外せるということ
「源兵衛おるかあ?」
工房の入口から聞こえてきた声に、俺は手にしていた榊一番を箱へ戻した。
遅かった。
「今、何隠した?」
「何も」
「見せてみ」
「嫌や」
「何でや」
「あんたに見せると仕事増える」
善右衛門は一瞬黙ったあと、腹を抱えて笑った。
「ははは! お前もようやく賢うなったなあ!」
「誰のせいやと思っとんねん」
「商人に物見せたら売られる。十七にもなってようやく覚えたか」
「普通は勝手に売らんねん」
「売れるもん売って何が悪い」
話にならない。
善右衛門は勝手知ったる様子で工房へ入り込むと、源兵衛を探すより先に俺の作業台を覗き込んだ。そこには昨日から触っている二枚の地板と、外して並べたカラクリの部品がある。
「ほんで、今度は何しとんねん」
「鉄砲」
「ようやくか」
「誰のせいやと思っとんねん」
「知らんなあ」
こいつ。
「親父に用事ちゃうんか」
「ああ、せやった」
ようやく本来の目的を思い出したらしい。そこへ奥で話を聞いていたのか、源兵衛が顔を出した。
「何や」
「榊一番の話や」
俺は思わず善右衛門を見る。
「また注文?」
「ちゃうちゃう。今日はええ話持ってきたったんや」
「善右衛門のええ話、怖いねん」
「失礼なやっちゃな」
善右衛門はそう言いながらも上機嫌だった。
話を聞けば、嘉兵衛のところで作った榊一番を、そのまま客へ回し始めたらしい。まだ数は多くないが、榊屋で作った物と混ぜても使えることが分かり、わざわざこちらへ注文を集める必要がなくなったという。
「つまりな」
善右衛門がにやりと笑った。
「お前んとこで作らんでも売れるようになったで」
「最高やん」
「普通そこ喜ぶか?」
「俺、ネジ屋ちゃうからな」
心の底から嬉しい。
俺が作らなくても、同じ物が別の工房から出てくる。それを善右衛門が勝手に売ってくれる。これなら注文が増えても、俺が一日中ネジを切る必要はない。
というか、そのために嘉兵衛へ道具と作り方を渡したのだ。
「嘉兵衛のおっちゃん、ちゃんと作れとる?」
「今んとこな。売る前に見とるんやろ?」
「見る決まりにはしとる。あかんやつを榊一番で出されたら困るから」
「その辺も分かっとるみたいや。何本作って、何本あかんかったかも書いとる言うとったで」
俺は少し安心した。
ちゃんと続いている。
俺が横にいなくても。
これは思っていた以上に気分がいい。
「ほな、その話は終わり」
「待て待て」
「何や」
「さっき何隠した?」
「終わってへんのかい!」
善右衛門はしつこかった。
◇
「これか?」
「勝手に開けんな!」
結局、榊一番を入れた箱は見つかった。
善右衛門は一本取り出し、俺の作業台にある地板と見比べている。
「これ、鉄砲に使うんか?」
「……使えるとこがあるか考えとるだけ」
「ほう」
出た。
俺は善右衛門から榊一番を取り上げた。
「その顔すんな」
「どの顔や」
「銭の匂い嗅いどる顔」
「生まれつきや」
「嫌な生まれつきやな」
俺たちのやり取りを聞きながら、源兵衛も地板を手に取った。
「ネジにするん?」
「まだ決めてへん」
「どこを?」
「それも今から」
源兵衛は地板に付く部品をいくつか見てから、俺が持っている榊一番へ目を向けた。
「全部?」
「いや……」
答えかけて、止まった。
全部をネジにする。
前の俺なら、一瞬くらい考えたかもしれない。ネジなら外せる。交換できる。締め直せる。便利だ。
だが、今はそれだけでは決められない。
俺は作業台に並んだ部品を見た。留めるためだけのものがある。部品が動くための軸になっているものもある。簡単に外れてもらっては困る場所もある。
源兵衛は一本の鋲を指でつまんだ。
「これ、回るやろ」
「うん」
「ほな鋲でええんちゃう?」
「……せやな」
「ネジにしたらあかんの?」
新八が聞く。
「あかんとは言わんけど、する意味がない」
口に出してみると、自分の中でも少し整理できた。
新しい物が作れるようになったからといって、何でもそれに置き換えればいいわけではない。ネジにはネジの役目がある。
「普段は動かん」
俺は指を折りながら考えた。
「しっかり留まっといてほしい。でも、直す時とか替える時には外したい。そういうとこやな」
「外したいけど、普段は外したない」
善右衛門が言った。
「せや」
「女みたいやな」
「何の話やねん」
源兵衛が吹き出した。新八まで笑っている。
「帰れ」
「源兵衛に用事ある言うとるやろ」
「用事終わったやろ!」
◇
実際に鉄砲のどこへ使うかは、すぐには決めなかった。
