手を決める道具
翌朝から、俺と宗次郎は工房の中をうろつき始めた。
三度目の二十挺を止めるわけにはいかないので、職人たちには普段通り仕事をしてもらう。その横で、誰が何をしているのか、どこで仕事が待つのか、どんな作業に人の手が取られているのかを改めて見ることにした。
以前も似たようなことはやった。最初の二十挺を作ったとき、弥吉のところへ仕事が集中していることを見つけ、途中の確認や簡単な仕事を他へ移した。仕掛かりが溜まれば流れを変え、同じ作業をまとめた方がいいところだけまとめた。
ただ、今回は目的が違う。
あのときは、二十挺を作るためだった。
今度は、二十挺から先へ行くために見る。
「兄上」
「ん?」
「そこ、さっきも見てました」
「見とる」
「何を?」
「分からん」
「分からないものを見てるんですか?」
「分からんから見とるんや」
宗次郎が少し考え、帳面に何か書いた。
「何書いた?」
「兄上、五平さんのところ二回目」
「いらんやろ、その記録」
「後で何回見たか分かります」
「何に使うねん」
「分かりません」
「ほら!」
最近、弟が俺の扱いを覚えてきた。
*
見ているうちに、まず分かったのは、以前ほど分かりやすい詰まりがないことだった。
弥吉の前に仕事が山積みになっているわけではない。佐吉も自分の仕事を進めながら藤吉を見られているし、五平も鉄砲以外の仕事を挟みながら無理なく動いている。喜兵衛は小物の加工と父ちゃんとの火縄金具の試作を行き来していたが、どちらかが止まっている様子もない。
「困ったな」
「順調なのに?」
「順調やから困っとる」
「贅沢ですね」
「三十にしたら、これのどっかが増えるんや」
二十挺なら何でもない仕事でも、三十挺なら一・五倍になる。
材料も一・五倍。
削る回数も一・五倍。
穴を開ける回数も一・五倍。
測る回数も一・五倍。
運ぶ回数も、確かめる回数も増える。
ただし、人間が一・五倍になるわけではない。
だから、今は問題になっていない仕事の中に、三十挺になった瞬間に首を絞めてくるものがあるはずだった。
「佐吉」
「はい?」
「それ一個作るんに、何が一番面倒?」
佐吉は手を止め、作っていた小さな金具を見た。
「一番ですか?」
「時間かかるでも、気ぃ使うでもええ」
「うーん」
佐吉が困った顔をした。
こういう聞き方はよくない。
前の人生でも「何か困っていることありますか」と聞いて、「特にありません」で終わることは山ほどあった。困っている本人にとって、それが毎日やっている普通の仕事なら、そもそも困り事として認識していない。
「最初から見せて」
「これをですか?」
「うん。藤吉に教えるつもりで」
佐吉が頷き、まだ手を付けていない材料を一つ取った。
*
作業そのものは、何度も見ている。
材料へ印を付け、余分なところを落とし、鑢で形を整える。途中で寸法を見て、当て金を使い、また削る。
ただ、今回は手順ではなく、手の動きを見た。
佐吉は材料を台へ置く。
少し動かす。
向きを見る。
手で押さえる。
鏨を当てる。
また材料を見る。
位置を少し直す。
叩く。
次の材料を取る。
また置く。
また向きを見る。
また位置を決める。
「待って」
「はい?」
「今、毎回そこ合わせとる?」
「合わせてますけど」
「何に?」
「何にって……」
佐吉が材料と台を交互に見た。
「前のと同じくらいになるように」
「どうやって?」
「見て」
「見て?」
「はい」
俺は宗次郎を見た。
宗次郎も俺を見る。
「これや」
「何がです?」
「増えるやつ」
佐吉が首を傾げた。
*
次は五平のところへ行った。
「五平さん、これ毎回どこに置くか決めとる?」
「そら決めるやろ」
「どうやって?」
「こうや」
五平は材料を取り、台の上へ置いた。
「だから、その位置」
「見たら分かる」
「見たら分かる禁止」
「なんでや」
「俺には分からん」
「ほな覚えろ」
「三十挺作りたいねん」
「知らんがな」
話が進まない。
