姉御
善次郎が工房を見つけてきたのは、それから四日後だった。
「早ない?」
「遅い方がよかった?」
「そういう意味ちゃうけど」
俺は手にしていた地板を作業台へ置いた。
探してくれと言ったのは俺だ。鉄の細かい仕事に慣れていること。数を作る仕事を嫌がらないこと。こちらが決めた道具や作り方を使うことに抵抗がないこと。それから、不良が出た時に誤魔化さないこと。
腕がいいだけでは駄目だとも言った。
「何軒見た?」
「六軒」
「四日で?」
「近いし」
「そういう問題なん?」
「商いしとったら、どこが何作っとるかぐらい知っとるで」
それもそうか。
俺が知らなさすぎるだけなのかもしれない。榊屋へ来てから堺の職人とはそれなりに付き合ってきたが、俺が知っているのは、どうしても仕事を通じて関わった相手が中心になる。
善次郎は違う。
鉄を買う者も、売る者も、運ぶ者も、その間に銭を出す者も知っている。俺にとって堺は工房の集まりだが、こいつにとっては商売相手の集まりなのだろう。
「で、何作っとるとこ?」
「金物。錠前とか蝶番とか、留め金とか。鋲も作っとる」
「鉄砲は?」
「作ってへん」
「ええん?」
「鉄砲作っとるところ探せとは言われてへんで」
善次郎が俺を見る。
「同じもん何個も作るん嫌がらんところやろ?」
「……そうやな」
そこまで覚えているなら文句はなかった。
「新八」
「ん?」
「ちょっと出るで」
「どこ?」
「外注先候補」
「がい……?」
「他所に仕事頼めるか見に行く」
「最初からそう言えや」
危ない。
最近、頭の中の言葉がそのまま口から出そうになることが増えた気がする。
◇
善次郎に連れられて着いた工房は、榊屋よりずっと小さかった。
だが、一人や二人でやっている鍛冶場でもない。中へ入る前から複数の槌の音が重なって聞こえ、軒先には出来上がったらしい金具が籠ごとに分けられている。その横には、まだ仕上げ前らしい品がまとめて置かれていた。
中には男の職人が何人もいる。若い者もいれば、俺よりずっと年上に見える者もいた。
「思ったよりおるな」
「七人やったかな」
「親方入れて?」
「さあ」
「そこ確認してへんの?」
「仕事できたらええやろ」
「商人って怖いな」
俺たちが入口で話していると、奥から声が飛んできた。
「宗八! そっち先ちゃう! 三十揃えてから次やれ!」
「へい、姉御!」
「平助! 昨日の残り混ぜんな言うたやろ!」
「すんません、姉御!」
思わず新八と顔を見合わせた。
「……姉御?」
「知らん」
奥から一人の女が出てきた。
二十代の終わりくらいだろうか。袖を肘までまくり上げ、前掛けには煤と鉄粉が染みついている。特別大柄というわけでもないが、出てきただけで周りの職人が自然と場所を空けた。
露わになった腕には、小さな火傷の痕がいくつも残っている。
「何?」
女は善次郎を見る。
「この前言うた話」
「ああ」
それだけ言って、今度は俺と新八を見た。
「榊屋?」
「はい。榊虎松です」
「若いな」
「よく言われます」
「で?」
早い。
挨拶を広げる気がまったくない。
俺は少し戸惑ってから聞いた。
「親方さんは?」
「おるで」
「呼んでもろても?」
「何の話?」
「仕事の」
「ほな、うちでええ」
「……え?」
女が眉を寄せた。
「親父、腰悪うしてな。銭の話と大きい仕事決める時ぐらいしか出てこん。何作るか、誰にやらすか、いつまでに揃えるかは、今うちが見とる」
奥から声が上がった。
「姉御! これどこ置くん!」
「穴開けたんやったら右! まだなんは左や!」
「へい!」
女が俺へ向き直る。
「こんな感じ」
「……なるほど」
親方ではない。
だが、どう見てもこの工房を動かしているのはこの人だった。
「お蓮さんや」
善次郎が今さら紹介した。
「先言えや」
「聞かんかったやん」
「普通言うやろ」
お蓮は俺たちのやり取りを無視して、さっさと工房の奥へ戻っていった。
「話するんやったら、こっち来て。入口邪魔や」
「はい」
俺たちは素直についていった。
◇
中へ入って、最初に気になったのはお蓮ではなかった。
物の置き方だった。
同じような金具が十個、二十個とまとめて置かれている。だが、全部が一つの籠に放り込まれているわけではない。ある籠にはまだ穴のない金具、その隣には穴を開けた金具、さらに向こうには表面を仕上げる前の物があり、完成品らしい物はまた別の場所へ積まれている。
