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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
鉄砲量産編

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工房が足りない


 三十挺を送り出してから五日ほど経つと、榊屋はすっかり普段の顔に戻っていた。


 次の二十挺に使う材料が入り始め、宗次郎はいつものように帳面と現物を照らし合わせている。佐吉と藤吉は治具を使う仕事を先に進め、五平は鉄砲以外の注文との順番を調整していた。親父と弥吉も、三十挺の終盤に見せていた疲れはほとんど残っていない。


 結局、翌月の二十挺を断る必要はなかった。


 それは嬉しい。


 ただ、三十挺を作った時に見つかった問題まで消えたわけではなかった。


「これ、どこ置く?」


「そこ」


「そこ次の鉄置きます」


「ならこっち」


「そこ五平さんです」


「じゃあ……」


「ありません」


「早いな」


「昨日もやりましたから」


 宗次郎が冷たい。


 俺は材料を抱えたまま工房を見回した。


 三十挺を作っている最中は、普段使わない物を奥へ移し、仕掛かり品の置き場所を決め直すことでどうにかした。三十挺を出してしまえば空くと思っていたし、実際かなり空いた。


 ところが次の二十挺の材料が入り始めると、また狭くなった。


「ここ、前は何置いとった?」


「何も置いてません」


「嘘やろ」


「通るところでした」


「ああ」


 俺は抱えていた材料を見る。


「置いたら?」


「通れなくなります」


「ですよね」


 仕方なく、材料を抱えたまま元の場所へ戻った。


     *


「甚助」


「棚なら作らんぞ」


「まだ何も言うてへん!」


「どうせ置くとこないんやろ」


「なんで分かった?」


「見たら分かる」


 甚助は台木を削る手を止めず、顎で工房の奥を示した。


「棚作っても置くとこないで」


「壁に付ける」


「もう付いとるやろ」


「上」


「届かん」


「梯子(はしご)使う」


「材料取るたび梯子持ってくるんか」


「……嫌やな」


「やろ」


 甚助の言う通りだった。


「隣の部屋使えんの?」


「母ちゃんに聞いてみる?」


「俺は嫌やで」


「なんで?」


「お志乃さんに怒られるん、お前やなくて俺まで巻き込まれそうやから」


 賢明だった。


 榊屋は工房だけでできているわけではない。家族が暮らす場所もあれば、物をしまう場所や商いに使う場所もある。その中で少しずつ工房が広がり、今の形になっている。


 二十挺ずつ作るなら何とかなる。三十挺も一度なら押し込めた。


 だが、仕事が増えるたびに家の隅から隅まで工房へ変えていくわけにはいかない。


「兄上」


「ん?」


「それ、さっきから持ってますけど」


「置くとこ探しとる」


「ないですよ」


「知っとる」


「では善右衛門さんのところへ一度戻します?」


「入ってきた材料返す鉄砲屋ってどうなん?」


「置けないなら仕方ないでしょう」


「嫌や」


「なら持っててください」


「手が塞がっとる」


「知りません」


 弟まで冷たかった。


     *


 結局、その材料は五平のところにあった別の仕事を先に片付け、空いた場所へ置いた。


 ただ、それでは何も解決していない。


 俺は三十挺の時に書いた紙をもう一度広げた。


 置き場所、確認、治具、材料、研ぎもの、最後の合わせ。


 このうち、いくつかにはすでに手を付け始めている。確認待ちは佐吉にしかできない判断を減らすことで少し改善したし、治具も他に使えるところを探している。最後の合わせは簡単ではないものの、どこまでなら弥吉へ渡す前に済ませられるのか、喜兵衛と話を始めていた。