しかし五平も、佐吉と同じだった。
同じような部品を繰り返し作るとき、材料を置く位置、押さえる位置、鏨を当てる場所を、その都度自分の目と手で決めている。
それが悪いわけではない。
むしろ職人としては普通なのだろう。
材料を見て、前に作った物を思い出し、少しずつ合わせる。その判断ができるから職人なのであって、父ちゃんや弥吉なら迷う時間すらほとんどない。
だが、三十挺になるなら話が変わる。
「藤吉」
「はい」
「同じのやってみ」
「俺が?」
「うん」
藤吉が材料を受け取った。
置く。
少し動かす。
佐吉を見る。
「ここ?」
「もうちょいこっち」
「これくらい?」
「行きすぎ」
「ここ?」
「うん」
俺と宗次郎は顔を見合わせた。
「これもやな」
「増えますね」
材料が増えれば、加工する時間だけではなく、こういう小さな判断も増える。
そして若い職人ほど、そのたびに佐吉や五平へ聞く。
佐吉が藤吉を見る時間も増える。
五平が手を止める回数も増える。
やがて弥吉や父ちゃんにまで確認が飛ぶ。
最初の二十挺で見た光景が、形を変えて戻ってくる。
「当て金と同じや」
俺が言うと、佐吉が首を振った。
「寸法ちゃいますよ」
「分かっとる」
「何が同じなんです?」
「考えんでええようにする」
佐吉がますます分からない顔をした。
*
俺は木片を一つ持ってきた。
材料を台へ置き、その横に木片を当てる。
「ここに、これ固定したら?」
「邪魔です」
佐吉が即答した。
「早いな」
「鏨振れません」
「ああ」
失敗。
木片を反対側へ移す。
「ここは?」
「材料取れません」
「なるほど」
「兄上」
「何?」
「作る前に聞いた方が早くないですか?」
「作ってへん。置いただけや」
「同じです」
弟が厳しい。
五平が横から木片を取り、少し位置をずらした。
「ここならええんちゃうか」
「お」
「ただ、これだけやったら動くぞ」
「固定する」
「どうやって?」
「……穴開ける?」
「台に?」
「嫌?」
「嫌や」
「即答やな」
「俺の台や」
道具に穴を開けられるのは嫌らしい。
気持ちは分かる。
喜兵衛まで寄ってきた。
「別の板に付けたらええんちゃう?」
「板?」
「台の上にもう一枚置く。その板に木ぃ付けたら、五平さんの台に穴開けんでええやろ」
「それや」
「でも板ごと動くで」
「押さえる」
「誰が?」
「……俺?」
「手ぇ一個減るやん」
「せやな」
思ったより面倒である。
頭の中では簡単だった。
材料を同じ場所へ置けるように、当たりを付ける。それだけの話なのに、実際に使うとなれば材料を入れやすく、取りやすく、加工の邪魔にならず、作業中に動かず、できれば台そのものも傷めない必要がある。
治具は、置けば治具になるわけではない。
*
「何しとる?」
父ちゃんが来た。
「邪魔な板作っとる」
五平が答えた。
「まだ作ってへん!」
「邪魔なん?」
父ちゃんが板を見る。
「今んとこは」
「ほな捨てろ」
「待て!」
俺は板を取り返した。
「同じ部品作るたびに、置く場所決め直しとるやろ?」
「そらな」
「それ、道具に決めさせられへんかなと思って」
父ちゃんが板を見る。
材料を見る。
俺を見る。
「当て金みたいなもんか」
「近い」
「寸法測るんちゃうやろ?」
「置く場所とか、向きとか決める」
「ほな当て金ちゃうやん」
「近い言うたやろ!」
父ちゃんは笑い、俺から板を取った。
材料を置き、木片を当てる。
少しずらす。
鏨を持つ。
振る真似をする。
「ここ邪魔やな」
「さっき言われた」
「こっちもあかん」
「それも」
「ならここやろ」
父ちゃんが木片を別の位置へ置いた。
五平が見る。
「そこならいけるか」
「でも一個だけやったら向きずれるな」
「二ヶ所いる?」
「三つあった方が早いんちゃうか」
俺は黙った。
父ちゃんと五平が勝手に話を始めた。
「ここ当てて、こっち押したら位置決まるやろ」
「でも材料ちょっと太かったら入らんで」
「ならこっちは当てるだけにする」
