回せばええわけじゃない
伊助に宿題を出された翌朝、俺は作業場の隅に置かれた手回しの砥石の前にしゃがんでいた。
調べたいのは、単に砥石の大きさではない。
新しい工房で水車を使うなら、何を回すのか。どのくらいの大きさの物を、どんな仕事に使うのか。それが分からなければ、水車の大きさも軸の取り方も決められないと伊助に言われた。
だからまず、今の榊屋が人の手で何を回しているのかを調べる。
砥石の直径と厚みを測り、軸の太さも見る。共有の尺だけでは取りにくいところは紐を回し、その長さを紙へ書き込んでいった。
「兄上」
「ん?」
「何してるんです?」
「測っとる」
「何を?」
「……砥石」
宗次郎が俺の手元を見る。
「それは見れば分かります」
ですよね。
「伊助さんに見せるんや。どれくらいのもん回したいんか分からん言われたやろ」
「それなら、水車場の砥石を測った方がいいのでは?」
俺は手を止めた。
「……せやな」
「兄上」
「分かっとる。これはこれで要るんや。手で使う方と比べられるやろ」
「最初からそのつもりでした?」
「もちろん」
「本当ですか?」
「たぶん」
宗次郎は何も言わず帳面へ目を戻した。
最近こいつの中で、「たぶん」という言葉の信用が著しく落ちている気がする。
*
昼前には喜兵衛を捕まえた。
「穴あけのやつ、考えるで」
「おう。何からやる?」
「まず今のやつ見る」
「昨日も見たやろ」
「見るだけやなくて、調べるんや」
作業台の上へ、普段使っている錐を何本か並べた。太さも長さも違い、刃先の形も少しずつ違う。
昨日までは、これを水で回せれば穴あけが楽になる。それくらいに考えていた。
ところが伊助に、「どんな錐を、どれくらい回したい」と聞かれて答えられなかった。
それでは水車を作る側も困る。俺たち自身が何を欲しがっているのか分かっていないのだから、当然だった。
「喜兵衛。これ、一日にどれくらい使う?」
「どれ?」
「全部」
「知らん」
「やっぱり?」
「数えたことないしな」
まあ、そうなる。
「ほな数えるか」
「今日?」
「今日から。誰が、何に穴あけて、どの錐使ったか見る」
「どれくらいかかったかも?」
「それも見たいけど、細かく時を測る道具ないからな。長いか短いかくらいでええ」
「雑やな」
「今知りたいんは、誰が何息で穴一個あけたかちゃう。どの穴あけが多くて、どれがしんどいかや」
前の時代なら、時計なり何なり持って横に立てば済んだ。今はそこまで細かい数字を取る必要もない。
「あと、穴あけたやつ集める」
「何で?」
「比べる」
「何を?」
「穴」
喜兵衛が首を傾げた。
「穴なんか、開いとったらええやろ」
「俺も昨日までそう思っとった」
「昨日まで?」
「考えたら、そうでもなかった」
水で錐を回せば、手より速く回せるかもしれない。
だが、速く回ることと、ちゃんと穴が開くことは別だ。
材料をどう押さえるのか。錐をどうやって真っ直ぐ回すのか。どこまで押し込むのか。刃が食い込んだらどうするのか。そもそも今の錐を、そのまま今より速く回して問題ないのか。
考え始めると、昨日より分からないことが増えていた。
「……喜兵衛」
「何や」
「俺ら、昨日よう『作ってみます』言えたな」
「作れるとは言うてへんで。作ってみる言うただけや」
「逃げ道作っとったん?」
「源兵衛さん見て育っとるからな」
強い。
*
午後、最初に捕まったのは藤吉だった。
「何で俺なん?」
「ちょうど穴あけようとしとったから」
「運悪ない?」
「仕事や」
「虎松さんが横で見るん?」
「見る」
「やりにくいわ」
「気にすんな」
「気になるわ」
藤吉はぶつぶつ言いながら、小さな火蓋まわりの金具を作業台へ置いた。
穴の位置には、すでに鏨で小さな印が付けてある。藤吉はそこへ錐の先を合わせ、左手で金具を押さえた。
