撃てる不良品
善次郎が持ってきた帳面を見た俺は、最初、自分が数字を読み違えたのだと思った。
「……善次郎」
「何や?」
「これ、百って書いてある?」
「書いてあるな」
「何が百なん?」
「鉄砲」
「それは分かる」
分かりたくなかっただけだ。
今の榊屋は、善右衛門屋へ毎月五十挺の鉄砲を納めている。昔なら工房中がひっくり返るような数だったが、水車を入れ、道具を増やし、仕事を分け、職人も増えた。今では五十挺を作ること自体は、もう特別な仕事ではない。
だが、帳面に書かれている数字は五十ではなかった。
百挺。
「何で増えとんねん」
「売れるから」
「知らんがな」
「いや、作る方は知っといた方がええやろ」
「そういう意味ちゃうわ!」
善次郎は笑っているが、俺は笑えない。
しかも、今までと同じ鉄砲ならまだ話は分かる。
一益が持ち帰った四挺を境に、榊屋では次から半規格の作り方を使うことになった。地板や火蓋の鋲、火ばさみの軸など、決めたところは別の鉄砲へもそのまま替えられるようにする。銃身と尾栓は一挺ごとの組のまま、何でもかんでも同じにするわけではない。それでも、今までとは違う鉄砲だった。
作り方そのものは見えている。五挺なら実際に作り、互いに部品を替えても撃てることまで確かめた。
だが、それを五十挺、百挺と続けた時に何が起こるのかまでは分からない。
「これ、親父知っとる?」
「うちの親父?」
「他に誰がおんねん」
「知っとるで。親父が百にせえ言うたんやから」
「よし」
「何が?」
「行くぞ」
「どこに?」
「お前んとこや!」
◇
俺と親父、それに宗次郎は、その日のうちに善右衛門屋へ向かった。善次郎も当然のようについてくる。
「何でお前まで来んねん」
「俺んちやぞ」
「……そうやった」
腹が立ちすぎて忘れていた。
善右衛門屋へ着くと、当の本人は俺たちが来ることを知っていたような顔で座っていた。茶まで用意されているところを見ると、善次郎が百挺と書いた帳面を持っていけば俺がどうなるかまで読まれていたのかもしれない。
「来たか」
「来たわ」
「まあ座れ」
「その前に聞くけどな」
俺は善次郎から受け取った帳面を卓の上へ置き、百挺と書かれたところを指で叩いた。
「これは何?」
「百挺」
「見たら分かるわ!」
「ほな何を聞いとんねん」
「何で百になっとんねん!」
善右衛門は面倒そうに湯呑みを持った。
「五十は作れとるんやろ?」
「作れとる」
「ほな、もうちょい作れるやろ」
「倍を『もうちょい』言うな!」
横で善次郎が笑っている。親父は何も言わずに茶を飲み始め、宗次郎は持ってきた帳面を開いていた。
「工房も前より広なった。水車もある。職人も増えた。道具も増えた。前より作れるようになったんやろ?」
「なったよ」
「ほな百や」
「途中の話どこ行ったん!?」
善右衛門の中では、設備と人を増やせば生産数もそのまま増えるらしい。
そんなわけがない。
今の五十挺だって、最初から毎月五十挺を流す前提で仕事を組んでいる。鉄を入れる時期、台木を揃える時期、銃身を作る人数、カラクリを作る人数、組み立て、試射。他の仕事とぶつからないように宗次郎が帳面を見ながら順番を調整し、ようやく今の流れができている。
そこへ五十挺を足して、はい百挺とはならない。
「そもそもな、次から作り方変わるんやぞ」
「半分替えられるやつやろ?」
「半分言うな。半規格や」
「似たようなもんや」
「全然ちゃうわ」
俺は卓の上の帳面を指した。
「一益に見せた五挺は、作りながら直しとる。地板も軸も鋲も、どこまで揃えたらええか一個ずつ見ながらやった。次からは最初からその作り方でいくけど、それを五十挺作った時に今までと同じように流れるかは、まだ分からん」
