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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
新工房準備編

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真っ直ぐ回らない


 甚助のところへ持っていった二枚目の紙は、今度は突き返されなかった。


「これなら作れる」


 甚助は紙と、その横に置いた小さな金具を見比べて言った。


「ほんま?」


「作れる言うただけや。ちゃんと穴開くかは知らん」


「そこは俺らが見る」


「ほなええ」


 昨日の絵からは、大きな台も、錐(きり)を取り替える仕掛けも、後で使うかもしれない余計な場所も消してある。残ったのは木の枠と、縦に立てる一本の軸、それに小さな作業台だけだ。最初に頭の中へ浮かんだものと比べれば随分貧相になったが、その分だけ今の榊屋で作れるものになっていた。


 榊屋で穴を開けること自体は、何も珍しい仕事ではない。


 普段使っている錐は、細い柄を両の掌で挟み、前後へ擦るようにして回す。右へ回り、左へ戻り、また右へ回る。昨日見た藤吉も佐吉も、そうやって金具へ穴を開けていた。


 俺たちが作ろうとしているものも、錐で鉄を削ること自体は同じだ。ただし錐を人の手から離して軸へ取り付け、材料の方も手で持たず、決めた位置へ固定する。そのうえで軸を同じ向きへ回し続ける。


 前の時代なら、ボール盤という出来上がった機械を見れば済んだ話だった。だが今ある錐から考えれば、人が握っていた道具を機械の側へ持たせるところから始めなければならない。


「要するに、錐を揉む代わりに、この軸を回すんやな」


 喜兵衛が紙を見ながら言った。


「そう。まずは人が回す。これで穴開いたら、後で水に回させる」


「最初から水で回したらあかんの?」


「それやって失敗したら、水が悪いんか、この道具が悪いんか分からんやろ」


「ああ。せやから先に手で回すんか」


「そういうこと」


 喜兵衛が頷いたところで、甚助が紙の一点を指した。


「軸は?」


「鉄で作ろうと思っとる」


「最初から?」


「木やと曲がらん?」


「鉄でも曲がっとるぞ」


「……そうなん?」


 甚助が俺を見る。


「真っ直ぐな鉄の棒なんか、そこらに転がっとると思っとるんか」


 思っていた。


 いや、前の時代なら、それでよかった。必要な太さの丸棒を用意して軸受けへ通す。頭の中では無意識にそこから始めていたのだが、ここには同じ太さで真っ直ぐ仕上がった鉄棒が、材料として並んでいるわけではない。


「作るしかない?」


「誰が?」


「……俺らが」


「ほな、そこからやな」


 穴を開ける道具を作る前に、その道具を作るための部品から作らなければならない。当たり前の話なのに、完成した材料を買うことに慣れていた俺は、そこを一つ飛ばして考えていたらしい。


     *


 軸には、喜兵衛と相談して細めの鉄棒を使うことにした。鍛えて伸ばしたものをできるだけ真っ直ぐに整え、表面の凹凸も鑢(やすり)で落としていく。


 ただし、最初から完璧な丸い棒を作ろうとはしなかった。


「穴開くか試すだけやろ?」


 喜兵衛にそう言われたからだ。


「せやけど、曲がっとったら何が悪いか分からんやん」


「ほな、穴開くくらい真っ直ぐならええやん」


「どれくらいや」


「知らん」


「お前も『できるだけ』側やんけ」


「俺、甚助さんちゃうし」


 都合のいい男である。


 結局、平らな板の上で軸を転がし、大きく浮いたり跳ねたりしないところまで直すことにした。それで十分かどうかは分からないが、試し物なのだから、足りなければ回したあとで直せばいい。


     *


 二日後、甚助が木の枠を組み上げた。


 出来上がったものは想像していたよりずっと小さく、腰より少し低い台の上に二本の柱が立ち、その間に横木が一本渡してある。横木には穴が開けられ、そこへ鉄の軸を縦に通す。軸の下端には喜兵衛が取り付けた錐があり、その真下には昨日選んだ金具を置くための小さな台があった。


「……それっぽい」


 俺が言うと、甚助が眉を寄せた。


「何が」


「穴あける道具っぽい」


「穴あける道具作ったんやから当たり前やろ」


 そうなんだけど。


 前の時代に見慣れたボール盤とは、まるで違う。太い柱もなければ、高さを変えられる台も、送りのための取っ手も、当然ながら動力もない。ただ錐が縦を向いているだけだが、今はそれでよかった。


