柱を立てる場所
四枚の紙を抱えて土地へ戻ったのは、それから二日後だった。
俺と宗次郎だけではない。親父、弥吉、五平、甚助まで連れてきた。喜兵衛は水車側を見たいと言って当然のようについてきたし、藤吉まで「鉄持って歩くん俺なんでしょう」と、妙な覚悟を決めている。
「別にお前って決めてへんで」
「弥吉さんが言うとったやん」
「冗談やろ」
「俺、朝から覚悟してきたんやけど」
「ほな持つ?」
「持たへんでええなら持ちたない」
「何しに来たんや」
そんな話をしながら着いてみると、土地には先客が二人いた。
一人は五十を少し過ぎたくらいの男で、日に焼けた顔に短い髭を生やしている。腰には墨壺や曲尺を提げ、その隣には二十代半ばほどの若い男が立っていた。若い方は縄や杭をまとめて抱えている。
「遅い」
年上の男が親父を見るなり言った。
「時間決めてへんやろ」
「朝言うたら朝や」
「まだ朝や」
「俺は先に来とった」
「知らんがな」
俺は親父を見る。
「誰?」
「庄兵衛」
「それ聞いて分かると思っとる?」
「大工や」
「最初から言えや」
男が今度は俺を見た。
「これが虎松か」
「そうや」
「でかなったな」
「知っとるん?」
「お前がもっと小さい時に見とる」
まったく覚えていなかった。
親父が鉄砲を本格的に作り始めた頃、今の榊屋では仕事場が足りなくなった。火床を増やし、壁を抜き、仕事場を広げたことがあるらしい。その時に工房を改めたのが、この庄兵衛だった。
「お前、あん時ずっと邪魔しに来とったぞ」
「俺が?」
「木屑拾うて持って帰っとった」
「何で?」
「知らん。お前に聞け」
十年以上前の自分へ聞く方法はない。
「こっちは清太郎。俺の倅や」
隣の若い男が軽く頭を下げた。
「清太郎です」
「虎松です」
「知ってます」
「なんで?」
「親父から聞いてます。変なもん作る息子がおるって」
俺は親父を見る。
「何を伝えとるん?」
「俺ちゃう」
「誰や」
「庄兵衛が勝手に知っとる」
「堺で水車使って砥石回しとる鉄砲鍛冶の話なんか、職人の間ですぐ回るわ」
俺の知らないところで、ずいぶん勝手に情報が流れていた。
*
「で、何建てるんや」
庄兵衛が聞いた。
「工房と家」
「大きさは?」
「これから決める」
「柱の数は?」
「知らん」
「屋根は?」
「知らん」
「材は?」
「知らん」
庄兵衛が少し黙った。
「何決めたんや」
俺は四枚の紙を差し出した。
「これ」
庄兵衛が紙を受け取り、清太郎も横から覗き込んだ。
一枚目には土地全体。二枚目には工房の中。残りには、材料、仕掛品、完成品、人の出入り、水車、家、火薬、仕事を教える場所まで、これまでに出てきた条件が書き込まれている。
庄兵衛はしばらく黙って紙を見ていた。清太郎も口を挟まず、父親が見ているところを追っている。
「建物の絵ちゃうな」
「まだ建物決めてへんから」
「何で?」
「中で何するか決めてから、建物決めたい」
庄兵衛が俺を見る。
「変なことするな」
「やっぱり?」
「悪いとは言うてへん」
少し意外だった。
「普通は?」
「建てたい大きさ聞いて、柱立てて、屋根掛けて、中どう使うかは使うやつが決める」
「それやと後で柱邪魔にならん?」
「なる時はなる」
「なるんや」
「柱やからな」
庄兵衛は当たり前のように言った。
「せやから、先にどこ空けたいか分かっとるなら、その方が話は早い。ただし」
紙の一点を指で叩く。
「お前の思い通りに空くとは思うな」
*
まず、前に決めた配置を地面へ移すことにした。
道側に材料の入口を置き、縄を張る。そこから材料置場、火床、加工、仕上げへと順番に場所を取っていき、川側には水車から動きを引く砥石と穴あけを置いた。
「ここからここまで工房」
俺が杭を打つと、庄兵衛は縄で囲まれた場所を端から端まで眺めた。
「広いな」
「百挺作れるようにしたい」
「百挺?」
「毎月」
庄兵衛が親父を見る。
「お前んとこ、いつからそんな鉄砲作るようになった」
「まだ作れへん」
「何やそれ」
「作れるようにするんやと」
庄兵衛が俺を見る。