 しかし、置き場所だけは少し違う。


「工夫でどうにかなる話ちゃうな」


 俺が言うと、宗次郎が帳面から顔を上げた。


「前より物が増えてますから」


「昔からこんな狭かったっけ?」


「工房の広さは変わってません」


「知っとる」


「仕事が増えました」


「それも知っとる」


「では何を聞いたんです?」


「慰めてほしかった」


「狭いですね」


「ありがとう」


 何も解決しなかった。


 俺は紙に新しく一つ書いた。


 場所。


 書いてから、自分で笑った。置き場所とほとんど同じである。


「何が違うんです?」


「置き場所は物の話。場所は工房の話」


「同じでは?」


「違う。たぶん」


「たぶん」


「まだ考えとる途中や」


 宗次郎が紙を覗き込んだ。


「広げるんですか?」


「分からん」


「どこへ?」


「だから分からんって」


 今の建物を広げる方法もある。別の建物を借りてもいいし、一部の仕事を外へ出す手もある。以前考えたように、水車場の近くへ作業場を置くこともできる。


 選択肢はいくつか思いつく。


 だが、どれも棚を一つ作るほど簡単な話ではなかった。


     *


 午後、次の二十挺の段取りを確認した。


 宗次郎の帳面を見ながら、材料の入り具合と他の注文、水車場へ回す研ぎものの予定まで確認していく。三十挺をやった直後だからか、以前より見るところが増えていた。


「鉄は?」


「揃います」


「炭」


「足ります」


「台木」


「甚助さんに確認しました。問題ありません」


「水車」


「今のところ、研ぎものだけです。来週は粉挽きが多いそうです」


「了解」


「治具は?」


「佐吉と喜兵衛に聞く」


「お願いします」


「他は?」


 宗次郎が帳面を見る。


「今のところは」


「ほなこれで」


 俺が立とうとしても、宗次郎は動かなかった。


「何?」


「兄上」


「ん?」


「一ついいですか」


「ええよ」


 宗次郎はすぐには言わなかった。


 珍しい。


 帳面を閉じ、少し考えてから俺を見る。


「私も、そろそろ作る方をやってみたいです」


 予想していなかった。


「作る?」


「はい」


「何を?」


「何でも」


「何でもが一番困る」


「では、簡単なもので」


「なんで急に?」


 宗次郎は自分の帳面へ目を落とした。


「急ではないです。ずっと見てますから」


 そう言われて、俺は黙った。


「材料がどれだけ要るかも、誰が何をしてるかも、どこで待ってるかも、前より分かるようになりました」


「うん」


「でも、どうして時間がかかるのかは、分からないことがあります」


 宗次郎は工房の方を見た。


 佐吉と藤吉が仕事をしていて、少し離れたところでは五平が鉄を削っている。


「兄上が簡単やと言っても、佐吉さんは難しいと言うことがあります。五平さんならすぐできるのに、藤吉さんだと時間がかかることもあります」


「あるな」


「帳面には、そこまで書けません」


「書いても分からんと思う」


「はい」


 宗次郎が頷いた。


「だから、一度やってみたいです」


 なるほど。


 職人になりたいと言っているわけではない。帳面の仕事が嫌になったわけでもない。


 むしろ逆だった。


 帳面で工房を見るために、帳面に書けないものを知りたいのだ。


「手ぇ痛なるで」


「知ってます」


「知らんやろ」


「兄上よりは弱いと思います」


「俺基準にするな」


「では藤吉さん」


「もっとあかん」


「聞こえてますよ!」


 工房の向こうから声が飛んできた。


 聞いていたらしい。


     *


 親父に話した。


「やらせたらええやん」


 終わった。


「軽いな」


「何が?」


「もうちょい考えんの?」


「作りたい言うとるんやろ」


「そうやけど」


「ほな作らせたらええ」


 親父は鉄から目を離さない。


「向いてへんかったら?」


「帳面戻ったらええ」


「指怪我したら?」


「お前もしたやろ」


「したけど」


「弥吉もした。佐吉もした。俺もした」


「親父も?」


「当たり前やろ」


 親父がようやく顔を上げた。


「鉄砲屋の息子が鉄触りたい言うて、何で止めるんや」


「止めたいわけちゃう」


「ならええやろ」


「宗次郎、帳面の方かなり役立っとるで」


「作ったら帳面書けんようになるんか?」


「ならん」


「ほなええやろ」


 話が早い。


「ただ」


 親父が続けた。


「いきなり銃身触らせんなよ」


「分かっとるわ!」


「お前、面白なったらやるから」


「やらん!」


 信用がない。


     *


 宗次郎には、まず佐吉のところへ入ってもらうことにした。


