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虎松〜元エンジニアの戦国ものづくり革新録〜  作者: 真部 朝樹
鉄砲量産編

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三十挺


 三十挺になって最初に起きた問題は、俺が予想していたものではなかった。


 追加の十挺を始めて四日目、朝から宗次郎が工房の隅を片付けていた。鉄砲の仕事が増えたのだから、材料か加工か何かで問題が出たのだろうと思って近づいてみると、弟は木箱を抱えたまま俺を睨んだ。


「兄上」


「はい」


「置けません」


「何が?」


「物が」


 見れば分かる。


 壁際には加工待ちの材料が並び、その隣には途中まで出来た部品が置かれている。今の二十挺、追加の十挺、それに鉄砲以外の仕事もある。それぞれに札は付いているから、何が何だか分からなくなっているわけではない。


 どこに何があるかは分かる。


 分かるのだが、邪魔だった。


「……増えたな」


「増やしたんです」


「俺だけちゃうやろ」


「でも兄上がやるって言いました」


「親父も言うた」


「父上は置き場所考えません」


「それはそう」


 工房の広さは変わっていない。


 二十挺を三十挺にすれば、加工する物だけでなく、加工を待つ物も増える。材料が増えれば、それを入れる箱も増える。札で仕事を見えるようにしたところで、物そのものが消えてくれるわけではない。


「ここ空ける?」


 俺が棚を指した。


「そこは五平さんの別の仕事です」


「こっちは?」


「喜兵衛さんです」


「外?」


「雨降ったらどうするんです?」


「ですよね」


 宗次郎がため息をついた。


「とりあえず、床に直接置くのやめません?」


「なんで?」


「通れません」


 言われて見れば、職人が材料や箱を避けながら歩いている。今までは気にしていなかったが、一日に何度もそこを通るなら、それだけで仕事の邪魔になる。


「甚助」


「今度は何や」


「棚作れる?」


「嫌や」


「まだ何も言うてへんやろ!」


「お前最近、俺見たら何か作れ言うやん」


 否定できなかった。


     *


 結局、新しい大きな棚は作らなかった。


 甚助と宗次郎に言われ、まず今ある物を整理することになった。


「これ、何?」


「前に作ったやつの余りやな」


「使う?」


「たぶん使わん」


「こっちは?」


「知らん」


「誰の?」


「知らん」


「捨ててええ?」


「待て」


 五平が飛んできた。


 そんなやり取りを繰り返しながら、普段使わない物を奥へ移した。仕掛かり品も工程ごとに置く場所を決め直し、とりあえず空いている床へ置くのをやめる。


 それだけで、思っていたより場所が空いた。


「棚いらんかったな」


 俺が言うと、甚助が鼻で笑った。


「作る前に片付けろ」


「はい」


 前の人生でも似たようなことを聞いた覚えがある。


 時代が変わっても、工場で最初にやることは案外変わらないらしい。


     *


 次に詰まったのは、佐吉だった。


 正確には佐吉自身の仕事ではなく、佐吉の確認を待つ仕事だった。


「兄上」


「今度は何?」


「これ」


 宗次郎に呼ばれて行くと、小さな部品が箱に並んでいた。


「出来とるやん」


「出来てます」


「問題は?」


「見てもらってません」


「誰に?」


「佐吉さんに」


 佐吉を見ると、藤吉のところで別の部品を確認している。


「これ誰が作った?」


「藤吉さんです」


「治具使った?」


「はい」


「当て金は?」


「使ってます」


「ならええんちゃう?」


 宗次郎が俺を見る。


「兄上がそれ言います?」


「……あかんな」


 加工できることと、それが良品だと判断できることは別だ。


 藤吉は以前より仕事ができるようになった。治具が位置を決め、当て金で寸法を確かめられる。見本もある。


 それでも、微妙な傷や歪み、材料ごとの違いまで全部自分で判断できるわけではない。その結果、藤吉が作る速度は上がったのに、それを確認する佐吉の速度は以前とそれほど変わっていなかった。


