足りない二十枚
外で作った地板が、榊屋の鉄砲に入る。
少し前まで、それだけで大騒ぎしていた。お蓮の工房から地板が届くたび、新八が検査台へ載せ、俺が覗き込み、親父が実際に組んだ鉄砲を確かめる。問題なく動けば喜び、少しでも具合が悪ければ、何が違うのかを皆で調べた。
それが今では、随分と静かなものになっている。
「虎松、これ、お蓮んとこの?」
組立をしていた弥吉が、手に持った地板を見せてきた。
「せやで」
「ふうん」
弥吉はそのまま台木へ地板を当て、穴の位置を確かめ始めた。
「……それだけ?」
「何が?」
「いや、外で作ったやつやぞ」
「入るんやろ?」
「入る」
「ほなええやん」
「親父と同じこと言うな!」
弥吉は何がおかしいのか分からないという顔で、作業へ戻っていった。
実際、こいつの言う通りだった。外で作ったからといって、特別な扱いをする必要はない。決めた検査を通った物なら、榊屋で作った地板と同じように使う。それが出来るようにするため、俺たちは随分と時間をかけてきたのだ。
二軒目の工房へ頼んだ金具も、荒加工を終えた物が予定通りに戻ってくるようになった。榊屋で最後の仕上げをすれば、問題なく使える。検査を通ったバネも棚に並び、組立中に具合の悪い物が出ても、以前ほど仕事が止まらなくなっていた。
月五十挺。
その数はまだ変わらないが、作り方は確実に変わっていた。
「なあ、虎松」
善次郎が作業台の向こうから顔を出した。
「来月、六十いける?」
「五十」
「まだ何も聞いてへんやん」
「聞いたやろ」
「聞いたけど」
「五十」
「宗次郎と同じこと言うようになったなあ」
「お前が毎月同じこと聞くからや」
善次郎が笑いながら帰っていくのを見送り、俺も仕事へ戻った。外へ仕事を出すようになってから、職人たちの手が止まることは確かに減っていた。俺が思い描いていた榊屋の姿に、少しずつ近づいている。
順調だった。
少なくとも、その朝まではそう思っていた。
◇
「……あれ?」
宗次郎がそう呟いたのは、昼前のことだった。
俺は新八と荒加工品の仕上げについて話していた。次に外へ出す分をどこまで増やせるか、榊屋で仕上げる仕事が詰まらないかを確認しているところだった。
宗次郎は材料棚の前に立ち、帳面と棚を交互に見ていた。
「どないした?」
「いえ……」
宗次郎は答えかけて、もう一度棚へ目を戻した。
「地板用の材料を、数えているんですが」
「うん」
「少し、合わなくて」
珍しい。
宗次郎が数を間違えることは、ほとんどなかった。職人が材料を別の場所へ動かしてしまい、帳面の数と合わなくなることはあったが、宗次郎自身が記録を間違えたという話は、俺の覚えている限りほとんどない。
「誰か使ったんちゃう?」
「使った分は書いてあります」
「ほな、別の棚?」
「確認します」
宗次郎は帳面を閉じ、材料を置いてある場所を一つずつ見て回った。俺も少し手伝ったが、見つかった材料の数は変わらない。切り残した端材まで確かめても、必要な寸法を取れる物は増えなかった。
「……ないな」
「はい」
「何枚分足らんの?」
「二十枚分です」
「二十?」
思ったより多かった。端材を一枚見落としたとか、誰かが別の場所へ持っていったとか、そういう数ではない。
宗次郎は返事をせず、帳面を開いた。材料帳、外へ渡した物の帳面、次に買う材料をまとめた紙。それぞれを並べ、指で数字を追っていく。
俺は横から覗き込んだが、何を確かめているのかすぐには分からなかった。
「……兄上」
「ん?」
「少し、待ってください」
「うん」
宗次郎がもう一度、最初の帳面へ戻る。そこから別の帳面へ指を移し、最後に手配用の紙を引き寄せた。
その指が、ある数字の上で止まった。
しばらく動かなかった。
「宗次郎?」
「……分かりました」
「どこにあった?」
「材料は、ありません」
「ん?」
宗次郎が顔を上げた。
「私が、間違えました」
◇
宗次郎が示したのは、材料の手配に使っている一覧だった。
元の材料帳には、榊屋が持っている材料の数が書かれている。別の帳面には、そのうち何枚分を外へ渡しているかが書かれていた。どちらも間違っていない。
