紙の上の工房
百挺を作るために必要な仕事を洗い出しているうちに、紙がなくなった。
「昨日あったやつは?」
「使った」
「全部?」
「ほぼ」
宗次郎が、俺の周りに散らばった紙を見回した。
仕事を書き出し、今の担当を書き、他の者へ渡せるかを調べ、必要な道具まで書き加える。途中で分け方そのものを変えて、最初から書き直したものもあった。
やっていることに、妙な既視感がある。
前の仕事でも、こんなものを散々見た。材料が入ってから、どの工程を通り、どこで何を確認して、次へ何を渡すのか。一つずつ並べて、管理するところを決めていく。
QC工程表。
その言葉を思い出した途端、少し頭が痛くなった。
まさか生まれ変わって、火縄銃で似たようなことをやるとは思わなかった。
「兄上?」
「何でもない」
「紙、無駄にしすぎたと思ったんですか?」
「ちゃうわ。無駄にはしてへんぞ」
「では、そう母上に説明してください」
「お前も一緒に使ったやろ」
「私は帳面です」
裏切り者め。
「買ってくる」
「値段見てくださいね」
「母ちゃんみたいなこと言うな」
「兄上が見ないからです」
*
紙屋は、善右衛門屋ほど大きな店ではない。
扱っているのも紙だけではなく、筆や墨、油、蝋燭など、商家や寺、職人が日々使う物が並んでいる。以前の俺なら紙など必要なときに数枚買えば十分だったが、図や仕事の流れを書くようになってから消費が急に増えていた。
「紙欲しいんやけど」
「どれを?」
「大きめで、字と線が書けたらええ。上等なんはいらん」
店にいた男へ用途を説明すると、何種類か見せてくれた。厚さや表面を確かめ、値段も聞く。
ちゃんと聞いた。
これで帰ってから怒られない。
「これ、二十枚」
「二十?」
「多い?」
「いや。最近よう買うなと思って」
「描くもん増えてん」
「何描いとるんや?」
「工房とか、仕事の順番とか」
紙を包んでもらっていると、奥から聞き覚えのある声がした。
「虎松さん?」
振り返ると、お澪が立っていた。
*
「何してんの?」
「ここ、うちですよ」
「そうやった」
「忘れてたんです?」
「忘れてへん。善右衛門屋におる印象が強くて」
「今日は家の手伝いです」
お澪は包まれている紙を見ると、少し呆れたように眉を上げた。
「また紙ですか?」
「またって何や」
「善右衛門屋でも、よく使ってるでしょう」
「要るんや。新しい工房作るから」
「聞きました。月に百挺作れるようにするんですって?」
「そこまで聞いとるん!?」
「秘密だったんです?」
「いや、秘密ではないけど」
藤吉といい善右衛門屋といい、俺より周りの方が話を広めるのが早い。
「それで二十枚?」
「まだ足りんかもしれん」
「工房一つですよね?」
「一つやけど、建物だけ描けばええわけちゃうからな」
「どんなの描いてるんです?」
「見る?」
俺は持ってきていた紙を取り出した。
紙を買いに来るだけなのに何で持ってきたのか、自分でもよく分からない。
*
「……工房、どこです?」
「これは工房ちゃう。こっちは仕事の方」
店の端を借りて広げた紙には、鉄砲を作る仕事と人の名前、それを繋ぐ線や印がびっしり書き込まれていた。
「これが今の仕事。こっちは誰がやっとるか。ここは他の人に渡せる仕事で、この印は道具を工夫したら渡せそうなところ」
「こっちの丸は?」
「水車でできるかもしれん仕事」
「決まってないの多いですね」
「考えとる途中なんや」
お澪はしばらく紙を眺めていた。
「鉄砲一挺作るのに、こんなにあるんですね」
「俺も書いてみて驚いた」
「これを新しい工房に入れるんです?」
「そういうこと」
俺は別の紙を広げた。こちらには、まだ大まかな配置しか描いていない。
「材料はこっちから入れる。鉄と炭は近くに置きたいけど、炭は火のこともあるから置き方を考えんとあかん。台木の材料は別。加工途中の物が逆戻りせんように、仕事の流れもできるだけ揃える」
「こっちは?」
「出来た物を置くところ。荷車が入って、積んだらそのまま出られるようにしたい」
「入口と出口、別なんですね」
「荷車が中で詰まったら仕事にならんからな」
その辺りは、前の仕事でも散々見てきた。
材料の搬入場所、加工途中の物を置く場所、完成品をまとめる場所、出荷する場所。通路に物が溢れれば人も荷も止まるし、行ったり来たりが増えれば、それだけ仕事は遅くなる。
新しく一から工房を作れるなら、今の榊屋で不便に感じているところは最初から潰しておきたい。
「じゃあ、人はどこから入るんです?」
「人?」
「はい」
「ここでええやろ」
俺は荷車とは別に設けるつもりだった入口を指した。
「職人さんは?」
「ここ」
「善右衛門さんは?」
「……ここ」
「鉄砲を頼みに来た人は?」
「ここ」
「研ぎ物持ってきた人は?」
「ここ」
「出来た物を取りに来た人は?」
「……ここやな」
お澪が入口を見る。
俺も見る。
「多くないです?」
「多いな」
*
人の出入口を忘れていたわけではない。
ただ、俺が考えていたのは、働く人間が入り、決められた場所へ材料が届き、完成した物を決められた場所から出す工場だった。前の仕事なら、荷を運んでくる者も、品物を受け取る者も、それぞれ行く先がある程度決まっていた。
榊屋は、そうではない。