「何個待っとる?」


「これで十一です」


「十一?」


「さっき十二ありました。一個見てもらいました」


「増えとるやん」


「だから呼びました」


 治具で仕事を速くした結果、その仕事が今度は佐吉の前へ積み上がっている。


「……なるほどなあ」


「何が?」


「詰まりが動いた」


 宗次郎が首を傾げた。


「前は藤吉が作れんかった。今は作れる。でも見る方が追いつかん」


「なら、佐吉さん増やします?」


「増えたら苦労せん」


「ですよね」


 人間は棚と違って、頼んだからといって一日で増やせない。


     *


「全部見る必要ある?」


 俺が佐吉に聞くと、佐吉は困った顔をした。


「見なくていいんですか?」


「それ聞いとる」


「俺に?」


「作っとるのお前らやろ」


 佐吉は箱の中から部品を一つ取った。


「これは見た方がいいです」


「なんで?」


「ここ。削りすぎると後で困ります」


「当て金で分からん?」


「長さは分かります。でも、こっちの形は見ないと」


「ならそこは見る」


 別の部品を取る。


「これは?」


「当て金通って、見本と同じなら……藤吉でも見られると思います」


「藤吉」


「はい」


「自分で見られる?」


「たぶん」


「たぶん禁止」


「じゃあ分かりません」


「正直でよろしい」


 佐吉が笑った。


「俺が何個か一緒に見ます。それで同じように見られるなら、任せてもええと思います」


「それでいこう」


 全部を佐吉に確認させるのではなく、佐吉にしか判断できないところだけを残す。藤吉自身で判断していいところと、必ず佐吉へ渡すところを決めればいい。


 治具を作った時と考え方は同じだった。


 佐吉の仕事をなくしたいわけではない。佐吉でなければできない仕事に、佐吉の時間を使いたいのだ。


     *


 そこを抜けると、三十挺はまた流れ始めた。


 追加で作った治具も効いている。佐吉と藤吉が同じ道具を取り合うことがなくなり、簡単な加工なら藤吉一人で始められるようになった。佐吉も別の仕事をしながら、必要なところだけ見ればいい。


 五平のところでも大きな問題は出ていなかった。むしろ三十挺分あることで、同じ仕事をまとめて進められる場面が増えている。


「これ、二十より楽なとこあるな」


 五平が言った。


「ほんま?」


「同じこと続けてやれるからな。十個やって別の仕事して、また戻るよりはええ」


「三十にする?」


「嫌や」


「なんでや!」


「量は増えとるやろ」


「そらそうか」


 同じ仕事をまとめられるところは楽になるが、当然ながら作る量そのものは増えている。


 増やせば全部が苦しくなるわけでも、全部が楽になるわけでもないらしい。


     *


 七日目、水車場から市兵衛が来た。


「研ぎもん、溜まってます」


「何本?」


「十九」


「十九?」


「昨日、水車使えんかったんで」


「ああ……」


 忘れていた。


 鉄砲だけが榊屋の仕事ではない。


「今日回せる?」


「昼からなら」


「喜兵衛」


「嫌な予感するな」


「ちょっと見に」


「今これやっとる」


 喜兵衛が見せたのは火縄金具だった。しかも三十挺分ある。


「俺行く?」


 口に出した瞬間、宗次郎がこちらを向いた。


「兄上」


「はい」


「行かないでください」


「でも」


「今、鉄砲三十挺やってるんですよね?」


「はい」


「全体見るんですよね?」


「はい」


「市兵衛さんだけでは無理ですか?」


 市兵衛を見る。


「普通の研ぎならできます」


「変わったのある?」


「二本」


「それだけ持ってきて」


「はい」


 市兵衛が帰っていった。


 危なかった。


 忙しくなると、自分でやった方が早い仕事へ手を出したくなる。目の前の一つを片付ければ仕事をした気にはなるが、今の俺が水車場へ行けば、その間は工房全体を見る人間が一人減る。


「宗次郎」


「はい」


「助かった」


「なら仕事してください」


「はい」


 弟がだんだん上司みたいになってきた。


     *


 十日を過ぎたころ、俺は本気で三十挺を流せるのではないかと思い始めていた。


 炭の減りは早いし、材料を置く場所にも余裕はない。札が増えれば宗次郎の帳面に書くことも増える。それでも、最初の二十挺の時のように、何が起きているのか分からないまま仕事だけが溜まることはなくなっていた。


