音頭取れ
翌朝、工房へ入ると、いつもと少し様子が違った。
火床にはまだ火が入っておらず、弥吉も五平も佐吉も、それぞれの仕事を始めずに立っている。若い連中まで揃っていた。
何事かと思っていると、源兵衛が俺を見た。
「虎松。こっち来い」
「何?」
「ええから」
嫌な予感がした。
親父が朝から職人を集めること自体、あまりない。仕事の話なら必要な奴を呼べば済むし、全員へ伝えることがあっても作業中に声を掛ければ大抵は足りる。
それなのに今日は、わざわざ仕事を始める前に集めている。
俺が源兵衛の横へ立つと、弥吉と目が合った。
「何や?」
小声で聞かれた。
「知らん」
「お前、親方の横おるやん」
「俺も今呼ばれたんや」
「怒られるん?」
「なんで俺が全員の前で怒られなあかんねん」
「知らんけど」
縁起でもない。
源兵衛が口を開いた。
「仕事の話や」
工房が静かになる。
「鉄砲二十挺、まとめて受けた」
何人かの顔が動いた。
五平が源兵衛を見る。
「二十?」
「ああ」
「いつまでです?」
「ひと月」
今度は明らかに空気が変わった。
作れない数ではない。だが、普段の仕事へ追加する数として考えれば、軽く引き受けられる量でもない。
「今ある仕事は?」
五平が聞いた。
「そのままや」
「止めへん?」
「止めへん」
誰かが小さく息を吐いた。
弥吉は腕を組み、佐吉は俺を見た。
見るな。
俺も昨日まで、そっち側だった。
「材料は善右衛門が持ってくる。最初の鉄は今日来る」
今日?
俺は親父を見る。昨日、宗次郎は明後日と言っていたはずだ。
「早なったん?」
「ああ。朝使いが来た」
「それ俺に先に言わん?」
「今言うた」
そういう問題ではない。
「それと」
源兵衛が続けた。
「今回の二十挺は、虎松に音頭取らせる」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
職人たちが一斉に俺を見る。弥吉まで見る。佐吉も五平も見る。
見るな。
「……俺?」
「お前以外に誰がおる」
「いや、聞いてへんけど」
「今言うた」
またそれか。
「ちょっと待って」
「待たん」
「親父」
「なんや」
「俺、二十挺作れるか調べろとは言われた」
「ああ」
「どうやったら作れるか考えろとも言われた」
「ああ」
「音頭取れとは聞いてへん」
「今言うたやろ」
理屈が強い。
強いというか雑だ。
源兵衛は俺との話を終わらせると、職人たちへ向き直った。
「こいつが仕事の順番変えたり、誰が何やるか言うたりする。しばらく付き合ったれ」
しばらく付き合ったれ。
責任者を紹介する言葉として、それでいいのだろうか。
「ただし」
源兵衛が俺を指した。
「こいつが使えんかったら容赦すんな」
「親父?」
「邪魔やったら邪魔言え。間違っとったら間違っとる言え」
「親父?」
「言う通りやって仕事遅なるようなら、その場で止めろ」
「親父??」
弥吉が笑い始め、佐吉は下を向いた。たぶん笑っている。
「若旦那やからいうて気ぃ遣うな。職人の仕事に口出すんや。口出すなら、それくらいされて当たり前や」
正しい。
腹が立つくらい正しい。
前世でも、現場を知らない人間が作った手順を「決まったことだから」と押しつければ、ろくなことにならなかった。使えない仕組みなら現場から声が上がる方がいいし、問題があれば止めて直せばいい。
それでいい。
分かっている。
分かっているが、せめて昨日言え。
◇
「ほな虎松」
「何」
「あとはやれ」
「何を?」
「音頭」
親父は本当に自分の作業台へ行こうとした。
「待て待て待て!」
「なんや」
「今?」
「みんな集まっとるやろ」
「そうやけど!」
「話あるんちゃうんか」
ある。
あるけど。
職人たちを見ると、十人ほどの男が揃って俺を見ている。弥吉は完全に面白がっているし、五平はいつもの顔。佐吉は少し心配そうで、若い連中は何が始まるのか分からない顔をしていた。
前世でも生産計画はやった。工程を組み、人の配置を考え、納期に間に合わない仕事をどう流すか現場と相談したことだって何度もある。
だが、それは会社だった。
役職があり、部署があり、担当があり、予定表があり、図面があり、注文番号があり、納期が書かれていた。俺が誰なのかも、相手が誰なのかも最初から決まっていた。
