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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
道具を作る道具編

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五十挺を流す


 五十挺分の材料が、一度に届くわけではなかった。


 最初に入ってきたのは鉄だった。続いて台木に使う材が届き、細かな金具に使う材料も順番に入ってくる。


 新しい工房は広くなったとはいえ、五十挺分を全部並べれば、それなりの場所を食う。


 届いた鉄を見ながら、俺は宗次郎に聞いた。


「全部揃うん、いつ頃や?」


「全部?」


「五十挺分」


「揃うまで待つんですか?」


「……いや」


 言われて気づいた。


「待つ意味ないな」


「はい」


 宗次郎はそれだけ言って、鉄に付けた札を確かめた。


 今ある仕事の材料と、今回の五十挺に使う材料。置き場も札も分けてある。全部揃うのを待たず、入ってきた分から必要な工程へ回せばいい。


「ほな、始めるか」


「もう始まってますよ」


「え?」


 見ると、少し離れたところで五平が鉄を運んでいた。


「……いつから?」


「さっきからです」


「俺、何も言うてへんけど」


「昨日、決めたでしょう」


 そうだった。


 俺が始めろと言わなくても、材料が来たら仕事が始まる。当たり前と言えば当たり前なのだが、以前の榊屋では、その当たり前を俺が一つずつ確認して回っていた。


 宗次郎はもう次の札を見ている。


 俺も突っ立っていないで、自分の仕事を始めることにした。


     ◇


 五十挺を作るのだから、さすがに暇ではなかった。


 火床には朝から火が入り、槌の音が絶えない。台木を削る音もあれば、鑢(やすり)が金具を擦る音もする。


 水車も以前より長く回るようになった。


 市兵衛は砥石と穴あけ機の間を行き来し、佐吉は藤吉へ仕事を渡しながら自分の手も動かしている。宗次郎は工房の中を歩いて材料と途中の品を見て回り、帳面へ数字を書き足していた。


