基準を決める
昨日から作業台に置きっぱなしになっている二本の台木を、俺と新八、それに甚助の三人で囲んでいた。
甚助に言わせれば、二本は同じ木ではない。形も少しずつ違う。端から同じだけ測ったところで、その「端」そのものが違うのだから、同じ場所にはならない。
そこまでは昨日分かった。
問題は、その先だ。
「甚助」
「何や」
「結局、同じ場所に金具付けるなら、どこから測ったらええん?」
「知らん」
「昨日あんだけ偉そうに言うたやん!」
「知らんもんは知らん」
甚助は悪びれる様子もなく、二本の台木を見比べた。
「そもそも同じ台木二本作れなんて言われたことないしな」
「そこを何とかするために呼んどんねん」
「無茶言うなあ」
甚助はそう言いながら一方を手に取り、しばらく眺めていた。指で表面をなぞり、上下を返し、それから何か思い出したように首を傾げる。
「せやけど、一挺の中では決めとるで」
「何を?」
「削るとこ」
「そら決めるやろ」
「ちゃう。ここは先に触らんとか、ここ見ながらこっち削るとか」
俺は甚助の顔を見た。
「……ちょっと待って。それ詳しく」
「何で?」
「ええから」
「面倒やなあ」
面倒と言いながらも、甚助は奥へ引っ込んだ。しばらくして持ってきたのは、まだ加工途中の台木だった。
完成した物とはずいぶん印象が違う。全体に削り代が残り、角張った部分も多い。俺が見れば、まだ形を作っている途中の木にしか見えなかった。
甚助はそれを作業台へ置いた。
何気ない動作だったが、置いた瞬間、台木はぴたりと止まった。
「ここはまだ触ってへん」
甚助は作業台に接している一面を指で叩いた。
「ここ先に丸うしたら、ひっくり返すたびに座り方変わるやろ」
「ああ……」
「せやから、しばらく平らなまま残す。こっち削る時も、反対やる時も、まずここ置く。ほんで、この端もまだ落とさん」
次に、後ろ側に残された角を指す。
「長さ見る時はここから。こっちの形作る時も、まずここ見てから削る。だいたい形できて、もう要らんようになってから最後に落とす」
甚助は説明しながら台木を持ち上げ、裏返し、向きを変えた。そのたびに、同じ平らな面を作業台へ当てている。
それだけで、台木の置かれ方が毎回決まった。
俺は思わず身を乗り出した。
「……もう一回やって」
「何を?」
「今の」
「置いただけやぞ」
「ええから」
甚助は怪訝そうな顔をしながら、もう一度台木を置いた。
同じ面が下になる。
同じように座る。
そこから甚助の指が動く。ここを見て厚みを取る。こちらの角から長さを見る。木目がこちらへ流れているから、この辺りは一度に追い込まず残しておく。反りが出たら、残した分で逃がす。
話を聞くほど、俺にはただの木の塊にしか見えなかったものの中に、甚助には加工の順番が見えていることが分かった。
しかも、その場その場で適当に決めているわけではない。
どこを先に削り、どこを残し、何を最後まで目印として使うのか。木の癖を見ながら、完成するまでの道筋を最初から組んでいる。
「木ぃはな、削ったら戻らんから」
甚助は何でもないことのように言った。
「こっち先に取りすぎたら、あとで反った時に直せん。せやから逃げる分残しとく。真っ直ぐな木なら早よ落としてもええけど、こいつはちょっと嫌な曲がり方しそうやから、まだ触らん」
「……それ、見て分かるん?」
「見たら分かるやろ」
「分からんわ」
「ほな触るな」
「厳しいな!」
新八が横で笑っている。
だが、俺は少し笑えなかった。
甚助がいなくなったら困る。
今まで台木は甚助に任せればいいと思っていたが、任せていたせいで、何をやっているのか俺はほとんど知らなかった。
もっとも、それは今考えることではない。まずは目の前だ。
俺は加工途中の台木と、横に置かれた完成品を見比べた。
完成した台木だけを見ていた時には分からなかった。甚助が頼りにしていた平らな面も、角も、完成する頃には削られて消えている。
「……なるほどな」
「何が?」
「俺、出来上がったやつから探そうとしとったんや」
「何を?」
「最初の場所」
完成した鉄砲のどこかに、ずっと変わらない場所がなければならないと思っていた。
だが、そんな必要はない。
作っている間だけあればいいのだ。