問題は、その二つを使って次の材料を買う数を決めた時に起きていた。
「ここです」
宗次郎が手配用の紙を指した。
「榊屋の持ち分として、二十枚分ありました」
「うん」
「ですが、その二十枚分は、お蓮さんのところへ渡していた分です」
「……ああ」
「それを、榊屋で使える材料として書いています」
俺は紙を見た。
二十。
確かに、そこには二十と書かれていた。
少し前、俺が宗次郎に材料の数を聞いたことがあった。あの時、宗次郎はちゃんと説明してくれた。榊屋の持ち分と、榊屋の中にある分は違う。外へ渡した材料は、榊屋の物ではあっても、榊屋の棚にはない。
それを、宗次郎自身が教えてくれた。
「……この前、こっちに二十枚分あったやろ?」
「はい。あの後、今月前半の製作に使いました」
「それで、棚が空になった」
「はい」
「お蓮んとこの二十枚は?」
「次の月の分です。既に加工を始めてもらっています」
そこで、ようやく数字がつながった。
榊屋の棚にあった二十枚分は、今月前半の鉄砲に使った。お蓮のところにある二十枚分は、次の月に使う予定の地板になる。
ところが、手配用の紙では、その二十枚分を今月の榊屋で使える材料として数えてしまっていた。結果として、今月必要な材料の手配が二十枚分少なくなった。
材料そのものが消えたわけではない。お蓮のところにある分は、ちゃんと帳面に載っている。ただ、その材料は今ここにはなく、既に別の仕事に使われている。
数字だけを見れば二十枚分ある。だが、今月の鉄砲に使える二十枚分は、どこにもなかった。
「……材料屋は?」
「まだ、確認していません」
「すぐ聞こう」
「はい」
宗次郎は立ち上がりかけ、そこで一度、帳面へ目を落とした。
「兄上」
「ん?」
「申し訳ありません」
俺は宗次郎を見た。いつもなら、こういう時に何か一言返せたかもしれない。だが、今は何を言えばいいのか分からなかった。
「……まず材料や」
「はい」
俺はそれだけ言って、善次郎を呼びに走った。
◇
材料屋から返ってきた答えは、思わしくなかった。
「早くて五日後やな」
善次郎が言った。
「五日?」
「まとまった数を揃えるならな。少しずつなら、別のところから集められるかもしれん」
「四日後やぞ」
「何が?」
「今月の納めや」
善次郎の顔から笑みが消えた。
「……何挺分?」
「二十」
「全部足らんの?」
「地板がない」
「お蓮んとこは?」
「次の月の分を作っとる。まだ出来上がってへん」
善次郎は少し考えたあと、紙を取った。
「ほな、材料は俺が探す。虎松は姉御んとこ行って」
「分かった」
「それと、先に言うとくで」
「何?」
「五十全部は、間に合わんかもしれん」
分かっている。
材料が届けば終わりではない。地板を作り、組み付け、動きを確かめ、最後に試射する。材料が納期の前日に届いたところで、そこから二十挺分を仕上げるのは無理がある。
しかも、他の仕事が消えるわけではない。
「……分かっとる」
「ほな、出来る数を先に決めよ」
「うん」
善次郎が出ていった。
俺は工房へ戻り、新八と弥吉を呼んだ。
「地板を最優先にしたい」
「何枚?」
新八が聞く。
「二十枚分、足らん」
「……二十?」
「材料の手配、間違えた」
新八は一瞬だけ黙り、すぐに作業台を見た。
「材料来たら、こっちの仕上げ止める?」
「そうしたい」
「ほな、出来るとこまで先に進めとくわ」
弥吉も頷いた。
「地板来たら組めるようにしとけばええんやろ」
「うん。頼む」
新八も弥吉も、誰が間違えたのかは聞かなかった。今は、それより先にやることがあった。
俺は親父にも事情を説明した。親父は残っている鉄砲と試射の予定を確かめ、出来上がった物から順に検査するよう段取りを変えた。
「急ぐんはええけど、撃つんは省くなよ」
「分かっとる」
「ほな、やろか」
親父はそれだけ言って、仕事へ戻った。
こういう時、親父の短い返事はありがたかった。だが、同時に少しだけ堪えた。
俺が考えた作り方で、榊屋は以前より多くの仕事を抱えるようになった。その仕事を回すための材料が、今、足りなくなっている。
