地板を変える
翌日、二挺の鉄砲を作業台へ並べた。
昨日までに火蓋の鋲と火ばさみの軸は交換できた。どちらも反対側へそのまま入り、取り付けたあとも問題なく動いたので、宗次郎の帳面には二つの「良し」が並んでいる。
今日は、その二つをまとめて抱えている地板そのものを交換する。
「先に決めとこ」
俺が言うと、新八が二挺を見比べた。
「何を?」
「何ができたら良しにするか」
「地板付いたら良しちゃうん?」
「昨日それで痛い目見たやろ」
「軸入って喜んでたん、お前やん」
「……成長したんや」
「一日で?」
「人は日々成長すんねん」
横で帳面を開いていた宗次郎が筆を止めた。
「何を確認するんです?」
「まず、反対の台木にそのまま付くか。削らん、叩かん、無理に押し込まん」
「昨日と同じですね」
「うん。付いたら火蓋と火ばさみを動かす。それも問題なかったら……」
そこで俺は少し考えた。
地板の上だけ見れば、それで良さそうに思える。だが、鉄砲は地板だけで火を点けるわけではない。
「火縄付ける」
「火縄?」
「火ばさみに挟んで、ちゃんと火皿のところへ来るか見る」
新八が頷いた。
「そこまで行ったら良し?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「やってみな分からん」
「便利やな、その言葉」
「親父にも言うてくれ」
◇
最初に、一挺目の地板を外した。
火蓋も火ばさみも付いたままにして、地板ごと持ち上げる。それを二挺目の台木へ持っていき、甚助と決めた基準を見ながら取り付けた。
削らない。叩かない。押し込まない。
少し緊張しながら収めてみると、地板は思っていたより素直に入った。
「……付いた」
「まだです」
「まだ何も言うてへんやろ!」
宗次郎が俺を見る。
「言う顔してました」
「顔まで検査すんな」
地板の取り付けを確認してから火蓋を動かす。開いて、閉じる。問題ない。
次に火ばさみを動かした。昨日あれだけ苦労した部分だが、こちらも途中で重くならず、最後まで動く。
「普通やな」
「普通やね」
新八も何度か動かしている。
妙だ。
「何や?」
「いや……動いとるな」
「動いとるで?」
「うん」
順調すぎる。
昨日は軸一本替えただけで引っ掛かった。地板を丸ごと替えるとなれば、もっと何か起きると思っていた。
何も起きない方がいいはずなのに、何も起きないと不安になる。
「兄上」
「何?」
「次やらないんですか?」
「やる」
二挺目の地板も外し、一挺目へ取り付ける。
こちらも入った。
火蓋を動かす。問題ない。火ばさみも動かしてみたが、こちらも引っ掛からない。
新八が俺を見た。
「できたんちゃう?」
「……まだ」
「何が?」
「火縄」
◇
火縄を用意し、火ばさみへ挟んだ。
火は点けない。位置を見るだけなら、それで十分だ。
まず一挺目の火ばさみをゆっくり下ろしていくと、挟まれた火縄の先が火皿の上へ来た。一度戻してもう一度下ろしてみても、同じところへ来る。
「ここはええな」
「うん」
「次」
二挺目へ移り、同じように火縄を挟んで火ばさみを下ろした。
「……ん?」
新八が顔を近づけた。
「ずれとる?」
「ちょっと待って」
もう一度上げて、下ろす。
火縄の先は火皿の真ん中へ来ない。完全に外れているわけではないが、端へ寄っている。
「もう一回」
「変わらんで」
「分かっとる」
それでもやった。
変わらない。
「火ばさみは動いとるよな?」
「動いとる」
「軸も入っとる」
「入っとる」
「地板も付いとる」
「付いとる」
「でも、火縄はずれる」
「ずれとるな」
俺はしばらく二挺を見比べた。
「……そこか」
「何が?」
「地板の中だけ揃えてもあかん」
新八も二挺を見た。
「火皿?」
「たぶん」
「また、たぶん?」
「今から見るんや!」
◇
二挺を横へ並べた。
まず地板を見る。
取り付け位置は、甚助と決めた基準から取っている。地板に開けた穴も型から写してある。
火ばさみの軸位置も揃えた。火ばさみ自体も、昨日作った型を使って必要なところを合わせた。
では、何が違うのか。
火縄を付けたまま火ばさみをゆっくり下ろすと、一挺目では火縄の先が火皿のほぼ中央へ来る。二挺目では明らかに片側へ寄った。
「火皿の位置、違う?」
新八が聞いた。
「見よ」
細い物差しを持ってきて、台木へ当てようとしたところで手が止まった。
どこから測る?