「これ、何で分けとるん?」
俺が聞くと、お蓮が振り返った。
「何が?」
「この金具」
「ああ。そっちは穴まだ。こっちは開けたやつ。向こうは仕上げ待ち」
「誰が決めたん?」
「うち」
「何で?」
「混ぜたら分からんようになるやろ」
当然だという顔をされた。
「前は混ぜとったん?」
「親父の頃はな。作っとる本人が覚えとった」
「……ああ」
「人増えてから無理になった。いちいち『これ終わった?』『まだ?』って聞かれるんも鬱陶しいし」
なるほど。
理屈から始めたわけではない。
人が増えた。同じ物を何十個も作るようになった。誰が何をやっているか分からなくなった。だから、途中の物を仕事ごとに分けた。
俺が前の仕事で見慣れていた仕掛品の置場と、考え方はそう遠くない。
「……ええな」
「何が?」
「いや、こっちの話」
隣で新八が俺を見た。
「お前、この人が女やったこともう忘れとるやろ」
「今それどころちゃう」
「何の話?」
お蓮が怪訝そうに見る。
「何でもないです」
「変なん連れてきたな」
善次郎に言われた。
「お前が連れてきたんやろ」
◇
仕事の話は、工房の隅にある台の上ですることになった。
俺は持ってきた包みを開き、地板を一枚置いた。
お蓮が手に取る。
「鉄砲?」
「分かるん?」
「見たことぐらいある。中の板やろ」
「そう」
裏返し、穴を見て、指で縁をなぞる。
扱いに迷いがない。
「これ作れ言うん?」
「まず十枚」
「これと同じ?」
「いや」
お蓮の手が止まった。
「ちゃうん?」
「同じにしてほしいところと、せんでもええところがある」
「何それ」
俺は地板を受け取り、まず一辺を指した。
「最初にここを決める。こっから、この穴とこの穴の位置を取る。この辺は台木に入るから、勝手に大きくしたり小さくしたりしたら困る」
「うん」
「こっちは多少違ってもええ」
「何で?」
「何にも当たらんから」
お蓮が見本の地板を見る。
「でも、これ削っとるで」
「そこは……見た目やな」
「ほな削らんでもええやん」
「……せやな」
新八が横を向いた。
「笑うな」
「笑ってへん」
「肩揺れとるぞ」
お蓮はそんな俺たちを無視して、もう一度地板を眺めた。
「要るところだけ同じにしたらええんやな」
「そう」
返事が早かった。
余計なところまで見本と同じにしようとしない。何のための形かを聞き、要らないなら要らないと切る。
俺は少し期待しながら、次の包みを開いた。
「あと、これ」
「何?」
「検査する道具」
新八が作った二台目の検査台だった。
地板を置いて見せる。
「まずここに当てる。ちゃんと収まるか見る。それから穴がここに来るか確かめる」
「入ったらええん?」
「まだ」
「まだあるん?」
「ある」
カラクリを取り付け、動かしてみせる。火ばさみが倒れ、火縄を想定した先が決めた位置へ来る。
「穴が合っても、これがちゃんと動かんかったらあかん。最後に火縄がこの辺へ落ちるところまで見る」
お蓮はしばらく検査台を見ていた。
「これ通らんやつ持ってったら?」
「使わん」
「銭は?」
「良品としては払えん」
「直せるやつは?」
「直して通れば使う」
「直されへんかったら?」
「数には入れへん」
「なるほど」
お蓮は頷いた。
「最初からそれ言うてくれたら早いやん」
「いや、何で通らなあかんかも大事やろ」
「作る方は、どこ見たらええか分かったらええねん」
「それで勝手な作り方されたら困るねん」
「細かいなあ」
「鉄砲やぞ」
「地板やろ?」
「鉄砲の地板や!」
善次郎が笑っている。
こいつ、完全に見物人になっとるな。
◇
「で、十枚やな」
お蓮が言った。
「まずは」
「いつまで?」
「急がん。最初やから、ちゃんと作ってほしい」
「ちゃんとっていつ?」
そう来たか。
「……十日でどう?」
「分かった」
「材料はこっちから出す。あと、作った人が分かるようにしといて」
「何で?」
「誰が作っても同じように出来るか見たい」
お蓮が少し考えた。
「分かった。宗八!」
「へい!」
さっき呼ばれていた男が来た。三十前後だろうか。俺たちを見てから、お蓮を見る。