代わりに、今作っている地板と簡単な金具を使って試してみることにした。普段は動かさないが、必要なら外せる。そういう留め方として使えるかを見るだけなら、いきなり鉄砲へ組み込む必要はない。
ネジで留める。一度外す。金具を取る。もう一度同じ場所へ戻して締め直す。
何度か繰り返してから、新八が金具を指で揺らした。
「戻るな」
「うん」
鋲でも外すことはできる。
だが、外した後にまた同じように留めることまで考えるなら、ネジは使いやすい。修理する。部品を交換する。掃除する。そのたびに職人が一から合わせ直さなくても、外した物を同じ場所へ戻せる。
交換できる鉄砲を作ろうとするなら、これは悪くない。
「これ、鉄砲以外でも一緒やろ?」
背後から声がした。
俺は振り向かなかった。
「聞こえへん」
「外したいけど普段は外したないもん、鉄砲以外にもあるやろ」
「聞こえへん言うとるやろ」
「箱でも戸でも道具でも」
「今日は鉄砲の話しとんねん!」
「俺は商いの話しとる」
「帰れ!」
善右衛門は笑っている。
以前なら、この時点で頭を抱えていたかもしれない。また注文が来る。また俺たちが作る。また鉄砲が遠ざかる。
だが今は違う。
嘉兵衛がいる。同じ道具を使い、同じ決まりで作れば、榊屋でなくても榊一番を作れることはもう確かめた。
善右衛門がどれだけ売り先を見つけても、全部を俺が作る必要はない。
「好きに売ったらええやん」
俺が言うと、今度は善右衛門が黙った。
「何や」
「いや」
「何やねん」
「お前、急に商人みたいなこと言うなあ思て」
「俺が作らんでええなら、なんぼでも売れ」
善右衛門の顔がゆっくり笑った。
しまった。
「ただし!」
「何や」
「榊一番の決まり守れるとこだけやぞ。勝手に名前使わせんなよ」
「分かっとる分かっとる」
「ほんまやろな」
「お前、誰に商い教えとんねん」
それを言われると弱い。
善右衛門は満足したらしく、ようやく源兵衛を連れて奥へ行った。
何の話をしに来たのか、最後までよく分からなかった。
◇
静かになった作業台へ戻り、俺は昨日作った二枚の地板を手に取った。
榊一番をどこへ使うかは後でもいい。それより先に、昨日残った問題がある。
二枚とも、同じ場所に穴を開けた。同じ鋲が入る。部品も付く。
だが、動かしてみると片方が少し重かった。
俺と新八で何度触っても、違うことは分かる。
なぜ違うのかが分からない。
「親父」
奥へ向かって呼ぶと、しばらくして源兵衛が戻ってきた。
「何や」
「これ、見て」
二枚を渡す。
源兵衛はまず一枚目を手に取り、付けた部品を何度か動かした。次に二枚目へ持ち替え、同じように動かす。
目で見ている時間は短かった。
「こっち重いやろ」
「うん」
「ここ当たっとる」
「どこ?」
「ここ」
指された場所を見る。
分からない。
「……ほんまに?」
「触ってみ」
渡された地板を動かしてみる。
重い。それは分かる。
だが、どこが当たっているのかまでは分からない。
「分からん」
「新八」
「俺も」
「二人ともあかんな」
「腹立つな!」
源兵衛は笑いながら地板を取り返した。
「ほな、見るな」
「え?」
「目ぇ閉じて触れ」
「何で?」
「ええから」
言われるまま目を閉じ、部品を指でゆっくり動かした。
「最初から最後まで一気にやるな。ちょっとずつや」
源兵衛の声に従って、少し動かす。
「そこは?」
「普通」
「もうちょい」
「……ちょっと重い?」
「戻せ」
戻す。
「もう一回」
同じところまで動かす。
確かに、そこから先で指に返ってくるものが少し変わる。
「……ここからや」
「せやろ」
目を開けると、源兵衛がその位置で部品を止めさせた。
「重い言うても、ずっと重いんちゃう。途中から重うなるんやったら、そこから何かが触っとる」
「ああ……」
「最初から重いんやったら、また見るとこ変わる」
源兵衛は部品を外した。
俺なら、ここで怪しい場所を片っ端から眺めていたと思う。
だが源兵衛は違った。
「さっき、ここまでは軽かったやろ」
「うん」
「ほな、最初から当たっとるとこは違う。ここから先で近うなるとこ見る」
部品を地板の上へ戻し、動かさずに位置だけ合わせる。源兵衛の指が、部品の端と地板の一部を行き来した。
「ここや」
「まだ分からん」
「ほな外せ」
もう一度外す。
「擦れたとこ探せ」
俺と新八で覗き込んだ。
しばらくして、新八が指を差した。
「……これ?」
ほんのわずかに、表面の見え方が違う。