「待って」
「まだ何もしてへんで」
「それ、手で持つん?」
「いつもそうやで」
「動かん?」
「動くで」
「動くん?」
「せやから押さえるんやろ」
そういうものらしい。
俺は紙へ「材料固定」と書いた。
「何書いたん?」
「気にせんでええ」
「めっちゃ気になる」
「続けて」
藤吉が錐を回し始めた。
数度回しては押し込み、また回す。途中で一度手を止めると、金具をわずかに動かした。
「今何した?」
「ずれた」
「やっぱずれるんや」
「そら、ずれることくらいあるで」
「戻せる?」
「ちょっとなら」
「戻らんかったら?」
「喜兵衛さんに怒られる」
「俺、そんな怒らんぞ」
後ろから声がした。
「おるんかい!」
藤吉が振り返った。
「見に来た」
「二人で見んなや!」
完全に作業の邪魔になっている。
それでも最後までやらせてから、俺は金具を受け取った。
穴は開いている。
使えないほどではない。ただ、鏨で付けた印からほんの少し外れていた。穴の縁も片側だけわずかに荒れている。
「これ、使える?」
「これくらいならな」
喜兵衛が金具を光へかざした。
「でも、もうちょいずれたら嫌やな。相手の方まで触らなあかんかもしれん」
穴一個のずれが、その穴だけで終わるとは限らない。
合わせる相手まで削れば、今度はそちらも一品物になる。
俺は紙へもう一つ書き足した。
位置。
*
次は佐吉に、同じ形の金具へ穴を開けてもらった。
佐吉は印を確認すると、いきなり力を掛けず、錐を数度だけ回した。浅く跡が付いたところで一度止め、位置を確かめてから改めて穴を開け始める。
「何で今止めた?」
「最初、ずれやすいんで。浅く入れてから位置見た方が楽です」
「藤吉もずれとった」
「教えたんですけどね」
「聞いた?」
少し離れたところにいた藤吉を見る。
「聞いた」
「やった?」
「……たまに」
「何でや」
「急いどったら、そのままいけそうな気するやん」
佐吉が呆れた顔をした。
「それでずれるんやろ」
「今日はずれただけや」
「今日もやろ」
佐吉が開けた穴も受け取り、藤吉のものと並べた。
どちらも使える。
だが、比べれば違いは分かった。
佐吉の方が印の中心へ寄っている。穴の縁も揃っていた。
別に佐吉が特別な名人だからではない。最初に浅く入れて位置を確かめるという、たった一手間の差だった。
「これ、水で回したらどうなると思う?」
俺が聞くと、佐吉は少し考えた。
「最初から速かったら、合わせにくいんちゃいます?」
「やっぱそう思う?」
「今でも最初が一番ずれますから」
その答えで、一つ分かった。
水車から力をもらえるからといって、最初から勢いよく回せばいいわけではない。
速く回す方法より先に、位置を決めて材料を動かさない方法が要る。
俺は紙へ「最初の位置決め」と書き足し、その横に「固定」と丸を付けた。
*
夕方まで、工房の中でいくつか穴あけを見て回った。
一口に穴といっても、中身はかなり違う。薄い金具を貫通させるものもあれば、厚い材料へ途中まで入れるものもある。小さい穴、大きい穴、位置が少しでもずれると困る穴、多少なら問題ない穴。毎日のように開けるものもあれば、滅多に出ないものもあった。
紙へ書き出していくうちに、最初の「穴あけ」という一項目が、どんどん枝分かれしていった。
「穴あけって、こんな種類あったっけ」
「兄上が分けただけでしょう」
宗次郎が紙を覗き込む。
「分ける前からあったんや」
「でも昨日までは、全部『穴あけ』だったんですよね」
「そう」
「今日増えたわけではありません」
「分かっとる」
百挺を考え始めたときも同じだった。
ひとまとめにしていた仕事をよく見ると、別々の作業が入っている。違うものを一緒にしたままでは、どこを変えればいいのか分からない。
