ここまで
翌朝、俺は佐吉と並んで作業台に立っていた。
目の前には昨日の金具と、それが取り付く相手側の部品が置いてある。
やりたいこと自体は単純だった。若い職人が金具を削り、弥吉に見せる。まだ厚いと言われれば戻って削り、また見せる。場合によっては、それをもう一度繰り返す。
この往復をなくしたい。
ただし、若い職人に最後まで仕上げさせるわけではない。最後の合わせは弥吉がやるのだから、その少し手前までを自分で判断できればいい。
「で」
佐吉が俺を見る。
「どうします?」
「それを考える」
「昨日も聞きました」
「一晩寝たら何か降りてくるかと思って」
「降りてきました?」
「何も」
「でしょうね」
最近の佐吉は遠慮がなくなった。
十五の頃はもう少し素直だった気がする。六年という時間は人を変えるらしく、俺も変わったし、たぶん佐吉も変わった。
弥吉はあまり変わっていない。
「何見とるん」
少し離れたところから弥吉が言った。
「何でもない」
「失礼やな」
俺は金具へ目を戻した。
◇
「まず、佐吉ならどうする?」
「これですか?」
「うん」
佐吉は金具を手に取り、相手側へ当てた。
「削ります」
「どこまで?」
「入るちょい前まで」
「そのちょい前って?」
「……このくらいです」
出た。
感染している。
「お前まで『このくらい』言うようになったんか」
「六年いますからね」
「嫌な成長やな」
「兄さんも最近言いますよ」
「嘘や」
「この前、俺に『もうちょい落として』って言いました」
記憶にある。
俺は黙った。
職人になった代償は思ったより大きい。
「まあええわ。その『このくらい』をどうにかしたい」
「当て金ですか?」
俺は少し驚いた。
「覚えとった?」
「そりゃ覚えてますよ」
佐吉が笑った。
「あれのおかげで、弥吉さん呼ばんで済むようになりましたから」
六年前に作った、切れ込みのある小さな鉄片。俺にとっては最初の改善だったが、佐吉にとってもそれなりに意味のある道具だったらしい。
「じゃあ、今回も似たようなん作る?」
「厚みだけならいけるんちゃいます?」
佐吉が金具を横から見る。
「ただ、これ、厚みだけやないですよ」
「やっぱり?」
「こっちとの合わせもあるんで」
そうだった。同じ金具に見えても、相手側が完全に同じではない。金具だけを一定寸法に仕上げても、相手側との差が大きければ意味がない。
六年前なら、ここで全部同じ寸法にしようとしたかもしれない。
今はやらない。
今回の目的は互換部品を作ることではなく、弥吉へ持っていく回数を減らすことだ。
「ほな、完成寸法を決めるんやなくて」
俺は二つの部品を合わせた。
「弥吉に渡す時の状態を決める?」
佐吉が覗き込む。
「どういうことです?」
「最後まで作らん。ここまで削ったら弥吉に渡す、って決める」
「だから、その『ここまで』が分からんのですけど」
「せやな」
元に戻った。
◇
結局、弥吉を呼んだ。
「何や」
「これ、仕上げて」
「今?」
「今」
「嫌や」
「頼むわ」
「俺忙しい言うてんの、お前やろ」
「これで呼ぶ回数減らそうとしてんねん」
「今呼んどるやん」
ぐうの音も出ない。
それでも弥吉は金具を受け取ると、相手側へ当てて削り、もう一度当ててから、ほんの少しだけ削った。俺と佐吉は横でその手元を見ていた。
「止めて」
「なんや」
「今どのくらい?」
「まだ早い」
「じゃあ続けて」
「お前ほんま面倒やな」
さらに削ってもらい、もう一度止める。
「今は?」
「まだ」
もう少しだけ削ったところで、弥吉が手を止めた。
「今」
「ここ?」
「ここなら佐吉に渡されても困らん」
「完成ではない?」
「まだやな」
俺はその金具を受け取り、相手側へ当ててみた。少しきつく、無理に入れれば傷めるが、あと少し削れば合う。
