滝川一益
「鉄を回すん?」
「そう」
「どうやって?」
「それを考えとる」
「掴むんは?」
「……それも考える」
「刃物は?」
「それもや」
喜兵衛が黙った。朝から作業台の上には、丸い木の棒と鉄の棒、それから昨日使っていた錐が転がっている。
昨日、水車で回る穴あけ機を眺めていて、久しぶりに思い出した。
旋盤。
前世では珍しくも何ともなかった工作機械だ。材料を回転させ、そこへ刃物を当てて削る。言葉にすればそれだけなのだが、いざこの時代で作ろうとすると、その「それだけ」の中に問題が山ほど詰まっている。
材料を真っ直ぐ回し、しっかり掴み、刃物を固定して狙ったところへ動かす。前世なら旋盤の構造くらい説明できるが、ここには旋盤を作るための旋盤がない。軸一本まともに作るところから始めなければならないのだ。
「ほな、何から作るん?」
喜兵衛が聞いた。
「それを今から――」
「虎松!」
表から聞き覚えのある声がした。
「……川尻殿?」
作業台から離れて表へ出ると、やはり川尻殿だった。ただし、今日は一人ではない。供らしい武士を数人連れ、その中心には見覚えのない男が立っている。
年は三十を少し過ぎたくらいだろうか。派手な格好をしているわけでもないのに、川尻殿がいつもより少し固い。それだけで、自分より上の立場にいる人物なのだと分かった。
俺が手を拭きながら近づくと、川尻殿が一歩前へ出た。
「虎松殿。今日はお見せしたい方をお連れした」
「はあ」
「こちら、滝川一益様にございます」
「……はい?」
思わず聞き返すと、川尻殿が眉を寄せた。
「滝川一益様や」
「いや、聞こえてます」
聞こえたから困っている。
滝川一益。さすがに名前くらいは知っている。織田信長の家臣で、それもかなり上の方にいた武将だったはずだ。
どの戦にいつ出たとか、何年に何をしたとか、そこまでは覚えていない。俺は歴史の研究者だったわけではない。ただ、少なくとも前世で歴史物を見ていれば名前が出てくる側の人間である。
その本人が、うちの工房の前に立っている。
何で?
「お前が虎松か」
一益が言った。
「……はい。榊屋の虎松です」
「川尻から聞いている」
何を聞いたのか。それが一番怖い。
◇
親父を呼ぶと、さすがに少し驚いた顔をしたが、それも一瞬だった。
「榊屋の源兵衛にございます」
「急に来てすまない」
「いえ。何もないところですが」
「鉄砲があるだろう」
一益が言うと、親父が少し笑った。
「それなら、あります」
まず案内したのは倉庫だった。善次郎が船便の手配を進めている五十挺が、まだそこに置いてある。
戸を開けると、一益は中へ入り、並べてある鉄砲から一本を手に取った。構えてから火蓋を開き、火挟みを動かし、銃身と台木の収まりを見る。それを戻すと、今度は隣の一挺を手に取り、同じところを確かめた。
「これか」
「はい。尾張へ納める五十挺です」
川尻殿が答えると、一益はさらにもう一本を手に取った。
「これを五十挺、どれほどで作った?」
俺がおおよその日数を答えると、続けて他の仕事は止めたのかと聞かれた。前から受けていた仕事も並行していたと答えると、一益は手にしていた鉄砲を戻した。
「川尻。前に来た時は、どれほど作っていた」
「二十、三十でかなり忙しくしておりました」
「そうか」
一益は倉庫の中を見回したあと、今度は俺へ目を向けた。
「職人を大勢増やしたわけでもないのだろう」
「増えた者はおります。ただ、倍になったわけではありません」
「なら、何を変えた?」
そこで初めて、質問の向きが変わった。
「色々です」
「それを見せてくれ」
「どうぞ」
どうやらこの人は、五十挺そのものを見に来たわけではないらしい。
◇
工房へ入ると、何人かがこちらを見た。親父が「仕事しとけ」と言えば、すぐに手元へ戻る。一益はその様子も見ながら、ゆっくり中へ入っていった。
「前はもっと狭かったそうだな」
「はい。川尻殿が来られた頃は、前の工房でした」
「狭かったですな」
川尻殿が言った。
「人が通るたび、何か避けておりました」
「そこまでだったのか?」
「そこまででした」
言い切られてしまった。一益が笑う。
俺は材料置場から順に案内した。火床があり、金具を作る場所がある。台木を扱う場所、組み立てる場所、最後に合わせる場所を分け、完成したものは工房に積まず倉庫へ移す。一益は説明を聞くだけではなく、実際に職人がどこを通り、どこへ物を置くのかまで見ていた。
「なぜ仕事する場所を分けた?」
「あちこち混ざるからです」
「混ざる?」
「物も、人も、仕事もです。前は同じところで色々やってました。作る数が少ないうちは何とかなりますけど、増えてくると材料を取りに行く人と、途中の品を運ぶ人と、そこで仕事してる人がぶつかります」
「それで、仕事の順に置いた?」
