良いものと悪いもの
翌朝、俺は作業台に並んだネジを前にして、早くも嫌になっていた。
作る方ではない。そっちは昨日から市兵衛と新八が続きを進めている。旋盤で丸棒の太さを揃え、ねじ切り板へ通す。最初の数本を確かめた限りでは、昨日と同じやり方で問題なく作れていた。
面倒なのは、その後だった。
「……これ、全部入れるん?」
「昨日からそう言うとるやん」
新八は手を止めずに答えた。
善右衛門が頼んだのは、ただのネジ五十本ではない。どれでも同じ雌ネジへ入るネジを五十本だ。なら、出来上がったものが本当に入るのか確かめてから渡す必要がある。
理屈は分かる。分かるのだが、面倒くさい。
俺は見本にしている雌ネジを手に取り、一本目を入れた。最後まで回して抜き、次を入れる。二本目も入った。三本目も問題ない。
四本目は、途中で少し重くなった。
「……これ、どうする?」
「貸して」
新八は俺から受け取ると、二、三度回してから少し力を入れた。抵抗はあったが、ネジは最後まで入った。
「入るで」
「力入れたやろ」
「ちょっとな」
「その『ちょっと』が嫌やねん」
入るか、入らないか。それだけなら簡単だと思っていた。ところが実際には、その間がある。
軽く回るもの。途中から少し重くなるもの。引っ掛かるが、力を入れれば最後まで入るもの。逆に最後まで入るものの、何となく緩いものもある。
俺が全部見ている間は、俺が決めれば済む。
だが、それでは五十本作るたびに、俺が五十本見ることになる。
「……嫌やな」
「何が?」
「俺がやるん」
「そこ?」
「そこや」
昨日、一日鉄砲から遠ざかった。
今日こそ戻りたい。
俺は作業台の向こう側を見た。昨日ばらした鉄砲がそのまま置かれ、火挟も火蓋も軸も、俺が並べた時のままになっている。
あっちをやりたい。
ネジを五十本ねじ込んでいる場合ではない。
◇
誰かに押し付けるにしても、やり方くらいは決めておかなければならない。
俺は出来上がったネジを何本か選び、作業台へ並べた。
「まず、これ」
一本を指した。
「長さが違う」
「ほんまやな」
「これは?」
別の一本を新八へ渡す。
「ちょっと曲がっとる」
「これは?」
「山が潰れとるな」
見れば分かるものは簡単だった。
俺は昨日まで使っていた当て金も持ってきた。これは完成したネジを見るものではなく、ネジを切る前の丸棒の太さを見るためのものだ。太すぎる材料を最後まで加工してから駄目だと分かるくらいなら、最初に弾いた方がいい。
「これ、最初に必ず見るようにしよか」
「今も見とるやろ?」
「見とるけど、決めとく。これ通らんやつはネジ切らん」
「何で?」
「最後まで作ってから太いって分かったら、そこまでの仕事が全部無駄やろ」
「ああ」
新八は素直に頷いた。
作る途中で見ればいいものと、出来上がってから見なければ分からないものがある。前世なら当たり前の話だ。最後に完成品だけ見て、そこで初めて駄目だと分かるより、途中でおかしいと分かった方が損は少ない。
問題は、出来上がった後だった。
長さは見本を置けばいい。曲がりや明らかに潰れたネジ山も見れば分かる。最後に、見本の雌ネジへ入れる。
「これでええか」
「何が?」
「最後まで入ったら良し」
「さっきのは?」
「どれ?」
「力入れたやつ」
俺は黙った。
新八が笑う。
「決まってへんやん」
「今決めんねん」
さっきのネジをもう一度雌ネジへ入れ、今度は指だけで回してみる。やはり途中で止まった。
「これは手直し」
「力入れたら入るで」
「入れへん。無理にねじ込まんでも最後まで入るやつだけ良しにする」
「緩いやつは?」
「それも分ける」
「どれくらい?」
「……それも決めなあかんな」
思っていたより面倒だった。
作り方を決めるのと、出来たものの良し悪しを決めるのは、似ているようで違う。
何本かを実際に見本へ入れながら、新八と一緒に分けていった。指で無理なく最後まで入り、妙な緩さもないものは良し。途中で止まるが直せそうなものは手直し。明らかに曲がっているものや、ネジ山が大きく潰れているものは駄目。
三つの箱を用意し、それぞれに印を付けた。
「これで誰でもできるやろ」
「誰がやるん?」
「…………」
そこまでは考えていなかった。
◇
ちょうど、その時だった。
「虎松、おる?」
工房の入口から女の声がした。
振り向くと、お澪が小さな包みを抱えて立っている。
「おるで」
「善右衛門さんから。頼まれとったやつ」
「ああ」
受け取って包みを開くと、黒鉛だった。
