帳面の外
善次郎が次の工房を見つけてきたのは、お蓮のところから二十枚の地板が戻ってきた翌々日のことだった。
「ほな、ここどうや?」
朝から工房へやってきた善次郎が、俺の前に一枚の紙を置いた。工房の名前と場所、それに普段作っている品物が書かれている。鉄の小物を扱うところらしいが、俺には聞き覚えのない名前だった。
「何が?」
「この前言うとった、途中まで作らせるやつ」
「……もう見つけたん?」
「前から知っとる工房や」
「お前の知っとる工房、何軒あんねん」
「数えたことないわ」
「怖っ」
善次郎は何でもないように笑っているが、こいつの頭の中にはいったい何軒の工房が入っているのだろう。
俺が知っている職人といえば、実際に仕事を頼んだことがある相手か、榊屋と付き合いのある相手がほとんどだ。ところが善次郎は違う。直接取引したことがなくても、どんな物を作っていて、誰と付き合いがあり、どの程度仕事を抱えているのかを知っている。
商人の持っている情報というのは、こういうところで効いてくる。
「で、何が出来るん?」
「鉄の小物やな。金具とか、農具の部品とか。細かい仕上げは得意やないけど、同じような形を数作る仕事はやっとる」
「……ちょうどええな」
「やろ?」
「まだ決めてへんで」
「知っとる」
絶対に知っていない顔だった。
◇
新八と一緒に工房を訪ね、実際に仕事を見せてもらった。
大きな工房ではない。親方を含めて数人の職人が働いており、鉄を切ったり、曲げたり、穴を開けたりしている。仕上がった品物を見る限り、細かな嵌め合いを要求する仕事には向いていなさそうだったが、形を揃えて数を作ることには慣れているらしい。
今回頼みたいのは、鉄砲に使う小さな金具だった。ただし、完成品ではない。榊屋で最後の仕上げをすることを前提に、途中まで加工してもらう。
俺は持参した見本を作業台へ置き、親方へ説明した。
「この形まで作ってほしいんです。最後の仕上げは、うちでやります」
「ほう。全部作らんでええんか」
「はい。ここは触らんといてほしいんです」
重要な嵌め合いになる部分を指で示すと、親方は見本を手に取り、何度か裏返してから首を傾げた。
「ここ、どこまで削ったらええんや?」
「この辺までです」
「この辺?」
「……待って」
自分で言ってから気付いた。
この辺まで、では困る。
完成品なら、出来上がった形に合わせればいい。だが今回は、出来上がった形にしてもらっては困るのだ。最後に榊屋で削る分を残しておかなければならない。
削りすぎれば直せない。かといって、残しすぎれば榊屋の仕事が減らない。どちらにしても、外へ出した意味が薄れてしまう。
俺が見本を眺めていると、新八が横から覗き込んだ。
「これ、出来上がりの型やなくて、途中の型が要るんちゃう?」
「……せやな」
「ここまで削ってええって分かるやつ」
「うん」
「また道具増えるな」
「言うな」
新八が笑う。
結局、その日は加工の順番と必要な道具を確認するところまでにした。榊屋へ戻ってから、荒加工用の見本と当て金を作ることにする。
完成品の型とは別に、途中までの形を決める型が必要になる。
考えてみれば、これも当然だった。外へ出す仕事の範囲を決めるなら、どこからどこまでが向こうの仕事なのか、物を見て分かるようにしなければならない。
口で説明しただけでは、作る人間によって残す量が変わってしまう。向こうの親方が分かっていても、別の職人が同じように作れるとは限らない。
「……面倒やな」
帰り道で俺が呟くと、新八がこちらを見た。
「やめる?」
「やめへん」
「ほな作ろか」
「うん」
こういう時の新八は話が早い。
◇
最初に頼んだのは十個だった。
外の工房で材料を切り、形を大まかに整え、決めたところまで加工する。最後の重要な部分には、榊屋で仕上げるための削り代を残してもらう。
数日後、戻ってきた十個を新八と並べて確認した。