皆が黙って動いてくれている分だけ、俺も動かなければならなかった。
◇
お蓮の工房では、次の地板が作られていた。
作業台の上には加工途中の物が並び、平助が型を当てながら穴の位置を確かめている。俺が事情を説明すると、お蓮は腕を組んだ。
「二十枚全部、先に欲しいん?」
「出来れば」
「無理やな」
「……せやな」
「今、仕上がっとるんは八枚だけや」
お蓮が作業台の端を示した。そこには、既に加工を終えた地板が八枚重ねられていた。
「それ、先に貰える?」
「検査は?」
「榊屋でやる。向こうの検査台は通した?」
「通しとる」
「ほな、助かる」
「残りは順に出来たら持ってく。せやけど、他の客の仕事もあるで」
「分かっとる」
「平助らをこっちに掛かりきりには出来へん」
「うん」
お蓮は少し考えてから、八枚を布で包んだ。
「これ、持ってき」
「ありがとう」
「礼は全部終わってから言い」
「……せやな」
俺が包みを受け取ると、お蓮は平助へ声を掛け、次に作る分の段取りを確かめ始めた。急いでくれるつもりなのだろうが、榊屋の都合だけで工房を動かせるわけではない。
お蓮にはお蓮の仕事があり、守らなければならない約束がある。
外へ仕事を出すというのは、そういうことでもあった。
◇
榊屋へ戻ると、宗次郎が帳面を開いて待っていた。
「兄上。今月の五十挺のうち、地板が揃っているのは三十挺分です」
「うん」
「お蓮さんから八枚戻れば、三十八挺分になります」
「うん」
「残り十二枚です」
「善次郎が材料探しとる。お蓮んとこも出来た分から持ってきてくれる」
「分かりました」
宗次郎が数字を書き換える。
俺はその手元を見ていた。
いつもと同じ字だった。きちんと揃った数字が並び、必要なところには印が付いている。何をいくつ作り、何をいくつ使ったのか。宗次郎の帳面は、今もそれを教えてくれる。
さっきまで、これを見れば安心だと思っていた。
今は、どこか別の場所にも間違いがあるのではないかという考えが、頭から離れなかった。
「……宗次郎」
「はい」
「他の材料も、全部見直そか」
「はい」
宗次郎はすぐに答えた。嫌な顔はしなかった。
ただ、帳面を持つ指に少し力が入ったのが見えた。
◇
そこから二日間、榊屋は落ち着かなかった。
善次郎は材料屋を回り、少しでも早く手に入る物を探した。お蓮は出来上がった地板を順に渡してくれたが、二十枚全部を一度に仕上げることは出来なかった。
新八と弥吉は、地板が届けばすぐ組めるように、他の部品の仕上げを先へ進めた。親父は試射の順番を組み直し、出来上がった鉄砲から順に確かめることにした。
俺はその間を走り回った。
地板が一枚戻るたびに検査する。問題があれば手直しする。組み付けて、動きを見る。必要なところは別の地板とも入れ替えて確かめる。
いつもの工程を省くわけにはいかない。急いでいるからといって、検査を飛ばしていい理由にはならなかった。
宗次郎も動いていた。
戻ってきた数を記録し、使った数を消し込み、次に必要な材料を確かめる。善次郎から知らせが来れば予定を書き直し、新八が仕上げた数を聞いては別の帳面へ移す。
間違いが見つかったからといって、宗次郎の仕事がなくなるわけではない。
むしろ、普段より増えていた。
俺は何度か宗次郎へ声を掛けようとしたが、そのたびに誰かが先に宗次郎を呼んだ。
「宗次郎、次の地板何枚や?」
「あと六枚です」
「宗次郎、こっちの材料使ってええか?」
「そちらは来月分です。こちらを使ってください」
「宗次郎、善次郎から知らせ来た?」
「はい。明日の朝、四枚分届くそうです」
宗次郎は全部答えた。
一度だけ、返事をする前に帳面を開き直したことがあった。以前なら、そんなことは気にも留めなかっただろう。
だが今は、宗次郎が帳面を開くたび、俺もその数字を確かめずにはいられなかった。
◇
納期の前日、善次郎が工房へ戻ってきた。
「虎松」
「ん?」
「先方と話してきた」
俺は手を止めた。
「……どうやった?」
「先に出来とる分を納める。残りは数日待ってもらう」
