6年
翌朝、俺は日の出より前に起こされた。
工房へ行くと、源兵衛はすでに仕事を始めていた。火床には赤い火が入り、まだ薄暗い室内に槌の音が響いている。
俺はてっきり、今日から鉄砲の作り方を教えてもらえるものだと思っていた。
甘かった。
最初に渡されたのは箒だった。
床を掃き、炭を運び、水を汲み、道具を片付ける。火床の灰を始末し、使い終わった鑢を戻し、職人に呼ばれれば必要なものを持っていく。昨日までと大して変わらないと思ったのは、最初の半日だけだった。
源兵衛は容赦がなかった。掃いたところに鉄屑が残っていればやり直し、炭の置き方が悪ければ積み直し。鑢を違う場所へ戻せば叱られ、水が足りなければ汲みに行かされる。
何のためにこんなことをしているのか、最初は分からなかった。前世でも新人に掃除をさせる会社はあったが、掃除そのものに教育的価値があるという話を、俺はあまり信用していなかった。雑用を美化しているだけではないかと思っていたくらいだ。
ところが、榊屋で毎日掃除をしていると、少し違うものが見えてきた。
床を掃けば、どの場所にどんな鉄屑が落ちているのか分かる。火床の周りには鍛造で飛んだ細かな酸化皮膜が多く、鑢仕事をする場所には削り粉が溜まり、穴をさらう場所には細長い切り屑が落ちる。道具を戻していれば誰が何をよく使うのかも覚えるし、炭を運べば一日にどれほど使うのか、水を汲めばどの工程で水を多く使うのかも見えてくる。
そうやって俺は少しずつ、工房の中にある仕事の流れを覚えていった。
もっとも、源兵衛がそこまで考えて俺に掃除をさせていたのかは分からない。聞いたら「汚いから掃除させただけや」と言いそうだった。
◇
しばらくすると、鑢を持たされた。ようやく職人らしい仕事ができると喜んだ俺は、その日のうちに自分の才能について現実を知ることになった。
真っ直ぐ削れない。
相手はただの鉄片だった。決められたところまで平らに削る。それだけなのに端が落ち、中央が膨らみ、斜めになる。直そうとすれば反対側を削りすぎる。
前世の俺は、図面を見て加工方法を考える側だった。フライス盤なら基準面を出して固定し、旋盤なら芯を確認する。研削なら砥石と条件を選び、寸法が外れれば原因を調べる。機械は、正しく使えば真っ直ぐ削ってくれた。
俺の腕は違った。鑢は俺が傾ければそのまま傾き、押す力が片寄れば、それがそのまま鉄の形に出る。基準面も送りもない。俺の肩、肘、手首、指、その全部が加工機械であり、その加工機械はひどく精度が悪かった。
弥吉が同じ鉄片を削ると、音からして違った。鑢が鉄の上を滑るたびに一定の音が続くのに、俺がやると途中で音が変わる。力の掛け方が違うらしいが、見ても分からず、真似をしてもできなかった。
その頃から、俺は職人たちの「見たら分かる」「やったら分かる」という言葉に、以前ほど腹を立てなくなった。腹は立ったが、毎日やっているうちに、本当に少しだけ分かるようになってきたからだ。
鑢がきちんと当たっているときと、端だけを削っているときでは手に返ってくる感触が違う。鉄の表面が荒れているときと整っているときでは音も違う。ただ、説明しろと言われても困る程度の違いだった。
それに気づいたとき、俺は少し怖くなった。どうやら俺も、「やったら分かる」と言う側へ片足を突っ込み始めていたらしい。
◇
一年目は、ほとんどそんな仕事で終わった。
掃除や炭運び、道具の手入れをしながら、鑢と鏨を覚え、穴を開け、また鑢を握る。その横では失敗した鉄片が増え続けた。削りすぎたもの、穴をずらしたもの、鏨を滑らせたもの、寸法以前に形がおかしいものまで、失敗の種類だけなら立派な見本帳が作れそうだった。
源兵衛は、失敗するたびに怒鳴るようなことはしなかった。ただ、同じ失敗を繰り返すと怒り、なぜ失敗したのか分からないまま次へ進もうとすると、もっと怒った。