「でも作れるんやろ?」
「作れると、同じ手間で作れるは別や!」
そこが問題だった。
五十挺の鉄砲を作る能力は、もうある。だが、半規格銃を五十挺作る能力が今までと同じかどうかは、まだ分からない。部品を揃えるための確認が増えるかもしれないし、組み立てで今までとは違う手間が出るかもしれない。出来上がった後、本当に別の鉄砲へ部品が付くかも確かめなければならない。
五挺ならできた。
だから五十挺でも同じようにできるとは限らない。
「せめて最初は五十のままや」
俺は言った。
「今まで毎月五十流しとったんやから、まず同じ数を半規格で作る。それでどこに手間掛かるか見る」
「いやいや」
善右衛門が首を振った。
「増やせるやろ」
「何でや!」
「作り方揃えたんやろ?」
「揃えたらすぐ数増えると思うな!」
「七十」
「勝手に増やすな。五十」
「八十」
「何で増えた!?」
「百より減っとる」
「そういう問題ちゃうわ!」
善次郎がとうとう吹き出した。
「親父、刻む方向おかしいで」
「お前はどっちの味方や」
「売れる方」
「やっぱ敵やんけ」
「客や言うとるやろ」
俺は親父を見る。
親父はまだ茶を飲んでいた。
「親父も何か言うて」
「五十」
「ほら!」
善右衛門が親父を見る。
「いや、源兵衛。五十はもう作れとるんやろ?」
「作れとる」
「ほな六十くらい」
「五十」
「せめて七十」
「五十」
「何で増えへんねん」
「五十しかやらん」
親父が湯呑みを置いた。
「今まで五十作っとった。作り方変えるんやったら、まず五十作る。それで問題ないん分かってから次考えたらええやろ」
「注文あるんやぞ」
「知らん」
「売れるんやぞ」
「お前が売りすぎなんや」
「商人に売るな言うんか」
「五十売れ」
「残りどうすんねん」
「お前が考えろ」
強い。
俺が散々説明したことを、親父はほとんど五十の一言で片付けている。それなのに、善右衛門にはこっちの方が効いていた。
「……六十」
「五十」
「五十五」
「五十」
「一挺くらい」
「五十」
善右衛門が舌打ちした。
「……ちっ。しゃあない」
勝った。
「ほな、しばらく五十や」
「最初からそう言うとるやろ」
「しばらくやぞ」
「その言い方やめろ」
善右衛門は聞いていなかった。
隣では善次郎が帳面の百に線を引き、その横へ五十と書き直している。
「善次郎」
「何や?」
「これ、百の注文なくなったわけちゃうよな?」
「当たり前やろ。欲しい言うとる奴がおるから百なんや」
「……そう」
帳面の数字を五十に戻しても、欲しがっている人間まで消えるわけではないらしい。
とりあえず今は考えないことにした。
◇
半規格の鉄砲を五十挺作る。
数だけなら、今までと同じだった。
実際に作り始めてみると、心配していたほど大きくは崩れなかった。市兵衛は旋盤で軸を削り、新八は型を使って地板を作る。甚助たちは台木に決めた基準を残しながら加工し、弥吉たちがカラクリを組み上げていく。銃身と尾栓は今まで通り一挺ごとの組だが、地板、火蓋の鋲、火ばさみの軸は決めた基準に合わせた。
作る途中で見るところも、だいぶ決まっている。軸なら当て金を通し、地板なら型に当てる。台木も決めたところから外れていないかを見て、組み上がれば火蓋と火ばさみを動かし、火縄が火皿へ落ちる位置を確かめる。
最初の何挺かは少し時間が掛かったが、十挺、二十挺と進むうちに職人たちも慣れていった。新八がいちいち俺を呼ぶことは減り、弥吉は決めたところ以外ならいつも通り自分で判断する。甚助も台木のどこを残しておけば後が楽なのか、もう俺より分かっている。
俺が心配していたほど、製作そのものは問題にならなかった。
「今月の五十、あと八挺です」