「全部できる穴あけの道具、作るん?」
喜兵衛が聞いた。
「いや」
そこはすぐに答えられた。
「最初は一個でええ」
「どれ?」
俺は紙を見ながら候補を拾っていった。
数が多い。同じような形を繰り返す。穴の位置と大きさがほぼ決まっている。材料を治具へ固定できる。失敗しても銃身一本を駄目にするほど痛くない。
最後に残ったのは、さっき藤吉と佐吉が穴を開けていた小さな金具だった。
「これ」
「これから?」
「これから」
「地味やな」
「地味でええ」
最初に作る道具へ、一番難しい仕事をさせる必要はない。簡単で、数が多く、失敗しても損が小さい仕事から試した方がいい。
喜兵衛が金具を摘まみ、表裏を眺めた。
「これなら台に挟めそうやな」
「位置も当て金で決められる」
「錐は?」
「まず一本だけ」
「替えられるようにするんちゃうん?」
「それは後でええ」
「後なん?」
「最初から何でもできるようにしたら、いつまで経ってもできん」
喜兵衛が少し不満そうな顔をした。
こいつは昨日、まだ水車もないのに軸を四本に分けようとしていた男である。
「まず、錐が真っ直ぐ回る。材料が動かん。同じ場所に穴が開く。そこまで」
「押すんは?」
「人」
「深さは?」
「最初は抜ける穴だけにする」
「ああ」
喜兵衛の顔が変わった。
「それなら、だいぶ楽やな」
「やろ?」
ようやく、「水で穴を開ける道具」というぼんやりした話が、何を試せばいいのか分かるところまで小さくなった。
*
「で、何で回す?」
「水車」
「今ここにないやろ」
「……せやな」
喜兵衛が笑った。
新工房ができるまで何も試せないのでは困る。だが、水車で回す道具を試すために水車の完成を待つというのも、何かがおかしい。
「手で回したら?」
「何を?」
「軸」
喜兵衛は近くにあった木の棒を取り、作業台へ立てるように持った。
「まずこれ真っ直ぐ立てて、下に錐付けるやろ。横から手で回したらええ」
「それやと水車ちゃうやん」
「回るところ試すだけやろ?」
俺は木の棒を見た。
その通りだった。
水で回すことと、穴を開ける仕組みを試すことは、別に同時にやらなくてもいい。
「……喜兵衛」
「何や」
「お前、たまにすごいな」
「たまに言うな」
まず人力で試す。
軸が真っ直ぐ回るか。錐を固定できるか。材料を治具で押さえられるか。人が送り込んで穴を開けられるか。
そこまで確認してから、回す力だけ水へ替えればいい。
俺は紙の端に順番を書いた。
一、軸を立てる。
二、錐を付ける。
三、材料を固定する。
四、人力で回して穴を開ける。
五、使えたら水で回す。
「兄上」
「何や」
「六は?」
「六?」
「失敗したら」
宗次郎が聞いた。
「一に戻る」
「分かりました」
宗次郎はそのまま書き足した。
*
翌朝、俺と喜兵衛は紙を持って甚助のところへ行った。
「これ作って」
「嫌や」
「まだ説明してへん」
「お前が紙持って来ると面倒なんや」
「見てから言うて」
甚助は渋々紙を受け取った。
縦に軸を立て、その下へ錐を付ける。下には材料を置く台があり、動かないよう治具で固定する。まずは人力で軸を回し、必要なら別の人間が上から押す。
「真っ直ぐ立てたい」
「どれくらい」
「できるだけ」
「帰れ」
「何でや!」
「できるだけ言うな。どれくらいや」
昨日、伊助にも似たようなことを言われた気がする。
「穴が斜めにならんくらい」
「何に穴開ける」
俺は昨日選んだ金具を出した。
「最初はこれ」
甚助は金具を見て、それからもう一度紙へ目を落とした。
「これだけ?」
「まずは」
「ほな、こんな大きい台いらんやろ」
「後で大きい物もやるかもしれんから」
「今はこれなんやろ?」
「……はい」
紙を突き返された。
