水車は同じ速さで回らない
翌朝、俺と喜兵衛、それに宗次郎の三人は、いつもの水車場へ向かった。
手には尺と縄、それから昨日までに書き散らした紙を持っている。目的は単純で、今まで何度も使ってきた水車と砥石を、今度は「道具を作るため」に見直すことだった。
「何回も来とるのにな」
歩きながら喜兵衛が言った。
「使うんと、作るために見るんは別やろ」
「昨日も似たようなこと言うとったな」
「昨日は錐や」
「今日は水車」
「明日は?」
「知らん」
「兄上、増やさないでくださいね」
後ろから宗次郎に釘を刺された。俺だって増やしたくて増やしているわけではないのだが、昨日の一件を思い返すと、強くは言い返せなかった。
*
水車場へ着くと、聞き慣れた水音がしていた。
樋から落ちる水が木の羽根を叩き、大きな輪を回している。その動きは太い軸を通して建物の中へ伝わり、砥石を回していた。今までは砥石が使えるか、刃物が研げるかばかり見ていたが、今日は入口から見る場所が違う。
「まず砥石」
「水車ちゃうん?」
「砥石から。伊助さんに、何を回したいか出せ言われたやろ」
水車へ近づこうとする喜兵衛を止め、先に中へ入った。
市兵衛はすでに砥石を使っていた。足元には研ぎ終えた刃物が何本か並び、砥石は低い音を立てながら回っている。
「朝から何や」
「測らせて」
「何を」
「砥石」
「また?」
「今度はちゃんと測る」
市兵衛は怪訝な顔をしたものの、仕事の邪魔をしないなら好きにしろと言った。
砥石の大きさと厚みを測り、軸の太さも見る。砥石そのものだけでなく、どこで軸を受け、どのくらいの高さに置かれているかも確認し、宗次郎に書き留めてもらった。
「回る速さは?」
宗次郎が聞いた。
「それがなあ」
俺は回っている砥石を見る。
前の時代なら回転計でも当てれば終わる。そんなものは当然ない。
「数える?」
喜兵衛が言った。
「どうやって」
「印つけて、一回回ったら一回」
「何回まで?」
「いっぱい」
「その間を何で測る?」
「……知らん」
そこまで考えていなかったらしい。
とはいえ、今の段階で正確な回転数まで知る必要はない。昨日の試作で確かめたかったのも、速ければ速いほどいいという話ではなかった。遅すぎれば鉄を削れず、速すぎれば錐が暴れる。その間に、仕事に使える範囲があればいい。
「欲しいんは数字そのものちゃう」
俺は回っている砥石を見ながら言った。
「このくらいの砥石を仕事に使えるくらい回せる。それと昨日の錐も、遅すぎて削れんのと、速すぎて暴れるんの間に入ればええ」
「間ならええん?」
「最初はな。ぴったり同じ速さで回らな穴が開かん仕事やない」
宗次郎が紙へ何か書いた。
「何書いた?」
「穴あけは、使える速さに幅がある」
「うん。それでええ」
必要なのは、前の時代の機械と同じ数字ではない。今やりたい仕事ができる範囲へ収まっていることだ。そこまで決まっていれば、伊助にも前よりまともな話ができる。
*
「虎松」
今度は喜兵衛が、水車の軸を見ながら呼んだ。
「何?」
「昨日のやつと同じやな」
「何が?」
「これ」
喜兵衛が指しているのは、回転している太い木の軸だった。
考えてみれば当然で、水車の輪が回れば軸も回る。そして昨日俺たちが作った細い鉄棒とは比べものにならない重さの軸を、どこかで支えながら回し続けている。
「あ」
俺もしゃがみ込んだ。
「これ、どうやって受けとる?」
「見える?」
「こっちからは無理やな」
市兵衛にも聞いてみたが、自分は砥石を扱うだけなので詳しいところまでは分からないという。
「伊助さんに聞くか」
「来てもらうんやろ?」
「そのつもり」
昨日までは、伊助に聞くことの一つとして「軸を何で支えるか」と書いていた。だが考えてみれば、水車そのものが巨大な回転軸を持っている。
そのやり方を小さな鉄の軸へそのまま使えるとは限らない。それでも、同じような問題を昔から扱っている仕事が目の前にあるのだから、見ない理由はなかった。
*
昼前には、伊助も水車場へやって来た。
「何や。今度はこっちか」
「見てもらいたいもん増えました」
「増やすな」
「俺が増やしたんちゃいます」
「誰が増やした」
「やってみたら勝手に増えました」
「ほな、お前が増やしたんや」
反論できなかった。
