別々に作る
「百」
「帰れ!!」
工房に俺の声が響いた。
だが、善右衛門は帰らなかった。それどころか楽しそうに笑いながら、勝手知ったる様子で工房へ入ってくる。その後ろからもう一人現れたのを見て、俺はさらに嫌な予感がした。
「何や、善次郎までおったんか」
「おったで」
「何しに来た」
「親父が面白いもん見せる言うから付いてきた」
「面白いもんちゃう。ネジや」
「それや」
善次郎は俺の横を通り過ぎ、そのまま作業台を覗き込んだ。そこには、ようやく揃えた五十本の雄ネジが並んでいる。昨日から今日にかけて五十五本を作り、検査して、手直しできるものは直し、ようやく五十本を良しとして揃えたものだ。
俺にとっては、やっと終わった仕事だった。
善次郎はその一本を摘まんだ。
「雌の方ある?」
「あるけど」
「貸して」
見本に使っていた雌ネジを渡すと、善次郎は雄ネジを差し込み、ゆっくりと回した。最後まで入るのを確かめてから抜き、今度は別の一本を取る。それも入った。さらにもう一本試して、やはり最後まで入る。
「何しとんねん」
「確かめとる」
「昨日から散々やったわ」
「誰が?」
「俺らが」
「全部?」
「全部や。お澪にまでやらせた」
「お澪に?」
「お前んとこの仕事や言うて」
善次郎の顔が、ゆっくり善右衛門へ向いた。
「親父」
「何や」
「お澪に何させとんねん」
「わしちゃうわ!」
善右衛門が即座に俺を指差した。
「こいつが勝手にやったんや!」
「お前んとこの親分の仕事やからええやろ」
「親分ちゃうわ。まだ言うとんのか、それ」
善次郎は呆れたように笑ったものの、すぐに手元のネジへ視線を戻した。もう一本を取り、雌ネジへ入れる。それも問題なく回った。
「……ほんまなんやな」
「何が」
「どれでも入る」
「せやから昨日からそう言うとるやろ」
俺はそう答えて、作業台の反対側へ手を伸ばした。善右衛門たちが来る前にやろうとしていた仕事へ戻るつもりだった。
「ほんで百本は作らんからな。俺は鉄砲――」
「お前ら、自分らで何やったかほんまに分かってへんのか?」
伸ばしかけた手が止まった。
善次郎が、妙な顔で俺を見ていた。
「……ネジ作った」
「それは見たら分かる」
「五十本」
「数の話ちゃう」
「ほな何や」
善次郎は持っていた雄ネジを作業台へ戻した。
「このネジと、この雌。最初から一緒に作ったんちゃうんやろ?」
「せやで」
「一個ずつ合わせてもない」
「合わせてへん」
「昨日作った雄でも、今日作った雌に入る?」
「同じように作れば、たぶんな」
「逆も?」
「入るはずや」
「明日作っても?」
「道具がちゃんとしてて、同じように作ればな」
善次郎はしばらく黙っていたが、やがてネジを見たまま言った。
「それが変や言うとんねん」
「何が変やねん」
「普通、ネジって相手に合わせて作るもんやろ」
そこで、俺も少し黙った。
俺にとっては、同じ規格のネジなら別々に作っても入るのが普通だ。前世ではネジを買うたびに、雄と雌を一組ずつ合わせて売ってもらう必要などなかった。必要な太さと長さのものを選べば、それで済んだ。
だが、今は違う。
今の榊屋でさえ、少し前までは一組ずつ相手に合わせて作っていた。俺が当たり前だと思っているものと、善次郎が目の前で見ているものは、どうやら同じではないらしい。
「……まあ、そうやな」
「まあ、ちゃうわ」
善次郎が呆れた顔をした。
「お前、前からたまにそうやけど、自分で変なもん作っといて急に興味なくすな」
「興味なくしたんちゃう。俺は鉄砲に戻りたいだけや」
「それを興味なくした言うんちゃうか」
「ちゃうわ」
横で聞いていた善右衛門が、堪えきれなくなったように笑った。
「せやから売れる言うたやろ」
「親父は黙っとって」
「何でやねん。売るんわしやぞ」
「今は売る前の話しとんねん」
親子で勝手に揉め始めた。
俺はため息をつき、昨日から作業台の端に放置され続けている鉄砲を見た。
今日も遠そうだった。
◇
「これ、誰が作ったん?」
ひとしきり親子で言い合ったあと、善次郎が五十本のネジを指した。
「どれを?」
「この五十本」