「甚助」
「何や」
近くで台木を削っていた甚助が、嫌そうな顔をした。
「ちょっと来て」
「また木ぃか?」
「まだ何も言うてへんやろ!」
「最近そればっかりやん」
「ええから」
甚助が来た。
「この地板の位置、二挺とも同じやんな?」
「何から?」
俺は黙った。
「……またそれか」
「何が?」
「いや。続けて」
甚助は二挺を見た。
「この前決めたとこからなら、同じになるようにしとるで」
「ここな」
「うん」
「ほな、火皿は?」
「火皿?」
「火皿の位置も、ここから決めた?」
甚助が俺を見る。
「俺に聞くなや」
「せやな」
火皿を付けたのは甚助ではない。
だが、その返事で十分だった。
俺は甚助と決めた台木の基準へ、細い物差しの端を当てた。そこから火皿の中心あたりまでを取り、爪先で物差しへ小さく印を付ける。
「新八、これ押さえといて」
「ここ?」
「うん。動かすなよ」
印のところへ細く墨を入れてから、今度はもう一挺へ同じように物差しを当てた。
基準へ端を合わせる。
火皿を見る。
墨の印と合わない。
「……ほら」
「違うな」
新八が顔を寄せた。
指一本も違うような大きな差ではない。それでも、物差しの墨と火皿の中心は目で分かるだけ離れている。その小さな差が、火ばさみの先では火縄を火皿の端へ寄せていた。
「反対も見よ」
今度は二挺目の火皿位置を物差しへ写し、一挺目へ持っていく。
やはり合わない。
目で見て何となく違うのではない。
同じ基準から取って比べても、火皿の位置が違っている。
「これや」
「火皿?」
「うん。でも、火皿が間違っとるわけちゃう」
地板を元の鉄砲へ戻して火縄を下ろす。
火縄はきちんと火皿へ来た。
もう一挺も同じだ。
どちらも、自分の鉄砲の中では合っている。
「一挺ずつなら、これでええねん」
「うん」
「その鉄砲の火ばさみが、ちゃんと火皿へ火縄持っていったら終わりやから」
俺は二挺を見比べた。
地板の位置は、俺たちが決めた基準から出している。
では火皿はどうだったか。
これまで通り、一挺ずつ作っている。銃身があり、台木があり、地板があり、その鉄砲の火ばさみが火縄を落とすところへ火皿が来るように仕上げる。
それで何も困らない。
その地板を別の鉄砲へ持っていったりしなければ。
「……そら今まで交換できんわ」
「何が?」
新八が聞く。
「地板はこっから位置決めたやろ」
台木の基準を指す。
「うん」
「でも火皿は、同じところから位置決めてへん」
「ああ」
「一挺ずつなら、それでええ。その鉄砲の中で全部合うように作ったらええんやから」
前世なら、基準がつながっていない、とでも言っただろうか。
地板は地板で基準を決めた。穴位置も揃えた。火ばさみも、その地板の上では同じように動くようになった。
だが、その外にある火皿までは、まだ同じ基準につながっていない。
「面倒くさ……」
「何が?」
「いや。昔の俺、ようこんなん毎日やっとったな思て」
「昔?」
「何でもない!」
危ない。
◇
地板を元の台木へ戻し、もう一度火縄を下ろしてみた。今度は二挺とも、それぞれの火皿へ来る。
「やっぱりこれやな」
新八が言った。
「うん」
「ほな、火皿動かす?」
「待って」
「何で?」
「今これに合わせて火皿動かしたら、この二挺は直る」
「ええやん」
「次は?」
新八が止まった。
「三挺目作った時、また地板付けて、火縄下ろして、火皿動かすん?」
「……あかんな」
「それやったら今までと変わらん」
今までの作り方が悪いわけではない。一挺だけ作るなら、その方が早いかもしれない。その鉄砲に合わせて火皿の位置を決め、火ばさみを合わせ、きちんと火が落ちるように仕上げればいい。
俺が欲しいのは、それとは別のものだ。
誰が作った地板でも、決めたところへ付ければ、火縄が決めたところへ来る。そのためには火皿の位置まで、同じところから決められなければならない。
「何悩んどんねん」
親父が来た。
「地板替えたら、火縄の位置ずれた」
「ふうん」
「地板の位置は揃えた。火ばさみも揃えた。でも火皿の位置は、同じ基準から取ってへんかった」
親父は二挺を見た。
「ほな、火皿もそこから決めたらええんちゃう?」
俺は親父を見た。
「……親父」
「何や」
「たまに怖いくらい簡単に言うな」
「何が?」
「いや、ええ」
言っていることは正しい。
腹が立つくらい正しい。
ただ、その「そこから決める」をどうやって毎回同じにするかを考えるのが俺たちの仕事だ。
「新八」
「うん」
「今日は直さん」
「火皿?」
「うん。この二挺に合わせて動かすんやなくて、次に作っても同じところへ来るようにする」
「また型?」
「たぶんな」
答えながら、俺はさっき使った細い物差しを見た。
これでも違いは分かった。
だが、一本作るたびに物差しを当て、印を読み、そこから火皿の位置を決めるのは面倒だ。それに当て方が少し変われば、また別のずれが出る。
地板の型に、新八が止まりを付けた時と同じだ。
測って場所を探すより、置けば場所が決まる方がいい。
「薄い板、余っとる?」
俺が聞くと、新八が作業台の下を覗いた。
「木?」
「うん。なるべく反らんやつ」
「何するん?」
「まだ分からん。ちょっと考える」
台木の基準へ一方を当て、地板の位置と火皿の位置を一緒に見られる物。
頭の中に、ぼんやり形が浮かび始めていた。
◇
「兄上」
「何?」
「地板は何て書きます?」
宗次郎が帳面を開いていた。
「……付く」
「良し?」
「ちゃう」
「では?」
少し考えた。
「『交換できる。火縄の位置合わず』」
「それでいいんですか?」
「うん。そのまま書いて」
宗次郎が筆を動かした。
『地板 交換できる。火縄の位置合わず』
良しでも、駄目でもない。
地板そのものは反対の台木へ付いた。その上にある火蓋も火ばさみも動いた。それでも鉄砲として使おうとすると、火縄の先は同じ場所へ落ちなかった。
俺は帳面の横に置かれた薄い木の板を手に取り、二挺の鉄砲へ順番に当ててみた。まだ線一本引いていないただの端材だが、次に作るものの形は、その板の上へ少しずつ見え始めていた。