「押さえは?」
「楔でええんちゃうか」
喜兵衛が割り込む。
「楔やったら毎回叩かなあかんやろ。これで挟んだ方が早ない?」
「それ作る方が面倒や」
「何回使うと思っとるんです」
「二十挺やろ」
「次も作るんやろ?」
「知らん」
「善次郎が増やしたい言うとる」
「あいつ帰ったん?」
「昨日な」
「ほな作っといた方がええんちゃう?」
話が進んでいる。
俺が入る隙がない。
「虎松」
父ちゃんが呼んだ。
「何?」
「これ、どれくらい同じにしたいんや」
そこで俺は少し考えた。
「完全に同じでなくてええ」
「ほな楽やな」
「後で合わせる分は残す。ただ、最初に置く位置と、落とすところが毎回だいたい同じになればええ」
「なら木でええ」
「鉄じゃなくて?」
「試すだけやろ。使えるか分からんもんに鉄使うな」
正しい。
「甚助呼んでこい」
「俺が作るんちゃうの?」
「木やぞ」
「木くらい俺でも」
「お前が作ったら遅いやろ」
それも正しい。
*
甚助は話を聞くと、俺たちが散々悩んでいたものを、思ったより簡単に形にした。
厚めの板へ木片を三ヶ所付け、材料の二辺を当てればおおよその位置と向きが決まるようにする。反対側は楔で軽く押さえ、鏨を使うところには何も置かない。
最初から完成品を狙わず、とりあえず試す。
甚助らしい作り方だった。
「これでええん?」
「使ってみんと分からん」
「またそれか」
「最近みんな言うな、それ」
佐吉が最初に使った。
材料を入れる。
二ヶ所へ当てる。
楔を軽く入れる。
位置を見る。
「……合うてますね」
「削ってみて」
佐吉が作業を始めた。
一個目。
二個目。
三個目。
最初のうちは、いつもの癖で材料を入れたあとに位置を見直していた。しかし三個目になるころには、当てて楔を入れ、そのまま鏨を持つようになった。
「どう?」
「楽です」
「早い?」
「ちょっと」
ちょっと。
それでいい。
「藤吉」
「はい」
「やってみ」
藤吉が交代した。
材料を入れ、二ヶ所へ当てる。
「これで?」
「楔」
「あ、はい」
楔を入れる。
佐吉を見る。
「……これでええんです?」
「ええよ」
藤吉が鏨を持った。
さっきまであった、
「ここ?」
「もう少し」
「これくらい?」
「行きすぎ」
が消えた。
俺は宗次郎を見た。
宗次郎はもう帳面に書いていた。
「何書いた?」
「佐吉さんが止まらなかった」
「それや」
「一回ですけど」
「分かっとる」
治具で削る速さが劇的に上がったわけではない。
佐吉なら、こんなものがなくても作れる。
五平ならもっといらないかもしれない。
父ちゃんや弥吉に至っては、道具を置く時間の方が邪魔だと言う可能性すらある。
でも藤吉は違う。
どこへ置けばいいか聞かなくていい。
佐吉も答えなくていい。
その分、二人とも自分の仕事を続けられる。
「これやな」
俺が言った。
「何が?」
藤吉が聞いた。
「お前でもできる」
「それ褒めてます?」
「めちゃくちゃ褒めとる」
「聞こえませんけど」
佐吉が笑った。
*
その日の午後、似たような仕事をいくつか見て回った。
何でも治具にすればいいわけではない。
一回しか作らないものに専用の道具を作れば、道具を作る方が手間になる。材料ごとに形が違うところや、最後に現物へ合わせるところまで固定してしまえば、かえって仕事が増える。
父ちゃんからも釘を刺された。
「何でも板作るなよ」
「分かっとる」
「お前、面白なったら全部やるやろ」
「やらん」
「水車」
「……」
「尺」
「……」
「鉛筆」
「鉛筆はええやろ!」
「紙ばっかり増えとるぞ」
「図は要るねん!」
「ほらな」
反論しにくい。
それでも、使えそうなところはいくつか見つかった。
毎回同じ位置へ穴を開ける仕事。
材料を一定の向きで押さえたい仕事。
削り始める位置を決める仕事。
曲げる場所を揃えたい小さな金具。
今までは職人が目で見て、手で位置を決めていたものの中に、道具へ判断を移せそうな仕事がある。
