20挺の値段
善右衛門が来たのは、約束通り翌日の昼だった。
今回は工房を覗くより先に母屋へ入り、勝手知ったる様子で腰を下ろした。
源兵衛が向かいに座り、俺も呼ばれた。宗次郎は呼ばれていないのに帳面を持って近くにいる。
最近、こいつのいる場所が少しずつ変わってきている気がする。
「で」
善右衛門が俺を見る。
「決まったか」
「やる」
「できるんか?」
「たぶん」
「まだたぶんかい」
「絶対できる言う奴より信用できるやろ」
「商人相手にそれ言うか」
善右衛門は笑った。俺も笑った。
五日前とは違う。何も分からないまま答えているわけではない。
今抱えている仕事を調べ、工房にある仕掛品も数えた。どこで仕事が滞っているかも見たし、弥吉に集中していた仕事の一部は佐吉たちでも進められるようにした。
まだ試した数は少ない。それでも、以前よりは確実に流れがいい。
「今の仕事止めんでも、二十挺いけると思う」
「ひと月で?」
「それが条件なんやろ」
「せや」
「ならやる」
善右衛門が源兵衛を見る。
「親父もええよな?」
俺も源兵衛を見る。
親父はしばらく黙っていた。
「虎松」
「何?」
「途中で無理言うても知らんぞ」
「分かっとる」
「今の仕事遅らせるんもなしや」
「分かっとる」
「出来悪いの出すんもなしや」
「分かっとるって」
「ほな、やれ」
それだけだった。
六年前なら、たぶん少し感動していた。今回はしなかった。
いや、ほんの少しはした。でも顔には出さなかった。
俺も十六である。
◇
「ほな話進めるぞ」
善右衛門が言った。
「頼む」
「二十挺な」
「うん」
「ひと月」
「うん」
「形は今あるこれに近い物で揃える」
「それならやりやすい」
「値はこれでどうや」
善右衛門が金額を示した。
俺はすぐには答えず、一挺当たりの値を見る。二十挺なら売上はいくらになるのか。そこから必要な材料を引けば、どれだけ残るのか。
鉄や炭、台木、火縄、細かな金具に、試し撃ちで使う火薬。さらに失敗する材料も見ておかなければならない。
「材料、どれくらい掛かっとる?」
俺が源兵衛へ聞くと、親父は少し考えた。
「物による」
「鉄だけなら?」
「それも鉄による」
「まあ、そうなるわな」
善右衛門が俺を見る。
「何や。値ぇ見てすぐ決めへんのか」
「決められるか。二十挺やぞ」
「一挺の値は悪ないやろ」
「一挺ならな」
俺は善右衛門の示した数字をもう一度見る。
「二十挺まとめて作ったら、普段と同じだけ手間掛かるとは限らん。逆に余計な手間が増えるかもしれん。材料まとめて買うなら、その分も見たい」
善右衛門の口元が少し上がった。
「六年前より商売人らしなったな」
「俺は職人や」
「職人でも銭勘定できん奴は困る」
「それはそう」
前世でも同じだった。
加工できる。組める。納期に間に合う。それだけでは仕事にならない。作った結果、いくら残るのかまで見なければならない。
俺は営業でも経理でもなかったが、製造側として原価や工数と無縁だったわけではない。むしろ生産技術なんて仕事をしていれば、嫌でも付きまとってくる。
問題は数字が読めるかどうかではなく、必要な数字がここにあるかどうかだった。
◇
「宗次郎」
「はい」
「材料の帳面ある?」
「ありますよ」
「鉄と炭、最近どれくらい入れたか見たい」
宗次郎が別の帳面を持ってきて頁を開く。
日付、相手、品物、量、払った銭。
記録はある。思ったよりきちんとしている。
「ええやん」
「何がです?」
「ちゃんと残っとる」
「残しますよ。帳面ですから」
「そうやな」
問題はその先だった。
「この鉄、どの鉄砲に使った?」
「そこまでは書いてません」
「やっぱりか」
「必要なんです?」
「今回みたいなことするなら欲しい」
買った鉄の量は分かるし、払った銭も分かる。だが、その鉄から鉄砲を何挺作ったのかは直接結びついていない。
途中で修理にも使えば、金具にも使う。失敗して駄目になる物もあれば、残って次の月へ回る物もある。炭も同じで、ひと月にいくら買ったかは分かっても、鉄砲一挺にいくら使ったかまでは分からない。
記録が間違っているわけではない。目的が違うのだ。
この帳面は、誰から何を買って、いくら払ったかを残すためのものだ。俺が欲しいのは、二十挺作ったらいくら掛かるのかを考えるための数字だった。
「兄上」
「ん?」
「何探してるんです?」
「一挺作るのに、だいたい何がどれだけ要るか」
「そんなの帳面に書いてませんよ」
「うん。今分かった」
「じゃあどうするんです?」
「拾うしかないな」
「どこから?」