「これ残しといてええ?」
「なんで」
「見本にする」
「好きにせえ」
まず一つ。
完成品ではないが、弥吉に渡していい状態の見本ができた。
◇
次は同じ形の金具を佐吉に削ってもらった。
途中まで加工した物を用意し、さっきの見本と比べながら削っていく。
「これなら?」
佐吉が俺へ見せる。
「俺に聞くな」
「兄さんが横にいるから」
「今日は俺おらんと思え」
「無理がありますよ」
「弥吉呼びたくなったら呼べ」
「それじゃ意味ないでしょう」
「せやから我慢せえ」
「どっちなんですか」
文句を言いながらも、佐吉は作業を続けた。見本を横へ置いて厚みを見て、相手側へ当ててからまた削る。
しばらくして、その手が止まった。
「……このくらいかな」
「自分で決めろ」
「兄さん楽しんでません?」
「ちょっと」
佐吉は俺を睨んだが、もう一度見本と比べてから金具を置いた。
「ここで止めます」
「よし」
弥吉を呼ぶ。
「また?」
「これ見て」
弥吉は佐吉の金具を受け取ると、相手側へ当て、少し削ってからもう一度合わせた。
「ええんちゃう」
佐吉の顔が明るくなる。
「ほんま?」
「これなら仕上げられる」
成功だった。
俺も嬉しくなった。やはり考え方は間違っていない。
これなら若い職人が途中まで加工し、弥吉は最後だけを担当できる。呼ばれる回数も減るし、ここから見本を増やして似た仕事にも広げていけばいい。
そう考えた。
翌日、二個目で失敗した。
◇
「入らん」
弥吉が言った。
「なんで?」
「知らん」
「昨日と同じやろ」
「違う」
俺は二個目の金具を受け取り、見本と並べた。大きく違うようには見えず、佐吉も横から覗き込む。
「昨日と同じくらいにしたんですけど」
「相手が違う」
弥吉が言った。
俺たちは相手側の部品を昨日の物と並べてみた。
なるほど。微妙に違う。
「こっち狭いやろ」
弥吉が指で示す。
「この金具だけ昨日と同じにしてもあかん」
「じゃあ、もっと削る?」
「そうやけど」
弥吉は金具を佐吉へ返した。
「削りすぎんなよ」
「結局それですか」
佐吉が俺を見る。
俺も佐吉を見る。
「兄さん」
「なんや」
「見本、意味ないんちゃいます?」
「まだ一個失敗しただけや」
「昨日一個成功しただけですけど」
「嫌なこと言うな」
しかし、その通りだった。
◇
俺は二組の部品を並べた。
昨日うまくいった物と、今日うまくいかなかった物。金具だけを見れば、佐吉はかなり近いところまで揃えている。
問題は相手側だった。銃一挺ごとに微妙に違うのだから、完成品の見本を一つ置くだけでは足りない。
十歳の俺なら、ここで相手側も全部同じにしようとしただろう。それができれば確かに話は早い。
だが、今すぐそこへ手を出せば話が大きくなりすぎる。銃身も金具も台木も仕掛けも、全部が互いに影響している。
今やりたいのは産業を作り直すことではない。
二十挺を作ることだ。
「佐吉」
「はい」
「昨日と今日、何が違った?」
「相手です」
「それ以外」
佐吉は二つを見比べる。
「昨日の方は、合わせた時に隙間がもう少しありました」
「どこ?」
「ここです」
佐吉が指差した。
「それ、見て止められん?」
「どうでしょう」
「やってみよう」
今度は金具単体の厚みではなく、相手側へ当てた状態を見ることにした。どの程度入るのか、どこに隙間が残るのか、どこが当たっているのか。
弥吉が最終調整へ入る前の状態を、完成品の見本ではなく、組み合わせた状態で残す。
さらに弥吉へ聞いた。
「これくらいなら全部仕上げられる?」
「全部は知らん」
「十個あったら?」
「見んと分からん」
「五個」
「なんで減った」
「答えて」
弥吉はしばらく考えた。
「まあ、これくらい残っとったら大抵いける」
「大抵?」
「鉄が変なんとか、相手が歪んどるとかは知らんぞ」