宗次郎が帳面を見ながら言った。
「間に合いそう?」
「今のところは」
「善右衛門には言うなよ」
「何をです?」
「余裕あるとか」
「言いませんよ」
「絶対やぞ。あのジジイ、すぐ六十とか言い出すからな」
「もう言っています」
「言っとるんかい」
やっぱり五十で止めて正解だった。
問題は、作り終わった後にあった。
◇
「十二と二十三」
「はい」
宗次郎が帳面を見ながら番号を読む。俺は十二番の鉄砲から地板を外し、二十三番へ取り付けた。収まりを確かめてから火蓋を動かし、火ばさみを起こして落としてみる。
問題ない。
「良し」
宗次郎が帳面へ印を付ける。
「次、七と三十一」
「はいよ」
七番の地板を三十一番へ移す。こちらもそのまま収まり、動きにも問題はない。
「良し。次」
「十五と四十二」
また外し、また付けて、また動かす。
地板だけではない。火蓋の鋲も、火ばさみの軸も同じように別の鉄砲へ移して確かめる。どれも別々に作った物なのだから、実際に別の鉄砲へ付けば分かりやすい。
最初の五挺では、これが楽しかった。
別々に作った部品が、本当に別の鉄砲へそのまま付く。削らなくていい。叩いて合わせなくてもいい。それを見るたびに、俺たちがやってきたことが形になった気がした。
だが、五十挺で同じことをやると感想が変わる。
「……宗次郎」
「はい」
「何挺目?」
「二十一です」
「まだ?」
「まだです」
「これ、今日中に終わる?」
「兄上が休まなければ」
「俺がやる前提なん?」
「今やっていますから」
そうだった。
俺は手に持った地板を見てから、作業台に並ぶ型と当て金へ目を移した。
作る途中でも確認している。軸は当て金を通しているし、地板は型に当てている。台木も基準から見ている。組み上げた後には動作を確かめ、最後には発火と試射までやっている。
そのうえで、完成した鉄砲をもう一度ばらし、別の鉄砲へ付けている。
「……これ、やってられへんぞ」
「兄上がやるって言ったんですけど」
「五挺の時はな!」
「五十でも同じ鉄砲です」
「数が十倍や!」
しかも、五十挺すべての組み合わせを確かめているわけではない。そんなことを始めたら、いつまで経っても納品できなくなる。今やっているのは何挺かずつ相手を変え、元とは違う鉄砲へ付くことを確かめているだけだ。
それでも重い。
善右衛門に百挺と言われた時、俺は製作能力のことばかり考えていた。材料は足りるか、職人は足りるか、どこが詰まるか。だが、半規格銃には今までの鉄砲になかった仕事が、完成した後に一つ増えていた。
交換できることを確かめる仕事だ。
「減らそ」
俺は言った。
「何をです?」
「交換して見る数。全部こんなんやっとったら、鉄砲作るより時間掛かる」
「大丈夫ですか?」
「途中であれだけ見とるんやぞ」
俺は作業台の上にある型と当て金を指した。
「地板は型に合っとる。軸も鋲も当て金通っとる。台木も基準見とる。完成してから動きも見とるし、試射もしとる。そのうえで何挺か替えて問題なかったら、もうええやろ」
宗次郎は少し考えてから聞いた。
「では、どれを見ます?」
「お前が選んで」
「私が?」
「俺が選んだら、無意識に良さそうなん選ぶかもしれん」
「兄上ならやりそうですね」
「そこは否定してくれへん?」
宗次郎は答えず、帳面へ目を落とした。
「では、三と二十八」
「はい」
交換する。問題なく入った。
「十六と四十七」
これも入る。
「九と三十五」
問題ない。
火蓋の鋲と火ばさみの軸も何組か選び、同じように確認した。途中で削ったり叩いたりする必要はなく、そのまま入り、動きにも問題はない。
「ほら」
俺は最後の軸を元へ戻した。
「大丈夫やん」
「そうですね」
「今までやりすぎやったんや」