「回してみよか」


 喜兵衛が待ちきれない様子で軸を掴んだ。


「まだ金具置かんでええ。まず空で回そ」


「分かった」


 軸の上側には、手で回すための簡単な横棒を付けてある。喜兵衛がそれを握り、普段の錐のように左右へ揉むのではなく、同じ向きへゆっくりと回し始めた。


 俺は錐の先を見た。


「……止めて」


「何や」


「もう一回」


 再び回してもらい、今度は少し速くしてもらう。


 錐の先が、小さく揺れた。


「止めて」


「何や?」


「今、動いたよな」


「動いとるな」


 もう一度回してみたが、間違いない。錐の先は一点に留まらず、小さな円を描いている。


「……なんで?」


「知らん」


 喜兵衛が即答した。


 甚助も横から覗き込む。


「軸曲がっとるんちゃうか」


「板の上では転がしたで」


「真っ直ぐやったんか?」


「大きくは跳ねへんかった」


「ほな、小さく曲がっとるんやろ」


 俺は軸を抜き、もう一度平らな板の上へ置いてゆっくり転がした。目を近づけて見ると、確かにわずかだが軸と板の隙間が変わっている。


「……曲がっとるな」


「曲がっとるやん」


「でも、これだけであんな振れる?」


「知らん」


 また喜兵衛である。


     *


 今度は錐を外して軸だけを回してみたが、やはり先端が少し振れた。上下を逆にすると振れ方まで変わったので、まず軸そのものを直すことにした。


 板の上で転がして高いところを探し、少しずつ叩いてはまた転がす。それを何度か繰り返すと、さっきよりは素直に転がるようになった。


「今度こそ」


 軸を木枠へ戻し、喜兵衛に回してもらう。ゆっくりなら先ほどより明らかに振れが小さい。


「おお」


「減ったな」


「もうちょい速くして」


 ところが回転を上げた途端、錐の先がまた円を描き始めた。


「なんでやねん!」


 思わず声が出た。


「さっきよりマシやで」


「マシやけど!」


 水車につなげば、人が手で回すより速くなるはずだ。ゆっくりなら真っ直ぐに見えても、速くした途端に刃先が踊るのでは困る。


「まだ軸曲がっとるんちゃう?」


「それもあるかもしれんけど……」


 俺は横木の穴を覗き込んだ。軸と穴の間には、回すためのわずかな隙間がある。ぴったりに作れば軸が動かないから当然なのだが、その余裕の中で軸そのものが傾いていた。


「ここや」


「何が?」


「軸が動いとる」


「そら回っとるからな」


「そうやなくて、横にも」


 軸の下端を指で押すと、簡単に傾いて錐の先が大きく動いた。


「これ、上だけで支えとるから、下が好きに動けるんちゃうか」


 喜兵衛も軸を掴んで揺らし、すぐに納得した顔になった。


「ああ」


 その横で甚助が言った。


「そらそうやろ」


 俺と喜兵衛が同時に振り返った。


「知っとったん?」


「柱一本立てて、上だけ持って揺らしたら下動くやろ」


「先に言うてや!」


「お前らが回したい言うから回したんやろ」


 正論なのが腹立つ。


     *


「下も持ったらええんちゃう?」


 喜兵衛が錐の少し上を指した。


「ここにも横木渡して、軸通す」