「お前か」
「俺だけちゃうけど」
「まあええ」
庄兵衛と清太郎が縄の中を歩き始めた。
俺たちは材料や人がどう動くかを見ていたが、二人が見ているものはまるで違う。庄兵衛は足元を確かめ、時々上を見上げ、縄と縄の間を数えるように歩いている。清太郎はその後ろをついて回り、曲尺を当てたり、縄の長さを確かめたりしていた。
「ここ柱」
庄兵衛が言った。
「え?」
「ここも」
少し歩く。
「ここもやな」
「待って」
「何や」
「そこ通路」
「知らん」
「知らんて」
「屋根載せるなら柱要る」
「梁で飛ばせん?」
「飛ばせる」
「ほな」
「材が要る」
「どれくらい?」
「太いの」
善次郎の顔が頭に浮かんだ。
まだここにいないのに、「銭」という声が聞こえた気がした。
*
「ここ、柱なしで広く取りたい」
俺は火床と加工場所の間を指した。
「何で」
「人増えた時に使い方変えられるようにしたい。柱あると邪魔になる」
「どれくらい空けたい」
「これくらい」
庄兵衛が縄の間を見る。
「嫌や」
「甚助さんと同じこと言うなや!」
甚助が笑った。
「俺関係ないやろ」
「最近みんな最初に嫌や言うねん!」
「無茶言うからや」
庄兵衛は地面へしゃがみ、指で簡単な線を引いた。
「ここまで飛ばしたら梁が太なる。梁太なったら、それ受ける方も考えなあかん。屋根もある」
「屋根軽くしたら?」
「雨入ってええならな」
「入りたない」
「ほな屋根要る」
「瓦?」
「瓦にしたらもっと重い」
「あ」
前の時代の工場を思い浮かべる時、俺は無意識に大きな屋根と広い床を、一つの箱として考えていた。けれど今ここで使える木材と建て方では、その広さを作るための梁が要り、その梁を受ける柱が要り、その上には屋根の重さまで載る。
空間は、何もないから空いているわけではない。
「柱、動かせん?」
「動かせるで」
「ほんま?」
「他に立てたらな」
「結局立つんや」
「屋根浮かせたいんか?」
無理だった。
*
「兄上」
宗次郎が呼んだ。
「何?」
「材料から火床まで歩くんでしょう?」
「そうやった」
建物そのものに気を取られて、本来の目的を忘れかけていた。
縄の中に仮の材料置場を決め、藤吉に鉄材を持ってもらう。
「やっぱ俺なん?」
「若いから」
「理由になっとらんやろ」
「持てる?」
「持てるわ」
藤吉が鉄を抱え、材料置場から火床まで歩く。
「どう?」
「別に」
「遠ない?」
「これくらいなら」
「十回やったら?」
「嫌や」
「二十回」
「もっと嫌や」
五平が笑った。
「使う分、火床の近く置くんやろ。それなら毎回ここまで来んでええ」
「そうそう」
今度は、仕事へ出す分を置く予定の場所から歩いてもらう。
「こっちならええ」
「柱あったら?」
庄兵衛が、さっき柱を立てると言った場所へ立った。
藤吉が鉄を抱えたまま横へ避ける。
「邪魔やな」
「柱や」
「知っとる」
「そこ、どうしても要る?」
俺が聞く。
「今の屋根ならな」
「じゃあ通路ずらす?」
宗次郎が紙を見る。
「材料を置く場所をこっちへ寄せた方が早いです」
また配置が動いた。
柱を消すのではなく、柱がある前提で人と物の流れを変える。紙の上だけで考えていた時には、出てこなかった答えだった。
*
「親父」
「何や」
「前に工房直した時もこんなんやった?」
「何が」
「庄兵衛さんと揉めた?」
「揉めてへん」
庄兵衛が鼻で笑った。
「揉めたわ」
「何で?」
「こいつ、火床もう一個増やす言うて、壁際に置こうとした」
「置いたやろ」
「壁焦がしたやろ」
「燃えてへん」
「焦げたら一緒や」
初耳だった。
「鉄砲作り始めた時?」
「そうや」
親父は少し懐かしそうに、今の榊屋がある方角を見た。
「最初は今の半分も使ってへんかった。鉄砲増えて、人増えて、火床増やして、壁抜いて」
「そのたび呼ばれた」
庄兵衛が続ける。
「最初から広うしとけばよかったんちゃう?」
「銭なかったんや」
親父が即答した。
「ああ」
「仕事増えるかも分からんのに、でかい工房建てられるか」
それはそうだった。