「これ二枚作って」
「これ?」
「鉄砲の地板やて」
「姉御が作るんちゃうん?」
「何でうちが十枚も作んねん。平助!」
「へい!」
「お前も二枚」
「ちょ、ちょっと待って」
俺が止めた。
「何?」
「分けるん?」
「十枚やろ?」
「そうやけど」
「一人で十枚作らせたら遅いやん」
「いや……」
言いかけて、止まった。
違う。
これでいい。
一人の腕のいい職人が十枚作れることを確かめたいわけではない。同じ基準を渡した時に、違う人間が作っても同じ物になるのか。
俺たちが知りたいのは、そっちだ。
「……そのままやって」
「何やねん」
「いや、今のがええ」
「変なやつやな」
今日二回目である。
「ただし、最初に全員へ説明させて」
「ええで」
「それと、最初の一枚作る時は新八が来る」
「俺?」
「お前」
「聞いてへんけど」
「今言うた」
「勝手やなあ」
「頼むわ」
新八が露骨に嫌そうな顔をしたが、断りはしなかった。
そこまで見て、お蓮が口の端を少し上げた。
「そっちも似たようなもんやん」
「何が?」
「人の使い方」
「一緒にせんといて」
新八に即答された。
◇
十日後。
約束通り、地板が十枚届いた。
持ってきたのは、お蓮自身だった。
「十枚」
「早かったな」
「十日言うたやろ」
「そうやけど」
「数えて」
「信用してへんみたいやん」
「数えるんやろ?」
「数える」
十枚あった。
宗次郎が横で帳面を開く。作った職人が分かるよう、一枚ごとに印も付けてもらっていた。
「ほな、見るで」
「うん」
一枚目を検査台へ載せる。
収まった。
穴も合う。
カラクリを取り付けて動かす。
問題なし。
「一枚」
宗次郎が印を付ける。
二枚目も良し。
三枚目も良し。
四枚目で止まった。
「……ここやな」
新八が指を当てる。
検査台へ入るには入るが、片側が少しきつい。
「直せる?」
お蓮が聞く。
「これならいける」
「ほな手直し」
宗次郎が別の印を付ける。
五枚目は良し。
六枚目。
穴の一つが合わない。
ほんの少しだった。
だが、検査台の棒が通らない。
「これは?」
「直したら穴広がる」
新八が言う。
「位置そのものがずれとるから、広げて通したら別のもんになるな」
「ほな駄目?」
「駄目」
「分かった」
お蓮はそれ以上何も言わなかった。
七枚目は良し。
八枚目も良し。
九枚目は手直し。
十枚目は良し。
結果は、七枚がそのまま使える。
二枚が手直し。
一枚が不良。
「七か」
お蓮が言った。
「最初なら悪ないと思う」
「良くもない?」
「これで月五十頼む気にはならん」
「正直やな」
「鉄砲やからな」
「地板やろ」
「そのやり取りもうやったやろ!」
お蓮が笑った。
初めてちゃんと笑った気がした。
「で、誰のがあかんかった?」
宗次郎が帳面を見る。
「不良は平助さんです。手直し二枚は、平助さんと……こちらの印です」
「それ、吉蔵」
「ということは、宗八さんの分は全部良品ですね」
「平助は?」
「良品一、手直し一、不良一です」
お蓮が頷いた。
「分かった」
「怒らんの?」
「何で?」
「いや、不良出したから」
「怒ったら次から良うなるん?」
「……ならんな」
「ほな、作っとるとこ見る」
それだけだった。
◇
翌日、俺と新八はもう一度、お蓮の工房へ行った。
平助が地板を作っていた。
その横に、お蓮がいる。
何も言わずに見ている。
俺たちにも気付いたが、手で待てと合図しただけだった。
平助が地板の外形を整える。
見本を当てる。
次に穴の位置を取ろうとしたところで、お蓮が止めた。
「何でそこから穴取っとるん?」
「え?」
「最初にどこ決めろ言われた?」
平助が止まる。
「……ここ」
「ほな何で、今そっちから取ったん?」
「こっちの方が取りやすかったんで」
「取りやすいんは分かった。そしたら、ここと穴の場所、何で決まるん?」
平助が黙った。
俺も黙った。
横を見ると、新八も同じ顔をしていた。
お蓮が俺たちへ振り返る。
「これ?」
「……たぶん」
「昨日のずれ」
新八が平助の途中品を受け取り、型を当てた。
「これやな。ここから取ったら、外の形が少し違うだけで穴も一緒に動く」
「宗八は?」
「最初に決めたとこから取っとった」
お蓮は平助を見る。
「聞いた?」
「聞きました」