俺は工房の方を指した。
「現場から」
宗次郎が少し嫌そうな顔をした。
「また数えるんですか」
「今度はお前もやるんやで」
「なんでです?」
「帳面係やろ」
「いつ決まったんです?」
「今」
「勝手ですね」
「兄やからな」
「関係あります?」
ないと思う。
◇
まず、今ある材料を確認した。そこで別の問題が出た。
「これ使えるやろ」
俺が鉄を指す。
宗次郎が帳面を見る。
「それ、次の仕事に使うんじゃないですか?」
「決まっとる?」
「父上」
源兵衛を見る。
「ああ。それは置いとけ」
「危なっ」
俺は手を引っ込めた。
材料置場にある物が、全部自由に使える在庫とは限らない。すでに受けている仕事へ使うつもりの物もあれば、修理用に残している物もある。
源兵衛の頭の中では区別されている。しかし鉄そのものに「これは何々用」と書いてあるわけではない。
「親父」
「なんや」
「これとこれは?」
「使ってええ」
「これは?」
「置いとけ」
「こっちは?」
「それもええ」
「……札付けへん?」
「何の」
「使ってええやつと、あかんやつ」
「俺は分かっとる」
「俺が分からん」
「ほな聞け」
「毎回聞いたらまた親父が弥吉になるやろ!」
源兵衛が黙った。宗次郎が横で笑いを堪えている。
弥吉問題は、思ったよりいろんなところに潜んでいるらしい。
◇
材料を調べながら、必要量を大まかに出していった。
鉄については源兵衛と弥吉にも確認する。特に銃身は、失敗する分まで見ておかなければならない。
二十本ぴったり用意して一本失敗すれば、十九挺で終わる。かといって、三十本分買えばいいという話でもない。余れば、その分だけ銭が寝る。
「どれくらい余分に見る?」
善右衛門に聞かれ、俺は少し考えた。
「今回、銃身は誰がやる?」
源兵衛が答える。
「俺と弥吉、五平中心やな」
「なら過去の失敗、そんな多くないよな」
「まあな」
「予備は少しでええ。ただ、鉄の出来見て親父が決めて」
「分かった」
適当な割合を決めるより、その方がいい。まだ数字にできないところまで、無理に数字へ押し込む必要はない。
炭はさらに難しかった。
帳面から普段の購入量は出せるが、鉄砲だけに使っているわけではない。そこで火床を使う仕事を洗い出し、普段よりどの程度増えそうかを見る。
正確な原価ではない。今回必要な追加分を外さないための見積もりだ。
「これなら、炭は普段よりこのくらい多めにあれば足りそうやな」
俺が言うと、善右衛門が聞いた。
「このくらいって?」
「……お前までそれ言うんか」
俺はちゃんと数字を出した。
◇
台木、火縄、細かな材料、試し撃ち用の火薬まで、一つずつ拾っていった。
完全ではない。それでも、最初に善右衛門が値を出した時よりはずっと見えるようになった。
「なるほどな」
善右衛門が俺の書いた数字を見る。
「これならいけそうか」
「たぶんな」
「またたぶんか」
「見えてへん物まで見えたふりする方が危ない」
「それはそうや」
俺は売値から材料費を引いてみた。
もちろん、それで全部ではない。職人の手間もあれば、工房を維持する銭や細かな費用もある。
現代のような原価計算をそのまま持ち込めるほど記録は揃っていない。それでも今回の注文が、作るほど損をするような値ではないことは判断できる。
「この値なら受けてええと思う」
俺が言うと、善右衛門が頷いた。
「最初からそう言え」
「最初は根拠なかったやろ」
「源兵衛は最初から分かっとったぞ」
親父を見る。
「なんで?」
「今まで作って売っとるからや」
「……強いな、経験」
「お前も六年やったやろ」
「六年で親父と同じになれるなら苦労せんわ」
善右衛門が笑った。俺も笑った。
親父の経験は馬鹿にできない。ただ、これから数を増やすなら、いつまでも親父の頭の中だけに置いておくわけにもいかない。
その辺りは、また後で考えればいい。
今は二十挺だ。
◇
「材料はどうする?」
俺が聞くと、善右衛門が答えた。
「何回かに分けて持ってくる」
「一度には無理?」
「俺はお前んとこのためだけに商売しとるんちゃうぞ」
言われてみれば当たり前だった。
善右衛門には善右衛門の商売がある。鉄も炭も木もあちこちから仕入れ、あちこちへ売る。榊屋が突然二十挺作るからといって、すべてをこちらへ回せるわけではない。
「なら、いつ何が来るか教えて」
「なんで」
「来る日で仕事の順番変える。鉄が先なら鉄で進める。台木が遅れるなら、その前にできる仕事をやる。全部揃うまで待つ必要ないやろ」
「なるほどな」
「だから持ってくる日が変わったら言うて」
