二十挺の値打ち
善次郎と飯を食ってから、五日が過ぎた。
三度目の二十挺は順調だった。最初の十挺はすでに大半の工程を通り、後から始めた十挺もその後を追っている。俺が朝に工房を回っても、以前のように「ここをどうする」「あれが足りない」と声を掛けられることは少なくなった。
佐吉は藤吉に当て金の使い方を教えながら小物を進め、五平は別の仕事との兼ね合いを見て材料を振り分けている。弥吉は難しい加工と最後の合わせに集中し、喜兵衛は父ちゃんと火縄金具をいじっていた。宗次郎の帳面にも、今のところ大きな遅れはない。
「普通やな」
俺が言うと、五平が顔も上げずに答えた。
「前も言うたやろ」
「確認や」
「毎日確認して、毎日普通や言うとるやないか」
「普通なんが大事なんや」
「ほな喜べ」
それもそうなのだが、もう少し何かあってもいい気がする。
もちろん問題がないことはいい。二十挺という数を前にして誰も慌てず、俺が走り回らなくても仕事が流れている。最初の二十挺で欲しかったのは、まさにこの状態だった。
それなのに、できてしまうと人間は次の問題を探したくなるらしい。
「兄上」
「ん?」
「研ぎもの、今日十二本戻ります」
宗次郎が帳面から顔を上げた。
「市兵衛から?」
「はい。善右衛門さんのところへ戻して、そのうち八本は今日の荷で返せます。残り四本は明日です」
「問題あった?」
「一本だけ刃が欠けていましたが、預かった時からです。お澪さんの帳面にも書いてあります」
「ならええな」
「あと、水車は明日の午前は使えないそうです」
「粉挽き?」
「はい」
「分かった」
俺が頷くと、宗次郎はそのまま帳面へ視線を戻した。
鉄砲二十挺が流れ、その横で研ぎものまで流れている。少し前まで水車で砥石が回っただけで大騒ぎしていたのに、今では水車を使えない日まで仕事の予定に組み込まれていた。
工房の仕事が、少しずつ俺の手を離れている。
悪くない。
むしろ、そうしたかったはずなのだ。
*
昼を少し過ぎたころ、善次郎が来た。
今度は荷も客も連れていない。手には帳面と紙を持っていた。
「虎松おる?」
「おるで」
「源兵衛さんは?」
「そこ」
「おるぞ」
父ちゃんが奥から答えた。
善次郎は勝手知ったる様子で工房へ入ってくると、作業の邪魔にならない場所に腰を下ろした。五日前に飯を食ったときとは違い、今日は最初から商売の顔をしている。
「何?」
「話ある」
「嫌な予感するな」
「まだ何も言うてへんぞ」
「お前の親父と同じこと言うな」
「親子やからな」
善次郎が笑った。
「鉄砲、増やせん?」
予感は当たった。
「嫌や」
「早いわ!」
「五日前に何聞いたか覚えとるか?」
「覚えとるから来たんや」
「ほな無理やって分かるやろ」
「無理とは言うてへんかった」
確かに言っていない。
俺は「人を増やしたら、その分もっと作れるのか」と聞かれて、やったことがないから分からないと答えた。それを善次郎は「できない」ではなく「まだ分からない」と受け取ったらしい。
面倒な男である。
「とりあえず聞けや」
「聞くだけやぞ」
「それでええ」
善次郎は持ってきた帳面を開いた。
父ちゃんも作業の手を止めた。喜兵衛は気にしていないふりをしながら、明らかにこちらを聞いている。
「正直に言うとな」
善次郎が言った。
「榊屋の鉄砲には、かなり儲けさせてもろてる」
「値上げする?」
「なんでやねん」
「儲かっとるんやろ?」
「そういうとこ親父に似てきたな、お前」
「誰のせいや」
「親父やろな」
善次郎は苦笑してから、帳面の一ヶ所を指で叩いた。
「鉄砲が儲かる言う話やないで。確かに今は鉄砲そのものがよう売れる。尾張だけやない。欲しがっとるところは多い」
「なら鉄砲が儲かるんやん」
「最後まで聞け」
「はい」
「他からも仕入れとる。堺だけやないし、別の商人通して買うこともある。でもな、これが結構面倒やねん」
善次郎が指を折った。
「頼んだ日にできん。十挺言うたのに七挺しか揃わん。揃ったと思ったら一本は火縄金具が悪い、もう一本は合わせが悪い。直せるならまだええけど、売りもんにならんのまで混じることがある」