「兄上が決めたんですけど」
「分かっとるわ」
余計な一言を付ける弟である。
決めた基準に合わせて作り、それぞれの工程で確認する。完成後には動作と試射を見て、互いに交換できるかについては宗次郎が選んだ何挺かで確かめる。
今の榊屋なら、それで十分だと思った。
◇
納品を翌日に控えた夕方、五十挺は揃っていた。
試射も終わり、宗次郎の帳面にも必要な印が並んでいる。俺はようやく鉄砲から離れ、後回しにしていた別の仕事を片付けていた。
「虎松」
新八に呼ばれた。
「何?」
「ちょっと来て」
声がおかしい。
作業台へ行くと、一挺の鉄砲と、別の鉄砲から外した地板が置かれていた。
「どうした?」
「これ入らん」
「は?」
新八から地板を受け取り、取り付けようとする。途中で止まったので向きを確かめ、もう一度やってみたが、やはり入らない。
「これ何番の地板?」
「十八」
「鉄砲は?」
「四十三」
十八番の地板を元の十八番へ戻すと、何の問題もなく収まり、火蓋も火ばさみも動いた。四十三番の元の地板も戻してみるが、こちらも問題ない。
「両方、試射した?」
「しとる」
「途中の確認は?」
「通っとる」
宗次郎を呼んで帳面を確かめた。
十八番は各工程の確認を通り、完成後の動作も良し、試射も良し。四十三番にも同じ印が並んでいる。どちらも鉄砲としては問題なく使えた。
それなのに、十八番の地板を四十三番へ持っていくと入らない。
「……他の鉄砲持ってきて」
新八が近くにあった一挺を持ってくる。十八番の地板を取り付けると、今度はそのまま収まった。
「じゃあ四十三の方か?」
「まだ分からん」
今度は別の鉄砲から地板を外し、四十三番へ持ってくる。
入らない。
もう一つ試す。
やはり途中で止まった。
そこでようやく、どちら側に問題があるのかが見えた。
「四十三、外しといて」
宗次郎が帳面へ印を付ける。
「不良ですか?」
俺は少し迷った。
「……不良や」
新八が四十三番を見た。
「撃てるで?」
「撃てる」
「動くで?」
「動く」
「ほな何が悪いん?」
「替えられへん」
以前の榊屋なら、四十三番は間違いなく良品だった。撃てるし、壊れてもいない。動きも悪くなく、そのまま客へ渡しても鉄砲として困ることはない。
だが、今の榊屋は「替えられる鉄砲」として作っている。
自分の地板で撃てるだけでは、もう良品にならなかった。
「他も見るぞ」
「全部?」
「……まだ組み替えてないやつから」
新八が笑った。
「さっき減らしたとこやろ」
「今それ言うな」
宗次郎が帳面を開き直した。
そこからは、まだ交換を確かめていない鉄砲を優先して見ていった。地板を別の一挺へ移し、入らなければさらに別の地板を持ってきて、地板側と鉄砲側のどちらに問題があるのかを確かめる。
しばらくして、もう一挺見つかった。
そいつも元の部品なら動いた。試射も通っているし、途中の確認にも何も残っていない。それでも別の地板を持ってくると、そのままでは付かなかった。
二挺。
五十挺のうち、二挺だった。
「宗次郎。この二挺、明日の分から外しといて」
「五十に足りなくなります」
「直す。間に合わせる」
「分かりました」
「新八、どこが違うか見るぞ。地板だけやないかもしれん」
「分かった」
俺は作業台に並んだ二挺と、宗次郎の帳面を見比べた。どちらの鉄砲にも、各工程を通った印がきちんと残っている。
五十挺を作ることはできた。半規格の鉄砲を五十挺作ることもできた。
だが、五十挺すべてを「替えられる鉄砲」として出すには、今の確認の仕方では足りない。
明日の納品までに二挺を直す。そのうえで、次の五十挺を同じやり方で確認するのかどうかも考えなければならなかった。




