どこまで任せる
お蓮の工房へ地板を二十枚頼んでから、榊屋の仕事が楽になったかと聞かれれば、答えは少し困る。
確かに、地板を作る仕事は減った。材料を切り出し、形を整え、穴の位置を取り、開け、仕上げる。その一連の仕事を二十枚分、お蓮のところでやってくれるのだから、榊屋の職人が使う時間は減っている。
そのはずだった。
「新八、今日も行くん?」
「行く」
「昨日も行ったやろ」
「昨日は平助が穴の取り方聞いてきた。今日は姉御が型のことで聞きたいんやて」
「……何を?」
「知らん」
「聞いてこいよ」
「今から行く言うとるやろ」
新八が面倒くさそうに答え、壁に掛けてあった羽織を取る。
地板を外へ出してからというもの、新八は二日に一度くらいの割合でお蓮の工房へ顔を出していた。最初の数日は俺から頼んだが、その後は向こうから聞きたいことがあると呼ばれたり、新八自身が気になると言って見に行ったりしている。
材料を渡す。作り方を教える。型を貸す。出来た物を検査する。手直しになれば、どこを直すのか伝える。
考えてみれば当たり前なのだが、地板を外へ出したからといって、それに関わる仕事まで全部消えてなくなるわけではない。
「……仕事、減ってへんな」
俺が呟くと、新八が羽織に腕を通しながらこっちを見た。
「場所変わっただけちゃう?」
「嫌なこと言うな」
「ほんまやん」
「もっとこう……楽になると思ってた」
「俺は前より歩いとるで」
「すまん」
「ほんまにな」
前の仕事でも、外注なんて珍しくもなかった。図面を出して、材料を支給して、納期を決めて、出来た物を受け入れる。問題があれば先方と話し、場合によっては現場まで見に行く。
知っている。知っていたはずなのだが、あの頃はそれぞれの仕事を別の人間がやっていた。
今は違う。
榊屋で作らないなら、誰かに作ってもらわなければならない。誰かに作ってもらうなら、その誰かがちゃんと作れるようにしなければならない。
作る仕事が減った分、作ってもらう仕事が増えた。
「まあ、ええわ。頼む」
「うん」
新八が出ていった。その背中を見送って作業へ戻ろうとしたところで、今度は宗次郎に呼び止められた。
「兄上」
「ん?」
「お蓮さんへ渡した材料、こちらに移しておきました」
宗次郎が帳面を見せる。榊屋にある材料とは別に、外へ渡した分が書き分けられていた。
「二十枚分、全部?」
「はい。余りが出た場合は、戻った数も書きます」
「頼む」
「それと、検査台一台と型一枚も向こうです」
「それも書くん?」
「榊屋にあると思って探したら困るでしょう」
「……確かに」
俺が頷くと、宗次郎は何でもないような顔で帳面へ戻った。
こっちはこっちで、仕事が増えていた。
◇
昼を過ぎた頃、新八が戻ってきた。
「虎松」
「ん?」
「姉御、型いじっとったで」
手が止まった。
「……どこ?」
「見た方が早い」
「削った?」
「いや」
「穴広げた?」
「いや」
「曲げた?」
「いや」
「ほな何したん?」
「せやから見た方が早いって」
妙に落ち着いている。少なくとも、取り返しのつかないことではなさそうだ。
それでも胸の奥に、嫌な記憶が浮かんだ。
前の仕事でもあった。
使いにくかったから削りました。入らなかったから穴を広げました。こっちの方がやりやすいと思って変えました。
悪気はない。むしろ良くしようとしている。
だからこそ怖い。
「……行く」
「今?」
「今」
「やと思った」
◇
「これ」
お蓮が差し出した型を見て、俺は眉を寄せた。
最初は何が変わったのか分からなかった。穴の位置は同じ。外形も変わっていない。削られたところもない。
よく見ると、一辺に小さな傷が付けられている。
「……これ何?」
「印」
「何の?」
「こっちから当てるって印」
「何で?」
「平助が間違えるから」
お蓮が平助の方を顎で示した。少し離れたところで仕事をしていた平助が、気まずそうにこちらを見る。
「また?」
「また」
「平助ぇ……」
「すんません」