「そんなに?」
「毎回やない。でも珍しくもない」
父ちゃんの眉が少し動いた。
職人として聞き捨てならなかったのだろう。
「誰が作った鉄砲や」
「言わんでええでしょう」
「見てみたいだけや」
「絶対文句言うやろ」
「言わん」
「源兵衛さんの言わんは信用できへん」
「善次郎」
「はい」
「今度持ってこい」
「ほら!」
喜兵衛が吹き出した。
善次郎は父ちゃんから視線を外し、俺に向き直った。
「しかも、届かんかったら終わりやない。こっちはその数が来るつもりで売る話しとるからな」
「ああ」
「足らんかったら別のところ探す。急いで運ばせる。相手に待ってもらうなら頭も下げる。場合によっては値も引く。約束破ったら、次から買うてもらえんこともある」
なるほど。
俺はようやく善次郎が何を言いたいのか分かってきた。
品物そのものの仕入れ値と売値だけを見れば利益が出ていても、その間で余計な仕事が増えれば利益は消えていく。前の人生でも珍しい話ではなかった。安い外注先を選んだはずが、不良対応と納期調整で担当者が走り回り、結局高くつく。
時代が変わっても、そこは変わらないらしい。
「違約の銭まで取られることあるん?」
「ある。こっちが納める側やったらな。それに急ぎの船や人足使うたら、運ぶ銭も増える。儲けがほとんど残らんこともある」
「それで榊屋か」
「そう」
善次郎が頷いた。
「榊屋は二十挺言うたら二十挺出てくる」
「今んとこな」
「最初も二十。次も二十。今のも見た限り間に合うやろ?」
「大きい問題なければ」
「それや」
「何が?」
「お前ら、そこ軽く見すぎやねん」
善次郎は少し呆れた顔をした。
「二十挺作れる鍛冶屋が珍しいんちゃう。二十挺頼んで、約束したころに二十挺出して、前と同じくらいの出来で揃えてくるところがありがたいんや」
俺は工房を見た。
佐吉が当て金を使っている。藤吉がその横で部品を削り、五平は自分の仕事を進めている。壁際には仕掛かりを示す札があり、宗次郎のところには材料と進み具合を書いた帳面がある。
俺たちにとっては、もう普通になりつつある景色だった。
善次郎には違って見えるらしい。
「今、鉄砲は引っ張り凧や」
善次郎が続けた。
「ちゃんとしたもんなら売れる。俺らも売る先はまだある。せやから榊屋と、もうちょい深う組みたい」
「深う?」
「今の二十を増やしたい」
やはりそこへ戻る。
*
「一回だけでええなら、増やせると思う」
俺がそう言うと、善次郎の顔が明るくなった。
「ほんまか?」
「最後まで聞け」
「はい」
「二十五。無理したら三十くらいはいけるかもしれん」
「三十!」
「だから最後まで聞け言うとるやろ」
俺は善次郎を睨んだ。
「一回だけならや」
「一回だけ?」
「他の仕事ちょっと後ろへずらして、みんなに無理してもろて、弥吉と父ちゃんにも普段より余計に見てもらって、それで三十作りました。次の月は疲れて二十も作れません。そんなん意味ないやろ」
善次郎の顔から喜色が消えた。
「毎月三十ってことか」
「そうや。次も三十。その次も三十。誰か一人休んでも全部止まらん。道具壊れても立て直せる。材料が少し遅れても、できる仕事を進められる。それで初めて三十作れる言うんや」
「今の二十みたいに?」
「そう」
最初の二十挺なら、俺たちはもっと無茶をしていた。
弥吉に仕事が集中した。途中で仕掛かりが詰まり、材料の遅れにも振り回された。それでも最後は二十挺を揃えたのだから、結果だけ見れば「作れた」ことになる。
だが、今思えばあれは二十挺を作れる工房ではなかった。
二十挺を、なんとか作った工房だった。
「二十五なら?」
「分からん。今のやり方でも安定して二十二、三くらいはいけるかもしれんし、二十五でどっか詰まるかもしれん。やってへんから分からん」
「またそれか」
「分からんもんを分かる言う方が怖いやろ」
「それはそうやな」
善次郎は素直に頷いた。
父ちゃんがそこで口を挟んだ。
「俺は三十でも作れ言われたら作るで」
