よその工房
善右衛門が選んだのは、堺で刃物や農具を作っている鍛冶屋だった。
善右衛門屋とは十年以上の付き合いがあり、仕事は丁寧で、納め物で揉めたこともないらしい。善右衛門が言うには、「腕より先に、銭持って逃げへんことが大事や」とのことだった。
分からなくはない。
俺は貸し出すために作ったねじ切り板を作業台へ置き、その横に当て金と見本を並べた。
今回、向こうの工房で作ってもらうのは雄ネジだけだ。丸棒の外側に山を切った、普通に「ネジ」と聞いて思い浮かべる方である。
それを受ける、穴の内側にネジを切った雌ネジは榊屋で作る。
別々の場所で、別々の人間が作った雄と雌。それが何の調整もせずに組めるのか。
今回試したいのは、それだった。
「これでええか」
新八が作業台を覗き込んだ。
「作り方は?」
「今書いとる」
紙には、俺なりに順番を書き出していた。まず丸棒を当て金に通して太さを揃える。先端を少し落とし、油を付け、ねじ切り板を真っ直ぐ当てる。少し進めては戻し、屑を逃がしながら切る。
そこまで書いたところで、手が止まった。
「……これ、読んで分かるか?」
「俺に聞いとる?」
「うん」
「分からん」
「即答すんなや」
「字の話ちゃうで。『真っ直ぐ』って、どれくらいや」
言われて紙を見る。
真っ直ぐは、真っ直ぐだ。
そう言いかけて、やめた。
「……こうや」
ねじ切り板と丸棒を手に取り、実際に当ててみせる。
「それ書ける?」
「絵にする」
「『少し進める』は?」
「少しや」
「どれくらい?」
「……」
新八が笑った。
「一緒に行ったらええやん」
「それやったら俺が作っとるんと変わらんやろ」
「虎松が作らんかったら一緒ちゃうやろ。最初くらい教えな分からんで」
「……それもそうやな」
俺は筆を置いた。
前世でも、新しい設備を入れたり、加工を別のところへ出したりすれば、最初に条件を合わせるのは当たり前だった。図面と道具だけ送って「ほなよろしく」で同じものが上がってくるなら、製造業はもっと楽だったはずだ。
知っている。知っているのだが、今回は何となくいける気がしていた。
「何でため息ついとるん?」
「昔の俺に怒られそうやと思って」
「何それ」
「何でもない」
◇
善右衛門に連れられて向かった工房は、榊屋より小さかった。
親方は五十前後の男で、善右衛門とは長い付き合いらしい。俺たちが持ってきた道具を一通り眺めたあと、ねじ切り板を手に取った。
「これでネジ作るんか?」
「せや」
「これだけで?」
「丸棒の太さ揃えてから使う」
当て金も渡すと、親方は二つの穴を覗き込み、試しに丸棒を通してみた。通る方と通らない方を確かめてから、今度は見本の雄ネジを手に取る。
「これを十本?」
「とりあえずな」
「何で?」
来た。
「何で同じネジを十本も作るんや?」
十歳の頃にも、同じようなことを聞かれた。
あの時は弥吉だった。
あの頃の俺は、同じ方がええやろ、としか思っていなかった気がする。同じ寸法で作ること自体に価値があると思っていたし、何で同じにするのかと聞かれること自体が不思議だった。
今なら、もう少しまともに答えられる。
俺は榊屋から持ってきた雌ネジを親方へ渡した。
「これ、榊屋で作ったやつや」
「うん」
「今日ここで作る雄ネジは、これに合わせんでええ」
「何で?」
「合わせんでも入るようにしたいねん」
親方が眉を寄せた。
「入らんかったら?」
「失敗」
「入ったら?」
「壊れた時、相手ごと作り直さんでも済む。別に作っといたやつ持ってきて、そのまま使える」
親方は手の中の雌ネジを眺め、それから見本の雄ネジを差し込んで回した。
「……なるほどな」
今度は、それ以上聞かなかった。
◇
最初の一本は、俺が横で説明しながら作ってもらった。
丸棒を削り、当て金で太さを見る。通る方には入り、狭い方には入らない。それを確かめてから先端を整え、油を付けてねじ切り板を使う。
親方は手慣れていた。初めて使う道具なのに、二、三度説明すれば扱い方を掴んでいく。さすがに善右衛門が選んだだけはある。
「こんなもんか?」
「ええと思う」
出来上がった雄ネジを受け取った。
見た目は悪くない。山も立っているし、明らかな曲がりもない。
榊屋から持ってきた雌ネジへ入れる。
一回転、二回転と進んだところで、急に重くなった。
「……あれ?」
指先に少し力を加えてみたが、そこから先へ行かない。
「入らんな」
「見たら分かるわ」
新八に返しながら、無理には回さず抜いた。雄ネジを見ても明らかにおかしいところはなく、元の丸棒も当て金を通している。