今の榊屋が使いにくいのは、誰かが馬鹿な建て方をしたからではない。その時その時で必要なものを足し、仕事が増えるたびに人と道具を押し込んできた結果なのだ。
「でも今度は、増える前提なんやな」
庄兵衛が俺を見る。
「うん」
「ほな、後から触れるようにはしといた方がええ」
「できる?」
「全部は無理や。せやけど、後から壁抜けるとこと、抜いたらあかんとこくらいは最初から決められる。増やすならどっちへ増やすかもな」
俺は宗次郎を見る。
「書いて」
「もう書いてます」
早い。
「それと」
庄兵衛が続ける。
「後から増やす言うても、四方全部塞いだら増やされへんぞ」
「あ」
「工房広げたい方に家建てて、水車置いて、火薬置いてから『広げたい』言われても知らんからな」
土地全体の紙を広げ直した。
工房そのものだけではなく、工房が将来どちらへ伸びるのかまで、今のうちに空けておく必要がある。
水車のために残した場所とは別の、建物そのものの逃げ道だった。
*
清太郎はそれまで父親の後ろで測る方に回っていたが、工房の水車側まで来たところで初めて口を挟んだ。
「この穴あけって、どれくらい揺れます?」
「揺れる?」
「動かした時」
「今は人で回しとるから、そんなでもないけど」
「水車で回したら?」
「分からん」
清太郎は地面を見る。
「床、同じでええんかな」
俺と喜兵衛が顔を見合わせた。
「どういうこと?」
「砥石とか回したら揺れるやろ。これも速う回したら揺れるかもしれんし、その揺れが他んとこまで来たら嫌なんちゃう?」
庄兵衛が息子を見る。
「先に建つ話せえ」
「建った後の話も要るやろ」
「それはそうやけどな」
俺は少し嬉しくなった。
「清太郎、それ考えられる?」
「分からんで。やったことないし」
「俺らもやったことない」
「ほな試すしかないな」
「ええやん」
庄兵衛が嫌そうな顔をした。
「変なん同士で仲良うなるな」
「親父、これ面白いやん」
「面白いで家建てんな」
この親子も、どうやら役割が違うらしい。
「床を分けるとかできる?」
俺が聞いた。
「できるけど、まずどれくらい揺れるか見な分からん」
「穴あけは試作ある」
「水で回してへんやろ」
「まだ」
「ほな分からんな」
正論だった。
「砥石の方は今の水車見たら分かる?」
「それなら見たい」
「今度行く?」
「行く」
「勝手に仕事増やすな」
庄兵衛が言った。
*
昼を過ぎる頃には、朝に張った縄の位置が何度も変わっていた。
材料の入口は少し広くした。荷車が止まっている時でも、人が横を通れるようにするためだ。火床は柱と煙の抜け方を考えて少し動かし、木工はさらに離す。仕上げの場所は明るさを取りやすい側へ寄せた。
水車側には砥石と穴あけを置くが、建物と水車を隙間なく寄せるのもやめた。水車も軸も使えば傷み、いつか直す必要がある。修理する人間が入れない配置では困る。
「ここ狭い」
喜兵衛が言う。
「何が?」
「水車の軸触る時」
「仕事中触る?」
「壊れたら触るやろ」
伊助に言われたことを思い出す。
水車は止まる。木は減る。軸も減る。動いている時だけを考えて置けば、壊れた時に何もできなくなる。
「じゃあここ通路残す」
「また広がるな」
宗次郎が言う。
「……善次郎には後で言お」
「先に言った方がいいですよ」
「分かっとる」
庄兵衛が横から口を挟んだ。
「その善次郎いうの、銭出すやつか」
「だいたいそんな感じ」
「ほな早よ呼べ。出来てから高い言われても知らんぞ」
「絶対言う」
「分かっとるなら呼べ」
*
午後になって、家の位置にも縄を張った。
今日はお袋もお澪も来ていないので、前に決めた条件を宗次郎が読み上げる。
「工房へ来る人と、家へ来る人の道を分ける。台所へ水を運びやすくする。洗濯物を干す場所を工房側へ向けない。家族の出入口と仕事の客を混ぜない」
「家、これ?」
庄兵衛が聞いた。
「そのつもり」
「何人住むんや」
「今は八人」
「八?」
「親父、お袋、俺ら六人」
「増えるん?」
「知らん」
「お前ら大きなるやろ」
止まった。
