誰が良しと言う?
翌日、嘉兵衛は昼前に榊屋へやってきた。
善右衛門も一緒だった。なぜか善次郎までついてきている。
「何でお前まで来とんねん」
「ええやろ、別に」
「どうせまた百本とか言うんやろ」
「今日は言うてへん」
「今日は、って言うたな?」
「細かいなあ」
昨日、嘉兵衛の工房で作った十本は全部良しになった。その結果を聞いた嘉兵衛は、自分の客にもネジを売りたいと言い出したので、今日はその話をするために来てもらった。
作業台には、これまでに作った雄ネジと雌ネジ、それから手直しになった物、駄目になった物まで並べてある。嘉兵衛はそれらを一瞥すると、椅子にも座らず本題へ入った。
「で、ねじ切り板、もう一枚作ってくれるんか?」
「その前に決めたいことある」
「何や」
「嘉兵衛さん、自分とこで作ったネジ、どうやって良し悪し決める?」
嘉兵衛が俺を見る。
「入ったらええんちゃうんか?」
「何に?」
「……」
嘉兵衛の口が止まった。
横で善右衛門が笑う。
「なるほどな」
「昨日までは、作ったやつ全部こっち持って帰ってきたやろ」
「せやな」
「ほんで、お澪が榊屋の雌ネジに入れて見とった。でも嘉兵衛さんが自分の客にそのまま売るなら、毎回ここまで持ってくるん?」
「そら面倒やな」
「やろ?」
嘉兵衛はしばらく作業台を眺めていたが、やがて雌ネジを一つ摘まみ上げた。
「ほな、これ一個くれ」
「え?」
「これに入ったら良しなんやろ?」
俺は手の中の雌ネジを見る。
確かにそうだ。
「……まあ、そうやな」
「ほな、これ置いといたらええやん」
「簡単に言うなあ」
「お前が難しく考えすぎなんちゃうか」
否定しきれない。
嘉兵衛は手にした雌ネジへ雄ネジを一本入れ、何度か回してから抜いた。そこで何か思ったらしく、今度は雌ネジの山を覗き込む。
「でも、これも減るんちゃうんか?」
今度は俺が嘉兵衛を見た。
「毎日ネジ入れて抜いてしとったら、こっちの山も減るやろ。そしたら、前は入らんかったやつまで入るようになるんちゃうか」
「……せやな」
「何や。考えてへんかったんか」
「考えとる途中や」
「便利な言葉やな、それ」
新八が横で笑っている。
この親父、やっぱりちゃんとした職人だ。
俺が何をしたいのか、全部を理解しているわけではない。それでも、道具も刃物も使えば減るということは身体で知っているし、昨日も言われればねじ切り板の変化に気付いた。
俺とは、知っているものが違うだけだ。
◇
ひとまず、嘉兵衛の工房にも検査用の雌ネジを置くことにした。
商品として使う物とは分け、長さを見る見本と、丸棒の太さを見る当て金も一緒に置く。検査用に決めた雌ネジには、他の物と混じらないよう鏨で小さく一本の印を付けた。
「これ、売ったらあかんで」
「売らへんわ」
「嘉兵衛さんは売らんでも、他の人が間違えるかもしれんやろ」
「俺んとこの職人疑っとる?」
「人は間違えるねん」
嘉兵衛が俺の顔を見る。
「お前が言うと説得力あるな」
「うるさい」
善次郎が吹き出した。
「お前も笑うな」
道具はこれでいい。
次は、本当に同じ判断ができるかだった。
「お澪」
「何?」
「ちょっと来て」
「ネジ?」
「何で分かるん」
「最近それしかやってへんやん」
「俺は鉄砲鍛冶やぞ」
「知らん」
ひどい。
それでも、お澪は素直に作業台まで来てくれた。
俺は十本の雄ネジを適当に混ぜた。その中には良しになった物だけでなく、以前手直しになった物や駄目になった物も混ぜてある。
「これ、嘉兵衛さんと別々に見てくれへん?」
「何を見るん?」
「前と同じ。長さ、曲がり、山の傷。それから、この雌ネジに無理せんでも入るか」
「分かった」
先に嘉兵衛が見て、そのあと順番を変えてお澪が見る。
ほとんどの判定は同じだった。
良し。
良し。
手直し。
良し。
駄目。
ところが一つだけ、判断が分かれた。
「これは良しやろ」
嘉兵衛が言った。
「手直し」
お澪が言った。