型をひっくり返し、傷の位置を見る。
基準そのものを変えたわけではない。どちらを基準側として使うのか、一目で分かるようにしただけだ。
「他は?」
「何もしてへん」
「ほんまに?」
「何やねん。そんな触ったらあかんもんやったん?」
「いや……」
もう一度確認する。
問題ない。
むしろ分かりやすい。
「……これ、ええな」
「ええん?」
「ええ」
「ほな最初から付けとけや」
「すんません」
素直に謝ると、お蓮が少し笑った。
「勝手に変えたらあかん言うたやろ」
「言うた」
「せやから削ってへんやん」
「印も先に言うて」
「何で?」
「心臓に悪いから」
「知らんがな」
新八が横で笑っている。
「何がおもろいねん」
「いや。お前が怒ると思って、俺何も言わんかった」
「だから『いじっとった』とか言うたん?」
「うん」
「お前あとで覚えとけよ」
もう一度、型を見る。
簡単なことだ。だが、平助が基準を取り違えるなら、口で何度も注意するより、道具そのものを間違えにくくした方がいい。
榊屋へ持ち帰ったら、こっちの型にも付けよう。
俺たちが教えるだけではないらしい。実際に何枚も作っている側だからこそ、気付くこともある。
「他にも何かあったら言うて」
俺が言うと、お蓮が首を傾げた。
「変えてええん?」
「勝手には変えんといて」
「面倒やなあ」
「相談して。良かったら変える」
「分かった」
これでいい。
外へ仕事を出すというのは、榊屋のやり方をそのまま押し付けることではないのかもしれない。守らなければならないものは守り、変えていいところは、もっとやりやすくする。
その線を決めるのも、こっちの仕事だった。
◇
二十枚の地板が戻ってきたのは、それから数日後だった。
今度はお蓮だけではなく、平助も一緒だった。
「二十枚」
「数えるで」
「勝手にせえ」
「前はそっちから数えろ言うたやろ」
「今日はちゃんと二十ある」
「前もあったわ」
作業台に地板を並べる。宗次郎が帳面を開き、新八が検査台を用意した。
一枚ずつ載せていく。
収まりを見る。穴を見る。カラクリを付けて動かす。火ばさみを倒し、決めたところへ火縄が落ちるかを見る。
前回とやることは同じだった。
違ったのは、止まる回数だった。
「良し」
宗次郎が印を付ける。
「次」
「良し」
「次」
「これもええ」
十枚を超えても、不良は出なかった。
十五枚目で、新八が少し手を止める。
「これ、ここだけ触った方がええな」
お蓮が覗き込む。
「直る?」
「直る」
「ほな手直し」
宗次郎が別の印を付ける。
十九枚目でも同じように手直しが一枚。
最後の一枚を検査台から外す。
「良し」
宗次郎が最後の印を付け、帳面を確認した。
「そのまま使える物が十八枚。手直しが二枚。不良はありません」
「前は?」
「十枚で、良品七、手直し二、不良一です」
お蓮が俺を見る。
「ほな次五十?」
「何でそうなんねん」
「作れるで」
「善次郎みたいなこと言い出すな」
「呼んだ?」
後ろから声がした。
振り返る。
「呼んでへん!」
善次郎がいた。
「何しに来たん?」
「地板来る言うてたから」
「誰に聞いた?」
「宗次郎」
宗次郎を見る。
「聞かれたので」
「そこは別にええけど」
善次郎が地板を見る。
「二十枚?」
「十八良品。二枚手直し」
「ほな五十いけるやん」
「お前ら何で同じこと言うねん!」
お蓮と善次郎が顔を見合わせた。
嫌な組み合わせが出来てしまった気がする。
◇
手直しを終えた二枚も検査を通り、二十枚すべてが使える状態になった。
だからといって、それで終わりにはしなかった。
実際の鉄砲へ入れる。
榊屋で作った台木へ地板を取り付け、カラクリを組む。火蓋を動かし、火ばさみを倒し、火縄が火皿へ落ちる位置を確かめる。
問題はない。
何挺かは宗次郎に選ばせ、榊屋で作った地板とも入れ替えてみた。それも通った。
最後に実際に撃つ。
火が入る。
弾が出る。
鉄砲として働く。
「親父」
「ん?」
試射を終えた一本を源兵衛へ渡した。