「……ええんちゃう?」
「うん。ここ、ちゃんと残っとる」
新八が一つを取り、荒加工用の当て金に合わせる。
削りすぎている物はない。少し残りが多い物もあったが、榊屋で仕上げられる範囲に収まっていた。
「ほな、やってみよか」
新八が一つを固定し、鑢を取った。残された部分を削り、必要なところを整える。仕上げた金具を相手の部品へ合わせ、動きを確認すると、問題なく収まった。
「……早いな」
「そら、もう形出来とるし」
「最初から作るんと全然違うやろ」
「うん。これなら楽やわ」
俺も別の一つを手に取った。
外の工房に、榊屋と同じ腕を求める必要はない。難しいところだけ榊屋へ残しておけば、向こうは向こうの得意な仕事をすればいい。
しかも、榊屋の熟練者が一から材料を切る必要もなくなる。同じ部品を作るにしても、誰がどこまで作るのかを変えるだけで、必要な時間は随分違ってくる。
「次、もうちょっと頼んでもええな」
新八が言った。
「……待って」
「何で?」
「こっちで仕上げられる数も見なあかん」
「ああ」
外で百個作ってもらっても、榊屋で十個しか仕上げられなければ、残り九十個は棚に積まれるだけだ。外へ出せば何でも解決するわけではない。
結局、全体の仕事を見なければならないのは同じだった。
「宗次郎!」
帳面を持っていた宗次郎が顔を上げる。
「はい」
「来月、これ何個要る?」
「少し待ってください」
宗次郎が帳面を開き、別の紙を引き寄せた。今月作っている鉄砲の数と、来月の注文。それに榊屋で既に作ってある分を確かめ、指で数を追っていく。
「来月は、まず三十個あれば足ります」
「……早いな」
「兄上が聞くと思っていましたので」
「そこまで分かるん?」
「新八さんが昨日、十個試していると教えてくれましたから」
新八を見る。
「言うたん?」
「言うた」
「何で?」
「宗次郎が聞いてきたから」
宗次郎が何でもないように答える。
「材料を使うなら、数を知っておかないと困りますので」
なるほど。
俺が仕事を増やす前に、宗次郎は既に帳面を増やしていたらしい。
◇
バネの作り置きも、少しずつ始めていた。
最初から百個も二百個も作るつもりはない。まずは今の月五十挺に対して、どの程度の数を作れば必要な良品が揃うのかを確かめることにした。
今回作ったのは六十個だった。
出来上がったバネを、以前作った検査用の仕掛けで一つずつ確かめる。強すぎる物、弱すぎる物、使える範囲に入っている物を分けていく。
完全に同じ強さではなくても、決めた範囲で働けば使える。ただし、範囲から外れた物を、数が足りないからという理由で使うわけにはいかない。
結果は、そのまま使える物が五十二個。手直しできそうな物が五個。使えない物が三個だった。
手直しした五個のうち、四個が検査を通った。
「五十六個か」
俺が言うと、宗次郎が帳面へ書き込んだ。
「良品五十六、手直し後も使えなかった物が一、不良三ですね」
「うん」
「五十挺分を取って、残り六個です」
「それ、別に置いといて」
「分かりました」
検査を通った六個を、他のバネとは分けて棚へ置く。使える物と手直し待ちの物が混ざらないように、置き場所も決めた。
ただ余った物ではない。
使えると確認した物だ。
次に必要になった時、わざわざ作り直さなくても使える。その意味は、思ったより早く現れた。
◇
「虎松」
組立の仕事をしていた弥吉が俺を呼んだ。
「これ、ちょっと弱いな」
見ると、組み上げていた鉄砲のバネを外しているところだった。
「検査通ったやつ?」
「通ったけど、組んだら具合悪い」
バネ単体で使える範囲に入っていても、組み合わせた時に問題が出ることはある。検査用の仕掛けだけで、すべての働きが分かるわけではない。
「直せる?」
「直せると思うけど、今からやる?」
「……待って」
俺は棚へ向かい、分けておいたバネを一つ取った。