「いろいろや。市兵衛が丸棒削って、新八もやったし、俺も触っとる」
「弥吉は?」
「作ってへん」
「源兵衛さんは?」
「作ってへん」
善次郎は少し考え、並んだネジをもう一度見た。
「親父さんも弥吉も作ってへんのに、五十本できたんか」
「そのために道具作ったんやろ」
「そこや」
善次郎が俺を指差した。
「何やねん」
「その道具あったら、お前やなくても作れるんやろ?」
「まあ」
「新八やなくても?」
「作り方覚えたらな」
「榊屋やなくても?」
そこで初めて、俺は善次郎の顔をまともに見た。
「……何が言いたい」
「そのまんまや」
善次郎は作業台に置かれたねじ切り板を指した。
「これと、太さ見るやつと、見本。作り方も一緒に他所の鍛冶屋へ持っていったら、そいつらでも同じネジ作れるんちゃうん?」
「腕次第やろ」
「弥吉みたいな腕いる?」
「いらん」
「源兵衛さんくらいは?」
「いらんと思う」
「ほな、できるやん」
「たぶんな」
「試したことは?」
「ない」
「何で?」
「昨日できたばっかりやぞ!」
善次郎は「ああ」と頷いた。分かったような顔をしているくせに、どうにも納得はしていないらしい。
「でも、やってみる価値あるやろ」
「何で?」
「榊屋だけで作らんでもええようになるからや」
善次郎は五十本のネジを指した。
「榊屋で百本作るんが大変なら、五十本ずつ二軒で作ったらええ」
「簡単に言うな」
「簡単とは言うてへん。できるか聞いとる」
俺は返事をせず、ねじ切り板を手に取った。
考えたことがないわけではない。道具で形を決め、作り方を決めるなら、作る場所まで同じである必要はない。材料と道具と手順を揃えれば、別の場所で別の人間が作っても同じものができる。前世なら、何も珍しい話ではなかった。
だが、「知っている」と「今の榊屋でできる」は別だ。そして「榊屋でできる」と「他所の鍛冶屋でもできる」も、また別だった。
「……やってみんと分からん」
「やろ」
「軽いな」
「一軒だけでええやん」
善次郎はそう言うと、善右衛門の方を向いた。
「親父。腕分かっとって、口堅い鍛冶屋おらん?」
「何人かおるで」
「何で即答やねん」
思わず俺が言うと、善右衛門が鼻で笑った。
「何年商売しとると思っとんねん。誰が何作れて、誰が信用できて、誰が銭に汚いかくらい知っとるわ」
「最後の情報いる?」
「一番いるわ」
それは確かにそうかもしれない。
◇
「ただな」
俺はねじ切り板を作業台へ戻した。
「そのまま渡すんは嫌や」
「何で?」
「作るんに結構手間掛かっとるから」
「道具が?」
「道具もやし、作り方も」
弥吉が一本目のまともなネジを作ったところから始まった。そこからタップを作り、ねじ切り板を作り、当て金を作った。何度も失敗して、削って、作り直して、ようやく別々に作った雄と雌が組めるところまで来たのだ。
それを丸ごと渡して、「ほな好きに使って」で終わるのは、さすがに惜しい。
「……貸したらええんちゃうか」
口にしてから、俺は自分の言葉を頭の中でもう一度転がした。
「貸す?」
「うん。ねじ切り板と当て金と、見本。作り方も教える。ほんで、善右衛門屋と付き合いある鍛冶屋だけに貸す」
「何で貸すん?」
「勝手に好き放題作られたら困るからや」
「返してもろたら作れへん?」
「少なくとも、その道具ではな」
もちろん、そんなもので完全に縛れるわけではない。道具を見て真似されたら終わりだし、一度覚えた作り方を頭から消させることもできない。それでも、最初から何も決めずに広げるよりはいい。
「あと、使うんやったら銭もらう」
善次郎が俺を見た。
「道具代?」
「それでもええけど……」
前世なら、こういうものにもいろいろな商売の仕方があった。道具そのものを売る。使う権利を売る。作った数に応じて銭を取る。
だが、その仕組みを丸ごと今ここへ持ってきたところで仕方がない。まずは一軒、本当に他所で作れるのか確かめる方が先だ。
「最初は簡単でええか。道具貸して、作り方教える。その分だけ銭もらう」
「一回?」
「一回でええ」
「使ってる間ずっと取らへんの?」
「取れるん?」
俺が聞き返すと、善次郎が笑った。
「俺に聞くなや」