新しい工房を作っていた頃、罫書きや印付けで思った以上に使った。まだ手元には残っているが、この先も何かと使うので、善右衛門屋へ予備を頼んでいたものだ。
「助かった。そこ置いといて」
「はい。ほな――」
「待って」
帰ろうとしたお澪を止めた。
「何?」
俺はお澪を見た。
次に、作業台のネジを見る。
もう一度、お澪を見る。
「ちょっと暇?」
「嫌な聞き方やな」
「すぐ終わる」
「絶対嘘やろ」
勘がいい。
「これ見て」
「何?」
「ネジ」
「それは分かる」
「これをな、良いやつと悪いやつに分けてほしい」
「何で私が?」
「善右衛門の仕事や」
「は?」
「そのネジ頼んだん、お前んとこのボスやろ」
「ぼす?」
「親分」
「善右衛門さん、私の親分ちゃうで」
「細かいこと気にすんな」
「気にするわ」
帰ろうとするので、俺は先回りして三つの箱を指した。
「ほんまに難しくないから。見るだけや」
「私、ネジなんか作れへんで?」
「作らんでええ。作ったやつを見るんや」
「……それだけ?」
「それだけ」
お澪は怪しそうに俺を見た。
「虎松がやったらええやん」
「面倒くさい」
「今、言うたな?」
「言うた」
「最低やな」
「頼むわ」
しばらく睨まれたが、結局お澪は作業台の前へ座った。
「ちょっとだけやで」
「十分十分」
俺は逃げられる前に、見本を並べた。
◇
「まず長さ。これと比べる」
「うん」
「明らかに長いか短かったら、こっち」
俺は手直しの箱を指した。
「曲がっとったら?」
「こっち」
「山が潰れとったら?」
「どれが山?」
「このギザギザ」
「最初からそう言いや」
「はい」
説明しながら、俺は一本を見本の雌ネジへ入れてみせた。
「最後にこれ。指で回して、最後まで入ったら良し」
「固かったら?」
「無理に回さん」
「どれくらい固かったら?」
「……」
「どれくらい?」
もう一度聞かれた。
俺は新八を見た。
新八が笑っている。
「何や」
「見る人に聞かれて困っとるやん」
「うるさい」
お澪は俺と新八を交互に見た。
「分からんの?」
「分からんわけちゃう」
「ほな、どれくらい?」
「……指で普通に回して止まったら、手直しに入れて」
「普通って?」
痛いところを突いてくる。
「力入れてねじ込まん。こうやって持って、そのまま回す。それで止まったら手直し」
「緩いのは?」
「これくらい」
良しとして置いていた一本を渡すと、お澪は何度か回した。
「これより緩かったら?」
「迷ったら横に置いといて。俺か新八呼んで」
「勝手に良しにしたらあかんの?」
「あかん」
「分かった」
教えるだけなら、もっと簡単だと思っていた。
だが、いざ他人にやらせようとすると、「見たら分かる」「触ったら分かる」「これくらい」という言葉が次々に出てくる。
弥吉が言っていたことと変わらない。
人に渡せる仕事にしたかったはずなのに、作り方だけでなく、良し悪しの決め方まで人に渡せなければ意味がなかった。
◇
お澪は最初の一本を手に取った。
長さと曲がりを見て、ネジ山を確かめ、最後に見本へ入れる。最後まで入ると、俺を見た。
「これ良し?」
「良し」
良しの箱へ入る。
二本目も良し。
三本目も良し。
四本目で、お澪の手が止まった。
「これ駄目」
「何で?」
「途中で止まった」
市兵衛が横から覗き込んだ。
「それ、ちょっと力入れたら入るで」
「でも虎松、力入れたらあかん言うた」
「……せやな」
俺が答えると、お澪は迷わず手直しの箱へ入れた。
次の一本を取る。
「これも横」
今度は新八が反応した。
「何で?」
「ここ潰れとる」
「それくらいやったら使えるで」
「でも潰れとったら横やろ?」
お澪が俺を見る。
俺もネジを見る。
確かに、さっき決めた基準なら手直しだ。
「横やな」
「厳しない?」
「私に言わんと虎松に言いや」
新八が黙った。
俺は少し笑いそうになった。
作った側は、どうしても「これくらいなら使える」と思う。自分で手を掛けたものなら、なおさらだ。
お澪にはそれがない。
作っていないから、惜しくもない。俺が決めた通りに見て、駄目なら横へ置くだけだった。
その後も、お澪は淡々とネジを分けていった。判断に迷ったものだけ俺か新八へ渡し、それ以外は自分で三つの箱へ入れていく。
しばらくして、俺はほとんど手を出していないことに気付いた。
お澪は旋盤を使えない。ねじ切り板も使えないし、鉄砲だって作れない。それでも今、売っていいネジと、そのままでは売れないネジを分けている。
前世なら珍しくもない。
作る人間と、出来たものを見る人間が違う。それだけのことだ。
