家を描けない
工房の方は、少しずつ形が見えてきた。
まだ柱の位置まで決められる段階ではないが、何をどこへ置きたいのかは分かってきている。材料を受ける場所、鉄や炭を置く場所、台木の材料を保管する場所、加工する場所、組み上げる場所、完成した物を置く場所。それに水車と、工房から離して置きたい火薬の保管場所。
宗次郎と今の榊屋で人や物の動きを調べてみると、直したいところはいくらでも出てきた。
「荷車はこっちから入れて、ここで荷下ろすやろ。材料はそのままこっちへ持っていく」
「研ぎ物は?」
「ここで受ける。鉄砲とは置く場所分ける」
「お客さんは?」
「こっち。工房の奥まで入ってこんでも話できるようにする」
宗次郎が紙から顔を上げた。
「兄上、楽しそうですね」
「楽しいで」
「そうですか」
「何その顔」
「いえ」
何もないところへ仕事の流れを置いていくのは楽しい。ここで加工した物を次へ送り、途中で溜まりそうなら場所を広げる。行ったり来たりが多ければ配置を変える。
前の仕事でも、こういうことは好きだった。
問題は、その隣だった。
新しい榊屋には、工房だけではなく家も建てる。
*
「兄上」
「うん」
「止まってます」
「考えとる」
「何を?」
「家」
宗次郎が紙を見る。工房の方には線や文字が増えているのに、家の方はほとんど白い。
「工房はあんなに描いてるのに」
「工房は分かるんや」
「家は?」
「……分からん」
「毎日住んでるでしょう」
「住んどるからって家作れるわけちゃうやろ」
工房なら、必要な仕事から考えればいい。誰が何をして、何を使って、どこへ渡すのか。それが分かれば、必要な場所も見えてくる。
なら家も同じように考えればいいはずだった。
「まず飯食うやろ」
「食べます」
「寝る」
「寝ます」
「風呂……」
「毎日入りませんよ」
「そうやった」
危ない。前の感覚が出た。
「台所と便所は要る。井戸は土地見てから。物置も要る。あとは……」
「私に聞かれても」
「お前も住むんやぞ」
「兄上もでしょう」
「せやから考えとるんや!」
宗次郎に投げても駄目だった。
そもそも前に住んでいた家を思い出したところで、大して役には立たない。水道も電気もないし、冷蔵庫も洗濯機もない。家族は親父と母ちゃん、それに俺たち六人兄弟で八人いる。客も来れば、職人が家へ上がることもある。
今の暮らしがどう回っているのかを知らなければ、必要な家なんて分かるはずがない。
「母ちゃんに聞くか」
「それがいいと思います」
「せやな」
答えは簡単だった。
*
ところが、母ちゃんが捕まらない。
昼前に見かけたときは、お小夜を背負ったまま飯の支度をしていた。その横ではお千代が手伝っていて、吉松が何かに手を伸ばして怒られている。
「母ちゃん」
「何?」
「新しい家なんやけど」
「ちょい待って。吉松、それ触ったらあかん!」
「はい」
「何やった?」
「いや、あとでええ」
「そう?」
昼飯が終わったあとならと思ったが、今度は片付けがある。少しして見に行けば洗い物をしていて、その後はお小夜が泣いた。ようやく座ったと思ったら、お千代の着物を繕い始めている。
一言二言なら話せる。だが、新しい家について何に困っているのか、どこを変えたいのかと腰を据えて聞くには、母ちゃんはずっと何かをしていた。
「母ちゃん、忙しいな」
宗次郎が俺を見た。
「今さらですか?」
「知っとったわ」
「そうですか」
「……たぶん」
「母上に言いますよ」
「やめて」
工房では誰がどこへ動き、何を取りに行き、誰に呼ばれて手を止めるのかまで見ていたくせに、家の中についてはまともに考えたことがない。
母ちゃんが忙しいなら、それ自体が新しい家を考えるための材料になる。そう思っても、一日中あとを付いて回るわけにもいかなかった。
*
翌日、俺はまた紙屋にいた。
「また来たんですか?」
「来た」
「紙なくなったんです?」
「ある」
「墨?」
「ある」
「筆?」
「ある」
お澪が怪訝な顔をした。
「では何を買いに?」
「相談」
「うち、そういう店じゃないですよ」
「昨日したやん」
「昨日は紙を買ったでしょう」
「今日も何か買う」
「先に決めてから来てください」
もっともだった。
「家が描けん」
「……家?」
「工房の隣に、うちの家も建てることになっとる」
「家族みんなで移るんですか?」
「うん」
「それで?」
「何が要るか分からん」
お澪が首を傾げた。
「台所とか、寝るところとか?」
「それくらいは分かる。どんな台所がええとか、水場をどこに置くとか、何をどこへしまうとか。今の家で何に困っとるのかが分からん」
「お母さんに聞けばいいでしょう」
「やっぱそうなるよな」
「他に誰に聞くんです?」
「俺もそう思って聞こうとしたんやけど、母ちゃんずっと動いとるんよ」
朝から飯を作り、子供を見て、片付け、洗い物をし、繕い物をする。職人が家へ来ればそちらも見る。俺が見た範囲を話すと、お澪は少し考えた。
「それなら、なおさら聞いた方がいいんじゃないですか?」
「忙しいのに?」
「忙しいからです。新しい家でも同じように忙しかったら、せっかく建てるのにもったいないでしょう」
言われてみれば、その通りだった。
