちとなる。
朧気な記憶の中にある不鮮明な映像だけど、端正な顔立ちをした、見るからに勇者らしい風貌の青年が剣を魔王マグナーに向け、
「覚悟しろ、次は逃がさない」
と、言っていたのを思い出す。
このときの魔王マグナーは、二メートルはある身長と大柄の体躯で、マントを横になぎ払ってなびかせ、
「いいだろう……! ここでキッチリと葬ってやるッ!!」
と言った途端、手の平に魔力を込め、それを勇者に向かって解き放った。
強烈な爆風で周囲の物が散逸し、大きな窓ガラスが砕け、爆心地の上部にある天井は吹っ飛んで、他の一部は壁と共に崩落していった。
巻きあがった土煙がマグナーを包みこむ。
彼は次の魔法を打つ準備をしながら、まだ爆心地の方を見ていた。
不意に爆心地から一陣の風が起こって、煙が一気に晴れる。同時に勇者が、マグナーのすぐ近くまで一足飛びで近付いていた。
「な、にぃ……!?」
驚きつつも、マグナーは引きさがりながら魔法弾を何発も放つ。
勇者は目にも止まらぬ動きで全て避け、剣を一閃。
マグナーの横を通りすぎると、勢いを殺すように滑って停止した。
魔王が片膝を突く。
「人間ごときに…… こ、この我が……!」
「相手が悪かったな」と振り返る勇者。「お前たち魔物にとって、もっとも重い罰を受けてもらう。特にお前にとっては屈辱だろうな」
魔王の体の節々にまばゆい罅が入っていく。
「お、おのれェ……! 人間めェ……!!」
彼がそう言った途端、体から一気に光が放出され、断末魔と共にその光に包まれていった。
……――そう、負けたのだ。
あの人間…… 勇者と呼ばれる男に。
魔王マグナーは自然と歯ぎしりをしていた。
「ま、マグナー様……?」
「モーリスッ!!」
「は、はい!」
「今すぐ残党を集めろッ! あの勇者を見つけだし、必ず血祭りにあげてやるのだッ!」
「…………」
「どうした! なぜ動かんッ?!」
モーリスは浮かない顔のまま、言いにくそうに「じ、実は」と口を開いた。
「マグナー様が眠っておられるあいだ、私奴はこの城内とその周辺を少し調査したのです……」
「調査……? 何をだ?」
「生き残りがいるかどうか、です」
「――どうだった?」
「誰一人いない状況を鑑みるに、全滅しております。我が魔王軍は……」
――そうか、考えてみればそうだ。
だからこそ追いつめられ、勇者に倒されたのだ……
しばらく沈黙が流れる。
「と、とにかく」モーリスが言った。「ここにいても仕方ありません。私奴の考えで恐縮ですが…… 一度、人里を目指して移動してみませんか?」
「人里?」
「無念ですが、我が軍は全滅しました…… もはや、ここにいても意味がありません。しかし我々は今、人の姿になっております。これを利用しない手はありません。
勇者も人である以上、人が暮らす里の近くにいるはずです。そして何より、世情がどうなっているかを把握する必要があります」
「言いたいことは分かるが、世情を知ると言うのはいったい、どういう意味だ? それほど時間が経っていると言うのか?」
「まだなんとも言えません。しかし、城内を見てまわった結果、そこそこの時間が経過しているように思えます。加えて、マグナー様がおられない状況で、他の魔物たちがどう行動しているのかを知る必要もあるかと……」
「むぅ……」と両腕を組む。
「本来であれば私奴が向かうだけで良いですが、万が一、一人残したマグナー様の身に何かあっては取り返しがつきません…… 煩わしいのは承知しておりますが、ここはどうか、行動を共にしてください……」
「――分かった。勇者の所在を早く知るには、人里で情報収集するのが一番早いのは事実だろう。他の連中のことも気になるし、早く見つけ、復讐を果たさねばな……」
「では、変装のために人間っぽい服を拵えます。お互い、この服装のままでは身動きが取りにくいでしょうから」
マグナーがモーリスの視線を追って、自身の胸元から下を見やる。
その瞬間、肩と首が丸くなったせいか、辛うじて引っ掛かっていたボロ着とマントが、下にストンと落ちた。