「それは弥吉呼ぶ」
「最初から呼べや」
「それを減らしたいんや!」
話が進まない。
ただ、重要なことは分かった。
全部を一つの基準へ押し込む必要はない。普通の物なら、この状態まで佐吉たちに任せ、そこから外れた物だけ早めに弥吉へ持っていく。最後の仕上げも弥吉に任せる。
これならいけるかもしれない。
◇
それから二日間、佐吉と何個か試した。
途中で一つは削りすぎたし、もう一つは相手側の形が悪く、早い段階で弥吉へ回した。それ以外は、こちらで決めたところまで佐吉が加工し、最後だけ弥吉が仕上げることができた。
以前なら一個につき二度、三度と呼ばれていたのが、一度で済む。
まだ数は少ないし、これで全部うまくいくとも思っていない。それでも佐吉は、以前より長いところまで自分の判断で仕事を進められるようになった。
「どう?」
俺が聞くと、佐吉は少し考えた。
「楽ですね」
「やろ?」
「弥吉さん探さんでいいんで」
「そこ?」
「結構探すんですよ、あの人」
確かに。
呼びに行ったら、別の場所で別の仕事をしていることも多い。
「でも兄さん」
「ん?」
「これ、全部の金具でやるんです?」
俺は答えに詰まった。
「……全部は無理やな」
「見本もいっぱい要りますよ」
「せやな」
「誰が作るんです?」
「それは……」
どこかで聞いた質問だった。
母屋の方を見る。宗次郎はいないのに、弟の声が聞こえた気がした。
「とりあえず、よく作るやつからや」
「二十挺のやつ?」
「そう」
今回必要なのは、同じような鉄砲を二十挺だ。だったら、まずそこへ絞ればいい。
全部の仕事を標準化する必要はない。数が必要な仕事や、繰り返し出る仕事に使い、効果があるなら続ける。ないならやらない。
善右衛門が六年前に言っていた。
手間が倍になるなら意味がない。
ようやく、その言葉を自分の仕事として考えられるようになった気がした。
◇
夕方、弥吉が自分の作業台で銃身を仕上げていた。
今日はまだ一度も佐吉に呼ばれていない。
「弥吉」
「なんや」
「今日、何回呼ばれた?」
「知らん」
「七回」
「減ったん?」
「減った」
「へえ」
弥吉はそれだけ言って、鑢を動かし続けた。
「嬉しくない?」
「別に」
「俺ら結構頑張ったんやけど」
「ええことやん」
「もっと感動せえよ」
「なんで俺がお前のために感動せなあかんねん」
腹が立つ。
だが、弥吉の手は止まっていない。
それで十分だった。
俺は少し離れたところで仕事をしている佐吉を見る。
六年前、あいつは一つ削るたびに弥吉を呼んでいた。今は自分で見て、自分で止めている。もちろん全部ではなく、分からない物は弥吉へ持っていく。
それでいい。
弥吉を二人にすることはできないし、佐吉を弥吉にする必要もない。ただ、弥吉にしかできない仕事へ弥吉の時間を使えるようにすればいい。
そのためなら、佐吉は佐吉のままでいい。
「虎松」
源兵衛に呼ばれた。
「何?」
「善右衛門、明日来るぞ」
「もう?」
「五日言うたやろ」
忘れていた。
いや、忘れてはいない。
少し忘れていた。
「で」
親父が俺を見る。
「二十挺、どうする」
俺は工房を見回した。
以前より状況は分かっている。弥吉に集まっていた仕事も少しだけ剥がせた。
もちろん、まだ問題はある。材料もいるし、今抱えている注文もある。何より、実際に二十挺を流してみたわけではない。
それでも、五日前とは違う。
「やる」
俺は答えた。
「たぶん、できる」
親父が眉を上げた。
「たぶん?」
「絶対言うたら、後で俺が困る」
「賢なったな」
「六年かかったからな」
親父は鼻で笑って仕事へ戻り、俺も自分の作業台へ戻った。
二十挺という数字が、ようやく現実の仕事として見えてきた。
問題は次だ。
今度は本当に、二十挺を工房へ流さなければならない。