最初に一つ決める。そこはしばらく変えない。置く時も、測る時も、他の場所を作る時も、まずそこへ戻る。
だから甚助は、削るたびに迷わない。
俺は紙を引き寄せた。
『最初に決める』
『途中まで変えない』
『他はそこから決める』
三つ書いたところで、甚助が横から覗き込んだ。
「何書いとん?」
「甚助がやっとること」
「そんなん書くほどのことか?」
「俺にはある」
「変なやっちゃな」
甚助にとっては、わざわざ名前を付けるほどのことではないのだろう。
木を削るなら、途中で何を見ればいいか分からなくならないようにする。ただそれだけの話だ。
だが、その「それだけ」を甚助以外も同じようにできるなら、話は変わる。
「ほなさ」
新八が加工途中の台木を覗き込んだ。
「次に二本作る時、甚助が残しとるここを、二本とも同じにしたらええんちゃう?」
俺と甚助が同時に新八を見る。
「ここを?」
「うん。昨日、型置く場所が分からん言うとったやろ。最初にここだけ同じにしといて、そこに型合わせたらええんちゃう?」
俺は甚助が残した平らな面を見る。
昨日までの俺たちは、二本の完成した台木へ同じ型を当てようとしていた。だから置き方が決まらなかった。丸みも違う。端の削り方も違う。型が正しくても、その型自体が毎回違う場所に置かれてしまう。
だが、最初から二本とも同じ平らな面を残しておけばどうなる。
そこへ置けばいい。
毎回、同じ向きに座る場所を最初に作っておけばいい。
「甚助」
「何や」
「できる?」
「それだけなら」
甚助は少し考えてから頷いた。
「ただし、そこ決めたら途中で勝手に削るなよ」
「分かっとる」
「お前に言うとんねん」
「俺かい」
「お前、途中で何か思いついたらすぐ触るやろ」
「……否定しづらいな」
新八が笑っている。
甚助からの信用が思ったよりなかった。
◇
甚助に、荒く形を取った二本の木を持ってきてもらった。
まったく同じ木ではない。木目も違えば、わずかな反りも違う。それでも甚助は二本を見比べ、残す場所を決めると、迷うことなく手を動かした。
俺と新八があれこれ言う暇もない。
片方を削り、もう片方を見る。指で撫で、作業台へ置き、少し削る。また置く。何度か繰り返したところで、二本とも同じように作業台へ座るようになった。
「ほれ」
「もう?」
「こんなん形作るうちにも入らん」
甚助は平然としている。
俺には十分すごかった。
同じ寸法を数字で追いかけているわけでもない。木の癖を見ながら、それでも俺たちが必要としている「同じように置ける場所」を二本に作ってしまった。
職人の腕というのは、綺麗な物を作れることだけではないのだろう。
材料が一つずつ違うのに、欲しいところへ持っていける。
そこが凄い。
「ここだけは二本とも同じにする」
俺は甚助が作った場所を指した。
「ほんで、他はここから決める」
「それなら分かる」
甚助の返事は早かった。
俺の頭には、前世で使っていた「基準面」という言葉が浮かんでいる。
難しい話ではない。
机の上に茶碗を伏せれば、底が決まっているから毎回同じように置ける。底が丸かったり、出っ張りが毎回違ったりすれば、置くたびに傾いてしまう。
今やっているのも、それと同じだった。
まず、毎回同じように置ける場所を一つ作る。
そこが決まれば、「そこからどれだけ離れているか」で他の場所を決められる。
昨日、新八が考えた薄い板を持ってきた。今度は置く場所に迷わない。甚助が作った場所へ同じように当てればいい。
一方へ当てて印を付ける。
もう一方へ移す。
同じように当て、印を付ける。
二本を横に並べた。
「……同じやな」
「同じやな」
新八も横から覗き込む。
甚助は不思議そうな顔をした。
「そら同じように付けたからな」
「今それ言うな。ちょっと感動しとんねん」
「何に感動しとんねん」
小さな印が二つ付いただけだった。
だが昨日まで、俺たちはその印一つを同じ場所に付けられずに悩んでいた。
これなら次に作る台木にも同じ位置を示せる。十本でも、同じ場所から始めれば、同じところへ印を付けられる。
木の形を全部揃える必要はない。
必要なところだけ、同じにできる。
「これ、木だけちゃうな」
「何が?」
新八が聞いた。
「鉄でも一緒や。最初に一個、ここは同じってとこ決める。ほんで他はそこから決める」