 問題が起きれば場所が分かる。誰が困っているのかも見つけやすい。原因を調べて対処すれば、また仕事が動き始める。


「三十、いけるんちゃう?」


 俺が言うと、弥吉が答えた。


「そうやな」


「お前まで言う?」


「なんや、不満なん?」


「五平さん毎回否定するから」


「俺は優しいからな」


「自分で言うな」


 弥吉は笑いながら銃身を見ていた。


 その横には次の銃身が二本待っていて、さらに奥にも何本か置かれている。


 そこで、ようやく気になった。


「……弥吉」


「ん?」


「それ、何本待ち?」


「これ終わったら四本」


「四?」


「せやな」


「昨日は?」


「二本くらいちゃう?」


 周りを見ると、増えているのは弥吉のところだけではなかった。親父のところにも、仕上げを待つ仕事が並び始めている。


「親父」


「なんや」


「何本待っとる?」


「知らん」


「知らん?」


「そこ見ろ」


 数えた。


 六本あった。


 嫌な感じがした。


     *


 翌日には八本になった。


「増えとるやん!」


「そら前から来るんやから増えるやろ」


 親父は平然としている。


「減らして!」


「やっとる!」


「もっと!」


「無茶言うな!」


 初めて立場が逆になった。


 荒い加工は以前より流せるようになった。小物も増やせる。藤吉へ渡せる仕事が増え、治具も働いている。確認の一部も前の工程へ渡した。


 その結果、今までより多くの仕事が予定通り後ろまで流れてきた。


 そして最後の合わせで待ち始めた。


「弥吉」


「分かっとる」


「増えとる」


「分かっとるって」


「何とかならん?」


「手ぇもう二本生やしてくれ」


「無理や」


「ほな待て」


 正論だった。


 親父と弥吉が遅いわけではない。むしろ二人とも速い。ただ、三十挺分の仕事がそこへ来るようになったのだ。


 最後の合わせには、微妙な調整や、銃身と他の部品の具合を見る仕事が残っている。ここにはまだ、当て金一枚で誰かへ渡せるような仕事ばかりではない。


 しかも、ここで急いで雑な仕事をすれば、それまで積み上げてきたものを最後に台無しにする。


「……ここか」


 俺が言うと、宗次郎が隣に来た。


「ここですね」


「見事に溜まったな」


「はい」


「嬉しそうに言うな」


「記録します」


「それはして」


 二十挺では何とか流れていた場所が、三十挺になった途端にはっきり詰まった。


 今のやり方のままでは、ここが三十挺の限界を決めることになる。


     *


 だからといって、今回の仕事の途中で大きくやり方を変える余裕はなかった。納める日は動かないし、すでに仕事は後ろまで来ている。


 今回は、今いる人間で抜けるしかない。


 親父と弥吉には最後の合わせへ集中してもらい、二人が普段やっている仕事のうち、五平や喜兵衛でもできるものを移した。佐吉には藤吉を見る時間を減らしてもらい、すでに一人で判断できると確認した仕事は藤吉へ任せる。