ここにはない。
あるのは源兵衛の工房と、職人たちと、二十挺という仕事だけだ。
そして俺は十六歳。しかも親方の倅。
嫌すぎる。
「……えー」
「頑張れ、若旦那」
弥吉が言った。
「お前あとで覚えとけよ」
笑いが起き、少しだけ肩の力が抜けた。
「今回の二十挺やけど」
俺は続ける。
「今ある仕事止めんと作る」
「それは今聞いた」
五平だった。
「知っとる。今からが俺の話や」
「ほな早よして」
容赦がない。
親父。
お前のせいだぞ。
◇
「まず、二十挺いっぺんに作り始めるのはやめる」
何人かが首を傾げた。
「二十挺受けたんちゃうん?」
弥吉が聞く。
「受けた。けど二十本分の銃身を一気に始めて、二十本分の台木を一気に始めて、二十挺分の金具を一気に作ったら、置くとこなくなる」
「そらそうやな」
「それに、途中でどっか詰まったら仕掛けだけ増える」
俺は工房の壁際を見る。
普段でも仕掛品は少なくない。二十挺分がそこへ加われば、下手をすると物を作る場所より、物を置く場所の方が広くなる。
「何挺ずつやる?」
五平が聞いた。
「最初は五挺」
「五?」
「五挺ずつ流す」
これは昨日から考えていた。二十挺を一つの塊として扱うには大きすぎるが、かといって一挺ずつ完成させていては、まとめて作る利点がない。
まず五挺を流してみる。問題がなければ、次を入れる。
「なんで五なん?」
弥吉が聞く。
「俺が怖いから」
「は?」
「二十全部突っ込んで失敗したら泣くやろ」
また笑われた。
「ほんまの理由は?」
「今の仕事と混ぜても邪魔になりにくい数やと思う。あと五挺なら、どっか止まっても何が原因か追える」
「十ではあかん?」
「分からん」
「分からんのかい」
「せやから五からやるんや」
五平が少し頷いた。
「まあ、ええんちゃう」
最初の一票をもらった。
妙に嬉しい。
◇
「で、これ使う」
俺は壁際に用意しておいた木札を持ってきた。
二十枚。昨日、宗次郎に用意してもらった物で、まだ何も書いていない。
「また札か」
弥吉が言う。
「また札や」
「好きやな」
「便利やからな」
俺は五枚だけ取り出し、墨で一から五まで印を付けた。
「最初はこの五挺」
壁際へ横に並べる。
「銃身やっとる間はここ。終わったら次」
札を少し右へ移し、さらにその先を示す。
「台木、金具、仕掛け、組み、最後の合わせ」
「細かい順番違うやろ」
五平が言った。
「分かっとる。今ざっくり置いただけ」
「ほな最初からちゃんとやれや」
「今みんなで決めるんや!」
これである。
俺一人で全部決めてから発表するつもりはなかった。実際の仕事の順番は、作っている連中の方が詳しい。
「銃身ここまで来たら、次どれやる?」
俺が聞くと、弥吉が答える。
「その状態なら先にこっちやな」
「五平は?」
「俺もそれでええと思う。ただ台木は待たんでも始められるやろ」
「せやな」
札の置き場所を変える。
「佐吉」
「はい」
「金具は?」
「この辺は先に作れます。でも最後までやったら合わせられへんので、途中で止めます」
「昨日のやつな」
「はい」
さらに札の置き方を変えていく。
最初に俺が頭の中で考えていた順番とは、少しずつ違う形になった。
それでいい。
俺が作りたいのは、俺の考えた通りに職人が動く工房ではない。
仕事が流れる工房だ。
「これ何なん?」
若い職人が聞いた。
「札がここにあったら、今そこまで進んどるってこと」
「誰が動かすん?」
「その仕事終わった奴」
「忘れたら?」
「動かして」
「それでも忘れたら?」
「宗次郎に怒られる」
「なんで僕なんです?」
いつの間にか後ろにいた。
「お前、帳面係やろ」
「木札まで増えたんですか」
「昇進や」
「嬉しくないです」
また笑いが起きた。
◇
次は、誰が何をやるかだった。
ここが難しい。
弥吉へ仕事を集めすぎてはいけないが、難しい仕事から弥吉を外す意味もない。
「銃身は親父、弥吉、五平」
「お前は?」
弥吉が聞く。
「俺もやる。ただ俺は途中で全体見る」
「逃げたな」
「逃げてへん」
「一番面倒なん俺らやん」
「せやから佐吉らに渡せるとこ増やしたやろ」
佐吉が嫌そうな顔をした。