「父ちゃん」
「なんや」
「そういう話してへん」
「作れるか聞いとるんやろ」
「毎月や」
「毎月?」
「ずっと」
父ちゃんが黙った。
少し考えてから、工房を見回す。
「……そら、今のままやったらしんどいな」
「やろ?」
「二十五くらいならいけるんちゃうか」
「父ちゃんまで数字増やすな」
「やってみな分からんやろ」
「昨日の善次郎みたいなこと言うな!」
「五日前や」
善次郎が訂正した。
「どっちでもええわ!」
*
宗次郎も呼んだ。
俺たちは善次郎の帳面と宗次郎の帳面を並べ、今の仕事をざっと見直した。
「鉄砲だけ増やすなら、材料も増えます」
宗次郎が言った。
「そらそうやな」
「鉄と炭だけではありません。当て金も使う回数が増えます。前に減って寸法が変わったでしょう」
「うん」
「それから、今の二十挺以外の仕事をどこまで残すか決めないと、何挺増やせるか分からないと思います」
善次郎が俺を見た。
「弟の方が話早ない?」
「最近俺も思う」
「兄上」
「褒めとるんやで」
「ならいいです」
宗次郎は帳面へ目を戻した。
「研ぎものもあります」
「あれは善右衛門屋の仕事やろ」
「市兵衛さんが研いでいますが、榊屋から喜兵衛さんが見に行くこともあります。兄上も行きます。それに砥石や軸に何かあれば、こちらから誰か行くでしょう」
「確かに」
「増えてます」
言われてみれば、その通りだった。
研ぎもの商売は榊屋の外で回っているように見えて、まだ完全に独立してはいない。市兵衛が普通の研ぎをできるようになっても、変わった道具が来ればこちらへ聞きに来るし、機械そのものに問題があれば喜兵衛や俺が動く。
工房の中だけ見ていては、生産能力を測れない。
「人増やしたら?」
善次郎が聞いた。
「誰を?」
「職人」
「どこから?」
「……探す?」
「探して連れてきて、明日から鉄砲作れるん?」
「無理やな」
「教える人も要る。道具も要る。場所も狭なる。人増やしたらその分だけ増えるほど簡単ちゃう」
「ほな、どこ減らす?」
「減らす?」
「人がやらんでええ仕事」
善次郎の言葉に、俺は少し黙った。
五日前に話したことを覚えていたらしい。
父ちゃんのような人を増やすことはできない。
ならば、父ちゃんでなくてもできる仕事を増やす。
その考え方なら、すでに一つ実物がある。
「水車やな」
俺が言うと、喜兵衛がこちらを向いた。
「砥石?」
「うん」
今の水車砥石は、研ぎものにしか使っていない。
だが最初に考えたときから、目的はそれだけではなかった。人が鑢や砥石で延々と削っている仕事の一部を、水の力へ渡せないか。その試しとして、まず失敗しても困らない古い鏨から始めたのだ。
「鉄砲の部品も削るん?」
善次郎が聞いた。
「いきなり完成品はやらん。荒く形作るところとか、失敗しても後で直せるところからやな」
「それで早なる?」
「なる仕事はあると思う」
「どれくらい?」
「知らん」
「また?」
「やってへんねんから知らん!」
善次郎が笑った。
「でもな、水車で全部解決するわけちゃうで。削るんが早なっても、次で詰まったら同じや。仕上げる人が足りんかったら、削った部品が山になるだけや」
「ほな調べる?」
「そうなるな」
口に出してから、少し嫌な予感がした。
また仕事が増える。
宗次郎も同じことを思ったらしく、俺を見ている。
「兄上」
「分かっとる」
「まだ何も言ってません」
「今の二十挺見るんやろ」
「はい」
「見る。絶対見る」
父ちゃんが鼻で笑った。
「学習したな」
「誰のせいや」
「お前やろ」
反論できない。
*
善次郎はしばらく黙っていた。
帳面を見ているのかと思ったが、視線は紙ではなく工房の奥へ向いている。
「水車使える工房があったらええんやな?」
「ん?」
「今の水車場やと、鉄砲の仕事増やすん難しいんやろ?」
「難しいな」
「なんで?」
「まず粉挽きが本業や。空いとる時しか使えん。それに榊屋から離れとる。部品持っていったら、何持っていったか管理せなあかんし、加工した後また持って帰らなあかん」
