一番忙しい男
善右衛門が来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
三日前と同じように工房へ顔を出し、源兵衛へ声を掛けると、そのまま俺を見つけた。
「おう虎松。分かったか」
「何が」
「三日で分かる言うたん誰や」
「覚えとったんか」
「商人が約束忘れてどうすんねん」
ごもっともである。
俺は善右衛門を母屋へ連れていき、源兵衛も呼んだ。宗次郎が帳面を持ってきたところで、この三日で調べたことを順番に話す。
榊屋からひと月に出ていく鉄砲は、おおむね十数挺。少ない月もあれば、多い月には十五、六挺ほど出ている。ただし、それはその月に作った数ではなく、前月からの仕掛品も混じっている。
今抱えている注文もあれば、修理も入る。善右衛門が求めている二十挺を一か月で追加するなら、普段と同じやり方のままでは厳しい。
「ほな、無理か?」
「まだ分からん」
「またそれかい」
「三日前よりは分かっとる」
「何が分かったんや」
俺は少し考えてから答えた。
「鉄砲が足りんのやなくて、時間が足りん」
善右衛門が首を傾げる。
「同じやないんか?」
「違う。途中まで出来とる物は結構あるんや。でも最後まで行かん」
「なんで?」
「仕事が何人かに集まりすぎとる。特に弥吉やな」
源兵衛がこちらを見る。
「あいつか」
善右衛門は工房の方へ顔を向けた。
ちょうどその時、奥から弥吉の声がした。
「佐吉! それ以上削んな!」
続いて佐吉の声。
「まだ触ってません!」
「ほな触るな!」
「どっちなんですか!」
善右衛門が俺を見る。
「忙しそうやな」
「せやろ」
説明するより早かった。
「で、どうする」
「それを今日から調べる」
「まだ調べるんか」
「調べんで触ったら親父に六年修業させられるからな」
善右衛門が源兵衛を見る。
「お前、何したん」
「こいつが勝手に六年やったんや」
「だいたい合っとるけど言い方が腹立つな」
善右衛門は笑った。
「分かった。ほな、もうちょい待ったる」
「向こうは?」
「まだ話は繋いどく。ただし、いつまでもは待たんぞ」
「何日?」
「五日」
「短っ」
「商売やからな」
そう言って立ち上がりかけた善右衛門を、俺は呼び止めた。
「善右衛門」
「なんや」
「もし出来るってなったら、材料は?」
「何が要る」
「鉄、炭、台木にする木。火縄やら細かい物も増える」
「数出せ」
「まだ分からん」
「分かったら持ってこい」
話が早い。
俺が工房の中だけを見ている間、善右衛門は外をどうにかする。六年前には見えていなかった役割だった。
◇
その日の午後から、俺は弥吉を観察した。
「なんや」
「気にすんな」
「気になるわ」
「いつも通り仕事して」
「お前に見られながら?」
「せや」
「嫌や」
「頼むわ」
「もっと嫌や」
文句は言ったが、弥吉は仕事を止めなかった。
俺も横に張り付くわけではない。自分の仕事をしながら、弥吉が何をしているのか木片へ書き留めていく。
最初は自分の銃身を仕上げていたが、しばらくすると若い職人に呼ばれ、金具の穴位置を確認しに行った。戻って少し削ったところで、今度は佐吉に呼ばれて仕掛けの噛み合わせを見る。
また戻ってきたと思えば、次は五平が銃身を持ってきた。
「これ、ちょい曲がっとるよな」
「どれ」
弥吉が受け取り、転がしてから目を細めた。
「ほんのちょいやな」
「直す?」
「これなら先に中さらってからでええ」
「分かった」
五平はそれだけ聞くと戻っていき、弥吉も自分の仕事へ戻る。
今度こそ続くかと思ったら、源兵衛から声が飛んだ。
「弥吉」
「はいよ」
また消えた。
俺は木片へ印を付けた。午前中から数えれば、弥吉が自分の仕事を中断したのは十回を超えている。
これでは速い遅い以前の問題だった。
◇
翌日も見た。さらに翌日も見ていると、弥吉に集まる仕事はいくつかの種類に分けられることが分かってきた。
一つは、弥吉にしか任せにくい仕事だ。難しい銃身の修正や仕掛けの最終調整、出来の悪い部品をどこまで救えるかの判断、材料の癖が強い時の加工。こういうものは今の俺でも簡単には代われない。五平ならできる物もあるが、それでも弥吉の方が速い。
もう一つは、若い職人がやった仕事の確認だった。削りすぎていないか、穴位置はいいか、次へ進んでいいか。これは内容によって違い、弥吉でなければ判断できない物もあれば、俺や五平でも判断できる物もある。
そして最後は、単純に聞かれているだけの仕事だった。
「弥吉さん、これでええですか」
「ええで」
それだけなら十秒で終わる。
ただし、その十秒のために弥吉は槌を置き、手を拭き、そこまで歩いて物を見る。答えたらまた戻り、止めた自分の仕事を再開する。
それが一日に何度もある。
前世でも見た光景だった。仕事のできる人間には仕事が集まる。判断できるから聞かれ、聞かれるから自分の仕事が止まる。それでも本人は処理できるので、さらに仕事が集まっていく。
そして周囲は言う。
あの人に聞けば分かる。
便利な言葉だ。その人間が倒れるまでは。
◇
「弥吉」
「なんや」
「今日、自分の仕事何回止めたと思う?」
「知らん」
「十二回」
「よう数えたな」
「昨日は十五回」