 甚助は台木を優先し、喜兵衛は小物を片付けたあと、親父へ渡す前の準備を引き受けた。


 俺も久しぶりに加工へ入った。


「兄上」


「これはええやろ!」


「まだ何も言ってません」


「顔が言うとる」


「何するんです?」


「親父に渡す前の準備。俺でもできるとこだけ」


「全体は?」


「見る」


「ほんとに?」


「見る!」


 自分でも少し怪しい。


 それでも今回は人手が必要だった。


 朝から始めた仕事が日暮れまでに終わらず、灯りを使う日も増えた。ただ、誰か一人へ仕事が集中して残っているわけではない。工房全体で少しずつ仕事の時間が伸びている。


 疲れは溜まっていたが、最初の二十挺の時とは違って、何が残っているのかは分かっていた。誰に何を渡せばいいのかも、翌日に何から始めればいいのかも見えている。


 忙しくても、仕事の行方を見失ってはいなかった。


     *


 最後の三日間は、さすがにしんどかった。


「あと何本?」


 俺が聞く。


「五」


 弥吉が答える。


 翌日は三本まで減った。


 さらにその翌日、親父の前に残っていたのは一挺だけだった。


「あと?」


「一」


 親父が顔を上げた。


「うるさい」


「気になるんや!」


「見たら分かるやろ」


「聞いた方が早い」


「宗次郎の帳面見ろ」


「親父から聞きたい」


「なんでや」


「減っとる感じするから」


「仕事増やすな」


 怒られた。


 その日の夕方、最後の一挺が親父の手を離れた。


 弥吉が受け取り、最後にもう一度確かめる。俺も見た。親父も見た。


「ええ」


 親父が言った。


 これで三十挺だった。


 並べてみると、やはり多い。最初の二十挺を並べた時にも同じことを思ったが、そこから十挺増えただけで随分と景色が違う。


 善右衛門と善次郎も来ていた。


「……揃ったな」


 善右衛門が言った。


「揃った」


 親父が答える。


 善右衛門はしばらく三十挺を見ていた。


「助かった。ほんまに助かった」


 善次郎も頭を下げた。


 今回は誰も冗談を言わなかった。


 親父が手を振る。


「銭は払えよ」


「そこは言うんやな」


「当たり前や」


 そこでようやく、少しだけいつもの空気が戻った。


     *


 三十挺を渡した翌朝、俺はいつも通り工房へ来た。


 身体が重い。腕にも疲れが残っているし、眠い。


 それでも工房にはいつもの顔が揃っていた。佐吉も五平も来ている。藤吉は欠伸をして親父に怒られ、喜兵衛は昨日片付けられなかった仕事を見ていた。弥吉だけは座ったまま茶を飲んでいる。


「弥吉」


「なんや」


「今日働ける?」


「ぼちぼちな」


「親父」


「なんや」


「働ける?」


「当たり前やろ」


「五平さん」


「聞くな」


「はい」


 全員、しっかり疲れている。


 それでも工房は動いていた。


 最初の二十挺を作り終えた時は、しばらく同じことをやりたくないと思った。今回も、三十挺をもう一度やれと言われれば断りたい。


 ただ、二十挺ならどうだろう。


「兄上」


「ん?」


 宗次郎が帳面を持ってきた。


「次の二十挺、材料の手配どうします?」


「……来月?」


「はい」


「やるん?」


「注文来てますよ」


「そうやった」


「無理ですか?」


 俺は工房を見た。


 昨日まで三十挺を作っていた人間が、今日もそれぞれの持ち場で仕事をしている。


「いや。二十なら、まあええわ」


 宗次郎が頷いた。


「では手配します」


「ちょっとは労ってくれてもええんちゃう?」


「昨日しました」


「今日もして」


「仕事してください」


「はい」


 やはり上司だった。


     *


 昼前、善次郎が来た。


「来月の話やけど」


「三十は嫌やぞ」


「まだ何も言うてへん」


「三十は嫌やぞ」


「分かったって」


「二十ならやる」


「ほな二十で」


「話進めるの早ない?」


「今お前が言うたやん」


 しまった。


 善次郎が笑う。


「でも、できたな。三十」


「できた」


「ほな三十作れるやん」


「ちゃう」


 俺は即座に答えた。


「今回は作っただけや」


「何が違う?」


「毎月これやったら潰れる」


「でも来月二十はいけるんやろ?」


「それはな」


「前よりええやん」


 言われて、少し考えた。


 確かにそうだった。


 昔の榊屋なら、三十挺を無理に作れば、その後の仕事まで止まっていたかもしれない。今回は最後に仕事の時間が伸び、親父と弥吉にもかなり無理をさせた。それでも翌朝には工房が動いているし、次の二十挺を受けてもいいと思える程度には余力が戻っている。


「……まあな」


「何が足らんかった?」


 善次郎が聞いた。


 答えようとして、やめた。


 一つではない。


「紙持ってきて」


「なんで?」


「書く」


「また?」


「またや」


 善次郎が笑った。


 俺は鉛筆を取り、この三十挺で困ったことを思い出しながら書き始めた。


 置き場所は足りなかった。藤吉が速くなれば佐吉の確認が詰まり、水車場の仕事まで重なった。最後には親父と弥吉のところへ仕事が集まり、そこを抜けるために工房全体の仕事を組み替えた。


 治具も材料も、まだ見直すところがある。


 三十挺を作れた。


 だが、それは三十挺を無理なく繰り返し作れるという意味ではない。


 今回の仕事で分かったのは、今の榊屋がどこまでなら普通に流せて、どこから先で無理を始めるのかだった。


 俺は書き終えた紙を見直した。


「次はここやな」


「何が?」


「三十を、普通に作れるようにする」


 善次郎が嫌そうな顔をした。


「また何か始めるん?」


「お前が聞いたんやろ」


「聞いただけや」


「聞いた責任取れ」


「なんでや!」


 工房の奥から弥吉が笑う声が聞こえた。


 三十挺を作ったからこそ、次に直す場所が見えた。


 今の榊屋は、まだ三十挺を普通に作れる工房ではない。


 だから次は、そこを変える。

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