「台所を広くしたら楽になるのか、水が近い方がいいのか、物を置くところが足りないのか。私は知りませんけど、お母さんは知ってるんじゃないですか?」
「せやな。ただ、母ちゃん本人に聞くだけで全部出てくるかな」
「どういうことです?」
「工房でもそうやったんや。困っとることあるかって聞いても、普段からやっとることは当たり前になりすぎて、出てこんことがある」
佐吉が何度も呼ばれていたことも、弥吉のところへ仕事が集まっていたことも、本人たちが最初から困り事として挙げたわけではない。実際に仕事を見て、紙に書いて、ようやく分かったことがいくつもあった。
「家も、見た方がええかもしれん」
「虎松さんが?」
「うん。……お澪も来てくれへん?」
「何で私が?」
予想通りだった。
「俺だけやと、俺が気になったことしか見んから。お前、昨日も俺が考えてへんかったこと聞いたやろ」
「でも、私だって家を建てたことありませんよ」
「俺もない。見るだけなら二人の方がええやろ」
「私が勝手にお母さんの仕事を見て、あれが悪いこれが悪いって言うのは嫌ですよ」
「そんなんさせへん。まず母ちゃんに聞く。俺も一緒に見る」
お澪は少し考えてから頷いた。
「それならいいです。でも、父には聞いてくださいね」
「新兵衛さん?」
「うちの仕事もありますから」
「あ」
「忘れてました?」
「忘れてへん」
「今、忘れてましたよね」
「ちょっとだけ」
*
「新兵衛さん」
ちょうど店の奥にいたので、その場で声を掛けた。
「何や?」
「今度、お澪を半日ほど借りてもええですか?」
新兵衛が俺とお澪を交互に見た。
「……何するん?」
「新しい家を建てるんですけど、今の家で母ちゃんが何に困っとるか見たいんです。俺一人やと見落としそうなんで、お澪にも一緒に見てもらおうかと」
「うちのお澪を?」
「はい」
「お前んとこの家で?」
「はい」
新兵衛はしばらく黙っていた。
何かおかしいことを言っただろうか。
「半日か?」
「そのくらいで。善右衛門さんにも聞きます」
「……まあ、ええやろ」
「ほんまですか?」
「店の仕事にもなるかもしれんしな。人んちが何に困っとるか聞くんも、商売には要るやろ」
「ありがとうございます」
話は終わったと思った。
ところが新兵衛は、お澪を手招きした。
「何?」
「ちょい来い」
お澪が近づくと、新兵衛は何か耳元で囁いた。
何を言ったのかは聞こえなかった。
「なっ……!」
お澪の顔が一気に赤くなった。
「何?」
「何でもないです!」
「何言われたん?」
「何でもないです!」
「二回言うた」
「うるさいです!」
新兵衛は笑いながら店の奥へ戻っていった。
何だったんだ。
*
「で、何を見るんです?」
しばらくして顔の色が戻ったお澪が聞いた。
「母ちゃんが何しとるか。どこ行って、何取りに行って、何で手が止まるか」
「何で手が止まるか?」
「お小夜が泣くとか、誰かに呼ばれるとか、物を取りに行くとか。今困っとることは、直接聞く」
「何が欲しいかじゃなくて?」
「それも聞くけど、先に困っとることかな」
お澪が頷いた。
「紙屋でも、何に使うか聞いた方が早いことあります。欲しい紙の名前を言えない人もいますから」
「包むんか、字を書くんか、とか?」
「そうです。何枚いるのか、厚い方がいいのか、安い方がいいのか。それが分かれば選べます」
「似たようなもんやな」
「家と紙が?」
「……たぶん」
「だいぶ違うと思います」
そこは俺もそう思う。
*
その日の夕方、母ちゃんが少し手を止めたところで声を掛けた。
「母ちゃん」
「何?」
「新しい家のことで、ちゃんと聞きたいことあるんやけど」
「ええよ」
「今やなくてええ。今度、少し時間もらえる?」
「何でそんな改まっとるん?」
「今の家で困っとることとか、母ちゃんが普段どう動いとるか見たい」
「私を?」
「うん」
母ちゃんが妙な顔をした。
「何がおもろいん、それ」
「おもろいから見るんちゃうわ。新しい家、使いやすくしたいやろ」
「そらまあ」
「あと、お澪にも一緒に見てもらおうと思っとる」
「お澪ちゃん?」
「紙屋の。善右衛門屋におる」
「知っとるよ」
「え?」
「何回か会うとるし」
「そうなん?」
「あんたが知らんだけや」
知らなかった。
「新兵衛さんには聞いた。善右衛門にも聞いてからやけど、母ちゃんが嫌じゃなかったら一緒に見てもらおうと思っとる」
母ちゃんは少し考えてから頷いた。
「別にええよ」
「ほんま?」
「ただし、見るだけ言わんと、手ぇ空いとったら手伝ってもらうで」
「え」
「私、忙しいんやろ?」
「……はい」
「なら決まりや」
*
翌朝、俺は善右衛門屋へ向かう前に、宗次郎と聞くことをまとめることにした。
「何となく見て終わったら意味ないでしょう」
「分かっとる」
「昨日まで家の紙、真っ白でしたけど」
「うるさい」
宗次郎は帳面を開き、俺も紙を広げた。
台所、水、薪、洗濯、物置、子供、客、工房との行き来。思いつくものを書いていると、宗次郎が最後に一つ付け足した。
「休むところ」
「誰の?」
「母上のです」
俺はその文字を見た。
「……それも聞こか」
「そうしてください」
聞くことをもう少し整理したら、善右衛門のところへ行く。
その前に、母ちゃんが朝から何をしているのか、今日くらいは少し見ておくことにした。