「貸して」
新八が受け取り、山を指でなぞった。
「ちょっと斜めちゃう?」
「どこが?」
「最初」
親方も覗き込む。
「食わせる時か」
「たぶん」
もう一本やってもらった。今度は俺が口を出さず、最初から手元を見る。
丸棒の太さを確認する。油を付ける。ねじ切り板を当てる。
「あ」
「何や」
「そのまま」
俺は親方の手元へ顔を寄せた。
ねじ切り板が、ほんの少し傾いている。
榊屋では市兵衛も新八も、何本も作るうちに自然と真っ直ぐ当てるようになっていた。俺自身、それをもう当たり前だと思っていた。
「これや」
「何が?」
「最初、ちょっと斜めに入っとる」
「こんくらい?」
「こんくらい」
言いながら、さっき自分で書いた紙を思い出した。
真っ直ぐ。
便利な言葉だ。
書いた本人だけが分かっていて、何も説明していない。
◇
そこから、もう一度やり直した。
ねじ切り板を最初に当てる時だけ、丸棒との向きをよく見る。切り始めたら一気に進めず、少し進めて戻す。屑が溜まったら落とし、油を足す。
俺がやっていたこと。新八がやっていたこと。市兵衛が何本も作るうちに、いつの間にか覚えていたこと。
道具だけ持っていけば、それも一緒についていくような気になっていた。
「……そらそうやな」
「何が?」
新八が聞いた。
「道具だけ同じにしても、作り方違ったら同じにならん」
「最初から分からんかったん?」
「分かっとった」
「ほな何で」
「いけるかなって」
「あかんやん」
「あかんかったな」
親方が横で笑った。
「兄ちゃん、案外適当やな」
「よく言われる」
「誰に?」
「最近みんなに」
二本目を作る。
今度は最後まで入った。
「お」
親方が声を上げる。
抜いて、もう一本作る。それも入った。
三本目は途中で少し重くなった。無理に回せば入りそうだったが、前に決めた基準なら手直しだ。
「これはあかんの?」
「使えるか使えへんかで言えば、たぶん使える。でも今回はあかん」
「厳しいな」
「どこで誰が作っても入るか試しとるからな」
親方は「なるほど」と頷いた。
そこから十本を作った。俺は一本も手を出さず、最初の当て方や油、屑の逃がし方について口を挟んだだけだったが、後半になるほど親方の手は安定し、出来上がるネジも揃っていった。
十本を箱に入れ、榊屋へ持ち帰った。
◇
「お澪」
「嫌や」
「まだ何も言うてへんやろ」
「ネジやろ」
「……何で分かった」
「持っとるやん」
お澪が俺の手元を指差した。箱から十本ほど、頭が見えている。
「今日は十本だけや」
「昨日もそんなこと言うてへんかった?」
「昨日は五十本や。今日は五分の一やぞ」
「そういう問題ちゃうと思う」
もっともだった。
それでも作業台の前へ連れていき、前に使った見本と雌ネジを置いた。
「前と同じでええん?」
「同じでええ」
「これ、誰が作ったん?」
「よその鍛冶屋」
お澪の手が止まった。
「榊屋ちゃうの?」
「ちゃう」
「それでも同じように見るん?」
「せや。それが大事や」
お澪は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
長さを見る。曲がりを見る。山の傷を見る。そして最後に、良しとして残してある雌ネジへ入れる。
作った場所が変わっても、見るところは変えない。
「一つ目、良し」
お澪が横へ置く。
二本目も良し。
三本目は途中で少し重くなった。
「これ、ちょっと重い」
「手直しに置いといて」
お澪は頷き、前と同じように分けていった。
やがて十本すべての確認が終わる。
「良し七。手直し二。駄目一」
「……七か」
俺は、良しの箱を見た。
七本しか通らなかった。
榊屋で作った時より悪い。前に五十本を作った時は、一度目の検査で良しが三十八、手直しが九、駄目が三だった。手直しのうち七本を直して、足りない分を作り足し、最後は五十本を揃えた。
その時から宗次郎が、作った数、最初に良しになった数、手直しした数、駄目になった数を帳面へ残している。
「兄上」
その宗次郎が、いつの間にか横に立っていた。
「書いときます」
「頼む」
宗次郎は帳面を開いた。
前の五十本の記録が残っている。その下へ、今日の数字が書き足された。
十本。
良し、七。
手直し、二。
駄目、一。
「榊屋で作った時より、最初に良しになる割合が悪いですね」
「せやな」
「同じ道具使ったんですよね?」
「使った」
「材料も?」
「こっちから持ってった」
宗次郎は帳面から顔を上げた。