昨日まで「同じ場所」という言葉だけが宙に浮いていた。
ようやく足場ができた。
俺は昨日の紙を取り出した。
『部品』
『穴』
『位置』
『最初から』
その下には『どこから』と書いてある。
俺はその文字を横線で消し、隣に書いた。
『基準』
「何やそれ」
甚助が聞く。
「今決めたとこ」
「ここ?」
「そう。まずここへ戻ったら、毎回同じように置ける。ほんで、穴でも金具でも、ここから場所決める」
「名前いるん?」
「いる」
「何で?」
「次に説明する時、『甚助が削らんと残しとるあそこ』で通すん嫌やろ」
「俺は別に」
「俺が嫌や」
「お前のためかい」
今のところは、それでもいい。
だが、名前があれば別の人間にも伝えられる。甚助が普段、頭と手の中だけでやっていることを、他の職人にも渡せる。
俺が欲しいのは、たぶんそっちだった。
◇
「で、何付けるん?」
甚助が聞いた。
「ん?」
「ここ決めたんやろ。そこから場所も決められるようになった。ほんで、何付けるん?」
「鋲」
「鋲だけ?」
「いや、その先に金具が……」
言いながら、俺は止まった。
そうだ。
鋲一本なら穴一つでいい。
だが、取り付ける金具に穴が二つあれば、一つ目だけ同じ場所にあっても駄目だ。二つの穴の間も揃えなければならない。
さらに、その金具が別の部品と組み合わさって動くなら、そちらとの位置も決める必要がある。
「……増えたな」
新八が言った。
「言うな」
「穴一個で済まんやん」
「分かっとる」
「いっぱいありそうやな」
「それ昨日も聞いた!」
だが、新八の言う通りだった。
一個の場所を揃えれば鉄砲全体が揃うわけではない。基準は始まりにすぎず、そこから部品同士の位置まで決めなければならない。
俺は作業台に置かれているカラクリへ目を向けた。
小さな部品がいくつもある。
鋲がある。軸がある。それぞれが決まった場所に付き、互いに関係しながら動く。
それらを一つずつ台木へ直接合わせるとしたら、穴を一つ決めるたびに、次の穴との関係を考えなければならない。
俺はさっき甚助がやったことを思い返した。
甚助は台木のあちこちを別々に決めていたわけではない。
一つ、動かさない場所を作った。
そこから他を決めた。
なら、カラクリにも同じことができないか。
部品一つ一つを直接台木へ合わせるのではなく、まず何か一つ、そいつらが乗る場所を揃える。
俺の目が地板で止まった。
「……これか」
「何が?」
新八が覗き込む。
俺は地板を手に取り、その上に付く部品を見た。
こいつを一つの土台として扱う。
地板そのものを揃え、その上で穴や部品の位置を決める。台木側は、まずその地板が付く場所を揃える。
そうすれば、台木の木目や握りの形まで全部同じにする必要はない。
甚助が台木に作った「最初の場所」を、今度はカラクリ側にも作れるかもしれない。
「これ、地板から揃えた方がええんちゃうか?」
「地板を?」
「うん。細かいもん一個ずつ台木に合わせるんやなくて、まずこいつに付く場所を揃える。ほんで台木は、こいつが付く場所を揃える」
新八は地板を受け取り、しばらく眺めた。
甚助は地板と台木を交互に見る。
「それが同じなら、俺はそれが付くとこ合わせたらええんか?」
「……たぶん」
「たぶんかい」
「今から考えるんや!」
まだ決まったわけではない。
地板を揃えれば本当にうまくいくのか。そこへ付く部品はどうするのか。そもそも、今ある地板の形をそのまま使うのがいいのか。
調べることはいくらでもある。
だが、少なくとも昨日までとは違う。
どこから考え始めればいいのかは分かった。
俺は紙をもう一度見た。
『部品』
『穴』
『位置』
『最初から』
『基準』
ばらばらだった言葉が、ようやく順番になってきた。
まず基準を決める。
そこから位置を決める。
そこへ同じ部品を付ける。
なら次に決めるのは、何を共通の土台にするかだ。
「明日はそれ?」
新八が俺の手にある地板を指した。
「たぶん」
「また増えるんちゃう?」
甚助が言った。
「何が?」
「『後』の札」
「縁起でもないこと言うな」
甚助は笑った。
俺は地板を手の中でひっくり返し、もう一度眺めた。
後に回すかどうかは、調べてから決めればいい。