 俺も自分の仕事をする。


 呼ばれれば行くし、聞かれれば答える。


「虎松、これ見てくれ」


「おう」


「兄上、こっちの鉄、次どこへ回します?」


「それ五平んとこ。今の分終わったら佐吉へ」


「分かりました」


 それくらいだった。


 仕事は多い。手を止めている者もいない。それなのに、工房の端から端まで俺が走り回る必要がない。


 初日は、たまたまだと思った。


 二日目も忙しかった。


 三日目も忙しかった。


 四日目になると、さすがに俺も気になってきた。


「……順調すぎへん?」


 隣で金具を見ていた新八が顔を上げた。


「何が?」


「五十挺」


「まだ始まったばっかりやろ」


「せやけど、何かないん?」


「何かって?」


「こう……困ること」


「止まってほしいん?」


「何でそうなんねん」


「さっきから止まるとこ探しとるやん」


「探してへんわ」


 そう答えたものの、少しは探していた。


 二十挺を初めて作った時は、始めてしまえば何とかなるなどとは思えなかった。材料、人、道具、置き場、手順。どこを見ても気になることがあった。


 今回は五十挺だ。


 なのに、俺が心配したほど工房が騒がない。


 嬉しい。


 嬉しいのだが、あまりにも普通に動いているので、まだどこかに落とし穴がある気がしていた。


     ◇


 そして五日目。


「ほら!」


 穴あけ機の横を見て、俺は思わず声を上げた。


「何や」


 市兵衛が振り返る。


「溜まっとる!」


「見たら分かる」


 加工待ちの金具が何個か並んでいた。


「穴あけ、追いついてへんやん」


「今はな」


 俺が宗次郎を呼ぶと、帳面を持ってやってきた。


「どうしました?」


「ここ。詰まっとる」


 指差すと、宗次郎は加工待ちの金具を数え、それから俺の顔を見た。


「嬉しそうですね」


「嬉しないわ!」


「笑ってますけど」


「原因見つけたからや!」


「何で原因見つけて喜ぶんです?」


「直せるからやろ!」


 宗次郎は何とも言えない顔をした。


 俺だって工房が止まって嬉しいわけではない。ただ、ようやく五十挺らしい問題が出てきて、少し安心しただけだ。


 我ながら意味が分からない。


 とにかく原因を見る。


 穴あけ機そのものが遅いのかと思ったが、どうも違った。市兵衛に聞くと、朝から何度か穴あけ機を離れていたらしい。


「砥石か?」


「そうや」


 市兵衛が答えた。


「向こう来たから削って、戻って穴開けて、また砥石来たから戻った」


「それで止まっとったんか」


「水車は回っとるけど、俺は二人おらんからな」


 機械の能力が足りないわけではなかった。


 市兵衛が砥石と穴あけ機の両方を見るようになったことで、二つの仕事が重なった時だけ移動が増えている。


「もう一人――」


「いらん」


 市兵衛が言い切った。


「まだ何も言うてへん」


「増やす言うたやろ」


「言おうとはした」


「砥石使うもん、朝にまとめて持ってこい」


 市兵衛は穴あけ待ちの金具を一つ取った。


「朝にまとめて削ったら、その後こっちできる。ちょこちょこ持ってこられる方が面倒や」


「それでいける?」


「やってみる」


 宗次郎が帳面へ何か書いた。


「では明日から、砥石に回すものは朝に一度集めます」


「誰が?」


「俺が見ます」


「ほな頼む」


 市兵衛はそれで話は終わりとばかりに、金具を穴あけ機へ据え始めた。


「……設備増やさんでええん?」


 俺が聞くと、市兵衛が顔を上げる。


「増やしたいん?」


「いや」


「ほなええやろ」


 翌日、穴あけ待ちは減った。


 増やすのではなく、使い方を変えただけだった。


 俺が設備のことを考えている間に、実際に毎日使っている市兵衛の方が先に答えを出した。


 それは少し悔しかったが、それ以上に嬉しかった。


     ◇


 次に溜まったのは、予想通り弥吉の前だった。


「やっぱりここか」


 作業台の横に並んだ金具を見て、俺は腕を組んだ。


「何でまた嬉しそうなん?」


 弥吉が言った。


「嬉しない」


「市兵衛ん時もそんな顔しとったで」


「してへん」


「してた」


 新八まで乗ってきた。


「それよりこれや。待ち増えとる」


 俺が金具を指差すと、新八が一つ手に取った。


 表を見て、裏を見て、相手になる部品も確認する。


「これ、俺がもう少し進めてええやろ」


 新八が言った。


 弥吉が覗き込む。


「ええで」


「お前が決めるん?」


「俺んとこ来るんやろ?」


「まあ、そうやけど」


 新八は金具を作業台へ置いた。


「ほな一個やるで。どこまでならええ?」


「そこまで」


「そこってどこや」


「そこ」


「分からん」


 弥吉が面倒そうに金具を取った。


「ここ削って、こっち落として、この辺まで」


「ここから先は?」


「俺がやる」


「何で?」


「ここから変わるから」


「何が?」


「鉄砲によって」


 新八が黙った。


「……そこ聞きたいねん」


「見たら分かるやろ」


「分からんから聞いとるんや」


「ほな見たらええやん」


「見ながら聞いとる!」


 また始まった。


 俺は二人に任せて、自分の仕事へ戻った。


 しばらくして見に行くと、新八が数個を途中まで仕上げ、それを弥吉が確認していた。


 一つ目。


「ええ」


 二つ目。


「これ削りすぎ」


「どこ?」


「ここ」


「何で?」


「当たる」


「どこに?」


「こっち」


「最初からそこ言えや!」


 三つ目。


「ええ」


 そんなやり取りを繰り返すうちに、新八が受け持つ範囲が少しずつ広がっていった。


 翌日には、弥吉の前に並ぶ金具が減っていた。


 以前なら、俺が弥吉の仕事を分けようとして、どこまで他の職人に任せられるかを考えていただろう。


 今は新八が弥吉の横に座り、自分で聞き、自分で試している。


 俺が間に入るより、その方が早かった。


     ◇


 それからも、何も起きなかったわけではない。


 材料の減りが思ったより早い日もあった。


「宗次郎、鉄――」


「明日入ります」


「あ、そう」


 錐の刃先が減っていた。


「市兵衛、錐――」


「替えある」


「あ、そう」


 弥吉の前にまた金具が増えた。


「新八――」


「今やっとる」


「あ、そう」


 札が足りなくなった。


「五平――」


「増やした」


「……そう」


 何か言おうとするたび、先に答えが返ってくる。


 最初の頃は少し寂しかった。


 俺が考えて、俺が声をかけて、俺が動かさなければ仕事が進まない。そんな状態を変えたくて、今まで散々あれこれやってきたはずなのに、いざ本当にそうなると、自分だけ取り残されたような気がする。