「これ使ってみて」
「何?」
「検査通ったやつ」
弥吉が受け取り、組み付ける。何度か動かしてから、頷いた。
「こっちはええな」
「ほんま?」
「うん」
火ばさみを動かし、引金を確かめる。今度は問題ない。
「……止まらへんかったな」
「何が?」
「鉄砲」
「そら、バネあったし」
「せやな」
弥吉は不思議そうな顔をしたまま、次の仕事へ戻っていった。
俺は外したバネを手に取る。こっちは手直しすれば使えるかもしれない。だが、今すぐ直さなければ組立が止まるというわけではなくなった。
良品を少し余分に持っている。たったそれだけで、仕事の順番を変えられる。
「宗次郎」
「はい」
「予備のバネ、一個使った」
「では、残り五個ですね」
「うん。外した方は手直し待ち」
「分かりました」
宗次郎が帳面を開く。
「最初に良品が五十六個。五十挺分を取り分けて、予備が六個。その予備から一個使いましたので、残り五個ですね」
「そう」
「外した物は手直し待ちに一個追加します」
「頼む」
宗次郎が二箇所に印を付けた。
作った数と、使える数と、使った数と、棚に残っている数。同じバネでも、数え方によって数字が変わる。
これまでは、必要な時に作って、出来たら使うことが多かった。だが、これからは使う前に作った物もあれば、作ったのにまだ使わない物もある。
その違いを、誰かが把握していなければならなかった。
「ほな、鉄砲も作り置きしよか」
いつの間にか来ていた善次郎が言った。
「何でそこへ戻るねん!」
「バネ置いといて便利やったんやろ?」
「そうやけど」
「鉄砲も置いといたら便利やん」
「銭が要る言うたんお前やろ!」
「売れたら戻ってくるやん」
「売れへんかったら?」
「売れるやろ」
「その自信どこから来るん?」
「注文」
「……腹立つなあ」
善次郎は笑っていた。
こいつの言うことにも理屈はある。ただ、部品の在庫と完成品の在庫では、必要な材料も銭も違う。今の榊屋でどこまで持てるのかは、簡単には決められない。
少なくとも、今日決めることではなかった。
◇
仕事の種類が増えるにつれて、宗次郎に聞くことも増えていった。
朝、俺が聞く。
「宗次郎、お蓮んとこの次の地板、いつ戻る?」
「五日後です」
昼には新八が聞く。
「宗次郎、荒加工の金具、次何個来る?」
「三十個です。新八さんが仕上げる分は、まだ榊屋に十個あります」
夕方には親父が聞く。
「宗次郎、次の材料足りるんか?」
「今月分は足ります。来月分は手配中です」
「そうか」
親父が頷いて仕事へ戻ると、今度は善次郎がやってきた。
「宗次郎、来月六十いける?」
「五十です」
「聞いただけやん」
「先月も聞かれました」
「覚えとるんか」
「帳面に書いてあります」
「何でも書いとるなあ」
「書かないと忘れますから」
宗次郎は涼しい顔で答えていた。
俺も何度か同じようなことを聞いた。どの部品が何個あるのか。次に何個必要になるのか。どの工房へ何個頼んでいて、いつ戻ってくるのか。戻ってきた物を誰が仕上げるのか。
宗次郎は、そのほとんどに答えられた。
しかも、ただ数字を覚えているわけではない。どの帳面を見れば分かるのかを知っていて、必要な数が変われば、別の帳面と突き合わせて答えを出す。
工房の中で起きていることだけなら、以前から出来ていた。今はそれに、榊屋の外で起きていることまで加わっている。
お蓮の工房で作っている地板。別の工房で加工している金具。まだ届いていない材料。出来上がったが、使われていないバネ。
それらを全部合わせて、次の鉄砲がいつ作れるのかを考える。
俺が前の仕事で見てきた生産管理に、随分近づいてきた。
ただし、前の仕事と違うところが一つある。
宗次郎は、ほとんど一人でやっていた。
◇
その日の夕方、俺は材料の残りを確認しようとして、宗次郎に声を掛けた。
「宗次郎、地板用の材料、あと四十枚分ある?」