二人が同時に俺を見る。
「何で?」
嘉兵衛が先に聞いた。
「重い」
「入っとるやん」
「でも重い」
「こんくらいやったら使えるで」
「虎松、無理に回したらあかん言うたもん」
「無理ってほどちゃうやろ」
「重いやん」
「使えるって」
「でも手直し」
「頑固やなあ」
「嘉兵衛さんに言われたない」
「俺、頑固なん?」
「知らん」
「知らんのかい」
俺は問題の雄ネジを受け取り、検査用の雌ネジへ入れた。
入る。
確かに最後まで入るが、軽くはない。単品として使うだけなら、おそらく嘉兵衛の言う通りだ。相手を決めてしまえば、この程度なら十分使えるかもしれない。
だが、俺たちがやろうとしているのは、それではない。
「お澪で合っとる」
「ほんまか?」
「この一本が使えるか使えへんかだけなら、嘉兵衛さんでもええと思う。でも今売ろうとしとるのは、別のところで作った雌ネジにも入るネジやろ」
「……ああ」
「ここで『まあ使える』を良しにしたら、少しずつ変わっていく。嘉兵衛さんとこでは良し、榊屋では手直し、そのうち別の工房では駄目、みたいになったら、同じネジにした意味がない」
嘉兵衛はもう一度、そのネジを回した。
「厳しいな」
「せやから同じになるんやと思う」
「面倒くさいな」
「それは俺もずっと思っとる」
お澪が横から言った。
「私は最初から面倒くさい」
「ごめんて」
◇
「でな」
しばらく黙っていた善右衛門が口を開いた。
「嘉兵衛がこれ売る時、何て言うんや?」
「何てって?」
「普通のネジと、これ、何が違うんや」
「どれでも入る」
「何に?」
またそれか。
「同じ……」
口が止まった。
同じ太さ。
同じ山。
同じ間隔。
同じ道具を使い、同じ作り方で作って、同じ検査を通った物。
それなら、別々に作っても組み合う。
前世なら「同じ規格です」で終わる話だ。でも、ここでそんな言葉を持ち出しても仕方がない。
「名前付けたらええやん」
善次郎が言った。
「何の」
「このネジの」
「ネジやろ」
「それやったら他のネジと分からんやん」
「……まあ、そうやな」
善右衛門が顎を撫でた。
「嘉兵衛が客に売る時も、『榊屋で使っとるんと同じや』言えた方が売りやすいやろな」
「勝手に榊屋の名前使うなや」
「ほな何て呼ぶんや」
俺は作業台に並んだネジを見る。
今のところ、太さも山の間隔も一種類しかない。
だが、これから太い物や細い物を作ることはあるだろう。そうなれば、それぞれを区別する呼び方が要る。
「……榊一番、とか?」
全員が俺を見た。
「何で一番?」
嘉兵衛が聞いた。
「次作ったら二番にできるやろ」
「作る気なん?」
「今はない」
「売れたら?」
善次郎が言った。
「黙れ」
「まだ何も言うてへん」
「言うたやろ!」
善右衛門が声を上げて笑った。
「榊一番か。ええやん。分かりやすいわ」
「ほんまにそれでええん?」
「お前が言うたんやろ」
「仮や、仮」
「客に売ったら、もう仮やないで」
嫌なことを言う。
だが、呼び名がないと困るのも確かだった。
同じ道具で作り、同じ条件で良しになり、互いに組み合うネジ。
ひとまず、それを榊一番と呼ぶことにした。
◇
嘉兵衛へ貸す物を、改めて作業台へ並べた。
榊一番のねじ切り板。
丸棒の太さを見る当て金。
完成した雄ネジの見本。
長さを見る見本。
そして、印を付けた検査用の雌ネジ。
作り方も、昨日までに分かったことをまとめて伝える。
「ほんで、これに無理なく入ったやつだけ榊一番で売る」
「これ?」
嘉兵衛が印の付いた雌ネジを持ち上げる。
「せや。重かったら手直し」
「最後まで入っても?」
「入っても」
「厳しいなあ」
「さっきやったやろ」
「言うてみただけや」
善右衛門が道具一式を眺めながら言った。
「銭はどうする」
そこも決めなければならない。
ねじ切り板も当て金も、作るのに手間が掛かっている。作り方を教えるためにも人が動いた。
「道具と、作り方教えた分。最初に一回もろたらええんちゃう?」