まず昨日作った穴あけの道具について説明する。今日は現物を持ってきていないので、宗次郎が描いた簡単な絵と、実際に穴を開けた三つの金具を見せた。
材料を固定し、錐を縦の軸へ取り付ける。人が軸を回し、もう一人が上から押す。それで同じような位置へ穴を開けるところまではできたので、水車には二人のうち「回す」方だけを任せたい。
伊助は三つの金具を並べて眺めた。
「これ、水で回さんでも開いたんやな」
「開きました」
「ほなええやん」
「親父にも同じこと言われた」
「親父が正しい」
「二人要るんです。一人が回して、一人が押す」
「ああ」
「水で回せたら、押す方だけで済む」
「最初からそう言え」
「今言いましたやん」
伊助は返事をせず、今度は紙へ目を落とした。
「どれくらいの速さで回したい」
「そこなんですけど、同じ速さで回り続けんでもええです」
伊助が顔を上げた。
「昨日、人で試しました。遅すぎたら削れん。速すぎたら軸や錐が振れて使いにくい。でも、その間なら穴は開く。せやから水車に同じ速さをずっと守らせたいんやなくて、使える範囲で回したい」
「どこからどこまでや」
「まだ分かりません。でも、それはこっちで試せます。人で回して、これより遅いとあかん、これより速いとあかん、いうところまでは見られる」
伊助は少し考え、それから水車へ目を向けた。
「それなら話はできる」
「ほんま?」
「川に同じ速さで流れろ言うなら帰ろうと思っとった」
「そこまでは言わん」
「水は増えるし減る。水車も同じ速さでは回らん。仕事乗せても変わる」
「負荷か」
「何や」
「いや、こっちの話」
砥石へ刃物を押し当てれば、空で回っているときとは抵抗が違う。錐が鉄へ食い込んでも同じで、水量だけでなく何をさせるかによって回り方は変わる。
それでも、穴を開けられる範囲から外れなければいい。
「じゃあ、まずその範囲を試します」
「それ持ってきたら、水車でどこまでできそうかは考えたる」
これで一つ、次にやることが決まった。
*
「あと、もう一個」
「まだあるんか」
「軸です」
「何の」
「穴あけの」
昨日困ったことを順に説明した。一本の軸を上だけで支えたら下が振れたので、二か所で支えた。ところが今度は二つの穴を揃えるのが難しく、木の穴で鉄の軸を回し続ければ、そのうち木が減る。
伊助は途中から面倒そうな顔になった。
「それ、俺に聞くことか?」
「水車も軸回っとるやないですか」
「……まあな」
「何で受けとるんです?」
「見たい?」
「見たい」
「喜兵衛も?」
「見たい」
「宗次郎は?」
「見ます」
「お前ら仕事しろ」
「これが仕事です」
伊助はため息をつき、水車の外側へ回った。
普段なら気にも留めなかった場所だった。太い木の軸はそのまま建物へ突っ込んでいるわけではなく、途中でしっかりと支えられている。
「ここや」
伊助が指した。
軸を受けている部分には周りとは違う硬い材が使われ、擦れるところには油も入れるという。
「ずっと同じまま使えるんです?」
「んなわけあるか。減ったら直す。悪なったら替える」
「替える前提?」
「水車なんか使ったらどっか減る。軸も減るし、受ける方も減る。水も木も言うこと聞かん」
俺は軸の受けを覗き込んだ。
前の時代なら、軸受けは交換する部品だった。目の前にあるものはもちろん同じ構造ではない。それでも、摩耗する場所を決め、そこを手入れし、駄目になれば替えるという考え方はよく似ている。
「喜兵衛」
「分かっとる」
「小さくしたら」
「できるかもしれんな」
伊助がこちらを見る。
「何を勝手に決めとる」
「これ、小さくして鉄の軸受けたらあかん?」
「知らん」
「そこは知らんの?」
「俺は水車の軸がどうしたら長う使えるかは知っとる。お前らの細い鉄の棒が、どの材で一番よう回るかなんか知らん」
「試すしかないか」
「昨日からそればっかりやな」
俺もそう思う。
ただ、昨日までとは違う。何もないところから軸受けを考える必要はなくなった。すでに回転する軸を支えているやり方を参考にし、俺たちの軸の太さや速さに合わせて試せばいい。
「これ、今度甚助さんに見せたいな」
「連れてきたらええ」
喜兵衛が言った。
「嫌がるやろな」
「絶対嫌がる」
宗次郎だけが真面目な顔で紙へ書き込んでいた。