「なるべくです。全部が綺麗に順番通りとはいきませんけど、よく使う道具も使う場所の近くへ置いてます」
一益はしばらく工房の中を眺め、それから俺に聞いた。
「人を増やす前に、人が歩いている時間を減らしたのだな」
「……まあ、そうです」
「川尻。お前、そこまで聞いていたか」
「いえ。私は鉄砲が増えたとしか」
「そこが肝だろう」
一益はそう言って、また職人たちへ目を向けた。
佐吉が藤吉へ金具を渡し、藤吉が削る。終わったものを佐吉が確認し、次へ回す。少し離れたところでは新八と弥吉が別の金具を触っており、五平は材料を運び、宗次郎は帳面を持って仕掛品の数を確認している。
「同じ人数で作る数を増やしたいなら、腕を速くするだけでは限りがある。一人が一日に十やっている仕事を、明日から二十やれと言っても無理だからな」
俺は思わず笑った。
「それ、うちでも散々やりました」
「無理だったか」
「無理でした」
「そうだろうな」
この人、話が早い。
「それで仕事を分けた?」
「はい。ただ、何でも誰にでも分けられるわけやないです」
俺は新八と弥吉の方を示した。
「あそこで二人がやってる仕事も、前は最後まで弥吉が触ることが多かったんです。細かい合わせが上手いんで」
「なら、今もあいつ一人にやらせた方がいいのではないか?」
「少ないうちは、それでもええです。でも五十挺になると、全部が弥吉のところで待つことになります」
一益が二人を見る。ちょうど新八が途中まで仕上げた金具を弥吉へ渡し、弥吉が相手の部品と合わせて、ほんの少し鑢を入れているところだった。
「今は、新八が任せられるところまで先にやります。弥吉は最後の、本当に合わせが要るところだけ見る。そうすれば弥吉にしかできん仕事は残して、弥吉でなくてもできる仕事は他へ渡せます」
「なるほど。上手い者から仕事を取り上げたのではなく、上手い者にしかできない仕事だけを残したのか」
「そうです」
すると、話を聞いていたらしい弥吉が顔を上げた。
「その方が楽やしな」
「お前はもうちょい職人らしいこと言えんのか」
「楽に同じもん作れるなら、その方がええやろ」
一益が笑った。
「いや。それでいいのだろう」
弥吉は満足そうに作業へ戻った。横で新八だけが「さっき削ったとこ、何でそこまでなん?」と早速質問を始めている。
「そこから先は鉄砲によって変わる」
「何が変わるん?」
「当たり方」
「どこ見て分かる?」
「見たら分かる」
「それを聞いとるんや!」
いつものやつが始まった。
一益は二人を見て、少し面白そうに目を細めた。
◇
「これです」
工房の奥まで来たところで、俺は水車で回している砥石を示した。
「水の力で砥石を回してます」
「見れば分かる」
「……はい」
少しくらい説明させてほしい。
市兵衛が笑った気がした。
一益は砥石へ近づき、市兵衛が作業するところを見ながら聞いた。
「これを入れて、何が変わった?」
「研ぐのが早くなりました。人が足で踏んだり手で回したりせんでええので、その分、他の仕事もできます」
「仕事を一つ、水にやらせたわけか」
「全部ではないです。刃物を当てるんは人ですから」
「それでも、回す仕事はしなくていい」
「はい」
一益は砥石から、水車へ続く軸へ目を移した。
「水は疲れないからな」
「止まる時は止まりますけどね」
「そこまで都合よくはいかないか」
「ないです」
一益は笑い、それから少し離れたところで回っている別の軸へ目を向けた。
「もう一つあるな」
「穴あけ機です」
「見せてくれ」
今度は最初から説明より実物を見るつもりらしい。
◇
穴あけ機の前では、市兵衛が加工の準備をしていた。
金具を固定して水を通すと、軸から伝わった力で錐が回転し、市兵衛が送り込むにつれて金具へ穴が開いていく。一益はその一連の動きを最後まで黙って見ていた。
「前はどうやっていた」
「二人です。一人が錐を回して、もう一人が材料を見てました」
「今は市兵衛一人か」
「はい」
「なら一人分、別の仕事へ回せる」
「そうです」
一益は穴あけ機から砥石の方へ目をやった。
「さっきの砥石も、これも同じだな。道具を速くしたというより、人がしなくてもいい仕事を減らした」
「……そうですね」
言われてみれば、その方が近い。
「なら、こいつ一つで何挺増えると聞いても意味がないな。砥石で空いた手、穴あけで空いた手、仕事場を分けて減った歩き。それぞれで浮いた手間を別の仕事へ回した結果が、あの五十挺なのだろう」
「はい」
今度はすぐに答えた。
この人は機械の仕組みに詳しいわけではない。それでも、機械を入れたことで工房全体がどう変わったのかは、かなり正確に見ている。
善次郎とも違う。善次郎なら、これを作るのにいくら掛かり、何挺作れば元が取れるのかを見る。
