次から全部
一益たちが帰った翌朝、俺は作業台の前で一挺の鉄砲を眺めていた。
昨日まで五挺並んでいた場所には、今は一挺しか残っていない。四挺は一益と川尻が尾張へ持っていき、残った一挺は見本として榊屋に置くことになった。地板の位置を決める型も、鋲や軸を確かめる当て金も、その横に昨日と同じように置かれている。
鉄砲そのものは何も変わっていない。銃身も台木も地板も、寝ている間に勝手に変わるはずがない。
それなのに、昨日までとは違って見えた。
「何見とんねん」
後ろから声を掛けられて振り向くと、親父がいた。
「これ」
「見たら分かる」
「いや、そうやなくて」
俺は残った一挺を持ち上げた。
「昨日、一益殿が言うたやろ。次からもこの作り方でって」
「言うたな」
「これ、もう試しに作った鉄砲ちゃうねん」
「鉄砲は鉄砲やろ」
「そうやけど」
どう説明したものかと考えていると、親父が俺の手から鉄砲を取った。火蓋を開け、火ばさみを起こし、引金を引いて動きを確かめる。昨日まで何度も見てきた鉄砲と何も変わらない。
「次もこれで作るんやろ?」
「そのつもり」
「ほな、作ったらええやん」
「……軽いな」
「何がや」
「これ作るんに何か月かかったと思っとんねん」
「知らん。お前が勝手に悩んどったんやろ」
「親父も一緒にやっとったやろ!」
親父は俺を無視して鉄砲を作業台へ戻した。
「もう五挺作ったんやろ?」
「作った」
「四挺持っていかれたんやろ?」
「売れた言えや」
「一緒や」
「商売として大違いや」
親父は鼻で笑った。
「ほな、次も売れるように作れ」
それだけ言って、自分の仕事へ戻っていった。
簡単に言いやがる。
けれど、言っていることは間違っていない。最初の二挺は、本当に作れるのか確かめるために作った。そこから三挺増やし、五挺になっても同じやり方が通用することを確かめ、そのうち四挺は一益の前で実際に部品を交換して撃ったうえで商品として尾張へ持っていかれた。
なら、次にやることはもう決まっている。
同じ物を、普通に作る。
◇
「というわけで、今度から鉄砲は基本これと同じ作り方にしたい」
仕事を始める前に、主だった者を作業台の周りへ集めた。
親父、新八、弥吉、市兵衛、甚助。それに帳面を持った宗次郎。真ん中には昨日残した一挺を置いてある。
弥吉が鉄砲を手に取った。
「同じ鉄砲作るん?」
「ちゃう」
「ちゃうん?」
「そこから説明せなあかんか」
「お前が同じ言うたんやろ」
「同じ作り方や」
弥吉から鉄砲を取り返し、作業台へ置いた。
「台木まで全部同じ形にせんでええ。木ぃ違うんやから、無理に同じにする意味もない。銃身と尾栓も今まで通り、一挺ごとの組で作る」
「ほな、何を同じにするんや」
「ここ」
地板を指した。
「地板の位置。火皿との位置。火蓋の鋲と火ばさみの軸。それから、そこに関わるところは今まで決めた基準と型で作る。別の鉄砲から外した地板でも、そのまま付くようにする」
新八が頷いた。
「昨日までの五挺と同じやな」
「そう。新しいことはせえへん」
「全部?」
「これから作る普通の鉄砲はな」
甚助が台木を持ち上げ、地板が収まる辺りを指でなぞった。
「ほな台木も、今やっとるみたいに基準残して作るんやな」
「うん。あとで型当てるとこ消したらあかんで」
「それはもう分かっとる」
「前に消したやん」
「あれ一回やろ」
「一回やったから言うとんねん」
「細かいやっちゃな」
甚助がぶつぶつ言いながら鉄砲を戻す。
市兵衛は横に置いてあった当て金を手に取った。
「軸も全部これに通す?」
「そう。太さだけやなくて、長さも今まで決めた見本で見る。旋盤で削ったから同じやと思わんといてな」
「思ってへんわ」
「市兵衛やなくて俺への戒めや」
「ああ」
「納得するな」
弥吉はその間も鉄砲を触っていた。火ばさみを起こし、落とし、もう一度起こす。
「これ、前のやつよりちょっと固ない?」
「今それ言わんでええ」
「何でや。違うやん」
「使える範囲には入っとる」
「でも違うで」
「分かっとるわ!」
こういう時だけ妙に鋭い。
もっとも、弥吉が感じた違いを無視するわけではない。弾き金の強さは前に作った型で確かめてある。まったく同じ強さではなくても、弱すぎず、強すぎず、使える範囲に入っていればいい。