 昨日まで必要だった仕事がなくなるのは、思っていたより変な感じがした。


 ただ、目の前では藤吉が佐吉に教わりながら金具を削っている。市兵衛は俺が横にいなくても穴あけ機を回しているし、新八は弥吉から仕事を引き出そうとしている。


 それを見ているうちに、だんだんどうでもよくなってきた。


 俺がやらなくていいなら、その方がいい。


 空いた手で、別のことができる。


 そう考えれば、ずいぶん贅沢な話だった。


     ◇


 最初の十挺が揃ったのは、それから間もなくだった。


 親父が一本ずつ見た。


 火蓋を動かし、火挟みを確かめ、台木との収まりを見る。弥吉や新八が仕上げたところも、藤吉が途中まで触ったところも、特に扱いを変えない。


 最後に試射する。


 乾いた音が響いた。


「ええ」


 親父が言った。


 十挺とも問題はなかった。


「十挺か」


 俺は倉庫へ運び込まれた鉄砲を眺めた。


 尾張へ運ぶのは、善右衛門屋が船便や他の荷と合わせて段取りすることになっている。十挺出来たからといって、そのたびに送り出すわけではない。


 だから、しばらくはここに置いておく。


 以前の榊屋だったら、完成した十挺を置くだけでも結構邪魔だった。


 作りかけの品を避け、材料を寄せ、誰かが引っ掛けない場所を探す。二十挺を作った頃には、工房の中そのものが仕事に押されているような感じがあった。


 新しい榊屋では、十挺を倉庫へ入れても、まだ普通に歩ける。


「……全然余裕あるな」


 思わず口に出た。


 宗次郎が横を見る。


「そのために倉庫作ったんでしょう」


「そうなんやけどさ」


 分かってはいた。


 図面の上でも広くしたし、完成品を置く場所も最初から取った。庄兵衛にも散々あれこれ言って作ってもらった。


 でも、実際に十挺並べてなお場所が余っているのを見ると、話が違う。


「ええな、これ」


「はい?」


「いや。ええ工房作ったなと思って」


 宗次郎が少しだけ笑った。


「今さらですか」


「今さらや」


 俺も笑った。


 こういう時くらいは、素直に喜んでもいいだろう。


     ◇


 そこから十挺が二十挺になった。


 倉庫にはまだ余裕があった。


 三十挺になった頃には、さすがに鉄砲の数が目につくようになったが、それでも材料や仕掛品の置場を潰すことはない。


 工房の方も同じだった。


 市兵衛は朝に砥石仕事をまとめて片付け、その後は穴あけ機の前に座ることが増えた。


 佐吉は藤吉の削った金具を見て、悪ければ戻す。良ければ次へ回す。


 新八は相変わらず弥吉に質問していた。


「これ何でこっち先なん?」


「やりやすいから」


「何でやりやすいん?」


「知らん」


「考えろや」


「お前が考えたらええやん」


 少し離れたところから聞いているだけで疲れる。


 五平は材料と途中の品を動かし、置き場が足りなくなれば詰め直す。宗次郎の帳面には、入ってきた材料と出来上がった鉄砲の数が増えていった。


 親父は普通に鉄砲を作っている。


 俺も普通に作っている。


 そうしているうちに、五十挺の注文が日々の仕事の中へ馴染んでいった。


     ◇


「宗次郎」


「はい」


「今、何挺?」


 昼を少し過ぎた頃だった。


 俺は作業台で金具を削りながら、何となく聞いた。


「四十二です」


「何が?」


「五十挺の分です」


 手が止まった。


「……もう?」


「はい」


「四十二?」


「はい」


「あと八?」


「五十から四十二引いたら、そうですね」


「それぐらい分かるわ」


 俺は鑢を置いた。


「いつそんな作った?」


「毎日です」


「いや、それはそうやけど」


 宗次郎は帳面へ目を戻した。


 俺は工房を見回した。


 市兵衛は穴を開けている。新八は金具を見ている。弥吉は鑢を動かし、佐吉は藤吉に何か言っている。