「何挺?」
「四十四」
宗次郎が帳面を開く。
「今、完成しているのが四十二挺です。今日中にあと二挺、試射まで終わる予定です」
「ほな四十四やな」
善次郎が頷いた。
「残り六挺は、材料が揃い次第や。先方には事情を説明して、分けて納めることで話を付けた」
「……すまん」
「俺に謝ってもしゃあないやろ」
「せやな」
「次から気ぃ付けよ。それだけや」
善次郎はそう言ったが、いつものように笑ってはいなかった。
商人にとって、約束した日に品物を渡せないというのは軽い話ではない。今回は分納で話がついたが、それで最初の約束が守れたことになるわけではなかった。
俺は宗次郎を見た。
宗次郎は帳面を閉じ、静かに頭を下げた。
「申し訳ありません」
善次郎が宗次郎を見る。
「お前、今日何回謝る気や」
「ですが」
「謝るんは、全部終わってからでも出来る。今は残り六挺やろ」
「……はい」
「ほな頼むで」
善次郎が工房を出ていった。
宗次郎はしばらく、その背中を見ていた。それから帳面を開き、残りの六挺に必要な材料を確かめ始めた。
◇
四十四挺を納めた日の夜、宗次郎は机の前に座っていた。
いつもなら帳面を開いている時間だった。だが、その日は閉じたままだった。
「……まだおったん?」
俺が声を掛けると、宗次郎が顔を上げた。
「はい」
「帰ろか」
「兄上」
「ん?」
「私が、間違えました」
俺は宗次郎の向かいへ座った。
「……うん」
「分かっていたんです」
宗次郎が閉じた帳面へ目を落とす。
「外へ渡した物と、ここにある物は違うって。兄上にも、そう説明しました」
「うん」
「材料を買う数を決める時は、必ず両方の帳面を見ていました。榊屋にある分を確かめて、外へ渡した分を引いて、それから足りない数を出していました」
宗次郎の声は、いつもと変わらなかった。ただ、言葉を選ぶまでの間が少し長かった。
「でも、あの日は……」
そこで止まった。
俺は続きを待った。
「お蓮さんへ渡す材料と、荒加工の方へ渡す材料を確かめていました。善次郎さんから来月の注文の話もあって、バネの数も直さなければならなくて……」
宗次郎は小さく息を吐いた。
「それで、手配の紙を作る時、材料帳の数字をそのまま書きました」
「……うん」
「後で確かめるつもりでした」
宗次郎が顔を上げた。
「でも、確かめませんでした」
俺は何も言わなかった。
「いつもなら、必ず見直していたんです。あの二十枚がどこにあるかも、知っていました。それなのに……」
宗次郎は膝の上で手を握った。
「間違えました」
その声だけが、少し震えていた。
俺は宗次郎の手元を見た。
こいつは昔から、俺が何かを始めるたびに、その後始末を引き受けてきた。作る数が増えれば材料を数え、職人が増えれば仕事を割り振り、納期が変われば予定を組み直す。
俺が新しい道具を作れば、その道具を使う仕事を考え、外へ仕事を出せば、どこへ何を渡したのか記録する。
俺はそれを、宗次郎が得意だから任せていた。
実際、宗次郎は得意だった。
だから、任せ続けた。
「……宗次郎」
「はい」
「間違えたんは、お前や」
「……はい」
「今回、五十挺揃わんかったんも事実や」
「はい」
宗次郎が俯く。
俺は一度言葉を切り、机の上の帳面を見た。
「せやけどな」
宗次郎が顔を上げた。
「俺、あの帳面、明日から全部付けられると思う?」
「……難しいと思います」
「せやろ。俺もそう思う」
宗次郎は黙っていた。
「俺が外へ仕事出そう言うた。材料を渡そう言うた。バネも多めに作ろう言うた。全部、俺が始めたことや」
「ですが、帳面を付けていたのは私です」
「うん」
「間違えたのも、私です」
「それはそうや」
宗次郎の表情が少し強張った。
「でもな、次も同じことさせたら、また間違えるかもしれん」
「……」
「お前が悪いかどうかと、今のやり方でええかどうかは、別の話や」
宗次郎はすぐには答えなかった。
俺も、うまく説明できる言葉を探していた。
前の仕事で、こういうことは何度も見てきた。
仕事が出来る人間へ仕事が集まる。頼めばやってくれるから、また頼む。その人間がいる間は、何も問題が起きない。