傷というほどでもない。光の加減によっては消えてしまいそうな跡だった。
「それ」
「こんなん見とったん?」
「見てへん」
「は?」
「触って分かったから、そこ見たんや」
俺は源兵衛を見る。
逆だった。
小さな擦れ跡を見つけたから原因が分かったのではない。
動かした時の感触から、どの辺りで何かが当たっているかを絞り、その場所を見たのだ。
「もう一個の方やってみ」
軽く動く方を渡される。
今度は目を閉じる前に、ゆっくり動かした。最初から最後まで、指に返ってくる重さが大きく変わらない。
「こっちは途中で変わらんな」
「せやろ」
「親父、毎回こんなん見とるん?」
「別に考えてへん」
「考えろや!」
「動かしたら分かるやろ」
「分からんから聞いとんねん!」
源兵衛は困ったように頭を掻いた。
「ほな……」
もう一度、重い方を手に取る。
「動かすやろ。重うなるやろ。ほな、その時どこが近づいたか見る。跡あったらそこやし、なかったら煤でも付けて動かしたら、触ったとこ分かる」
「煤?」
「薄うな。べったり付けたら分からんぞ」
そう言って、源兵衛は指先にほんの少し煤を取り、怪しいところへ薄く付けた。部品を戻して一度だけ動かし、再び外す。
煤の一部が擦れている。
「ここ」
「……ほんまや」
今度は俺にも見えた。
「最初からこれやったらあかんの?」
「ええけど、どこ見るか分からんまま全部煤だらけにすんの?」
「……嫌やな」
「先に当たりつけた方が早いやろ」
なるほど。
源兵衛は勘だけで仕事をしているわけではない。
まず動かして、変化するところを探す。そこで何が近づくのかを見る。それでも分からなければ、跡を残して確かめる。
長年繰り返したせいで、その順番があまりに速くなっているだけだ。
本人にとっては「触れば分かる」で終わってしまう。
俺はもう一度、重い方を受け取った。
「やってみ」
今度は源兵衛が何も言わなかった。
ゆっくり動かす。
途中で重さが変わる。
そこで止める。
部品同士の位置を見る。
外す。
擦れた跡を探す。
「……ここ?」
「ちゃう」
「ちゃうんかい!」
「そっちは前からある傷や」
「分かるか!」
新八が笑った。
腹が立つ。
もう一度やる。
動かす。
止める。
見る。
外す。
今度はさっき源兵衛が教えたところへ目が行った。
「……こっち」
「せやな」
「おお」
思わず声が出た。
「分かった?」
新八が聞く。
「今のは分かった」
「ほな俺も」
新八も地板を取った。
源兵衛はそれを見ながら笑っている。
俺は少しだけ安心した。
源兵衛の指をそのまま俺たちへ移すことはできない。
何十年も鉄砲を作ってきた人間の感覚を、今日一日で手に入れることもできない。
だが、「何となく分かる」の中にも順番はある。
どこから重くなるのか。
その時、どの部品同士が近づくのか。
跡は残っているか。
分からなければ、跡が見えるようにして確かめる。
そこまでなら、俺にも新八にも教えられる。
源兵衛が道具へ手を伸ばした。
「ここ少し落としたら動く」
「あ、待って」
手を止める。
「何?」
「削ったら動くようにはなる?」
「なるやろな」
「……ほな、今は削ったらあかん」
源兵衛が俺を見る。
「何で?」
「それやったら今までと一緒や」
俺は二枚の地板を見た。
新八が作った方。
弥吉が作った方。
どちらも同じ見本と型を使っている。それでも動きが違った。
ここで源兵衛が一枚ずつ削って合わせれば、二つともちゃんと動くようにはなる。
だが、次の一枚も源兵衛が直すことになる。
十枚作れば十枚見る。
百枚なら百枚だ。
それでは、俺がやりたいこととは違う。
「直さんの?」
源兵衛が聞いた。
「直したら動く」
「うん」
「でも、それやったら次のやつも親父が直さなあかんやろ」
源兵衛は少し黙って地板を見た。
「……せやな」
俺は紙を引き寄せた。
これまで書いた言葉が並んでいる。
『部品』
『穴』
『位置』
『最初から』
『基準』
その下に、一つ足した。
『動き』
同じ形にする。
同じ場所に付ける。
同じ部品が入る。
そこまでできても、まだ足りない。
同じように働かなければ、鉄砲では意味がない。
「親父」
「何や」
「もう一回教えて」
「今やったやろ」
「一回で親父みたいにできたら苦労せえへんわ」
「そらそうやな」
源兵衛が笑う。
俺は重い方の地板を差し出した。
「直し方やなくて、見つけ方。俺らでも分かるようにしたい」
源兵衛は地板を受け取ると、少し考えてから新八を手招きした。
「ほな、もう一回やるで」