「榊屋に、ですか?」
「ん?」
「外へ渡した分も含めて、ですか?」
「……ああ、こっちにある分」
「でしたら二十枚分です」
宗次郎が帳面を開き、指で数字を示した。
「榊屋の持ち分としては四十枚分ありますが、そのうち二十枚分はお蓮さんのところへ渡しています」
「……ああ、そういうことか」
「はい」
「よう分けとるな」
「分けないと間違えますから」
当然のように言われた。
確かに、榊屋の物だからといって、榊屋の中にあるとは限らない。以前なら材料が四十枚分あると言えば、だいたい工房のどこかに四十枚分あった。
今は違う。
榊屋が持っている材料と、榊屋の棚にある材料が一致しない。お蓮へ渡した材料は榊屋の物ではあるが、榊屋の中にはない。別の工房へ渡した物も同じだ。
そこへ加工を終えて戻ってくる物があり、使わずに返ってくる端材もある。全部を一緒に数えれば、すぐに訳が分からなくなる。
「これ、ちゃんと分けといてな」
「分けていますよ」
「せやな。すまん」
宗次郎が小さく笑った。
「兄上が聞くたびに説明しなくて済むように、もう少し見やすくしておきます」
「頼むわ」
俺は材料を取りに行き、宗次郎は帳面へ戻った。
その時は、それで話が終わった。
◇
夜になって工房の火が落ち始めても、宗次郎の机には灯りが残っていた。
「まだやっとるん?」
「少しだけです」
「何を?」
「明日の材料です」
「明日でええやん」
「明日使うので、今日分からないと困ります」
返す言葉がなかった。
机の上には、帳面が三冊開かれている。一冊には榊屋の材料。一冊には外へ渡した物。もう一冊には、これから作る鉄砲に必要な数。
宗次郎はそれぞれを見比べ、紙へ何かを書き写していた。時折、指を止めて別の帳面を開き、数字を確かめてから続きを書く。
「……助かるわ」
俺が言うと、宗次郎は顔を上げた。
「仕事ですから」
「いや、ほんまに」
「兄上も仕事してください」
「今帰ろうと思っとったんやけど」
「では、お疲れ様です」
「追い出すの早ない?」
「明日も仕事ありますから」
もっともだった。
俺は苦笑し、工房を出ようとして足を止めた。
「宗次郎」
「はい」
「遅うまでやりすぎんなよ」
「分かっています」
宗次郎はそう答え、再び帳面へ目を落とした。
俺はそれ以上何も言わず、工房を後にした。
◇
翌日、二軒目の工房へ渡す材料が揃った。
宗次郎が数を確認し、新八が加工用の型を確かめる。善次郎が手配した者が材料を運び出し、榊屋の棚から一つ分の材料が減った。
その代わり、数日後には荒加工を終えた金具が戻ってくる。
お蓮の工房でも、次の地板が作られている。榊屋では、検査を通ったバネが棚に並んでいる。
以前より作りかけの物が増えた。だが、それぞれの仕事は前より進めやすくなっていた。
職人が材料を切るところから始めなくてもいい仕事がある。部品が一個足りないだけで、組立を止めなくてもいい場合がある。
外へ仕事を出すことは、確かに役に立っていた。
「兄上」
宗次郎が帳面を持ってきた。
「明日、お蓮さんへ次の材料を渡します」
「うん」
「荒加工の方は三日後に戻る予定です」
「うん」
「その前に、次の材料を買わないと足りません」
「……よう覚えとるな」
「覚えてませんよ」
宗次郎が帳面を少し持ち上げた。
「書いてありますから」
俺は笑った。
「ほな安心やな」
「はい」
宗次郎も笑った。
それから机へ戻り、帳面を一冊開く。別の帳面を開き、さらにもう一冊を引き寄せる。
同じ材料の名前が、それぞれ違う場所に書かれていた。
榊屋にある数。外へ渡した数。戻ってくる予定の数。次に使う数。
宗次郎は一つずつ確かめ、必要なところへ書き写していく。
どの数字にも理由があり、今のところ、どれも正しかった。
榊屋の材料がどこにあり、いつ戻り、何に使われるのか。
その全部を一度に答えられるのは、今では宗次郎だけだった。