「兄上」
宗次郎が帳面を見ながら言った。
「これ、三十挺のためですか?」
「そのつもりやったけど」
「二十挺でも楽になりますね」
「なるな」
「なら、三十挺作らなくてもやる意味ありますね」
「ある」
「善次郎さん関係ないですね」
「言うな」
あいつが増産などと言い出さなくても、いずれやっていたことかもしれない。
ただ、二十挺が普通に流れるようになったせいで、俺自身が見落としていた。
大きな詰まりがなくなれば、改善するところがなくなるわけではない。
今度は、小さな判断が見えてくる。
*
夕方、善次郎がまた来た。
「どうやった?」
「早いな」
「気になったから」
「商売暇なん?」
「忙しいわ」
「なら仕事しろ」
「しとるから来たんや」
意味が分からない。
善次郎に、今日作った木の治具を見せた。
「これが水車?」
「どう見たら水車に見えるんや」
「板やな」
「板や」
「何するん?」
藤吉にやらせて見せた。
材料を入れる。
当てる。
楔を入れる。
削る。
「……それだけ?」
「それだけ」
「これで三十挺作れる?」
「作れん」
「ほな何なん」
「一個進んだ」
善次郎が眉を寄せた。
「一個?」
「藤吉が佐吉に聞かんで、この仕事始められるようになった」
善次郎が佐吉を見る。
佐吉は自分の仕事をしている。
「今まで聞いとったん?」
「毎回やない。でも迷ったら聞く」
「これあったら?」
「減る」
「どれくらい?」
「まだ知らん」
「またか」
「今日作ったんや!」
善次郎が笑った。
だが、すぐに治具をもう一度見た。
「これ、他にも作るん?」
「使えるところだけな」
「何個くらい?」
「今探しとる」
「銭かかる?」
「木なら大したことない。鉄で作るなら別やけど、最初は木で試す」
「それで人増やさんでも仕事増やせる?」
「少しは」
善次郎が黙った。
俺は先に釘を刺す。
「少しやぞ」
「分かっとる」
「水車場作らんでええとは言うてへんからな」
「分かっとる」
「三十作れるとも言うてへん」
「分かっとるって」
善次郎が治具を持ち上げた。
「でも、おもろいな」
「何が?」
「人増やす話しとったのに、板増えた」
「板言うな。治具や」
「じぐ?」
そういえば、まだこの言葉を使っていなかった。
俺は少し考えた。
「……仕事を助ける道具や」
「当て金と何が違う?」
「当て金は出来たもんを見る。これは作るときの手を助ける」
「手を?」
「どこ置くとか、どこ押さえるとか、毎回人が考えとることを、道具にやらせる」
善次郎が治具を見る。
「ほな、人が上手くなる代わりに、道具が賢うなるんか」
「……まあ、そんな感じやな」
思ったより上手いことを言う。
俺はその言葉を頭の中で転がした。
人が上手くなる代わりに、道具が賢くなる。
正確には少し違う。
職人が覚えていることの一部を、道具の形にして外へ出すのだ。
どこへ置くか。
どこで止めるか。
どの向きにするか。
それを毎回人間が思い出さなくても、道具に当てれば同じところへ戻ってくる。
「善次郎」
「何?」
「それ、ええな」
「何が?」
「道具が賢うなる」
「俺が言うたんやぞ」
「もろた」
「銭払え」
「嫌や」
善次郎が笑った。
*
その日の終わりに、宗次郎の帳面へ新しく一つ項目を作った。
水車へ持っていけそうな仕事。
人を増やさなければならない仕事。
名人に残す仕事。
そして、治具を作れば他の人へ渡せそうな仕事。
まだ何がどれだけ効くのかは分からない。
ただ、三十挺へ行く方法が「人を十挺分増やす」だけではないことは見えてきた。
人の手には限りがある。
なら、水に働かせる。
道具に覚えさせる。
それでも残る仕事だけを、人がやる。
俺は今日作った木の治具を手に取った。見た目はただの板に木片と楔が付いただけで、水車のように回りもしなければ、鉛筆のように珍しくもない。
けれど、藤吉はこれを使えば佐吉へ聞かずに一つ仕事を進められる。
それだけで、十分だった。