「作り直せ」
「そこから?」
「これ作るために、これ要るんか考えろ」
昨日、俺が喜兵衛に言ったこととほとんど同じだった。
ちょっと腹が立つ。
*
昼過ぎには、最初の絵よりずっと小さなものが紙の上にできていた。
立派な工作機械とは呼べない。
木の枠に縦の軸を通し、その先へ錐を付ける。下には小さな台と、金具を固定するための治具。軸を回すのは、まず人間だ。
「なんか、しょぼなったな」
喜兵衛が言う。
「しょぼくてええ」
「水車もないし」
「まだな」
「軸も一本やし」
「一本でええ」
「錐も一個」
「一個でええ」
頭の中にあったものから余計なものを外していったら、随分小さくなった。その代わり、今の榊屋でも作れそうなところまで来た。
「これなら甚助さん、作ってくれるかな」
「さあな」
「また帰れ言われたら?」
「また直す」
「その次は?」
「また持ってく」
そこへ親父が通りかかった。
「何しとる」
「穴あける道具」
「水車の?」
「その前のやつ」
「水車使わんのか」
「まず手で回して、穴あけの仕組みだけ試す」
親父が紙を見る。
「昨日、水で回す言うてへんかった?」
「言うた」
「今日、手で回すん?」
「うん」
親父はしばらく俺を見た。
「戻っとるやん」
「進んどるわ!」
隣で喜兵衛が吹き出した。
「何がおかしいねん」
「いや、戻っとるように見えるな思って」
「お前もか!」
親父は笑いもせず、紙の上の錐を指した。
「これで穴開いたら、次に水で回すんやな」
「そう」
「ほな、先に穴開けてみい」
それだけ言って、仕事へ戻っていった。
俺と喜兵衛も、描き直した紙を持って甚助のところへ向かおうとした。
「兄上」
宗次郎に呼び止められた。
「何や」
「これも『試し物』ですか?」
「そうなるな」
「昨日、試し物のために水と場所が要ると言ってましたよね」
「言うた」
宗次郎は帳面へ何かを書いた。
「甚助さんがこれを作ってる間、他の仕事はできませんよ」
「あ」
「喜兵衛さんもです。兄上も」
善次郎に、試し物は失敗すれば銭だけ減ると言った。
違った。
失敗しなくても、人の手は使う。
「……お前、善次郎みたいになってきたな」
「褒め言葉として受け取ります」
「まだ木しか使ってへんぞ」
「木も使います」
「はい」
「紙も」
「はい」
「甚助さんの時間も」
「分かったって」
宗次郎は満足したのか、帳面を閉じた。
「では、行ってきてください」
「何でお前が許可出すねん」
「戻されたら、また書き直しますから持ってきてください」
「戻される前提やめろ」
喜兵衛が笑いながら先に歩き出した。
俺もその後を追いかけようとして、机に残ったもう一枚の紙に気づいた。
砥石の大きさ。
穴あけに使う錐。
最初に試す金具。
材料の固定。
位置決め。
人が押し、水が回す。
昨日、伊助に聞かれて答えられなかったものが、少しずつ埋まっていた。
「宗次郎」
「何です?」
「これもまとめといて。次、伊助さんに見せる」
「どれくらい回したいか、もう分かるんですか?」
「まだ分からん」
「では、何を見せるんです?」
「何を回したいかは、昨日より分かる」
宗次郎は紙を見てから頷いた。
「では、残りは試してからですね」
「そういうこと」
水車の大きさを決めるには、まだ足りない。
まず人力の試作で一本穴を開ける。それで軸や錐に何が要るのか確かめ、今使っている水車場の砥石も測る。その二つを揃えてから、もう一度伊助に見てもらえばいい。
俺は描き直した紙を持ち上げた。
「ほな、甚助さんとこ行こか」
「今度は帰されんかな」
喜兵衛が言う。
「帰されたらまた直す」
「その時間も宗次郎に書かれるで」
「……早よ行くぞ」
後ろで筆が紙を擦る音がした。
たぶん、今の時間も書かれている。