「研ぎもんはやっとるやん」
「あれは道具一式預かって、一式返すからまだええねん。鉄砲は途中の部品やぞ。こっちで作ったもん持っていって、削って、戻して、次の人に渡す。数増えたら絶対ややこしくなる」
「水車場の近くに仕事場作ったら?」
「前に宗次郎も言うとった」
宗次郎が顔を上げた。
「言いました」
「水車の近くで、削る仕事だけまとめる?」
「できるかもしれん。でも場所いるし、人もいる。道具もいる。水車も好きなだけ使えるとは限らん」
「水車も含めてや」
善次郎が言った。
「何が?」
「水車が使える工房」
俺は善次郎を見た。
こいつの顔を、五日前にも見た気がする。
「探したらええんやろ?」
「……何を?」
「場所。水が使えて、水車置けるところ。今ある水車を使えるならそれでもええし、必要なら別に作ることも考える」
「誰が?」
「うちが」
「うち?」
「善右衛門屋」
善次郎は平然と言った。
「用意してやってもええで」
工房が少し静かになった。
喜兵衛まで完全に手を止めている。
「待て待て待て」
「何や」
「話飛びすぎやろ!」
「そうか?」
「そうや!」
「水車あったら仕事増やせるんやろ?」
「増やせるかもしれん言うただけや! 水車一個置いたら三十挺出てくる魔法ちゃうぞ!」
「分かっとる」
「分かってへん顔や!」
「失礼やな」
善次郎は笑っている。
俺は頭を抱えたくなった。
「場所だけあってもあかん。誰置くねん。何の仕事持っていくねん。榊屋とどうやって行き来するねん。水車で削る仕事増えたら、その後の仕上げが足りるかもしれん。そもそも三十挺作るのに水車が一番大事かどうかも分からん」
「なるほど」
「あと研ぎものもある」
「あるな」
「あっちの仕事止めるん?」
「止めへん」
「ほら増えた!」
善次郎が笑った。
しかし、今度はすぐに次の提案をしなかった。
帳面を閉じ、少し考えてから頷く。
「分かった」
「ほんまに?」
「水車場作る話は、まだせん」
「そうしてくれ」
「まず、何があったら増やせるか調べよう」
「…………」
「なんや」
「お前、五日前より面倒になってへん?」
「お前と飯食ったせいや」
最悪だ。
父ちゃんが笑っている。
「ええやん。調べたら」
「父ちゃんまで」
「作れる言うて作れん方が格好悪いやろ」
それはその通りだった。
善次郎は鉄砲を増やしたい。
善右衛門屋には、それを売る先がある。
俺たちは今、二十挺なら安定して作れる。
なら、次に考えるべきことは三十挺を無理やり作る方法ではない。
三十挺を、今の二十挺と同じように普通に作れる工房とは何か。
人が何人要るのか。どんな道具が要るのか。どの仕事を水に任せられるのか。どこまでを榊屋でやり、どこからを外へ出せるのか。材料、運搬、検査、帳面、図、当て金、その全部をもう一度見直さなければならない。
考えることが、一気に増えた。
「宗次郎」
「はい」
「今の二十挺、工程ごとにどこで誰が触っとるか分かる?」
「大体は」
「時間は?」
「正確には無理です」
「そらそうか」
「ただ、どの仕事で待つことが多いかなら、記録と皆さんに聞けば分かると思います」
「それでええ」
宗次郎が新しい紙を一枚出した。
善次郎がその紙を覗き込む。
「何するん?」
「調べるんやろ」
「もう?」
「お前が言い出したんや!」
「いや、明日からかと」
「忘れる前に書く」
「やっぱり仕事好きやな」
「うるさい」
俺は鉛筆を取った。
紙の一番上に、まず二十と書く。
その横に、少し間を空けて三十と書いた。
十挺。
数字だけなら、それだけの差だった。
だが、その十挺を毎月増やすために何が必要なのか、俺にはまだ分からない。
だから調べる。
善次郎が五日前に言った通り、やってみなければ分からないことは多い。それでも、何も知らないまま走り出す必要はない。
「まず、今の二十挺がどうやってできとるか、もう一回見るで」
「今さら?」
善次郎が聞いた。
「今さらやからや」
二十挺を作ることには慣れた。
次は、その二十挺がなぜ作れているのかを調べる番だった。