「分かった」
善右衛門の役割も、少し変わった。
今までは材料を持ってくる商人だった。これからは、いつ材料が来るかまで工房の仕事に関わってくる。
作る数が増えれば、外との繋がりまで変わるらしい。
◇
最後に、銭の動きも確認した。
材料を仕入れる以上、鉄砲を納めるより先に銭が出る。善右衛門へ払う分、ほかから買う分、それぞれいつ払うのか。そして、こちらへ銭が入るのはいつなのか。
俺は宗次郎の帳面を借りて、出ていく時期と入る時期を簡単に並べた。
「兄上」
「ん?」
「何してるんです?」
「先に銭なくなったら困るやろ」
「それなら、この支払いはもう少し後です」
「ほんま?」
「はい。善右衛門さんのこれは次にまとめて」
「お前そういうの覚えとるんやな」
「帳面つけてますから」
ここは宗次郎の方が強い。
計算ではない。誰と、どういう約束で商売しているか。それを日常的に見ている。
「じゃあ、ここ後ろへずらして」
「はい」
「これなら途中で足りなくなることはなさそうやな」
「たぶん」
「お前まで言うようになったな」
「兄上の真似です」
「やめろ」
数字を扱うのは慣れている。ただ、その数字がどこから来たのかは宗次郎の方がよく知っている。
悪くない。
俺が欲しい数字を決め、宗次郎が帳面から拾う。足りない数字があれば現場へ見に行く。
今まで別々に存在していたものが、少しずつ繋がってきた。
◇
「ほな、これで話まとめるぞ」
善右衛門が言った。
「頼む」
「二十挺」
「うん」
「ひと月」
「うん」
「出来は普段の榊屋と同じ程度」
「そこは落とさん」
「今ある仕事も遅らせん」
「親父がそこ譲らんからな」
「材料は俺が何回かに分けて持ってくる」
「来る日は教えて」
「分かった」
善右衛門は最後に源兵衛を見る。
「受けるで?」
源兵衛はすぐには答えず、こちらを見た。
「虎松」
「何?」
「いけるか」
今度は迷わなかった。
「いける」
五日前のように、たぶんとは付けなかった。
親父が頷く。
「ほな受けろ」
「よし」
善右衛門が膝を叩いた。
「決まりやな」
二十挺。正式に仕事になった。
◇
善右衛門が帰ったあと、俺は工房へ戻った。
弥吉は銃身を触り、佐吉は金具を削っている。五平は火床の前にいた。
いつもと同じ光景だった。だが数日後には、この中へ二十挺分の仕事が入る。
どこに置くのか。誰が何をやるのか。銃身を何本ずつ流し、台木はいつ始めるのか。金具や仕掛けはどうする。試し撃ちはいつやる。そして、今抱えている仕事とどう混ぜるのか。
「兄上」
後ろから宗次郎が来た。
「なんや」
「最初の鉄、明後日です」
「分かっとる」
「炭はその次の日」
「うん」
「台木はもう少し後だそうです」
「なら、最初にやれるところからやる」
「誰が何をやるか決めました?」
「今から」
「どこに置くんです?」
「それも今から」
「二十挺分ですよ?」
「分かっとる!」
宗次郎は少し考えた。
「兄上」
「まだあるんか」
「作れることと、回せることって違うんですね」
俺は答えようとして、やめた。
十二歳のくせに、妙なところを突いてくる。
「……そうみたいやな」
俺たちは工房を見た。
一挺を作る方法なら知っている。二十挺分の材料と銭の目処も立ち、必要な仕事もおおよそ見えている。
それでも、まだ二十挺は一本も始まっていない。
「宗次郎」
「はい」
「木札、まだある?」
「ありますよ」
「二十枚欲しい」
「何に使うんです?」
俺は工房の壁際を見る。
第七話で仕事を調べるために並べた木札が残っている。あの時は、今どこに何があるのか知るためだった。
今度は違う。
「これから作る二十挺が、どこにおるか分かるようにする」
宗次郎が頷いた。
「分かりました」
「あと墨」
「はい」
「紐も欲しい」
「何するんです?」
「それは決まっとる」
壁際を指した。
「二十挺を、頭ん中だけで回さんようにする」
宗次郎が俺の指の先を見る。
「なるほど」
「親父と弥吉の頭は便利やけどな」
「兄上の頭は?」
「もっと便利や」
「じゃあ木札いらないでしょう」
「お前、ほんま可愛げなくなったな」
宗次郎が笑った。俺も笑った。
一挺を作れることと、二十挺を作ることは違う。そして、二十挺を作れることと、それを商売として回すことも違う。
六年前の俺なら、全部同じようなものだと思っていたかもしれない。
今は違う。
材料も人も銭も必要で、それらが必要な時に必要な場所へなければ仕事は進まない。
二十挺の仕事は、もう始まっていた。
まだ鉄を一本も叩いていないうちから。