善右衛門も善次郎も普通に工房へ入ってくる。注文の相談に来た客が職人へ直接話しかけることもあるし、研ぎ物を持ってきた人間が納期を尋ねることもある。材料を運んできた者が、その辺にいる人間へ声を掛けるのも珍しくない。
作る場所と商売をする場所が、今の榊屋ではほとんど分かれていなかった。
「これ、全員ここから入れたら邪魔になるな」
「今も結構入ってきますよね」
「入ってくる」
「百挺作るようになったら、人も増えるんでしょう?」
「増えるな」
「来る人も増えません?」
「……増えるやろな」
俺は紙に描いた入口を見直した。
「お澪。善右衛門屋やったら、客来たらどうしとる?」
「何の客です?」
「そこから聞くん?」
「違う用事の人を同じに扱えないでしょう」
もっともだった。
*
「品物を買いに来た人なら店で話します。荷を持ってきた人なら、何を持ってきたか聞きます。大きい荷なら先に分かってることが多いので、受ける人も決めてます」
「急に来たら?」
「誰かが善右衛門さんか善次郎さんに聞きます」
「それ、面倒ちゃう?」
「面倒ですよ」
「じゃあどうするん?」
「よく来る人なら、だんだん決まってきます。どこへ置くとか、誰に声を掛けるとか」
俺は紙へ目を戻した。
物の流れは描いてある。材料を受ける場所も、完成品を出す場所もある。
だが、そこへ付いてくる人間をどう動かすかは曖昧なままだった。
「材料持ってきた人が、工房の奥まで入ってこんで済むようにした方がええな」
「そうなんです?」
「たぶん。その方が仕事止めんで済む」
「じゃあ、誰が受け取るんです?」
「宗次郎」
「宗次郎さん、ずっと入口にいるんです?」
「おらん」
「じゃあ誰が?」
「……決めなあかんな」
お澪が笑った。
「何がおかしい」
「虎松さん、物の行き先はいっぱい決めてるのに、人は勝手に動くと思ってたんですね」
「……そうみたいやな」
腹は立つが、その通りだった。
*
俺は紙にいくつか書き加えた。
材料を受ける場所。
出来た物を渡す場所。
注文や相談に来た人間と話す場所。
研ぎ物を受ける場所。
「研ぎ物と鉄砲、同じところに置くんです?」
「置かん。札付けとるけど、今でも混じったら面倒やしな」
「受けるところは?」
「同じでもええかもしれん。置く場所は分ける」
「返すときは?」
「札と数を確認する」
「誰が?」
「それも決める」
また一つ増えた。
「お前、工房作ったことないんよな?」
「ないですよ」
「なんでこんな出てくんの?」
「店で毎日やってること聞いてるだけです」
俺が普段見ているのは、物をどう作るかだ。お澪が見ているのは、誰が何を持ってきて、何を頼み、何を受け取って帰るのか。その違いが、そのまま紙の上に出ていた。
*
「虎松」
後ろから声がして振り返ると、さっき紙を売ってくれた男が立っていた。
「何してんの?」
「工房描いとります」
「うちで?」
「すんません」
「別にええけど」
男は紙を覗き込んでから、お澪を見る。
「お澪、仕事は?」
「してます」
「どの辺が?」
「紙売りました」
「一回だけやろ」
「二十枚です」
「枚数の話ちゃう」
この人がお澪の父、新兵衛だった。
「新しい工房作るんやって?」
「はい」
「善右衛門さんから聞いた。百挺作るとか」
「そこまで広まっとるんですか」
「紙、ようけ要るな」
「そこ?」
「うちは紙屋やぞ」
正しい。
「今後もよろしくお願いします」
「毎度」
「親父さん!」
「商売や」
お澪が呆れていた。
*
紙を買いに来ただけだったのに、ずいぶん長居してしまった。
帰る頃には、買ったばかりの二十枚のうち一枚が、すでに文字と線で埋まり始めている。
「二十枚で足ります?」
「分からん」
「追加ならいつでもどうぞ」
「商売人になってきたな」
「紙屋の娘です」
「善右衛門みたいになってきた」
「それは嫌です」
「聞かれたら怒られるぞ」
「言わなければいいでしょう」
その辺りも少し善右衛門に似てきている気がする。
俺は包み直してもらった紙を抱えた。
「ありがとな」
「何がです?」
「人の出入り。あれは抜けとった」
「私は聞いただけですよ」
「それが助かったんや」
お澪は少し考えてから頷いた。
「じゃあ、また分からないところがあったら聞きます」
「ほどほどにして」
「嫌です」
「何でや」
「分からないまま返事する方が嫌なので」
そういえば、最初からそういう娘だった。
*
榊屋へ戻ると、宗次郎が真っ先に紙の包みを見た。
「買えました?」
「買えた」
「値段は?」
「聞いた」
「ちゃんと?」
「聞いた!」
「ならいいです」
俺は紙屋で書き込んだ一枚を、その横へ広げた。
「これも増えた」
「何です?」
「工房に出入りする人」
宗次郎が紙を見る。
「材料を持ってくる人。注文に来る人。研ぎ物を持ってくる人。出来た物を取りに来る人……」
「物の出入りは考えとったけど、そいつらが誰に声掛けて、どこまで入ってくるか考えてへんかった」
「誰に言われたんです?」
「お澪」
「そうですか」
宗次郎はそれだけ言うと、自分の帳面を持ってきた。
「何?」
「今の榊屋では、誰が受けてるか調べましょう」
「今から?」
「新しい工房に必要なんでしょう?」
「……せやな」
俺は買ってきた紙を一枚取り出した。
まずは今の榊屋で、誰が何を受け取っているのか。
それを書き出してから、工房の続きを考えることにした。