全部を同じにすることが目的ではない。替えたいところが替えられて、使う時に困らない。それでいい。
「弥吉の言う通り、全部が同じになるわけちゃう。そこは勘違いせんといてほしい」
改めて全員を見る。
「揃えると決めたとこは揃える。それ以外は今まで通り、ちゃんと使えるように作る。何でもかんでも同じにせんでええ」
「分かった」
新八が答え、他の者も頷いた。
思ったより、あっさりしていた。
もっと何か言われるかと思っていたが、考えてみれば当然かもしれない。ここにいる連中は、ここ何か月も俺と一緒にこれを作ってきた。昨日突然、知らない作り方を持ち込んだわけではない。
変わったのは作り方ではない。
これから、それを毎回やるということだけだった。
◇
「兄上」
皆が仕事へ戻ろうとしたところで、宗次郎だけが残った。
「ん?」
「帳面はどうします?」
「帳面?」
「今までは分けて書いてましたよね」
宗次郎が開いた帳面を見せる。
普通に作った鉄砲と、半規格にした鉄砲。試しに作っていたから、当然記録も分けていた。どの部品を交換したか、どこまで確認したかまで書いてある。
けれど、これからは半規格の方が普通になる。
「……半規格って毎回書くん、変やな」
「私もそう思ったので聞いています」
「何も書いてなかったら、こっちにするか」
「こっち?」
宗次郎が残った一挺を見る。
「うん。普通に鉄砲って書いてあったら、この作り方。今までみたいに一挺ずつ合わせて作るやつとか、客から何か指定あった時だけ別に書く」
「では、今までの作り方の方に印を付けるんですね」
「そうなるな」
宗次郎は少し考え、帳面に何かを書き加えた。
「分かりました」
「それだけ?」
「他に何かあります?」
「いや……ないけど」
何か大きなことを決めた気がしていたのに、帳面の上では数文字増えただけだった。
昨日まで特別だった物を、普通にする。
たぶん、そういうものなのだろう。
◇
それから数日、榊屋では新しい鉄砲を作り続けた。
と言っても、見た目には以前と大して変わらない。火床では鉄が熱せられ、槌の音が響く。奥では台木が削られ、水車から引いた力で道具が動く。市兵衛は旋盤の前で軸を削り、新八は地板を型に当て、甚助は台木を削って次へ渡していく。
違うのは、途中で誰かが勝手に一挺へ合わせなくなったことだった。
少し入りにくいから削る。穴がずれたから広げる。火ばさみが合わないから曲げる。以前なら、それで完成して使えるなら問題なかった。
今は、合わなければまず何が違うのかを見る。
部品なのか。穴なのか。型なのか。それとも作り方なのか。
それを確かめてから直す。
最初の頃は俺も気になって、何度も作業台を覗いた。
「どう?」
「何が?」
新八が顔も上げずに答える。
「何かあった?」
「別に」
「地板入った?」
「入った」
「火ばさみは?」
「動いた」
「火皿の位置は?」
新八がようやく顔を上げた。
「何かあって欲しいん?」
「ちゃうわ」
「ほな仕事してこい」
追い払われた。
別の日には市兵衛のところへ行った。
「軸どう?」
「できとる」
「何本?」
「そこ」
見ると、出来上がった軸がまとめて並んでいた。
「当て金通した?」
「通した」
「全部?」
「全部」
「ほんまに?」
「自分でやる?」
「いや……ええわ」
また追い払われた。
甚助のところへ行けば、口を開く前に「基準残っとるで」と言われた。弥吉のところでは「今日はまだ何も違わんで」と先回りされた。
どうも俺は、かなり鬱陶しいらしい。
仕方なく自分の仕事へ戻った。
それでも鉄砲はできた。
俺が横で見ていなくても、市兵衛は軸を作り、新八は地板を確かめ、甚助は台木を作る。弥吉は組みながらおかしなところを見つければ止めるし、宗次郎は出来上がった数を帳面へ書いていく。
前にも、似たようなことがあった。
水車で動かす道具を作った時も、最後には俺がいなくても市兵衛が使えるようになった。それを見て親父に「お前、いらんやん」と言われた時は、分かっていたつもりでも少し複雑だった。
今は違う。
俺が見ていなくても、鉄砲そのものが同じ決め方で作られている。
それなら、その方がいい。
俺が一挺ずつ見なければ作れないのなら、結局は親父一人の腕に頼っていた頃と大して変わらない。俺一人が上手く作れるようになりたいわけではないし、俺がいなければ作れない物を増やしたいわけでもない。