そこは前世とよく似ている。不良を出したことよりも、原因も分からず再開する方がまずい。もっとも、「なぜなぜ分析」などと言ったところで誰にも通じないので、俺は黙って考えることにした。
失敗した物は捨てずに残し、穴がずれた物には傷をつけ、削りすぎた物とは分けて置いた。上手くいった物も一つ残して見比べられるようにしたところ、源兵衛は何も言わず、弥吉には邪魔だと言われ、佐吉だけは面白がって一緒に並べてくれた。
それで腕が急に上がるわけではなかったが、少なくとも同じ失敗をしたときに気づけるようにはなった。
二度目まではやった。
三度目をやると、源兵衛に頭を叩かれた。
◇
二年目になると、火を触るようになった。これが鑢より厄介だった。
鉄は黙っているくせに、同じ状態ではいてくれない。火に入れれば色が変わり、出した瞬間から冷えていく。叩けば形が変わり、薄いところは厚いところより早く冷める。
前世の工場なら温度計があった。熱処理炉には設定温度があり、時間を管理できる。材料にも規格があり、何をどう熱すればどうなるのか、ある程度は資料で追うことができた。
ここには何もない。あるのは火と鉄と、人間の目だけだった。
源兵衛は色を見て、弥吉も同じように見る。俺も見る。
俺だけ分からない。
赤い。とにかく全部赤い。
明るい赤、暗い赤、橙に近い赤と、言葉にすれば分けられる。しかし実際の火床の前では周囲の明るさによっても違って見えるし、鉄を出して数秒もすれば色は変わってしまう。
最初のうちは、源兵衛が「今や」と言った瞬間に鉄を出すだけだった。そのうち自分で判断させられるようになると、早すぎたり遅すぎたりを何度も繰り返した。ようやく当たったと思っても、別の日に同じつもりでやれば外れる。
鉄が違えば変わる。炭が違っても変わる。風の送り方によっても変わる。腹が立つほど条件が揃わない。
そこで初めて、親父が以前言った「鉄が違う」という言葉の重さが分かった。同じ寸法にすればいいという話ではなく、材料が違えば同じ加工をしても同じ結果にはならない。だから職人は鉄を見て、触って、叩き、音を聞く。
俺が「感覚」と一括りにしていたものは、長い経験の中で積み上げられた大量の情報だった。
問題は、それを本人たちがほとんど言葉にしていないことだった。そこだけはやはり気になったが、もう以前のように「なら基準を作ればいい」と簡単には言えない。基準を作るなら、まず彼らが何を見ているのかを知らなければならない。
俺はまだ、それを学んでいる途中だった。
◇
三年目になる頃には、身体もずいぶん大きくなっていた。十歳の頃には両手で扱っていた道具も以前より楽に使えるようになり、槌を振る時間は長くなり、火床の前に立ち続けても疲れにくくなった。
手も変わった。指の皮が厚くなり、小さな傷が絶えなくなったし、火傷もした。
一度、熱した鉄を掴む位置を誤って手のひらを焼いたときには、お志乃にひどく怒られた。源兵衛にはもっと怒られると思ったが、その日は何も言われず、代わりに翌朝から火床に立たせてもらえなくなった。
その方が堪えた。
治ってから火床へ戻ると、以前より慎重になった。前世では安全教育をする側だったこともあり、「保護具を着けろ」「回転体に手を出すな」「吊り荷の下に入るな」などと言っていた人間が、五百年前に来て自分で火傷しているのだから笑えない。
この時代の工房では、本当に何でも人間がやる。鉄を運び、火を見て、槌で叩き、寸法を見極め、最後の加工まで人間の手で仕上げる。だからこそ、人間が上手くならなければ何も始まらない。
その単純な事実を、俺は三年かけて身体で覚えた。
◇
四年目になると、ようやく鉄砲らしい仕事が増えた。それまでも個々の部品には触っていたが、一挺の鉄砲がどういう順番で形になるのかを、最初から最後まで追わせてもらえるようになった。
銃身だけでも工程は長い。鉄を選んで延ばし、形を整え、芯となる棒へ巻き付けていく。合わせ目を鍛接し、曲がりや歪みを見ながら修正して、中をさらい、外を整える。