 一日中ではない。帳面の仕事も材料の確認も今まで通り続け、そのうえで時間を決めて簡単な加工を覚える。


「藤吉」


「はい」


「先輩やぞ」


「俺が?」


「宗次郎よりは」


 藤吉の顔が明るくなった。


「任せてください」


「急に不安なった」


「なんでですか!」


「佐吉も見といて」


「はい」


 佐吉が笑った。


 宗次郎は真面目な顔で道具を見ている。


 帳面を持って工房を歩いていた弟が、今度は自分で鉄を手に取ろうとしている。職人にするつもりはないが、工房を見る人間が仕事の重さを自分の手で知るのは悪くない。


 むしろ、俺にはかなりいいことに思えた。


 ただし、一つだけ問題が増えた。


「……狭いな」


「何がです?」


 喜兵衛が聞いた。


「人増えた」


「一人やん」


「一人増えたら一人分狭いやろ」


「そらそうやけど」


 宗次郎が作業するなら、そこには人だけでなく道具も要る。材料を置く場所も、加工途中の物を置く場所も必要になる。


 今までは帳面を持って工房を歩くだけだった宗次郎が、作る側へ入った途端に場所を使い始めた。


「兄上」


「ん?」


「邪魔です」


「もう?」


「そこ立たれたら作業できません」


「まだ始めてもないやろ!」


「だから準備します」


 俺は退いた。


 本当に狭かった。


     *


 その日の夕方、善次郎が来た。


「どう?」


「何が?」


「三十挺の続き」


「問題だらけ」


「ええやん」


「どこがや」


「問題分かったんやろ?」


 こいつは他人事だから簡単に言う。


「一個、どうにもならんのがある」


「何?」


「工房」


「工房?」


「狭い」


 善次郎が中を覗いた。


「前からやん」


「前より仕事増えたんや」


「広げたら?」


「どこに?」


 善次郎は工房を見て、それから母屋と隣の建物にも目をやった。


「……ないな」


「やろ?」


「上?」


「甚助にも似たようなこと言われた」


「ほな別の場所やな」


 簡単に言う。


「工房増やすん?」


「まだ決めてへん」


「前言うてた水車場は?」


「遠い」


「今のところやなくて」


「ん?」


 善次郎が俺の紙を勝手に取った。


「お前、水車使いたいんやろ」


「使える仕事にはな」


「工房も広げたい」


「うん」


「ほな、水使えるところに工房作ったら?」


 俺は善次郎を見た。


 善次郎は紙を指で叩いた。


「今の榊屋広げるから難しいんちゃう? 最初から別に作ったらええやん」


 前にも似た話は出ていた。


 水車場の近くに小さな作業場を置き、削る仕事だけ外へ出す。ただ、その時はあくまで水車を使うための場所として考えていた。


 今は事情が違う。


 仕事が増えれば、材料も仕掛かり品も増える。治具を増やせば、それを置く場所が要る。宗次郎のように作る人間を増やせば、作業する場所も道具も必要になる。


 三十挺を普通に作ろうとすると、仕事のやり方だけではなく、今の榊屋そのものが狭かった。


「川沿いか……」


 俺が言うと、善次郎が頷いた。


「水あるところやったら、水車置けるやろ?」


「置ける場所ならな」


「探す?」


「待て」


「何や」


「まだ何も決めてへん」


「探すだけやん」


「お前は探したら買うやろ」


「買わんわ」


「ほんま?」


「たぶん」


「信用できへん!」


 善次郎が笑った。


 俺はもう一度、工房を見た。


 この場所で最初の二十挺を作り、その次も二十挺を作った。三十挺まで増やしても、どうにか納めることはできた。


 工夫すれば、まだ詰め込めるだろう。棚を増やし、物を減らし、作業台を寄せれば、あと少しくらいは使える。


 ただ、これからも仕事を増やすつもりなら、その「あと少し」を繰り返していていいのか。


「善次郎」


「何?」


「川沿いで、工房に使えそうなところってある?」


 善次郎が笑った。


「探してみよか」


「見るだけやぞ」


「分かっとる」


「まだ移る言うてへんからな」


「分かっとるって」


「水車作るとも言うてへん」


「はいはい」


 絶対分かっていない。


 それでも俺は紙を取り戻し、「場所」と書いた横に「水」と書き足した。


 水車を使える仕事を増やしたい。


 その一方で、今の榊屋には仕事を増やす場所がない。


 別々に考えていた二つの問題だったが、善次郎の一言で、同じ場所を探せばいいのだと気づいた。


 次に必要なのは、新しい道具ではなかった。


 道具を置いて、人が働ける場所だった。

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