 つまり上と下の二か所で軸を支える。言われてみれば単純な話だった。


 前の時代なら、回転する軸が複数の軸受けで支えられていることなど、いちいち考えもしなかった。機械を開ければ最初からそこにあり、俺は出来上がった構造を使う側だった。


 今は、その「最初からあるもの」を一つずつ作らなければならない。


「甚助さん」


「嫌や」


「まだ何も言うてへん!」


「横木もう一本やろ」


「……お願いします」


「最初から言え」


「今分かったんや!」


 甚助はため息をつきながら木を取りに行った。


     *


 横木を一本追加するだけなら、その日のうちにできた。ところが今度は、上と下に開けた二つの穴が問題になった。


 二つの中心がずれていれば、一本の軸は真っ直ぐ通らない。


「同じところに穴開けたらええんやろ?」


 見に来た藤吉が言った。


「上下で同じところって、どうやって決める?」


「測る」


「何で?」


「尺」


「ちょっとずれたら?」


「……削る?」


 結局そうなる。


 共有の尺と当て金を使って位置を取り、できるだけ同じ場所へ穴を開けてから軸を通してみた。


「入らん」


「削れ」


 上の穴を少し削ってみたが、まだ入らない。


「下も」


「どっち削ったらええん?」


「知らん」


「喜兵衛!」


「俺に言うな!」


 甚助が見かねて軸を奪った。


「貸せ」


 上の穴へ軸を通し、その先を下の穴へ当てる。どちらへ寄っているかを見てから下側だけを少し削り、もう一度通すと、今度は入った。


「おお」


「まだや」


 甚助が軸を回す。


 重い。


「穴、真っ直ぐ揃っとらん」


「入ったのに?」


「入るんと、回るんは別や」


 今日はそればかりだった。


     *


 削っては軸を通して回し、重ければ抜いてまた削る。それを何度か繰り返すうちに、ようやく軽く回るようになった。


「いける?」


「回してみ」


 喜兵衛が横棒を握り、まずはゆっくり回す。俺は錐の先を見ながら、少しずつ速度を上げてもらった。


「……さっきよりええ」


「速くするで」


 完全に一点へ収まっているわけではない。それでも、さっきまで大きく円を描いていた刃先はかなり落ち着いている。


「おお!」


「いけるやん!」


 俺と喜兵衛が喜んだ横で、甚助だけは軸の通る穴を見ていた。


「その穴、すぐ広がるぞ」


「え?」


「鉄の棒を木の穴ん中でずっと回すんやろ」


「あ」


 軸と木は回すたびに擦れる。今は軽く回っていても、何十回、何百回と使えば木が削れ、穴が広がって軸に遊びができる。そうなれば、せっかく抑えた錐の振れがまた戻ってくる。


「油塗ったら?」


 喜兵衛が言った。


「多少はマシやろな」


「木やめる?」


「何にする」


「鉄」


「鉄の穴に鉄の棒入れて回すん?」


「……あかん?」


「知らん。やってみたらええ」


 甚助まで親父みたいなことを言い始めた。


 錐を真っ直ぐ回したいだけなのに、真っ直ぐな軸を作り、その軸を二か所で支え、二つの穴の中心を揃え、軽く回るように仕上げたうえで、今度は使い続けても支えが減らない方法まで考えなければならない。