もちろん、それだけでは鉄砲にならない。火皿や火蓋、火縄を落とす仕掛けが必要で、それらを動かす金具も作って取り付ける。さらに台木を用意しなければならないが、出来上がった銃身と台木を単純に組み合わせれば完成するわけでもなかった。
合わせて、削る。また合わせて、当たっているところを探し、少し削る。もう一度合わせれば今度は別のところが当たり、そこをまた削る。その繰り返しで、一つひとつを馴染ませていく。
俺が十歳の頃に「部品を同じにすればええやん」と考えていた世界とは、正反対だった。先に部品があり、それらを組み合わせれば一挺になるのではなく、部品同士を互いに合わせながら一挺の鉄砲へ仕上げていく。だから同じ榊屋で作った鉄砲でも、中身は少しずつ違う。
以前の俺なら、それをただ非効率だと思っただろう。今でも非効率だとは思うが、なぜそうしているのかは分かるようになった。同じ物を作るための道具も基準も材料も揃っていない世界では、最後に人間が合わせる方が早い。
少なくとも、今の榊屋ではそうだった。
◇
五年目になると、源兵衛がますます教えなくなった。正確には最初からそれほど丁寧に教えてはいなかったので、それがさらに減っただけなのだが。
仕事を渡されてやってみる。駄目なら返され、どこが駄目なのか聞けば自分で見ろと言われる。見ても分からないのでもう一度聞くと怒られ、仕方なく弥吉に聞けば笑われ、それでも食い下がって教えてもらう。そんなことを繰り返した。
この頃には、佐吉もかなり仕事を任されるようになっていた。面白いことに、得意なことは俺と佐吉で違う。
俺は新しい仕事を覚えるのが早かった。なぜこの順番なのか、どこが重要なのかを一度理解すれば応用も利く。一方の佐吉は、一度手順が固まった仕事では強かった。派手さはないが、同じ仕事を何度やっても大きく崩れない。
弥吉は、そのどちらとも違った。初めて見る仕事でも少し触れば勘所を掴んでしまう。
腹が立つ。五年やっても、あいつの手は意味が分からなかった。
ある日、同じ部品を俺と弥吉で一つずつ作った。寸法らしい寸法はほとんど同じで、俺の物も弥吉の物も問題なく使える。それなのに並べてみると、弥吉が作った方が明らかに良かった。
角の残し方、面のつながり、触ったときの収まり。数字にしにくいところが違う。
その日、俺はようやく納得した。職人の腕は、寸法の代わりではない。寸法で拾える部分もあれば、拾えない部分もあるのだから、何もかも置き換えようとする必要はない。
拾えるところから拾えばいい。
十歳の俺が言っていたことと、似ているようで少し違った。
◇
六年目、源兵衛が一本の鉄を俺の前へ置いた。
「作れ」
それだけだった。何を、とは聞かなかった。六年前に自分で言ったことくらい覚えている。
一挺。最初から最後まで。
材料を見る。以前なら鉄なんて全部同じ灰色にしか見えなかったが、今は違う。もちろん源兵衛ほど分かるわけではないし、弥吉ほど勘も良くない。それでも、どこまで熱を入れればいいのか、叩いたときに何を警戒すべきなのかくらいは想像できるようになっていた。
火を起こして鉄を入れ、色を見て取り出す。槌を振るい、また火へ戻す。その繰り返しで、少しずつ鉄を必要な形へ近づけていった。
失敗すれば六年が無駄になる、などとは思わなかった。この六年で、そんな考え方はしなくなった。失敗したら、また作ればいい。
実際、一度目は駄目にした。鍛接が上手くいかなかったが、源兵衛は何も言わず、俺も言い訳しなかった。そのまま二本目を始め、今度は銃身にすることができた。
そこからも長かった。穴を整え、外を仕上げ、金具を作って台木へ合わせる。仕掛けを組んで動きを確かめ、火縄が落ちる位置を直す。またばらして組み直し、気に入らなければもう一度直す。何日もかけて、ようやく一挺の形になった。
最後に組み上がった鉄砲を作業台へ置いたとき、達成感より先に疲れが来た。