*
次に伊助が見たのは砥石だった。
大きさ、厚み、軸の位置、使い方を一通り確認すると、市兵衛に実際に刃物を研いでもらう。砥石だけが空で回っているときと、刃物を押し当てているときでは、耳で聞いてもわずかに音が変わった。
「これくらいなら、この水車で余裕ある」
伊助が言った。
「穴あけ足しても?」
「知らん」
「また?」
「錐がどれだけ重い仕事するか知らんやろ。俺も知らん」
「小さい金具です」
「小さい言うても、何個開ける。どれくらい押す。砥石と一緒に使うんか」
質問は増えていくが、今回は答えられないことばかりではなかった。
「砥石はずっと回しっぱなしにはせん。穴あけも最初は小さい金具だけ。二つ一緒に使える方がええけど、無理なら片方止めても仕事はできます」
「水止まったら?」
「砥石は今まで通り手で研ぐ。穴も手揉みの錐に戻す」
「ほな、止まっても鉄砲は作れるんやな」
「作れます。遅なるけど」
伊助が頷いた。
「それなら最初から全部、水に合わせて工房作る必要ない」
宗次郎が俺を見る。
四十七話から考えていたことが、ようやく具体的な運用として形になった。水車が止まれば榊屋まで止まるようにはしない。水は人の仕事を減らすために使うが、水がなければ何も作れない工房にはしない。
「砥石と穴あけを、水車側の仕事にする。止まったら手に戻す」
宗次郎が確認する。
「うん。最初はそれでいこ」
「では、水車が止まって困る仕事は、今のところありません」
「そうなるな」
「それなら書けます」
宗次郎が紙の一つに線を引いた。
*
最後に、俺たちは伊助へ新しい工房の話を戻した。
最初に水で回したいのは砥石一つと、穴あけ一つ。将来ほかの道具を試せる余地は残したいが、今から使いもしない水車を何台も作るつもりはない。水路や場所を、後から増やせるようにしておけばいい。
「前よりは話になったな」
伊助が言った。
「前は?」
「水欲しい。いっぱい欲しい。後で何か回したい」
「そこまで雑やなかったやろ」
「似たようなもんや」
否定しづらい。
「砥石はこれくらい。穴あけはもっと小さい。穴あけの方は使える速さをお前らで出す。それ持って、もう一回あの土地行くぞ」
「水車の場所決められる?」
「だいたいはな。ただし、善次郎の方も終わってからや」
「水の話?」
「使ってええか分からん水で、水車の場所決めてもしゃあないやろ」
そうだった。
善次郎には、あの川を誰が使っているのか、下流の田畑や村との話がどうなっているのかを調べてもらっている。土地を買えば水まで好きに使えるわけではないと、伊助に教えられたばかりだ。
「善次郎さんの返事待ちですね」
宗次郎が言った。
「待っとる間に、お前らは錐の速さ見とけ」
伊助が続ける。
「あと、その穴あけるやつ、次は持ってこい。紙だけ見ても分からん」
「重いで」
「俺に言うな」
「運ぶん俺らやん」
「ほな持ってこい」
「はい」
また宿題は増えたが、今回は何を確かめればいいのかが分かっている。穴を開けられる速さの範囲を人力で探し、試作した道具そのものを伊助に見せる。善次郎から水を使う話の返事が来れば、その三つを持って新しい土地へ行ける。
帰り支度をしていると、喜兵衛が水車の軸をもう一度覗き込んでいた。
「何しとる?」
「これ、小さく作ったら穴あけに使えるかな思って」
「軸受け?」
「うん」
「甚助さんに見せてからやな」
「鉄で作った方がええかな」
「いきなり決めるな。木でも硬い木あるやろ」
「油は?」
「試す」
「形は?」
「試す」
「何個?」
「一個でええ!」
喜兵衛が不満そうな顔をした。
「二個くらい作った方が比べられるやろ」
少し考える。
「……それはそうやな」
「兄上」
嫌な声がした。
振り返ると、宗次郎が帳面を開いている。
「増えました?」
「まだ増えてへん」
「今、二個って」
「試す数の話や!」
「では二個」
「書くな!」
宗次郎は書いた。
水車場へ来る前より、やることは増えている。それでも、分からないものを片端から作ろうとしていた昨日までとは違う。次に試すもの、伊助に任せるもの、善次郎の返事を待つもの。その区別がついたことで、新しい工房へ向けて何を片づければいいのかは、ようやく見えるようになってきた。