 親父に至っては、俺と目が合うと、


「手ぇ止まっとるぞ」


 と言った。


「今、四十二やって」


「そうか」


「驚かんの?」


「何で?」


「……いや」


 俺は鑢を持ち直した。


 でも、少し笑ってしまった。


 五十挺が怖かったのは、俺だけだったのかもしれない。


     ◇


 残り八挺も、特に大騒ぎすることなく出来上がった。


 最後の一挺だからと特別扱いすることもなく、親父がいつも通り確認して試射する。


 問題はなかった。


 五十挺。


 倉庫へ入れて数えると、さすがに壮観だった。


「ほんまに作ったな」


 俺が言うと、弥吉が横から覗いた。


「作ったな」


「五十やぞ」


「知っとる」


「もうちょい感動せえへん?」


「何で?」


 こいつは本当に変わらない。


 善次郎が来たのは、その翌日だった。


「五十、終わったな」


「終わった」


「どうやった?」


 俺は少し考えた。


「……普通やった」


 自分で言ってから笑ってしまった。


「いや、忙しかったで。詰まりもしたし、直したとこもある。でも……普通に作れたわ」


「ええことやろ」


「うん」


 今度は素直に頷いた。


「ええことやな」


 二十挺の時の方が、よほど大事件だった。


 あの時は、どこを見ても仕事が詰まり、誰に何を任せるかで悩み、俺自身も工房の中を走り回っていた。


 今は五十挺を倉庫へ置いても、工房では別の仕事が続いている。


 これは、普通に嬉しかった。


「ほな次は百――」


「帰れ」


「まだ言うてへんやろ」


「言うたやろ今!」


「途中や」


「最後まで聞かんでも分かるわ!」


 善次郎は笑いながら帰っていった。


     ◇


 五十挺が揃った翌日も、工房は普通に動いていた。


 善次郎が船便を含めた運びの段取りをしている間、五十挺は倉庫に置かれている。それで仕事場が狭くなることもなかった。


 当然、仕事そのものがなくなったわけではない。別の注文もあるし、鉄砲以外の細かな仕事もある。


 俺も朝からいくつか片付けた。


 昼前になって、宗次郎を捕まえる。


「今日、何かある?」


「ありますよ」


「俺が見なあかんやつ」


 宗次郎は少し考えた。


「今すぐはないです」


「ほんまに?」


「また始まった」


「確認や」


「何かあったら呼びます」


 そう言って行ってしまった。


 俺は自分の作業台へ戻り、残っていた仕事を一つ片付けた。


 まだ昼には少し早い。


 急いで見なければならない仕事もない。


 こんな時間ができるとは思っていなかった。


 何をしようか考えているうちに、水車の音が耳に入った。


 そちらを見る。


 軸が回っている。


 その先では、市兵衛が穴あけ機を使っていた。


 固定された金具へ、回転する錐が入っていく。


 見慣れた光景になった。


 最初にあれを作った時は、回すだけで散々苦労した。それが今では、市兵衛が毎日の仕事に使っている。


 俺はしばらく眺めた。


 材料を止めて、刃物を回す。


 今はそうして穴を開けている。


 だったら。


 逆でもいい。


 昔から欲しかった。


 何度か考えて、そのたびに今はまだ無理だと後回しにしてきた機械がある。


 今なら、どこまでできるだろう。


「喜兵衛」


 少し離れたところで金具を見ていた喜兵衛が顔を上げた。


「何?」


「ちょっと聞きたいんやけど」


「嫌や」


「まだ何も言うてへんやろ」


「その顔で呼ぶ時、大体ろくでもない」


「人聞き悪いな」


「で、何?」


 俺は水車から伸びる軸を指した。


「これな」


「うん」


「回す方と、削る方、逆にしたらどうなると思う?」


 喜兵衛が黙った。

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