「お前商人やろ」
「お前が言い出したんやろ」
横で聞いていた善右衛門が、顎を撫でながら口を挟んだ。
「貸すだけやったら、向こうも嫌がらんかもしれんな。買え言われるよりは試しやすいやろ。使えへんかったら返したらええ」
「なるほどな」
その方が俺も気に入った。最初から大きく儲ける必要はないし、そもそも他所の工房で作ったネジが榊屋のものと本当に組めるのか、それすらまだ分からない。
「ほな、一軒だけ」
「一軒?」
「善右衛門屋と昔から付き合いあって、腕も分かっとるとこ。そこに一組だけ貸す」
「雄と雌、両方作らせる?」
善次郎に聞かれ、俺は少し考えてから首を振った。
「いや。向こうには雄だけ作ってもらう」
「雌は?」
「こっちで作る」
善次郎の目が細くなった。
「……なるほど」
「向こうで作った雄が、榊屋で作った雌に入ったら分かりやすいやろ」
「逆もやりたいな」
「欲張んな。まず一個ずつや」
他所の工房では、榊屋の当て金を使って丸棒を揃え、同じねじ切り板を使って、教えた通りに雄ネジを作る。榊屋では、こちらに残した道具で雌ネジを作る。
作った人間が違う。場所も違う。それでも、出来上がったもの同士が組めるのか。
そこまで考えたところで、さっきまで鉄砲へ戻ることしか考えていなかった俺にも、少し興味が湧いてきた。
◇
「ほんで」
善右衛門が言った。
「百本は?」
「作らん」
「何でや」
「今の話聞いとったやろ!」
「聞いとったからや。他所でも作れるか試すんやったら、なおさら数いるやろ」
「試すだけなら十本でええ!」
「十本で商売になるかい」
「まだ商売すんな!」
善次郎が声を上げて笑った。
「でも虎松」
「何や」
「これ、うまくいったら百本どころちゃうで」
「言うな」
「榊屋で百本作る必要ないんやろ?」
「言うな」
「五十本ずつ二軒で作ったら百本や」
「だから言うな」
「十軒なら?」
「善次郎」
「何や」
「帰れ」
「何でや!」
今度は善右衛門が腹を抱えて笑い出した。
「こいつ、お前より商人向いとるんちゃうか?」
「やめてくれ」
「道具貸して銭取る言い出したん虎松やろ」
「俺は榊屋で全部作るんが面倒やと思っただけや!」
口にしてから、自分でも少し嫌になった。最近、何か新しい仕組みを考える理由が、だいたい「面倒くさい」から始まっている気がする。
だが、全部を自分たちで抱える必要がないのなら、その方がいい。善右衛門屋が信用できる工房を選び、榊屋が道具と作り方を渡す。出来上がったものが本当にこちらのものと組めるなら、その時に次を考えればいい。
「善右衛門」
「何や」
「ほんまに一軒だけやぞ」
「分かっとる」
「勝手に五軒くらい持ってくなよ」
「わしを何やと思っとんねん」
「商人」
「正解や」
「余計怖いわ」
善右衛門が笑う横で、善次郎はまだ作業台のネジを眺めていた。何本かを指先で転がしたあと、ふと思い出したように顔を上げる。
「なあ、虎松」
「今度は何や」
「これ、鉄砲でもできるん?」
俺は答えず、昨日から放置されている鉄砲を見た。その横には五十本のネジがあり、さらに向こうには、ねじ切り板と当て金が置かれている。
「……それを今からやろうとしとんねん」
「同じように、別々の工房で?」
「そこまでは知らん」
「できたら――」
「言うな」
「まだ何も言うてへんやろ」
「お前が言うと数が増えるねん」
善次郎が笑った。
俺はため息をつきながら、作業台のねじ切り板を手に取った。他所へ貸すのなら、当然こちらで使う分まで渡すわけにはいかない。
まず、もう一組作る。
鉄砲は、今日もまだ触れそうになかった。
【あとがき】
この時代の日本に、作中のような小径のネジがどの程度存在していたのかについては、調べてもかなり微妙なところでした。
尾栓のネジは間違いなくある。ネジを作る技術もある。でも、このくらいの小ネジを普通に作って使っていたのかとなると、どうにもはっきりしない。
というわけで、この物語では「作れたことにしました」。
だって無いと、この先の話が進まないんだもの。
もうネジだけで四話も使っちゃったし。
作者は少し後悔しています。。。