「そらなるけど」
「部屋どうする」
「……考えてへん」
工房は人が増える前提で考えていたのに、家は今の人数しか見ていなかった。
「兄上」
「言うな」
「まだ何も言ってません」
「顔が言うとる」
庄兵衛が笑った。
「工房だけ先見とるな」
「お袋にも似たようなこと言われた」
「ほな聞け」
正しい。
俺自身、前の人生では家を持ったことがない。工場なら、設備を置いて人と物をどう流すかという考え方が頭にある。家となると、誰がどこで何をして、子供が大きくなった時にどう使い方が変わるのか、急に勘が鈍る。
「家の方は今日決めんとこ」
「それがええ」
「お袋連れてくる」
「住むやつに聞け」
「俺も住むで」
「ほな、お前も考えろ」
「……はい」
*
夕方が近づく頃には、朝に張った縄と同じ場所に残っている縄の方が少なくなっていた。
紙の上で考えた配置を実際の土地へ移し、人が歩き、鉄を持ち、柱を立てる場所を入れる。そのたびに何かがぶつかり、少しずつ場所を動かした。
庄兵衛は最後に工房予定地の中央へ立ち、周囲を見回した。
「これなら、まあ建つ」
「ほんま?」
「今のところはな」
「今のところ?」
「お前らまた何か増やすやろ」
「増やさん」
宗次郎が俺を見る。
「たぶん」
「ほらな」
庄兵衛が笑った。
「ただ、建て方はもうちょい考える。柱減らしたいところ、後で壁触りたいところ、水車側。それぞれ同じ建て方にはせん方がええ」
「できるん?」
「俺は大工やぞ」
初めて少し格好いいことを言った。
「親父」
清太郎が呼ぶ。
「何や」
「ここ、梁見せるならもう一回測りたい」
「何で」
「後で軸通すなら高さ要るやろ」
庄兵衛が俺を見る。
「軸、どこ通すんや」
「……まだ決めてへん」
「ほな決めてから来い」
「喜兵衛」
「俺?」
「俺らの仕事やろ」
「せやな」
また宿題が増えた。
*
帰る前に、俺は縄で囲まれた土地をもう一度歩いた。
道から材料が入り、必要な分だけ仕事場へ運ぶ。火床で加工し、別の場所で仕上げ、最後に親父や弥吉が検める。出来たものは納めるまで別に置く。川側では水車が回り、砥石と穴あけへ力を送り、その仕掛けを直すための場所も空けてある。
まだ家は決まっていない。火薬置場も仮のままだし、水を使う話も善次郎と伊助が詰めている途中だ。水車から工房へ軸をどう通すかも決まっていない。
それでも、紙の上にしかなかったものが、地面の広さを持ち始めていた。
「虎松」
親父が呼んだ。
「何?」
「帰るぞ」
「うん」
俺が縄を片づけようとすると、庄兵衛に止められた。
「置いとけ」
「ええの?」
「明日もう一回見る」
「明日も来るん?」
「仕事受けるかもしれんのに、一回見ただけで帰れるか」
「まだ頼んでへんで」
「源兵衛から話は聞いとる」
親父を見る。
「いつ頼んだん?」
「まだ頼んでへん」
「ほな何で」
「建つか見てもらわな、頼めるか分からんやろ」
庄兵衛が笑った。
「昔からこうや。先に人呼んどいて、頼んでへん言う」
「お前も来とるやん」
「仕事になると思っとるからな」
「銭の話は善次郎として」
「誰やそれ」
「たぶん一番面倒な人」
宗次郎が言った。
「兄上より?」
「銭の話では」
「おい」
清太郎が吹き出した。
庄兵衛は地面に残った縄を眺め、それから俺の持っている紙へ目を落とした。
「ほな、その善次郎いうのも次連れてこい。お前らが建てたいもんと、建てられるもんと、払えるもんは別や」
何も言い返せなかった。
作りたいものを考える。現場で使える形にする。実際に建てられる形へ直す。
そこまで来ても、まだ終わりではない。
「宗次郎」
「はい」
「次、善次郎呼ぼか」
「そうですね」
「何か嫌やな」
「何でです?」
「絶対削られる」
「銭をですか?」
「工房をや」
親父が先に歩き出した。
「払えんもんは建たへんぞ」
「分かっとるわ」
後ろでは、庄兵衛と清太郎がもう一度縄の間を測り始めていた。
俺と宗次郎は四枚の紙を抱え直し、善次郎に見せるため、今日動いた場所を書き足しながら榊屋へ戻った。