「この地板、お蓮んとこで作ったやつ」
「そうなん?」
「そう」
源兵衛が鉄砲を構え、火ばさみを動かす。地板の辺りを指で触り、もう一度動かしてから俺へ返した。
「撃った?」
「撃った」
「撃てた?」
「撃てた」
「ほなええやん」
「もうちょっと感動せえへん?」
「何で?」
「初めて榊屋の外で作った地板が、そのまま榊屋の鉄砲に入ったんやぞ」
「入ったんやろ?」
「入った」
「ほなええやん」
「……もうええわ」
親父にとっては、使えるか使えないか。
相変わらず分かりやすい。
だが、俺にとっては少し違った。
地板を作ったのは榊屋の職人ではない。鉄砲に合わせて削り直したわけでもない。お蓮の工房で、榊屋が渡した型を使って作り、向こうの検査台を通った地板がこちらへ来た。
そして、どの鉄砲へ入るか決まっていない状態から、そのまま榊屋の鉄砲へ入った。
榊屋の外でも、同じ作り方が出来る。
少なくとも地板では、それが形になり始めていた。
◇
だから次も同じようにすればいい。
そう考えかけて、やめた。
「新八」
「ん?」
「これ、全部向こうで完成させる必要ある?」
俺は作業台に置かれていた小さな金具を一つ取った。
「どういうこと?」
「これ作る時、最初から最後まで同じ人がやっとる?」
「いや」
「材料切るやろ。形作るやろ。穴取るやろ。最後にここ仕上げるやろ」
「うん」
「一番難しいんどこ?」
新八が金具を受け取り、しばらく眺めてから一箇所を指した。
「ここちゃう?」
「そこ以外は?」
「出来るやつ多いと思う」
「ほな、ここまで外でやってもろたら?」
新八が俺を見る。
「途中まで?」
「そう」
「最後は?」
「うち」
「何で?」
「そこだけ難しいから」
口にしてみれば、当たり前の話だった。
外へ仕事を出すなら、完成品でなければならない理由はない。十ある仕事のうち七まで外でやってもらい、残り三だけ榊屋で仕上げてもいい。
そうすれば、外の工房に榊屋と同じだけの腕を求める必要はなくなる。榊屋の職人も、一から全部作らなくて済む。
前の仕事なら、荒加工だけ外へ出すなんて珍しくもなかった。
知っている。
ただ、今の榊屋でどこまで外へ切り離せるのかは、実際の仕事を一つずつ見なければ決められない。
「……それやったら、頼めるとこ増えるんちゃう?」
新八が言った。
「俺も今思った」
「地板みたいに全部出来んでもええんやろ?」
「うん。榊屋でしか出来んところだけ残したらええ」
「ほな、これも?」
「いけるかもしれん」
別の部品を取る。
それも工程を分けて考える。
全部を任せる。
途中まで任せる。
榊屋で作る。
同じ外へ出す仕事でも、やり方は一つではない。
「……善次郎に言うたら喜びそうやな」
「まだ言うな」
「何で?」
「工房十軒ぐらい連れてきそうやから」
「ありそう」
「絶対ある」
◇
もう一つ、作り方を変えられそうな物があった。
バネだった。
以前、二挺の鉄砲を揃えようとした時にも散々触った部品だ。弾き金のバネは、全部がまったく同じ強さである必要はない。強すぎれば使いにくいし、弱すぎても駄目だが、その間にはちゃんと使える範囲がある。
今では、その範囲を見るための仕掛けもある。
作業台に並んでいたバネを見ながら、ふと思った。
「これ、百挺作るから百個作る必要ないよな」
新八が手を止めた。
「足らんかったら困るやろ」
「ちゃう。逆」
「?」
「最初から百二十作ったらええ」
「何で増えたん?」
「百二十作って、使えるやつだけ取る」
「ああ」
「百十使えたら十余るやろ」
「余るな」
「置いといたらええ」
「次使うん?」
「そう」
今までも、余った部品を捨てていたわけではない。だが、それは結果として余った物だった。
最初から歩留まりを見込んで多めに作り、使える物を選ぶ。必要な数を取った後に良品が余れば、それは次の鉄砲に使える。
そう考えれば、バネが一個足りないから鉄砲が一挺止まる、なんてことも減らせる。
「鉄砲で置いといたらええやん」
また後ろから声がした。