そして、ある日突然、問題が起きる。
その時になって初めて、誰も代わりに出来ないことに気付く。
俺は職人の仕事を、そうならないように変えてきたはずだった。
親父にしか出来ない仕事を減らし、弥吉にしか出来ない仕事を減らし、新八がいなくても検査出来る道具を作った。誰か一人がいなくても、同じ物を作れるようにしたかった。
なのに。
「……俺、何やっとんねやろな」
思わず呟いた。
宗次郎がこちらを見る。
「兄上?」
「職人の仕事は、誰でも出来るようにしようって言うとるくせに、お前の仕事は全部お前任せやった」
「私は、それでよかったんです」
「うん」
「兄上が新しい仕事を考えて、父上たちが作る。私は、その仕事がちゃんと進むようにする。それが、私の役目ですから」
「知っとる」
「だから……」
宗次郎が言いかけて、口を閉じた。少し俯き、もう一度口を開く。
「……出来ると思っていました」
その一言は、さっきまでのどの言葉よりも小さかった。
「全部、分かっているつもりでした。材料がどこにあるかも、いつ戻るかも、次に何が要るかも。帳面を見れば分かるようにしていたつもりでした」
宗次郎は膝の上で握っていた手をほどいた。
「でも、分かっていなかったんです」
俺は首を振りかけて、やめた。
宗次郎は、分かっていた。
だからこそ、たった一度の間違いを許せないのだろう。
「……悔しいな」
俺が言うと、宗次郎は黙って頷いた。
少し間を置いて、もう一度頷いた。
「……はい」
それから、顔を伏せた。
肩が一度だけ、小さく動いた。
俺は何も言わず、しばらく隣に座っていた。
◇
宗次郎が帰ったあと、俺は机の上の帳面を開いた。
まず材料帳。榊屋が持っている材料の数が書かれている。
次に、外へ渡した物の帳面。お蓮の工房へ渡した材料。二軒目の工房へ渡した材料。貸している型と検査台。
それから、戻ってきた物の帳面。出来上がった地板。荒加工を終えた金具。手直しが必要な物。
さらに、製作予定と在庫の帳面。今月作る鉄砲。来月必要になる部品。検査済みのバネ。使った数と、残っている数。
宗次郎なら、これを見れば分かると言う。
俺も、一つずつなら分かる。だが、例えば明日、お蓮のところへ材料を十枚分渡したら、どの帳面を直せばいいのか。
戻ってきた地板のうち二枚が手直しになったら、どこへ書くのか。その二枚が直った時は、どの数字を増やし、どの数字を減らすのか。
考えながら帳面をめくっているうちに、いつの間にか同じところへ戻っていた。
「……あかん」
俺は額を押さえた。
分からないわけではない。ただ、分かるまでに時間がかかる。
宗次郎が普段、何でもないように答えていたことを一つ確かめるだけで、俺は何冊も帳面を開かなければならなかった。
しかも、俺は今日の仕事を知っている。知らない人間がいきなりこれを渡されたら、何がどこにあるのかを理解するところから始めなければならない。
「何しとるん?」
顔を上げると、善次郎が立っていた。
「宗次郎の仕事」
「何で?」
「……やってみたかったんや」
「出来た?」
「出来へん」
「ほな宗次郎に任せたらええやん」
「それがあかんのや」
善次郎が首を傾げる。
俺は帳面を閉じた。
榊屋の鉄砲は、親父一人では作れない。弥吉一人でも、新八一人でも作れない。誰かが休んでも、残った者で仕事を進められるように、少しずつ作り方を変えてきた。
ところが、帳面だけは違う。
宗次郎がいなくなったら、明日どの材料を買えばいいのかさえ、俺にはすぐに答えられない。
その状態を、俺は今まで当たり前だと思っていた。
「……人要るな」
「職人か?」
「ちゃう」
「ほな何や?」
俺は閉じた帳面へ手を置いた。
「宗次郎の横に座るやつ」
善次郎はしばらく俺を見ていた。それから、机の上に積まれた帳面へ目を移した。
「……なるほどな」
俺はもう一度、帳面の山を見た。
榊屋の仕事は増えた。工房も増えた。作れる物も増えた。
その全部を、宗次郎一人に数えさせていた。
もう、一人分の仕事ではなかった。