「売るたびに取らんでええんか?」
「どうやって数えるねん」
「嘉兵衛に数えさせたらええ」
「面倒やろ」
「俺は?」
嘉兵衛が聞いた。
「何が?」
「俺が面倒かどうかは聞かんのか」
「面倒?」
「面倒や」
「ほら」
善右衛門が笑った。
今のところは、それでいい。
道具を貸して、作り方を教える。その分だけ最初に銭をもらう。
その代わり、榊一番として売るなら、決めた見本で確かめた物だけにする。
まずはそれだけだ。
「ところで」
嘉兵衛が言った。
「これ通らんかったやつは?」
「ん?」
「榊一番にはならんのやろ?」
「ならんな」
「でも、使えるやつあるやん」
さっき嘉兵衛とお澪で判断が分かれたネジを指差している。
「それ、売ったらあかんの?」
少し考えた。
榊一番としては駄目だ。
だが、ネジとして使えないわけではない。相手の雌ネジに合わせて使うなら、今までのネジと変わらない。
「榊一番として売らんかったらええんちゃう?」
「普通のネジで?」
「うん」
「ほな、そうする」
「ただ、榊一番の雌ネジに入るとは言うたらあかんで」
「言わへんよ」
良い物と悪い物に分けるだけでは足りなかった。
使える物でも、榊一番としては良しにならない物がある。
何に使うのか。
何を約束して売るのか。
それが違えば、同じ一本でも良し悪しは変わる。
◇
話がまとまり、嘉兵衛は道具を風呂敷へ包んだ。
「ほな持って帰るで」
「検査してから売ってや」
「分かっとる」
「見本の雌ネジ、商品に使うなよ」
「使わへん」
「減ってきたと思ったら持ってきて」
「分かった」
「勝手に削り直すなよ」
嘉兵衛の手が止まった。
「……お前、俺のこと信用しとる?」
「信用しとるから貸すんや」
「ほな黙っとけ」
「それとこれとは別や」
「面倒くさいなあ」
「三日連続で聞いたわ、それ」
嘉兵衛は笑いながら風呂敷を担いだ。そのまま善右衛門と一緒に工房を出ようとする。
「兄上」
後ろから宗次郎に呼ばれた。
「何や」
振り返ると、帳面を持っている。
「嘉兵衛さんが何本作って、何本良しになったかは?」
「……」
「こっちでは昨日から一本ずつ残してますよね」
「うん」
「向こうは?」
俺は工房の出口を見る。
嘉兵衛がちょうど草履を履いたところだった。
「……いるな」
「いると思います」
「嘉兵衛さん」
呼ぶ。
嘉兵衛が嫌そうな顔で振り返った。
「何や」
「もう一個あった」
「まだあんのか!」
「作った数と、良しと手直しと駄目になった数、書いといて」
「何でや!」
「刃が減ってきた時とか分かるやろ。いつから悪なったかも見たい」
嘉兵衛は何か言い返そうとして、口を閉じた。
昨日、自分でも刃が重くなったことは覚えているはずだ。
「……毎回か?」
「毎回」
「紙もいるやんけ」
「渡す」
「筆も?」
「貸さん」
「そこは貸せや!」
善右衛門が腹を抱えて笑っている。
嘉兵衛はしばらく俺を睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「面倒くさ」
「四日目もそれ言う気やろ」
「明日は来んな!」
「行かんわ!」
嘉兵衛はぶつぶつ言いながら帰っていった。
俺は宗次郎の帳面を見る。
榊屋で作った数。
良しになった数。
手直しした数。
駄目になった数。
そこへ今度から、嘉兵衛の工房で作った数も加わる。
別々の場所で同じ物を作るなら、同じ道具を渡すだけでは足りない。作り方も、良し悪しの決め方も、その結果も共有しなければ、いつの間にか別の物になる。
俺は作業台の端に置きっぱなしになっていた鉄砲へ目をやった。
そもそも俺は、あれをどうにかしたくてネジを作り始めたはずだった。
「……明日は鉄砲やるからな」
「誰に言うてるんです?」
宗次郎に聞かれた。
「知らん。もう宣言しとかんと、またネジの仕事増えそうやから」
宗次郎は少し考えてから、帳面を閉じた。
「増えそうですね」
「言うな」