「お前いつからそこにおったん?」
「今来た」
善次郎がバネを摘まむ。
「どうせ売れるんやろ? 鉄砲にして置いといたら、そのまま売れるやん」
「部品で置いといた方が使い回せるやろ」
「鉄砲なら銭になるで」
「お前ほんま完成品しか見えへんな」
「売るん完成品やし」
「くっそ正論みたいに言いやがって」
善次郎が笑う。
「百二十個作るなら、その分材料要るで」
「分かっとる」
「銭も先に要る」
「分かっとる!」
分かっている。
分かっているが、腹が立つ。
ただ、善次郎の言っていることも間違ってはいない。部品を在庫するということは、その分だけ材料と仕事を先に使うということだ。使う日が来るまで銭にはならない。
それでも、毎月同じ物を作り続けるなら意味はある。
俺は宗次郎を呼んだ。
「宗次郎」
「はい」
「バネ、使えるやつ余ったら残しときたい」
「今も残していますよ」
「ちゃうねん。最初から多めに作る」
「どのくらいです?」
「まだ決めてへん。まず、今どれぐらい作ったら何個使えとるか見たい」
「では、それも記録します」
「頼む」
宗次郎が帳面へ何かを書き加える。
「それと、良品として残した数も要りますね」
「うん」
「使った数も」
「うん」
「次の月へ残した数も」
「……うん」
書くことが増えてきた。
◇
その日の夕方、宗次郎の机の横を通って、俺は足を止めた。
帳面が増えている。
今月作る鉄砲の数。材料。出来上がった数。手直しと不良。交換検査。
そこへ、お蓮の工房へ渡した材料が加わった。戻ってきた地板。加工賃。貸している型と検査台。
さらに、これから荒加工だけ外へ出すなら、その数も要る。バネを多めに作って残すなら、その在庫も要る。
「兄上」
「ん?」
「お蓮さんの二十枚分の加工賃、どこへ付けます?」
「……あ」
宗次郎が帳面を開いたまま俺を見る。
「材料はこちら持ちですよね」
「うん」
「手直し二枚は榊屋でやりました」
「うん」
「新八さんが向こうへ行った分は?」
「……それまで入れる?」
「入れないんですか?」
聞かれて考えた。
加工賃だけ見れば、お蓮の工房へいくら払ったかは分かる。だが、それだけで榊屋の負担が分かるわけではない。
材料を渡している。
型も作った。
検査台も貸した。
新八が何度も向こうへ行っている。
「すぐ全部は無理やな」
「では、分かるものから分けます」
「そうして」
宗次郎が別の紙を引き寄せる。
その横には、見覚えのない帳面が一冊増えていた。
「それ何?」
「外へ出した物です」
「新しく作ったん?」
「榊屋の中の材料と一緒にすると分かりにくかったので」
「そっちは?」
「戻ってきた物と、まだ戻っていない物です」
「……その横」
「貸している道具です」
「増えたな」
「増えましたね」
宗次郎は平然としていた。
俺は机の上をもう一度見る。
「……宗次郎」
「はい」
「大丈夫?」
「何がです?」
「いや、多ない?」
宗次郎は帳面を見下ろし、それから俺を見た。
「まだ大丈夫ですよ」
「ほんま?」
「はい。今まで榊屋の中だけ見ていればよかったものが、外にもあるだけですから」
「それが増えたって言うんちゃうん?」
「増えましたけど、分ければ分かります」
それならいい。
宗次郎は昔からこういう仕事が得意だった。俺が何を知りたいか伝えれば、どこから数字を拾えばいいのか考え、帳面へ落とす。材料も納期も、今では俺より宗次郎の方がよく分かっている。
「無理やったら言えよ」
「言います」
「ほんまにな」
「兄上の方こそ」
「何で俺?」
「また外へ出す物増やそうとしてるでしょう」
「……新八?」
「聞かなくても分かります」
こいつ怖い。
俺が黙っていると、宗次郎は少し笑ってから帳面へ戻った。
お蓮の工房へ次に渡す材料。
戻ってきた地板。
榊屋に残っている地板。
新しく作るバネ。
良品として残すバネ。
宗次郎は一つずつ数を確かめ、それぞれの帳面へ書き込んでいく。
この時は、まだ全部合っていた。