作れるようにしたかったのは、俺じゃない。
榊屋だ。
◇
十挺目が完成したのは、それから少し経った頃だった。
別に十挺を目標にしていたわけではない。注文の分を順に作り、試射を終えた物を並べていったら十挺になった。
俺は作業台の前で腕を組んだ。
「……十挺あるな」
「ありますね」
宗次郎が答える。
前にも同じやり取りをした気がする。
「増えたな」
「作ったので」
「お前、それ好きやな」
「事実ですから」
十挺。
五挺の時とは少し違う。
今回は俺が一挺ごとの製作をずっと見ていたわけではない。途中で別の仕事もしていたし、善右衛門屋へ行った日もあった。それでも十挺が並んでいる。
一本手に取って火蓋を動かし、火ばさみを起こす。特におかしなところはない。
隣の一挺を見る。
「……替えてみる?」
「やると思った」
後ろから新八の声がした。
「いや、確認は必要やろ」
「十挺全部?」
宗次郎が帳面を開く。
「全部の組み合わせでやったら仕事終わらん」
「では、どうするんです?」
少し考えてから、宗次郎へ帳面を返した。
「お前が選んで」
「私が?」
「どれでも入るんやったら、俺が都合ええ組み合わせ選んだら意味ないやろ」
「なるほど」
宗次郎は並んだ十挺を見た。
「では、二番と八番」
「地板?」
「はい」
言われた二挺を取り出し、二番の地板を八番へ移す。無理なく収まり、火蓋も火ばさみも問題なく動いた。
「次」
「四番と十番。火ばさみの軸」
「はいよ」
こちらも入った。
「次」
「一番と六番。火蓋の鋲」
「お前、ちょっと楽しんどるやろ」
「別に」
絶対楽しんでいる。
言われた通りに交換すると、これも入った。さらにいくつか宗次郎に選ばせたが、どれも途中で削ったり叩いたりする必要はない。
新八が交換した地板を見ながら言った。
「もうええんちゃう?」
「もう一個」
「まだやるん?」
「もう一個だけ」
「好きやなあ」
「不安なんや」
「正直やな」
最後にもう一組交換した。
入った。
俺はようやく手を止めた。
五挺でできたことが、十挺でもできた。しかも今回は、交換できるか確かめるために作った十挺ではない。普通の注文として工房へ流し、俺が見ていないところでも作られた十挺だ。
これなら、もういいだろう。
「兄上」
宗次郎が呼んだ。
「ん?」
「これ」
差し出されたのは、今使っていた交換確認の帳面ではなかった。
注文を書いた方だ。
「次の分です」
「おう」
受け取って目を通す。
鉄砲。
鉄砲。
別の仕事。
また鉄砲。
数を見て、納める日を見る。それから、念のためもう一度数を見た。
「……これ、いつまで?」
「そこに書いてあります」
「見間違いかなと思って」
「合っています」
頭の中で大まかに日数を割った。
今の榊屋なら作れる。昔なら冗談にしか聞こえなかった数だが、水車があり、旋盤があり、型があり、作る順番も決まっている。職人も増えた。
作れる。
「間に合います?」
宗次郎が聞いた。
「作れる」
「間に合います?」
「それは別の話やな」
「ですよね」
宗次郎も分かって聞いている。
嫌な弟である。
そこへ、入口から聞き慣れた声がした。
「虎松おる?」
嫌な予感しかしない。
「帰れ」
「何でや!」
善次郎が入ってきた。
「まだ何も言うてへんやろ!」
「何挺?」
「何で分かんねん」
「顔に書いとる」
「書いてへんわ」
善次郎は文句を言いながら懐から紙を出した。
「注文増えた」
「ほら見ろ!」
「何がや!」
宗次郎が無言で紙を受け取った。
俺は止めなかった。
見たくなかった。
けれど宗次郎は容赦なく、さっき見せてきた帳面の横へ善次郎の紙を置いた。
数字が増えた。
「……善次郎」
「何や」
「売るの、ちょっと休まへん?」
「商人に何言うとんねん」
正論だった。
俺は工房を見回した。水車は回り、旋盤も動いている。職人たちはそれぞれの持ち場で仕事をしていて、型も当て金もある。作る手順も決めたし、十挺を同じやり方で作れることも分かった。
昔なら、ここまで来れば十分だったはずだ。
ところが仕事というものは、こちらが十作れるようになると、なぜか十より多くやって来るらしい。
俺は宗次郎の帳面と、作業台に並んだ十挺の鉄砲を見比べた。
十挺作れるようになった。
問題は、次に必要なのが十挺ではないことだった。




