五十挺
「五十挺」
善次郎が、もう一度言った。
聞き間違いではなかったらしい。
俺は善次郎の顔を見て、それから親父を見た。親父も俺を見返したが、特に助けてくれる様子はない。
「……ほんまに?」
「何で俺が二回も同じ冗談言わなあかんねん」
「いや、昨日いきなり五十とか言うから」
「せやから今日は、ちゃんと話しに来た」
善次郎はそう言って、宗次郎が出した座布団へ腰を下ろした。
新しい榊屋へ移ってから、まだそれほど日が経っていない。
昨日は、この工房だけで最初から最後まで一挺を作った。ちゃんと撃てたし、親父からも「売ってええ」が出た。そこまではよかった。
その直後に善次郎が持ち込んできたのが、五十挺という話だった。
最初に二十挺の注文を受けた時ですら、榊屋にとっては大仕事だった。三十挺になった時には、どこが詰まるかを一つずつ洗い出して、職人の手をどう振るかで散々頭を使った。
それが五十挺。
「で、いつまでや」
親父が聞いた。
「それを聞きに来た」
善次郎が答える。
「向こうも、明日持ってこい言うてるわけやない。五十頼んだら榊屋ならいつ出せるか、それで話を詰める」
「誰から?」
「尾張や。川尻殿のところから話が来とる」
俺は少しだけ姿勢を正した。
川尻殿なら、これまでにも何度か榊屋へ来ている。こちらが二十挺だ三十挺だと騒いでいた頃から知っている相手だ。いきなり五十挺と言い出したのも、まったく根拠のない話ではないらしい。
「五十か……」
頭の中で工程を並べてみる。
まず材料。銃身になる鉄だけではない。台木もいる。火蓋、火挟み、ばね、細かな金具も、それぞれ五十挺分必要になる。
次に人だ。
穴あけは水で回せるようになった。砥石も市兵衛が見ている。とはいえ、五十挺を流せば今まで見えなかった詰まりが出るかもしれないし、今抱えている仕事を止めるわけにもいかない。
「宗次郎、まず今の注文と――」
「兄上」
「ん?」
「もう出してます」
「何を?」
「五十挺の場合に要るものです」
宗次郎が横に置いていた帳面を開いた。
「……いつ?」
「昨日」
「昨日?」
「善次郎さんが五十挺って言った後です」
「俺、その後ずっと考えてたんやけど」
「知ってます」
宗次郎は気にした様子もなく、帳面をこちらへ向けた。
必要な鉄や炭、台木の数。すでにある分と、これから手当てしなければならない分。今抱えている注文の大まかな納め時まで書かれている。
もちろん、それだけで五十挺を作れるかどうかが分かるわけではない。だが、少なくとも考えるために必要な数字は揃っていた。
「……仕事早いな」
「兄上が遅いんです」
「昨日の今日やぞ」
「俺も昨日の今日です」
反論できなかった。
◇
結局、工房の連中にも集まってもらうことになった。
五十挺を受けるかどうかを決めるなら、俺と親父だけで考えても仕方がない。
弥吉、新八、佐吉、五平、喜兵衛、市兵衛、それに宗次郎。全員が仕事を止めたわけではなく、手を離せる者から寄ってきてもらい、作業の合間に話をする。
「五十挺」
俺が言うと、弥吉が首を傾げた。
「多いな」
「終わり?」
「何が?」
「もうちょい何かあるやろ」
「多いもんは多いやろ」
まあ、そうなのだが。
「まず材料は、今ある分だけじゃ足りへん」
宗次郎が帳面を見ながら言った。
「鉄は追加が要ります。台木もです。ただ、今の仕事と重なる分まで見ても、手配できへん量ではないと思います」
「善次郎」
「鉄はこっちでも当たる。台木も聞く」
善次郎が答えた。
俺は帳面へ目を落とし、工程を一つずつ追っていった。
「銃身は?」
五平が少し考えてから答える。
「五十全部いっぺんに来るんやなかったら、いけるやろ。置く場所も前よりある」
「材料と途中のやつ、混ざらんようにはせなあかんな」
「そこは札増やします」
宗次郎が帳面へ書き込んだ。
「穴あけは?」
俺が市兵衛を見る。
「回せる」
「五十やぞ?」
「五十個いっぺんに穴開けるわけやないやろ」
「そらそうやけど」
「錐は、もう一本欲しい」
市兵衛はそう言って、穴あけ機の方を見た。
「今の一本だけやと、減った時に止まる」
「ああ、それは要るな」
俺も頷いた。
喜兵衛が横から口を挟む。
「軸んとこも一回見とく。昨日ちょっと緩んどったやろ」
「頼む。途中で壊れたら困る」
「壊れたら直す」
「壊れる前に直してくれ」
「まだ壊れてへんもん、どこ直すねん」
「点検や、点検」
「見る言うたやろ」
腹は立つが、言っていることは間違っていない。
次は金具だ。
「佐吉、藤吉はどこまでいける?」
「前よりは任せられます。全部はまだ無理ですけど、同じ仕事続けさせるなら、ここまでは」
佐吉が指で作業の範囲を示した。
昨日、一挺を流した時にも見た。佐吉はもう、俺が横から口を出さなくても藤吉へ教えている。
「そこまで藤吉にやらせたら、佐吉は次見られる?」
「見られます」
「ほな、そこもいけるな」
次に見るべきところへ移る。
問題は最後だった。
「弥吉んとこやな」
俺が言うと、弥吉が嫌そうな顔をした。
「俺?」
「お前」
「五十全部?」
「それやったら死ぬやろ」
「ほな嫌や」