「暇なん?」
「俺も仕事しとるわ」
弥吉は笑いながら金具を削っていた。
「で、それがなんや」
「嫌やない?」
「何が」
「いちいち呼ばれるの」
「そら面倒な時もあるけど、しゃあないやろ」
「なんで」
「分からんから聞きに来るんや」
「五平に聞いたらあかんの?」
少し離れたところにいた五平が顔を上げた。
「なんで俺巻き込まれたん」
「五平でも分かるやつあるやろ」
「あるで」
「ほら」
「でも俺も仕事あるぞ」
「そういう話やない」
「どういう話や」
説明しようとして、一度やめた。
俺の頭の中では整理できている。しかし前世の言葉で「作業負荷を平準化してボトルネックへの集中を防ぐ」と言ったところで、誰にも伝わらない。
「弥吉に聞かんでも分かるようにできる仕事、あるんちゃうかと思って」
五平が腕を組んだ。
「例えば?」
「それを探しとる」
「まだないんか」
「なんでみんな善右衛門みたいなこと言うん」
「知らんがな」
最近、俺の周りには厳しい人間が多い。
◇
昼を過ぎた頃、ちょうどいい例が来た。
若い職人が小さな金具を持って、弥吉のところへやって来る。
「弥吉さん、これ」
「どれ」
弥吉が受け取り、指で触ってから目で見る。
「まだ厚い。もうちょい落とせ」
「どのくらいです?」
「このくらい」
「……どのくらいです?」
「このくらいや」
若い職人が困った顔をする。
俺は思わず笑いそうになった。六年前と何も変わっていない。
「ちょい貸して」
俺も金具を見た。
弥吉の言う通り、まだ少し厚い。今の俺なら分かるが、六年前には分からなかった。
「これ、何に合わせるやつ?」
「こっちです」
相手側の部品も見せてもらい、合わせてみる。確かにまだ入らない。
「ほな削ったらええやん」
「削りすぎたらあかんので」
そうだった。
問題は加工ではない。止め時だ。
佐吉が昔困っていたのと同じだった。
「普段どうしとる?」
「削って、弥吉さんに見てもらってます」
「何回くらい?」
「二、三回です」
俺は弥吉を見る。
「これ毎回?」
「だいたい」
「他の奴も?」
「まあ」
なるほど。
俺は金具を持ったまま考えた。
六年前、俺は佐吉のために当て金を作った。幅が通るか通らないかという、たった一つの判断を弥吉の手から鉄片へ移した。
あれと同じことを、もう少し広げられないだろうか。
ただし、全部を若い職人へ任せる必要はない。弥吉にしかできない最後の調整は残せばいい。その手前にある、誰がやってもいい仕事だけを外へ出せばいい。
「弥吉」
「ん?」
「これさ」
俺は金具を持ち上げた。
「最後までこいつに作らせんでええよな」
「そら、最後は俺が合わせる」
「ほな、ここまではこいつ。ここから先は弥吉、って分けられん?」
弥吉が手を止め、若い職人の作った金具と相手側を見比べる。
「できんことはないけど」
「どこまでなら任せられる?」
「それは物による」
「これは?」
「これは……」
弥吉が金具を指で挟んだ。
「このくらいまでならええ」
「またこのくらいか」
「このくらいはこのくらいや」
困った。
しかし以前の俺なら、ここで腹を立てていただろう。今は違う。弥吉の「このくらい」には理由がある。
問題は、それを俺たちがまだ外へ出せていないことだ。
「じゃあ、その『このくらい』を作ろう」
「何を?」
「見本でも、当て金でもええ。とにかく、弥吉呼ばんでもそこまで削れるようにする」
弥吉が俺を見る。五平もこちらを見ていた。
「また始まったな」
五平が言った。
「何が」
「お前、昔からそういうの好きやろ」
「悪い?」
「別に」
五平は自分の作業へ戻った。
「使えるんなら使う」
その言い方がありがたかった。
賛成でも反対でもない。役に立つなら使うし、役に立たないなら使わない。
工房の道具なんて、それでいい。
◇
その日の夕方、俺は佐吉を呼んだ。
「なんです?」
「ちょっと手伝って」
「嫌です」
「なんで弥吉の真似すんねん」
「最近みんなこれ言えばいいと思ってません?」
「誰のせいや」
俺は昼間の金具を見せた。
「これをな、弥吉呼ばんで途中まで作れるようにしたい」
佐吉が金具を受け取る。
「できますよ」
「ほんま?」
「作るだけなら」
「ほな何が問題?」
「どこで止めるかです」
やっぱりそこだった。
佐吉は金具を指でなぞる。
「削りすぎたら戻せませんから。俺なら少し残して弥吉さんに見てもらいます」
「その『少し』を決めたい」
「どうやって?」
「それを今から考える」
佐吉が嫌そうな顔をした。
「まだ決まってないんですか」
「なんでお前まで!」
工房の向こうで弥吉が笑っていた。
腹が立つ。
だが、やることは見えた。
弥吉の仕事を奪う必要はないし、弥吉にしかできない仕事まで誰でもできるようにする必要もない。ただ、その手前にある仕事まで全部弥吉へ持っていく必要もない。
どこまでなら佐吉に任せられるのか。どこから先を弥吉に渡すのか。
その境目を作る。
六年前は、佐吉一人が弥吉を呼ばずに済むよう、当て金を一枚作った。今度は、それを偶然ではなく狙ってやる。
俺は佐吉と一緒に作業台へ向かった。
まずは一つ、弥吉を呼ばなくても済む仕事を作るところから始めることにした。