「ほな、何が違うんでしょう」
「作る人と、作る場所と、やり方」
「いっぱいありますね」
「せやな」
七本しか通らなかった。
だが、そこで俺はもう一度、良しの箱を見た。
七本。
榊屋の職人が作ったものではない。
市兵衛でもない。新八でもない。弥吉でもない。俺でもない。
別の工房で、今日初めてねじ切り板を手にした職人が作った十本。そのうち七本が、榊屋へ持ち帰った時点で良しになっている。
俺は向こうで一本も加工していない。
親方は、榊屋の雌ネジへ一本ずつ合わせながら作ったわけでもない。
それでも七本、通った。
「……七本もできたんやな」
思わず口にすると、宗次郎が首を傾げた。
「さっき七本しかって顔してませんでした?」
「してた」
「今は?」
「七本もや」
「どっちなんです?」
「どっちもや」
七割しか通らなかった。
七割も通った。
製造屋として見るなら、まだ悪い。これをこのまま百本、二百本と作らせる気にはならない。
でも、今日やったのは榊屋の中で人を替えただけではない。
場所まで替えた。
それでも、最初の十本で七本が良しになった。
これは思っていたより、ずっと大きい。
◇
手直しの二本と駄目になった一本を横へ退け、良しになった七本だけを作業台へ並べた。
榊屋で作った雌ネジも、一つではなく何個か持ってくる。
「まだやるん?」
お澪が聞いた。
「これが本番や」
検査で良しになったのは、見本の雌ネジへ入ったというだけだ。それだけなら七本とも同じ相手へ入ったに過ぎない。
俺が本当に見たいのは、その先だった。
よその工房で作った雄ネジを一本取る。
榊屋で作った別の雌ネジへ入れる。
回る。
最後まで入った。
抜いて、隣の雌ネジへ入れる。
それも入る。
もう一つ。
入った。
新八が横から別の雄ネジを取り、違う雌ネジへ入れた。
「入るな」
「うん」
「俺が作ったやつちゃうで」
「うん」
「市兵衛でもない」
「うん」
「弥吉でもない」
「分かっとる」
分かっている。
だから面白い。
堺の別の場所で、別の職人が作った雄ネジが、榊屋で作った複数の雌ネジへ入っている。向こうの親方は、この雌ネジに一度も合わせていない。
七本全部が使えたわけではない。
十本のうち三本は、そのままでは商品にできなかった。
だが残った七本は、誰かが一組ずつ相手に合わせたから入るのではない。
同じ当て金を使い、同じねじ切り板を使い、同じ作り方へ近づけたから入っている。
榊屋でなくても、榊屋と組めるものが作れた。
「ほな、もう一軒いけるな」
善次郎が言った。
「行かん」
「何でや!」
「七本しか良しになってへんやろ」
「七本できたやん」
「三本あかんかったやろ!」
「七本できたんやろ?」
「できたけど!」
「ほなええやん」
「良くない!」
善次郎が納得できないという顔をした。
こいつは七本できた方を見る。
俺は三本できなかった方を見る。
たぶん、どちらも間違ってはいない。
「十軒で七本ずつ作ったら七十本やぞ」
「何でいきなり十軒に増やすねん!」
「昨日お前が――」
「言うてへん!」
横で宗次郎が帳面を見ていた。
「兄上」
「何や」
「榊屋で作った時より悪い理由を調べるんですよね」
「そのつもり」
「分かったら?」
「もう一回作ってもらう」
「それでも七本くらいやったら?」
「また調べる」
「九本になったら?」
「もう一回」
「十本になったら?」
俺は少し考え、作業台に並んだ七本を見た。
「……その時は、もう一軒やってもええかもしれんな」
「ほら!」
善次郎が割り込んできた。
「お前に言うてへん!」
俺は七本の雄ネジを箱へ戻し、手直しと駄目になった三本は別にした。
道具を同じにした。材料も同じにした。それでも結果は同じにならなかった。
だが、同じにならなかったからこそ、見るところがある。
「新八」
「何や」
「もう一回、向こう行くで」
「また?」
「今度は作り方見る」
「今日も見たやん」
「もっと細かくや」
ねじ切り板を最初に当てる向き。進める量。戻す間隔。油の付け方。屑の逃がし方。それから、十本のうち何本目で重いものが出たのか。
今度は最初から記録する。
道具を渡しただけでは、同じものにはならなかった。
だったら次は、作り方まで揃える。
「善次郎」
「何や」
「百本の話したら置いてくからな」
「まだ何も言うてへんやろ」
「顔が言うとる」
善次郎が笑った。
俺は良しになった七本の箱を閉じた。
七本しかできなかった。
でも、七本もできた。
次は、それを十本にする。