「何で変えたん?」
「こっちの方が早い思て」
「早かった?」
平助が黙った。
「一枚捨てたら遅いやろ」
「……はい」
「ほな、もう一回」
怒鳴らない。
殴りもしない。
ただ、もう一回やらせる。
俺は少し驚いていた。
姉御と呼ばれているから、もっと力で押さえる人なのかと思っていた。違う。この人は、人を見ている。
誰が何を作ったか。誰の物が悪かったか。その人がどう作っているか。結果だけで決めつけず、手元を見てから直す。
親方の娘だから姉御と呼ばれているわけではないらしい。
「……姉御なんやな」
思わず呟いた。
「何?」
「何でもない」
◇
榊屋へ戻る途中、善次郎と合流した。
「どうやった?」
「使えそう」
「ほな五十頼む?」
「何でそうなる」
「百作るんやろ?」
「段階踏ませろ」
「何枚?」
「まず二十」
「少な」
「多いわ。鉄砲二十挺分やぞ」
「向こう、もっと出来る言うてたで」
俺は足を止めた。
「もう聞いたん?」
「昨日」
「何で?」
「頼むかもしれんから」
「俺より先に生産能力確認すんな!」
「大事やろ?」
「大事やけど!」
善次郎によれば、お蓮の工房は今の仕事をそのまま続けるなら、地板を月二十から三十枚ほど増やせるらしい。他の仕事を減らせばもっと作れるし、値段次第では人を増やすことも考えるという。
「五十もいける言うてたで」
「言うてた?」
「銭次第やて」
頭が痛い。
あの二人を直接商談させたら駄目な気がしてきた。
「まず二十や」
「分かった」
「ほんまに分かった?」
「二十やろ」
「勝手に三十にすんなよ」
「せえへんって」
信用ならない。
だが、二十なら試せる。
榊屋で作る地板をすぐに減らす必要もない。お蓮の工房から入ってくる二十枚を受け入れて検査台を通し、実際に鉄砲へ組み込んでみる。
不良がどれだけ出るか。
手直しがどれだけ要るか。
毎月同じように作れるか。
見るべきものはいくらでもある。
それでも、十枚の試作で一つだけ分かったことがある。
榊屋の職人でなくても、榊屋の基準に合わせた地板は作れる。
「検査台、向こうに一台置く?」
新八が聞いた。
「置く」
「俺が作った方?」
「うん」
「返ってくる?」
「何でや」
「何となく」
「返してほしいん?」
「別に」
「ほなええやん」
「何か腹立つな」
善次郎が横から口を挟んだ。
「もう一台作ったら?」
「お前はすぐ増やそうとすんな」
◇
翌日、宗次郎が材料の量を帳面へ書き、お蓮の工房へ渡す分を分けた。
地板二十枚分の材料。
製作に使う型。
新八が作った検査台。
それから、どこを基準にして作るのかを書いた簡単な控え。
新八も最初の数日は向こうへ顔を出すことになった。
「何かあったら勝手に直さんと、こっち来て」
俺が言うと、お蓮は検査台を持ち上げた。
「分かっとる」
「ほんまに?」
「平助よりうるさいな、お前」
「外で作ってもらうん初めてやねん」
「ねじやっとるんやろ?」
「鉄砲の部品は初めてや」
「地板やろ?」
「もうええわ!」
周りの職人が笑った。
「姉御、どこ置くん?」
宗八が聞く。
お蓮は工房を見回し、作業台の一つを指した。
「そこ空けて。榊屋のは他と混ぜんな」
「へい!」
「平助」
「へい」
「お前、最初これな」
「……へい」
「嫌なん?」
「やります!」
お蓮が検査台を置くと、その周りから職人たちが動き始めた。
宗八が型を確かめる。平助は材料を一枚取り、昨日教えられた基準位置へ指を当てている。その後ろでは、お蓮が二人の手元を見ながら、置場を決め、仕事を振っていた。
榊屋で作った道具がある。
榊屋で決めた基準がある。
だが、それを使っているのは榊屋の職人ではない。
外注というものを、俺は前から知っていた。
知っていたはずなのに、実際に自分たちの仕事が工房の外で動き始める光景は、思っていたよりずっと妙な感じがした。
「虎松」
善次郎に呼ばれて振り返る。
「何?」
「もう一軒あるで」
「……何が?」
「候補」
「待て」
「見るだけ」
「待て言うとるやろ」
善次郎を止めながら、俺はもう一度だけ工房を振り返った。
地板二十枚分の材料が、榊屋とは違う作業台の上に積まれている。
榊屋の鉄砲に使う部品が、初めて榊屋の外でまとまった数、作られ始めていた。