六年前、初めてこの工房で鉄砲を見た俺は、寸法が揃っていない、部品が入れ替わらない、標準も検査の仕組みもないと考え、ずいぶん未熟な生産方法に見えていた。
今なら、その見方が半分しか正しくなかったと分かる。
ここには機械がなく、測定器も乏しく、材料さえ揃わない。それでも鉄砲を作るために、職人たちは自分の目と耳と手を測定器にしてきた。
俺は六年かけて、ようやくその入口まで来た。
源兵衛が完成した一挺を手に取った。重さを確かめ、銃身を覗き、仕掛けを動かし、台木との合わせ目を指でなぞる。
何も言わない。
こういうときの親父は長いので、俺も黙って待った。
「撃ってくる」
源兵衛はそれだけ言うと、鉄砲を持って外へ出た。
◇
やがて試射の音が響いた。
一発。少し間を置いて、もう一発。
俺は工房で待っていた。弥吉も佐吉も仕事を続けており、気にしていないふりをしているが、二人とも明らかに手が遅い。
しばらくして源兵衛が戻ってくると、鉄砲を作業台へ置いた。
「親父」
「なんや」
「どうやった」
源兵衛はしばらく鉄砲を見てから、ようやく口を開いた。
「売ってもええ」
六年かかった。
十歳だった俺は十六になり、手は傷だらけになった。火傷もしたし、何度削りすぎたか分からない。鉄を駄目にし、部品を作り直し、弥吉に笑われ、佐吉と失敗を比べ、親父には数え切れないほど仕事を突き返された。
その六年間の結果が、「売ってもええ」の一言だった。
「……もうちょい何かないん?」
「何がや」
「六年やぞ」
「知らん」
「知らんて」
「お前が勝手に言い出したんやろ」
それはそうだった。反論できない。
源兵衛は俺の作った鉄砲を置き、自分の仕事へ戻ろうとしたが、数歩進んだところで足を止めた。
「虎松」
「なんや」
「六年前」
源兵衛はこちらを振り返らない。
「お前、何言いたかったんや」
一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに思い出した。俺が工房中の仕事に口を出し、最後には親父の銃身作りにまで口を挟んだ日のことだ。
作れもしないくせにと言われて腹を立て、一人で鉄砲を作れるようになったら話を聞けと啖呵を切った。言った本人である俺でさえ、半分忘れていた。
「覚えてたん?」
「言ったやろ」
源兵衛はそれだけ答えた。
俺は作業台の上にある、自分の鉄砲へ目を落とした。
六年前なら答えは決まっていた。寸法を揃え、部品を同じにして、誰が作っても同じ物になるようにしたい。けれど今は、それだけでは足りない。
六年間鉄を触って、揃えた方がいいところも、揃えない方がいいところも知った。当て金で助かる仕事もあれば、人間の手で合わせた方が早い仕事もある。材料によって変えなければならないところもあり、源兵衛や弥吉にしかできない仕事を、無理に誰でもできる仕事へ変える必要はないとも思うようになった。
それでも、佐吉が当て金を使い、一人で金具を仕上げた日のことは今でも覚えている。
「親父」
「なんや」
「同じにせんでええところと、同じにした方がええところがあると思う」
源兵衛が振り返った。六年前と同じように俺を見ているが、今度は俺も目を逸らさなかった。
「そうか」
返ってきたのは、それだけだった。
「……聞くだけ?」
「聞いたる言うただけや」
「そこから話し合うんちゃうん?」
「今日は仕事終わりや」
「六年待たせといて!?」
弥吉が吹き出し、佐吉もつられて笑った。源兵衛はそんな俺たちを放って、さっさと工房を出ていく。
追いかけようとして、やめた。明日でいい。六年待ったのだから、一晩くらい今さらどうということもない。
作業台には、俺が初めて一人で仕上げた鉄砲が置かれている。完璧ではないし、親父の物には及ばない。弥吉の仕事にも、まだ追いついていない。
それでも、売り物にはなる。
十六歳の春、俺はようやく榊屋の職人になった。