だが榊屋では、今まで作った職人か親父が、そのまま出来を見るのが普通だった。少し悪ければその場で直し、合わなければ合わせる。わざわざ「作る」と「見る」を別の仕事にする必要がなかった。
同じものを五十本作るようになって、初めてそれを分ける意味が出てきた。
◇
五十本すべてが揃ったところで、お澪に残りも見てもらった。
最後の一本が箱へ入ると、お澪は大きく伸びをした。
「終わったで」
「ありがと」
「ほんまにネジ見るだけやったな」
「せやろ?」
「思っとったより面倒やったけど」
「俺がやりたなかった理由分かった?」
「余計腹立った」
三つの箱を順番に数えた。
良しが三十八本。
手直しが九本。
駄目が三本。
「……思ったより落ちたな」
同じ材料を使い、同じ当て金で丸棒を揃え、同じねじ切り板へ通した。それでも、五十本のうち十二本は、そのまま客へ渡せる出来ではなかった。
「十二本あかんかったん?」
声に振り向くと、宗次郎がいつの間にか横にいた。
「九本は直せそう。三本はあかんな」
「良いのが三十八、手直しが九、駄目が三ですね」
「せやな」
宗次郎は帳面を開くと、そのまま数字を書き込んだ。
「何書いとる?」
「今言った数です」
「何で?」
宗次郎が顔を上げた。
「次も五十本頼まれた時、五十本作れば五十本渡せると思っていたら困るでしょう」
俺は答えず、帳面を見た。
三十八。九。三。
その数字を見た瞬間、前世で散々付き合った言葉が頭に浮かんだ。
歩留まり。
もちろん、知っている。材料を五十個入れたからといって、五十個の良品が出てくるとは限らない。加工すれば不良も出るし、手直しも出る。それを見込まず材料や工数を考えれば、必要な数に届かない。
そんなことは前世では嫌というほど知っていた。
なのに今までの榊屋では、一挺ずつ、一つずつ作っていた。悪ければその場で直す。合わなければ合わせる。職人が自分で作り、自分で見て、その場で仕上げてしまうから、「五十個入れて何個取れたか」なんて数え方をする必要がなかった。
同じものを五十本まとめて作り、同じ基準で良し悪しを分けたから、初めて数字になった。
「宗次郎」
「はい」
「それ、残しといて」
「そのつもりです」
「次からも、作った数と、最初から良かった数、直した数、駄目やった数、分けて書いといて」
宗次郎が少し首を傾げた。
「ネジだけですか?」
俺は一瞬考えた。
「……同じもん何個も作る時は、残せるだけ残そか」
「分かりました」
宗次郎はそれだけ言うと、帳面へ何かを書き足した。
五十本のネジを売りたかっただけなのに、また一つ、今までなかった仕事が増えた。
◇
手直しの九本は、新八と一緒に見直した。
入口の山を整えれば済むものもあれば、ねじ切り板へ通し直した方がいいものもある。直してから再びお澪に見てもらうと、七本は良しへ移ったが、二本は結局駄目になった。
最初から駄目だった三本と合わせ、五十本作って売れるのは四十五本。
「五本足らんな」
「作る?」
「作る」
市兵衛が何でもないように新しい丸棒を持っていく。
俺は、その背中を見ながら考えた。
今までなら、五十本欲しいと言われれば五十本作ればいいと思っていた。
違う。
五十本欲しいなら、五十本より多く作らなければならないことがある。今回は五十本作って四十五本。次も同じになるとは限らないが、少なくとも「五十作れば五十売れる」と考えてはいけないことだけは分かる。
前世では当たり前だった。
その当たり前を、俺は十七歳になってもう一度覚え直している。
追加で五本を作った。
お澪が一つずつ確認する。
四本が良し。
一つが手直し。
「……まだ足らんやん」
思わず声が出た。
「もう一本作る?」
市兵衛が聞く。
「いや、これ直せる」
新八が手直しの一本を取り、山を整える。もう一度お澪へ渡すと、今度は最後まで素直に入った。
「良し」
「五十」
俺は数えた。
ようやく揃った。
「ほな私、帰ってええ?」
「ええよ。助かった」
「次は自分でやりや」
「考えとく」
「やれ」
お澪は呆れた顔で立ち上がり、工房を出ていった。
俺はようやく作業台の反対側を見る。
昨日から置かれたままの鉄砲がある。
「よし」
新八が俺を見る。
「鉄砲?」
「鉄砲」
今度こそ戻れる。
「虎松おるかあ?」
工房の入口から声がした。
俺は動きを止めた。
新八も入口を見る。
善右衛門が立っていた。
「……何本」
「まだ何も言うてへんやろ」
「何本や」
善右衛門が笑った。
「百」
「帰れ!!」