 前の時代なら「軸受け」の一言で済ませていたものの中に、こんなに仕事が詰まっていた。


     *


「兄上」


 声を掛けられて振り向くと、いつの間にか宗次郎が立っていた。


「何や」


「穴は?」


「まだ」


「昨日、一個穴開ける言うてませんでした?」


「その前に軸が真っ直ぐ回らんかったんや」


「では、まだ一個も開いてない?」


「……はい」


 宗次郎が帳面へ何かを書いた。


「何書いた?」


「試し物に使った時間です」


「もう数えとるん?」


「昨日、兄上が『分かった』って言ったので」


 律儀すぎる。


「甚助さんは?」


「入ってます」


「喜兵衛は?」


「入ってます」


「俺は?」


「入ってます」


「……いくらになった?」


「まだ銭にはしてません。まず時間だけです」


 それでも嫌な予感しかしない。


     *


「とりあえず、穴開けてみよ」


 俺は昨日選んだ金具を持ってきた。これ以上、一個も穴を開けずに軸だけ眺め続けるのは精神的によくない。


 台へ金具を置き、位置決め用の当て金を当てて、動かないよう簡単な押さえで固定する。錐の先を印へ合わせようとすると、今度は台そのものの位置を細かく直す必要があった。


「位置どう?」


 喜兵衛が横から覗く。


「もうちょいこっち」


「こっち?」


「行きすぎ」


「どっちやねん」


 台を少し戻す。


「そこ」


「押さえるで」


 喜兵衛が横棒を握って軸を回し始め、俺は上から押した。錐の刃が金具へ食い込み、少しずつ鉄を削っていく。


「重っ」


「回す方もしんどいぞ」


「もうちょい」


 しばらく削ったところで一度止め、切り屑を払って位置を確かめる。ずれてはいない。


「続けるで」


「頼む」


 再び軸が回り、やがて手に掛かっていた抵抗がふっと抜けた。


「抜けた」


 喜兵衛が軸を止める。


 金具を外して見ると、ちゃんと穴が開いていた。


「開いた!」


「開いたな」


 昨日、佐吉が手で開けた金具を持ってきて横へ並べる。喜兵衛と二人で表から見て、裏返してまた見た。


「位置は悪ない」


「穴も真っ直ぐちゃう?」


「たぶん」


「たぶん言うな」


「お前まで言うんか」


 甚助にも渡すと、表裏を確かめてから俺へ返した。


「使えるんちゃうか」


「ほんま?」


「知らん。喜兵衛に聞け」


「俺?」


「金具の仕事やろ」


 喜兵衛が二つを見比べる。


「これくらいなら使える」


「よっしゃ」


 ようやく一個だった。


 水は一滴も使っていないうえ、人間二人で、一人が回して一人が押している。普通に手で錐を揉んで穴を開けるより、よほど手間が掛かっていた。


 それでも、材料を固定し、錐の位置を決め、その場所で軸を回せば穴が開くことは確かめられた。


「もう一個やる?」


 喜兵衛が聞いた。


「やる」


 二個目、三個目も同じ当て金を使い、同じように材料を固定して開けてみた。三つ並べてみると、穴の位置はかなり揃っている。


「これ、手で回しても使えるな」


 喜兵衛が言った。


「俺も今思った」


 水車がなくても、材料を固定し、位置を決め、錐が勝手に逃げないよう回る場所を決めること自体に意味がある。これまで人の手が担っていた「錐を持つ」「位置を保つ」「回す」という仕事のうち、最初の二つはもう道具へ渡せている。


 水車に任せたいのは、残った「回す」という仕事だった。


     *


 夕方、親父が三つの金具を見に来た。


「開いたんか」


「開いた」


「水車なしで?」


「なしで」


「ほな水車いらんやん」


「要るわ!」


 親父は金具を一つ取り、穴を覗いた。


「今、何人でやった」


「二人」


「前は?」


「一人」


「遅なっとるやん」


「試作やから!」


「ほな、まだ使えへんな」


「……はい」


 悔しいが、その通りだった。穴の位置が揃っただけでは、生産の道具としては足りない。今までより人手が掛かり、時間まで掛かるなら、現時点では仕事を増やしただけだ。


「でも、水で回したら一人減らせる」


「回せたらな」


「回す」


「ほな伊助に聞け」


 親父は金具を置き、そのまま仕事へ戻っていった。


 俺は机に戻り、昨日から使っている紙を広げた。伊助に聞かれて答えられなかったことが、そこに並んでいる。


 何を回すのか。どれくらいのものを回すのか。何のために回すのか。


 今なら、昨日よりは具体的に答えられる。最初に使うのは小さな金具の穴あけで、錐は一本から始める。材料は治具で固定し、穴の位置も決める。押し込むのは人がやり、今二人でやっているうちの「回す仕事」を水へ渡したい。


 一方で、試したからこそ分からなくなったこともあった。軸を支える場所は使えば擦り減る。どんな材で受けるのか、油を使うのか、どのくらいの速さまでなら錐を振らさず回せるのか。その辺りは、まだ答えがない。


「宗次郎」


「何です?」


「伊助さんに見せる紙、これも入れといて」


「穴あけの道具ですか?」


「うん。あと、まだ分からんところも書いといて」


「どこです?」


「軸を支えるとこ。木のままでええんか、別のもんが要るんか。それと、どれくらいの速さで回すか」


 宗次郎が書き留める。


「砥石は?」


「水車場行って測る」


「いつ?」


「明日」


「本当に?」


「行くわ!」


 宗次郎は何事もなかったように頷いた。


 その横で、喜兵衛は試作機の軸を手で回していた。


「虎松」


「何?」


「これ、水で回すようになったら、ずっと同じ速さで回るんかな」


「水の量で変わるやろな」


「速すぎたら?」


 答えようとして、口が止まった。


 速く回ればいいわけではない。それは昨日から今日にかけて、自分たちで確かめたばかりだった。


「……それも伊助さんに聞くこと増えたな」


「また宿題増えるんちゃう?」


「言うな」


 横で宗次郎の筆が動いた。


「今のも書いた?」


「書きました」


「消して」


「嫌です」


 明日は水車場へ行き、実際に使っている砥石を測る。その数字と今日の試作機を揃えてから伊助のところへ持っていけば、少なくとも前回のように「何を回したいのか」から答えに詰まることはない。


 人力で穴を開けるところまではできた。次は、この「回す仕事」を本当に水へ渡せるのか確かめる番だった。


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