「俺も増えてますけど」
「みんな増えるんや。二十挺増えたんやから」
「それはそうですけど」
その通りである。
改善したから仕事そのものが消えるわけではない。今回に限って言えば、むしろ増えている。
ただ、同じ二十挺を作るなら、弥吉が一から十まで抱えるより、佐吉が七まで進めて弥吉が残りをやった方がいい。
五平にも普段より多く銃身側へ入ってもらい、その分、五平が普段やっている別の仕事を誰かへ移す。
「それ、俺がやるん?」
別の職人が聞いた。
「できる?」
「できるけど、今これあるで」
「いつまで?」
「三日後」
「なら先そっち」
「二十挺は?」
「その後」
「間に合うん?」
「間に合わせる」
「どうやって?」
「……今から考える」
「大丈夫か若旦那」
「不安になること言うな!」
また笑われた。
でも、その職人の仕事を無視して二十挺へ回すよりはいい。既存の仕事を止めないと親父に約束した以上、二十挺だけ見ていては駄目だ。
◇
一通り決めるのに、思ったより時間が掛かった。
俺が案を出せば、誰かが問題を指摘する。そこで変えると、今度は別の誰かから問題が出て、また変える。
前世なら表にしていただろう。誰が何をいつからいつまでやるのか、必要な材料は何か、前後の工程はどう繋がるのか、今どこまで進んでいるのか。
今あるのは木札と墨、それに職人たちの記憶だけだ。不便ではあるが、できないわけではない。
「とりあえず、これで始める」
ようやく言えた頃には、朝の仕事を始める時間をかなり過ぎていた。
五平が壁を見る。
「これ、途中で変えてええん?」
「ええよ」
「最初に決めた意味ないやん」
「決めた通りやってあかんかったら変えるために、今決めたんや」
「ややこしいな」
「俺もそう思う」
弥吉が札を一枚持ち上げた。
「これ落ちたら?」
「戻せ」
「どこに?」
「同じとこ」
「分からんかったら?」
「俺呼べ」
「また人に聞く仕組みになっとるやん」
「お前今日ほんま腹立つな!」
源兵衛は少し離れたところで聞いていた。
口は出さず、笑ってもいない。ただ、俺たちのやり取りを見ている。
あれが一番怖い。
◇
話が終わると、職人たちはそれぞれの場所へ戻っていった。
火床に火が入り、金槌の音が戻ってくる。いつもの工房になった。
俺は壁に残った二十枚の札を見る。まだ右へ動かした札は一枚もない。
当たり前だ。まだ作っていない。
「虎松」
源兵衛だった。
「何」
「思ったより時間掛かったな」
「誰のせいや」
「お前やろ」
「朝いきなり音頭取れ言うた奴がおるんや」
「取れたやん」
「結果論や!」
親父は壁の札を見る。
「五挺ずつでええんか」
「最初は」
「二十まとめてやった方が早いかもしれんぞ」
「そうかもしれん」
「ほな、なんでせえへん」
「分からんから」
俺は親父を見る。
「五で流して、余裕あるなら増やす。詰まるなら減らす」
「ふうん」
「何」
「別に」
「何やねん」
親父はそれ以上言わなかった。
その時、工房の入口から声がした。
「榊屋さん、荷や!」
俺と源兵衛が同時に振り向く。
善右衛門のところから来た荷だった。予定より早く届いた最初の鉄に、職人が何人か手を止める。
俺は壁を見る。
一番左に、まだ動いていない五枚の札がある。
「虎松」
弥吉が声を掛けてきた。
「来たで」
「見たら分かる」
「どうする?」
さっきまで笑っていた男が、今度は普通に俺へ聞いている。
一瞬だけ喉が詰まった。
今までなら、源兵衛へ向いていた問いだ。
親父を見る。
何も言わない。こっちを見ることもなく、鉄を運び込む人間へ場所を指示している。
なるほど。
本当に俺がやるらしい。
「まず鉄見る。親父と弥吉と五平で、使う順番決める。今日使えるなら一本目から始める」
「五本ちゃうん?」
「五本分を流す。一度に五本火床へ突っ込むとは言うてへん」
「細かいな」
「うるさい」
弥吉が笑った。
「ほな見よか」
俺たちは届いた鉄のところへ向かった。
胸の奥はまだ落ち着かない。たぶん今日一日では慣れないし、明日になっても怖いかもしれない。
それでも壁には二十枚の札があり、材料も来た。職人もいる。納期は一か月だ。
逃げ道はない。
二十挺の一挺目が、ようやく動き始めた。