一益は、人と仕事の組み合わせを見る。
武士というより、軍勢を動かす人間の考え方なのかもしれない。
「面白いな」
一益が言った。
「これなら人を増やした時も、ただ工房へ詰め込むより増える」
「そのつもりで広くしました」
「まだ増やせる?」
「場所はあります」
「なら五十が限りでもないか」
「今すぐ百は勘弁してください」
「誰も百とは言っていない」
「最近それ言う人が多いんです」
川尻殿が笑った。
◇
一益は機械だけを見て帰らなかった。佐吉が藤吉へ教えているところで足を止め、新八と弥吉の仕事も改めて見たあと、今度は宗次郎が持っていた帳面に目を留めた。
「それは何だ」
「材料と仕事の数を見てます。何がいつ入って、どこへ回って、いつまでに何を出すかも」
「お前が?」
「はい」
「見てもいいか」
宗次郎が俺を見るので頷くと、一益は受け取った帳面を何枚かめくった。材料の入り、途中の品、出来上がった数、今抱えている別の仕事。細かいところまで読み取れるはずはないが、何を記しているのかは宗次郎が横から説明した。
「全部、虎松が指図しているわけではないのだな」
一益が帳面を返しながら言った。
「はい。今はそれぞれで決めてもらってることも多いです」
「お前がいなくても作れる?」
「作れます」
「五十も?」
「……たぶん」
「作れます」
横から宗次郎が答えた。
「俺より即答すんな」
「兄上がおらん日も仕事してますから」
「それはそうやけど」
一益が笑ったあと、工房をゆっくり見回した。
「工房を広くしたから五十作れたわけでも、水車を置いたから五十作れたわけでもないのだな。仕事を分け、物の置き場を決め、道具にできることをやらせて、今どこまで進んでいるか分かるようにした。その全部で五十か」
「どれか一個だけやったら、たぶん無理です」
「なるほどな」
最初に倉庫で五十挺を見た時より、一益の顔には納得した様子があった。
この人が見に来たのは、鉄砲五十挺そのものではなかったらしい。五十挺を作れる榊屋が、どうやって出来たのか。そちらを見に来たのだ。
◇
最後に、もう一度倉庫へ戻った。
一益は五十挺の中から二挺を取り出して並べると、しばらく見比べてから俺を呼んだ。
「川尻から聞いた」
「何をです?」
「お前、鉄砲を同じにしたいらしいな」
俺は一瞬、返事に詰まった。
ずいぶん昔から考えている話だった。最初は親父にも、何で同じにする必要があると言われた。
今なら、その意味も分かる。鉄は一本ずつ違うし、木も違う。職人が最後に見て、削って、合わせるからこそ、ちゃんとした鉄砲になる部分もある。何でも同じ寸法にすれば、それで良いものが出来るわけではない。
「全部ではないです。同じにした方がええところを、なるべく揃えるようにはしてます」
「なぜだ」
「作りやすくなります。それと、直しやすくなります」
「同じなら直しやすい?」
「はい」
一益は並べた二挺のうち一挺を持ち上げ、火蓋の辺りを指で示した。
「これと、これ。同じ型だな?」
「はい」
「なら、こっちのここが壊れたとする」
次に、もう一挺を指す。
「こっちから外して、そのまま付けられるか」
俺は二挺を見比べてから首を振った。
「……そのままは無理です。一挺ずつ合わせてるところがあります。寸法はなるべく揃えてますけど、最後は削って合わせてますから」
「なら、職人に合わせさせればいい?」
「職人がおれば」
「戦場にいなかったら?」
そこで、一益が何を聞いているのか分かった。
壊れた鉄砲があり、もう一挺の鉄砲がある。そこから使える部品を外し、榊屋へ持ち込めば直せる。弥吉や新八なら、現物を見ながら削って合わせられるだろう。
だが、戦場で同じことができるとは限らない。
一益は、さっきからずっと同じものを見ていたのかもしれない。五十挺を作れること。弥吉にしかできない仕事を減らすこと。人の腕だけに頼らず、誰かが抜けても仕事を続けられること。
それを、今度は鉄砲そのものへ向けている。
「なら、最初から同じに作れないのか」
一益が聞いた。
俺はすぐには答えなかった。
考えたことならある。むしろ、こっちへ来てからかなり早い時期に考えた。
同じ寸法で作る。同じ部品を使う。壊れたら外して、別のものを付ける。
前世では当たり前だったから、最初はやればできると思った。
実際に、この時代の鉄を削るまでは。
「……考えたことはあります」
「できない?」
「今は」
「何が足りない」
俺は並んだ二挺を見た。
材料のばらつき、測る精度、加工の精度。それに、まだ職人の目と手で合わせなければならない部分が多すぎる。
問題はいくらでもある。
だが、それを一つずつ潰していこうとすれば、どうしても最初に必要になるものがあった。
「道具です」
一益が俺を見た。