「まだやらせる言うてへん」
そこで新八が、作業台に置いてあった金具を一つ持ち上げた。
「昨日みたいにしたらええんちゃう?」
「昨日?」
「ここまで俺がやる」
新八が金具の一部を指でなぞった。
「佐吉に任せられるとこは佐吉。その後、俺が見て削る。ほんまに合わせなあかん最後だけ弥吉に回す」
弥吉が新八の手元を見る。
「それやったら楽やな」
「お前、もうちょい職人として何かないん?」
俺が言うと、弥吉は本気で分からなそうな顔をした。
「楽な方がええやろ」
「まあ、ええけど」
新八が笑った。
「五十全部、一からこいつに触らせる必要ないやろ。最後に見る数減らせたら、今より回る」
「新八は大丈夫なん?」
「やってみんと分からん」
「そこは分からんのか」
「五十やったことないからな」
それはそうだった。
ただ、無理だという話は、まだどこからも出ていない。
◇
「……ほんまにいける?」
俺はもう一度聞いた。
宗次郎が顔を上げた。
「何がです?」
「五十」
「今、その話してたでしょう」
「いや、そうやけど」
俺は工房を見回した。
「材料は?」
「今確認しました」
「穴あけ」
「聞いた」
市兵衛が答えた。
「弥吉んとこ」
「今決めたやろ」
新八が言う。
「砥石は?」
「俺」
また市兵衛だった。
「今の注文は?」
「それも帳面にあります」
宗次郎だ。
聞けば聞くほど、聞くことがなくなっていく。
「虎松」
親父が俺を見た。
「何?」
「お前、やりたないんか?」
「やりたいわ!」
「ほな何やねん」
「五十やぞ?」
「知っとる」
「昔、二十であんだけ走り回ったんやぞ?」
「昔やろ」
親父はそれだけ言った。
見ると、話が終わったと思ったのか、五平がもう持ち場へ戻ろうとしている。
「ちょ、待って。まだ決まってへんで」
「何が?」
「受けるかどうか」
「受けへんの?」
「……いや」
俺は宗次郎の帳面をもう一度見た。
材料を手当てして、仕事を分けて、今ある設備を使う。誰か一人に無理を押しつけなければならない箇所も、今のところ見当たらない。
「……受けられると思う」
俺は言った。
親父が頷く。
「ほな受ける」
善次郎も頷いた。
「分かった。五十で話進める」
決まった。
あまりにも普通に決まったので、逆に何か忘れている気がしてくる。
「納めは?」
善次郎が聞いた。
そこからは俺と宗次郎で詰めた。
材料が入るまでの日数、今抱えている仕事、それぞれの工程へ流す量。五十挺すべての完成を待って一度に動かす必要があるかどうかも含め、善次郎と相談して尾張へ運ぶ段取りまで決めていく。
最後に、多少の余裕を持たせた納め時をこちらから出した。
「それでええ」
善次郎が言った。
「向こうにはそう伝える」
それから少し考え、口元を緩めた。
「五十いけるんやったら、次は――」
「言うな」
俺と親父の声が重なった。
善次郎が口を閉じる。
「まだ何も言うてへんやろ」
「分かるわ」
「何が?」
「お前の考えとることがや」
善次郎は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
◇
翌朝、俺はいつもより少し早く工房へ入った。
五十挺を受けると決めた以上、最初の段取りが大事だ。まず材料の置き場を決めて、次に各工程へどれだけ流すかを――
「藤吉、それ終わったらこっちや」
佐吉の声がした。
見ると、藤吉がすでに作業台の前にいる。奥では五平が材料置場を空け、宗次郎は帳面を広げて、入ってくる材料と今ある材料を分けて書いていた。
新八と弥吉は、昨日話していた最終調整前の仕事をどこで分けるか相談している。
水車側へ行くと、市兵衛が錐を外して刃先を見ていた。その横では喜兵衛が軸の支持を触っている。
「……早ない?」
誰も答えなかった。
俺は工房の真ん中まで戻った。
さて。
何をしよう。
「兄上」
「おう」
宗次郎だった。
「そこ、材料通ります」
「ああ」
俺は横へ避けた。
宗次郎が俺の横を通り過ぎ、二歩進んだところで止まった。
「兄上」
「何?」
「邪魔です」
「仕事探してんねん!」
工房の奥で弥吉が笑った。
腹が立ったので、工房を一周することにした。
佐吉のところを見ると、藤吉はもう指示を受けて動いている。
材料置場では五平が札の位置まで決めていた。
穴あけ機へ近づけば、市兵衛に「そこおったら邪魔や」と追い払われる。
新八のところへ行くと、金具を見ながら言われた。
「まだ何も詰まってへんで」
「詰まってから呼ぶん?」
「呼ぶ」
「……そう」
最後に親父のところへ行った。
「何や」
「いや」
「仕事ないなら鉄削れ」
「あります」
「ほなそれやれ」
正論だった。
俺は諦めて、自分の作業台へ戻った。
しばらくして、宗次郎が近くを通ったので呼び止める。
「宗次郎」
「はい」
「ほんまに五十、いけると思う?」
宗次郎は足を止めた。
「兄上」
「何」
「昨日、受けるって言いましたよ」
「言うたけど」
「なら、作りましょう」
それだけ言って、宗次郎はまた歩き出した。
俺は目の前に置かれていた鉄を手に取った。
「……せやな」
まずは、五十挺だった。




